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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第76章 1923(大正8)年冬至~1924(大正9)年処暑
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補助艦制限するっていうレベルじゃねぇぞ!

 1924(大正9)年1月12日土曜日午後2時3分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「内府殿下、いかがなさいましたか?!」

 今年に入ってから初めての定例梨花会が始まった途端、司会役を務める内閣総理大臣の桂さんが身を乗り出しながら私に尋ねた。

「お顔色がよろしくないようにお見受けするのですが、もしやご体調を崩されているのでは……?!」

「何っ?!」

「それは一大事!」

 桂さんの言葉に反応して、枢密顧問官の伊藤さんと、同じく枢密顧問官の山縣さんが立ち上がる。

「ははぁ、これは、有栖川(ありすがわ)の若宮殿下が“鬼怒”に赴任なさったからですな。愛しいご夫君と離れ離れになってしまわれたのです。内府殿下のご心痛はいかばかりかと……」

 前内閣総理大臣の西園寺さんは、そう言いながら頻りに頷いていた。

「あ、あの、栽仁(たねひと)殿下は、今日の夜、盛岡町に戻りますし、それに、私、体調が悪いという訳ではなくて……」

 私がどぎまぎしながら一同に弁明すると、

「梨花さま」

大山さんが厳しい視線を私に向ける。

「考えていらっしゃることがお顔に出ておりました。そうご落胆なさらずともよいことかと思いますが……」

「だって……今年はいい年にしようと思ってたのにさ、新年早々、北京であんな事件が起こったし、それに、これから丹沢地震もあるんだよ……」

 私が大山さんに言い返し、口を軽く尖らせると、

「それは無理もございませんな」

桂さんが真剣な表情で言った。「まさか、“史実”をなぞるような事件が再び発生するとは……では、予定通り、その事件についての報告を始めましょう。幣原君、お願いできるかな?」

 すると、末席にいた外務次官の幣原喜重郎(きじゅうろう)さんが「はい」と返事して立ち上がり、こちらに一礼する。そのまま彼は、今月5日に北京で発生したテロ未遂事件について報告を始めた。

 1月5日の夜、清の首都・北京にある天安門前で、警備中の警官が不審な男を発見した。警官が男を職務質問すると、男は自作の手投げ弾を警官に向かっていきなり投げつけた。手投げ弾は爆発せず、物音に気が付いた門の歩哨たちにより、男は取り押さえられ逮捕された。逮捕された男は自分の正体について黙秘していたけれど、持ち物を調べた結果、清からの朝鮮独立を目指す組織の一員であることが判明したのだ。

「……こういった朝鮮独立運動絡みの事件については、清では公にされないか、実際より被害を小さくして報道されることが多いです。それは、朝鮮独立を考える連中を報道によって勢いづかせないため、そして、諸外国に、朝鮮は清によって大過なく統治されていると印象付けるためです。今回の事件に関しては、公にしない方向で処理しています」

 幣原さんがこう言って報告を締めくくると、

「しかし、犯人の所属する組織は、清によって徹底的に潰されるのでしょうな。朝鮮にまた血の雨が降りそうです。”史実”でも1月5日、爆弾で皇居の門を破壊しようとした朝鮮人が二重橋付近で逮捕されましたが、まさかそれをなぞるような事件が発生するとは……」

朝鮮総督を務めていた“史実”の記憶を持つ、国軍参謀本部長の斎藤さんが顔をしかめて言った。

「……これで、朝鮮独立運動絡みの事件が起こったの、何回目かしら?」

 私が大山さんに小声で確認すると、

「さぁ、毎年のように反乱や暴動、総督の暗殺未遂事件が起こっていますから数え飽きましたが……ただ、北京で事を起こそうとしたのは初めてではないでしょうか」

大山さんは私に答えると眉をひそめた。

「愚かですねぇ。今、首都で騒乱を起こせば、朝鮮人が更に搾取され殺される結果を呼ぶだけですのに」

 陸奥さんがニヤニヤ笑いながら言うと、

「その通りではあるのですが陸奥閣下、軍縮会議を考える上では厄介な問題になります」

国軍大臣の山本権兵衛さんがこう指摘した。「清の陸軍では、今回の1件で、常備兵力はこれ以上削減できないという意見が強くなってきております。このままでは軍縮会議が決裂する恐れもあります。それは何としても避けなければ……」

「以前、院の明石総裁と、清が常備兵力の削減を渋るかもしれないという話をしたが……現実のものとなってしまったか」

 山本国軍大臣の発言を聞いた兄は、そう言ってため息をつくと、

「話は少し変わってしまうが……軍縮会議の予備交渉で、清に対して何か我が国から働き掛けをしているか?」

山本国軍大臣に質問を投げた。

「今、堀が、清の代表を説得しているそうです。朝鮮に清人の自警団を組織して、それにある程度の武力を持たせ、今まで清軍が担っていた清からの移住者の警備の仕事を一部任せれば、常備兵力は見かけ上減っても、朝鮮の軍事力を減らさずに済む、と……」

「ほう、小童どもが頑張っておるのう」

 山本国軍大臣の答えに続いて、枢密顧問官の西郷さんがニコニコしながら感想を述べた。すると、

(おい)たちが鍛えたのも無駄ではなかったようで」

「このぐらいのことはやってくれないと困りますよ。この私が、皇太子殿下に付き従って世界を一周している間、孫たちに会いたいのを我慢しながら鍛えたのですからね」

枢密院議長の黒田さんと、私の義父の有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下が微笑み合う。それを見て、私は1か月ほど前の出来事を思い出した。

 先月の半ば、梨花会の一員でもある山本少佐と堀さんと山下さんは、現在ジュネーブで開かれている第2回軍縮会議の予備交渉の全権・渡辺錠太郎(じょうたろう)歩兵少将の補佐役に任命され、ジュネーブへと向かった。参謀本部に所属している渡辺さんは、参謀本部内の重鎮として知られている。そんな人の補佐役なのだから、山本少佐も堀さんも山下さんも、渡辺さんにこき使われるのだろうと思っていたら、

――渡辺には、交渉は基本的にあの3人に当たらせて、余計な手出しはするなと命じました。

山本少佐たちがジュネーブに向かって出発した直後、御学問所に報告にやってきた桂さんが兄に向かってさらっとこう言ったので、

――どういうことだ。

――それ、どういうことですか。

兄と私は同時に桂さんにツッコミを入れてしまった。

――どういうことか、とは、一体何が、でございましょうか?

 大げさに首を傾げて問う桂さんに、

――だから……あの3人に予備交渉を全てやらせる、ということですか?確か、堀さんと山下さんは、前回の本交渉の時も補佐役になっていたと思いますけれど、だからと言って今回、予備交渉の実質的な交渉役にするなんて……。

私が無茶とも思われる指示に抗議すると、

――それで失敗するなら、渡辺君が出て行って後始末をするだけですよ。

私のそばで一緒に桂さんの報告を聞いていた大山さんが静かに言った。

――そして、あの3人には、“所詮、そこまでの実力しかない人間だった”という烙印が押されることになるでしょう。

 顔色を少しも変えずにこう続けた大山さんを見て、私も兄も顔を強張らせてしまったのだけれど……。

 ……そんな光景を頭の中で再生していると、

「結構なことじゃ。世界の荒波に揉まれて、一回り大きくなって帰ってきてもらいたいものじゃ」

「ああ、我が国のためにもな」

伊藤さんと山縣さんが話し合っている声が聞こえて、私は現実の世界に戻された。

 伊藤さんと山縣さんだけではなく、黒田さんや私の義父……その他の梨花会の面々を満足させる結果を出せなければ、山本少佐たちは梨花会の面々に“見込みなし”として切り捨てられてしまうか、帰国してから地獄のようなしごきを受けるか……どちらにしても、良い結末は待っていないだろう。

(ああ、大丈夫かしら、山本少佐たち……)

 梨花会の面々の表情を伺いながら、ジュネーブにいる3人を心配していると、

「大丈夫ですよ」

大山さんが私の右耳にそっと囁きかけた。

「これでも、(おい)たちは五十六たちを信じているのですよ。甘い言葉を知らぬので、言葉は厳しくなってしまいますが」

「はぁ……」

 半信半疑ながら、我が臣下に頷くと、

「ただ、万が一失敗した時は……」

大山さんは小声で嘯いて凄みのある微笑を見せる。山本少佐たちが成果を挙げて帰国することを、私は心から祈った。


 北京の事件の話は一通り終わったので……ということで、梨花会の話題はそのままジュネーブで行われている第2回軍縮会議の予備交渉のことに移った。

「この資料の表に書かれている現在の常備兵力数は、第1回の軍縮会議での合意事項通りに削減した結果、この数になったと考えてよろしいのですな?」

 内務大臣の後藤さんの質問に、

「その通りです。1919年1月1日時点の常備兵力から1%削減した兵力数となっています」

国軍大臣の山本さんが軽く頷いて答えた。


挿絵(By みてみん)


「ふむ……こちらは当初の予定通りだが、主力艦の方は、予定通りに削減が進んでいないようだな」

「はい、イギリスとドイツが……」

 続けて兄が問うと、山本国軍大臣が恭しく回答する。

(なかなかうまくいかないものね……)

 私は各国の主力艦保有トン数の一覧を見てため息をついた。


挿絵(By みてみん)


 事の発端はドイツでの動きだった。第1回の軍縮会議で、ドイツが主力艦として保有を認められた軍艦に、“フュルスト・ビスマルク”と“プリンツ・ハインリヒ”という装甲巡洋艦があった。双方とも、排水量は1万トン前後だけれど、24cm砲を搭載していたため、主力艦に分類されたのだ。

 そして、“フュルスト・ビスマルク”は1920年に、“プリンツ・ハインリヒ”は1922年に艦齢20年を迎えたので、退役することになった。ドイツは“フュルスト・ビスマルク”と“プリンツ・ハインリヒ”の代替として、“マッケンゼン”と“プリンツ・アイテル・フリードリヒ”という2隻の巡洋戦艦を建造した。排水量は3万1000トン、最大速力は32.5ノットという巡洋戦艦の出現に、ドイツを仮想敵国とするイギリスとフランスは神経を苛立たせた。

 実は、第1回の軍縮会議で定められた規定に問題があったのだ。第1回の軍縮会議では、“主力艦”は、“排水量が1万トンを超えるか、口径203mmを超える砲を持っている軍艦”と定義された。そして、“戦艦の新規建造は禁止”“艦齢20年以上の戦艦に関しては代替の戦艦の建造を認める”と条約が交わされた。しかし、“主力艦”に分類されて保有が認められた巡洋艦に関しては、艦齢20年を超えた場合、代替の軍艦の建造を認めるのか認めないのか、代替の軍艦を建造する場合はどのくらいの大きさまでが許されるのかなど、規定が全くなかったのだ。ドイツはそこを突いて、装甲巡洋艦の代替の軍艦として、3倍前後の排水量を誇る戦艦を建造した。

 ドイツの動きに反発したのはイギリスだ。イギリスは、排水量1万850トンのデヴォンシャー級装甲巡洋艦6隻、排水量1万3550トンのデューク・オブ・エジンバラ級装甲巡洋艦6隻を保有している。これらの艦の大半は本来、第1回の軍縮会議で廃棄すると定められていたけれど、イギリスは“まだ廃棄の手が回らない”として、これらの艦を今回の軍縮会議に提出する現在保有艦リストに掲載していた。デヴォンシャー級は1925年に、デューク・オブ・エジンバラ級は1926年から1927年に艦齢20年を迎える。第3回の軍縮会議は、開かれるとしたら1929年以降だろうから、これらの艦は代替の軍艦を建造されて退役することになるだろう。“ドイツもやったのだから、我が国も比較的小さな艦を大きな艦に代替しても構わないのだろう”とイギリスが言いたいのは明らかだった。

「要するに、主力艦をどこまで減らすか、という問題を協議する必要がまた出てきたわけですね」

 陸奥さんが楽しそうに言った。「第1回の会議の際は、主力艦保有トン数が5万トン未満の国は、主力艦を削減しなくてもよいということになりましたが、今回、その制限は何万トンになりそうなのですか?」

「20万か30万トンになりそうだと報告を受けています」

 山本国軍大臣が渋い表情で答える。「どちらにしろ、我が国には関係のない数値ですが、保有が認められている主力艦の代替艦建造に対して制限を加えるかどうかに関しては、我が国にも関わって来る可能性があります」

 すると、

「ああ、“葛城(かつらぎ)”は大きいからのう」

西郷さんがニコニコ笑いながら言う。

「そこ、下手すると、笑い事じゃすまなくなりますよ……」

 私は西郷さんを睨んだ。「建造したばかりの軍艦が、廃艦に追い込まれたら最悪じゃないですか」

 “葛城”は、戦艦“朝日”の代替として呉で建造されている装甲巡洋艦だ。金剛型の設計をベースにして更に改良された“葛城”は、“朝日”の2倍以上の3万2500トンの排水量を誇りながらも、32.5ノットの速度を出すことができる。一方、現在行われている軍縮会議の予備交渉では、保有が認められている主力艦の代替艦を建造する際には、元の艦の2倍以上の排水量がある軍艦にしてはいけない、という規制を設けるべきだという意見がイギリスなどから出されている。その規制が承認されてしまえば、“朝日”の2倍以上の排水量である“葛城”は就役できず、下手をすると廃艦に追い込まれてしまうのだ。

 と、

「実は、イギリスが密かに我が国に接触してきておりまして……」

山本国軍大臣が渋い表情のまま一同に告げる。「何だ?」と問うた兄に、

「代替艦建造の際、排水量に規制を掛ける案は撤回する。その代わり、航空母艦の運用方法について教えて欲しい、と……」

山本国軍大臣はこう答えた。

(うわぁ……)

 私は両腕で頭を抱えた。脳裏にはなぜか、昨年来日したウィンストン・チャーチルさんの人の悪そうな笑顔が描かれてしまっている。

「……ある程度は、イギリスに教えるしかないだろうな」

 兄が10秒以上沈黙した後、苦虫を噛み潰したような顔をして言った。「応じなければ、奴ら、航空母艦の保有制限をすべきだと言い始めるだろう。今、世界で3隻も航空母艦を保有しているのは日本だけ。イギリス・ドイツですら、1隻ずつしか保有していないのだ」

「航空母艦の保有制限や、“主力艦”に空母も含める、という話になってきてしまいますと、我が国は途端に不利な状況に追い込まれてしまいます。その結果、航空母艦を廃艦しなければならない事態になれば一大事です」

「あのー、斎藤さん?」

 顔をしかめながら意見を述べた斎藤さんを私が呼ぶと、斎藤さんは私に慌てて身体を向け、「はい、何でしょうか」と返事する。

「確か……“史実”だと、ワシントン軍縮会議で、主力艦と航空母艦についての制限が決まって、その次のジュネーブ軍縮会議で、補助艦の制限についての話し合いがされたんですよね」

「仰せの通りでございます」

「今回の軍縮会議で、補助艦の制限が議題に上る可能性はありますか?」

「まず無いでしょうな」

 私の質問に、斎藤さんが首を横に振った。「常備兵力の制限と、主力艦の新たな制限について話し合うだけで手一杯でしょう。航空母艦の話も加われば、間違いなく、補助艦制限の話はできなくなります」

「そうですか……」

 私は両肩を落とした。5年前の軍縮会議はうまくいった。このまま行けば、“史実”のような世界大戦が発生する確率も低くなる、もし世界大戦が起こったとしても、その被害が減らせる、そう思っていたけれど、そうは問屋が卸さないようだ。戦争を可能な限り発生させないことの難しさを私は改めて感じた。

※おまけその1


●マッケンゼン級巡洋戦艦主要性能諸元

 排水量:31000t

 全長:223.0m

 全幅:28.04m

 主缶:海軍式重油専焼缶32基

 主機:パーソンズ式ギアードタービン2基4軸

 最大出力:112000shp

 最大速力:32.5ノット

 航続距離:7000海里(14ノット)

 主砲: 45口径35cm連装砲 4基8門

 副砲:45口径15cm単装砲 14門

    45口径8.8cm単装砲 8門

 装甲:装甲帯 100mm-300mm

    甲板 30mm-80mm

    主砲塔 270mm

    司令塔 300mm


 実際のドイツで計画されていたマッケンゼン級巡洋戦艦を、wikipediaを見ながら適当にスペック変更しました。こんな艦が実際に造れるかどうかは検討しておりませんのでご了承ください。


※おまけその2


●装甲巡洋艦“葛城”主要性能諸元

 排水量:32500t

 全長:220.5m

 全幅:28.04m

 主缶:技術本部式重油専焼缶16基

 主機:パーソンズ式直結タービン2基4軸

 最大出力:128000shp

 最大速力:32.5ノット

 航続距離:7000海里(14ノット)

 主砲:45口径34.3cm三連装砲 2基6門

 副砲:45口径12cm単装高角砲 12基

    12mm連装機銃 12基

 装甲:舷側 152.4mm-304.8mm

    甲板 76.2mm-152.4mm

    主砲塔 254mm-304.8mm

    司令塔 254mm-304.8mm


 こちらも適当にでっち上げたので、実際に造れるかどうかは検討しておりませんのでご了承ください。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 陸海の軍縮条約の詳細が分かりやすい。 [気になる点] 大英帝国にとって日本は、忠実な番犬たれば良いので、気にしないだろうね。 [一言] 空母の制限は痛いので、ある程度は教える必要はある。機…
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