師走の終わり
1923(大正8)年12月26日水曜日午前10時20分、宮内省・大臣室。
「単なる私の気のせいであれば、いいのです」
今日は水曜日、年内最後の定例の枢密院会議が開かれる日だ。兄は枢密院会議に出席するため表御殿に行っている。普段なら、この時間は内大臣室で最新の医学雑誌を読んだり、調べ物をしたりして暇を潰すのだけれど、今日、私は宮内大臣の牧野さんの所に行っていた。兄に“史実”での寿命や健康状態が知られているのではないか……そのことについて相談したかったのだ。
「でも、おととい、兄上が私の頭を撫でた時、いつもと違う感じがしたのです。何か、こう……私を労う気持ちというか、慈しむ気持ちというか……そんな感情が伝わってきて……」
牧野さんは私の話を黙って聞いてくれている。私の話は、いつも以上にとりとめのないものになっているのに、牧野さんが私の話を遮らずに聞いてくれているのが、私にはとてもありがたかった。
「その感情の大きさは、今回、私が表向きやったことに対して見合ったものなのか……そう考えた時、明らかに大き過ぎると私は感じました。だから、兄上はもう自分の“史実”の寿命のことをとっくに知っているのではないか、そして、私たちが東伏見宮さまに対して起こった事件として説明した虎ノ門事件のことも、本当は“史実”で摂政に立っていた迪宮さまに対して起こった事件だと知っていて、だから、兄上への被害を出すまいとして動いた私のことを労ったのではないかと、そう思ってしまって……」
「そうなのですか。……恐れながら内府殿下、陛下のご政務の補佐は、問題なくなさっておいででしょうか?」
「何とか……という感じです」
牧野さんの問いに、私は左右に首を振りながら答えた。「どこかでボロが出てしまうのではないかと冷や冷やしながら、兄上と話しています。話が今回の開院式のことになってしまったら、私、兄上から真実を隠し通す自信がありません」
「なるほど。ところで、本日、こちらに大山閣下を連れておいでにならなかったのは、何か理由がおありなのでしょうか?恐れながら、内府殿下がこういった問題をご相談なさるのなら、まず大山閣下がお相手になるでしょうし、誰か他の人間にご相談なさるとしても、大山閣下が必ず内府殿下のおそばにいらっしゃると思うのですが……」
「大山さんが冷静に判断できていない可能性もあると思ったので、大山さんはここに連れて来ませんでした」
流石は梨花会の一員だ。鋭い質問だなぁと思いながら私は牧野さんに回答した。「もちろん、真っ先に大山さんに相談しましたよ。けれど、大山さん、兄上に“史実”のことが漏れている心配はないという一点張りだったんです。それで、大山さんも伊藤さんと同じように、兄上の寿命に関することを冷静に判断できていない可能性に思い至りました。伊藤さんもそうですけれど、大山さんも、兄上との付き合いは私と同じぐらい古いですからね。だから、梨花会の中で、兄上に関することを比較的冷静に判断できる人に相談したいと思いました」
「その意味では、私は内府殿下のご期待に応えられないかもしれません」
すると、牧野さんは寂しげに微笑した。「私も極東戦争の数年前、東宮亮として、当時は皇太子殿下であらせられた陛下に仕えた経験があります。それに、梨花会の末席に連なりましてからは、陛下と接する機会も多々ございますし、宮内大臣となってからは、おそばに仕えさせていただいております。私よりも、そう……例えば、山本五十六少佐や堀少佐、山下少佐、それから、渋沢閣下や浜口君、幣原君など、梨花会に入って日の浅い者の方が、内府殿下のご期待に応えられるでしょう」
「ご指摘の通りではあるのですけれど、全員、今会うことは難しいのです。山本少佐と堀さんと山下さんは、第2回軍縮会議の予備交渉で日本を離れました。渋沢さんと浜口さんと幣原さんは、兄上に内緒で皇居に来てもらうのは難しいですし、盛岡町に呼べば、妙な噂が立ってしまいます。だから、牧野さんに頼るしかないのです。宮内省なら、表御殿から渡り廊下で繋がっていますから、枢密院会議の時なら、兄上に見つからずに行き来できます。ご迷惑かとは思いますけれど……」
「迷惑とはとんでもない」
牧野さんは慌てて頭を左右に振った。「そういうご事情でございましたら、謹んでお答え申し上げます。なるべく冷静に考えるよう努めますので……」
牧野さんは私に頭を深々と下げると、
「それでは、愚見を述べさせていただきますが……失礼を承知で申し上げますが、私は、内府殿下が感じられたことは、いわゆる“気のせい”なのではないかと考えます」
私に向かってこう言った。
「恐れながら、陛下と内府殿下とは、非常に仲の良いご兄妹でございますから、内府殿下も、陛下のことに関しては冷静に判断を下すことが難しい場面があると存じます。陛下が、内府殿下に関することには冷静さを失ってしまわれるのと同様に……」
「それは……否定できません」
私は牧野さんを見つめながら頷いた。牧野さんはそれに軽く頷き返し、
「ですから、おとといの開院式へ向かわれる道中、そして無事に帝国議会議事堂に到着し、開院式が何事も無く終了し、皇居に戻られた直後は、様々な感情に襲われていたと推察致します」
と話を続ける。
「私も異様な心持が致しましたし、あの大山閣下ですら、内心動揺なさっていたように私には感じられました。そのような状況下では、普段と同じ言葉や仕草でも、別の意味があるかのように受け取ってしまいがちです。もしかすると、内府殿下が陛下のご態度に違和感を覚えられたのは、そう言った現象が内府殿下の心の中でも起こったからではないか……私はそう考えます」
「よく分かりました」
私は牧野さんに微笑を向けた。「牧野さんの言う通りだと思います。確かにあの時は、ものすごい精神状態でした。そんな時なら、兄上の何気ない動作に、無理に変な意味を見出してしまった可能性は大いにあります。……やっぱり、自分の心は推し量るのが難しいですね。鏡に映るものだったら簡単に分かるのに、そんなものではないから、こうやって他人に聞かないと分からない……。ありがとうございます、牧野さん。兄上には、“史実”の寿命のことは伝わっていない。そう確信することができました」
そう言って、牧野さんに頭を下げると、
「それはよろしゅうございました」
牧野さんも微笑み、首を縦に振った。
「兄上には引き続き、“史実”の寿命のことは悟らせないように努めます。牧野さん、相談に乗っていただいてありがとうございました」
「お役に立てたのなら何よりでございます。また何かありましたら、いつでも内府殿下のお力になれるよう努めます」
牧野さんの力強い言葉に「ありがとうございます」と再度お礼を言い、私は大臣室を辞した。腕時計の針は、10時27分を指している。今日の議題は多いと兄が言っていたから、まだ枢密院会議は終わっていないだろうけれど、兄が表御座所に戻る前に私も内大臣室に戻っていないと、兄に怪しまれてしまう。
(そう言えば、牧野さん、私と兄上のことを“非常に仲の良いご兄妹”って言ってたな……)
宮内省と表御殿を結ぶ廊下を歩きながら、ふと私は思った。前世の兄2人とも仲は良かったと思うけれど、今生の兄とはそれ以上に仲が良い。話が合うし、喋っていて飽きるということがない。一緒に暮らした時間が長かったからか、お互い、何を考えているか、ちょっとした表情の変化や仕草でよく分かる。
(あれ?でも、そう考えると、私がおととい、兄上の態度に感じたことって、本当のことじゃ……)
再び恐ろしい結論に飛びつきかけた私は、いったん立ち止まり、首を左右に強く振った。あの時、私の心は乱れていたのだ。そんな状態で、兄の真意をくみ取ることはできない。
(とにかく、兄上からは、“史実”での兄上の健康状態と寿命のこと、隠し通さなきゃ。それが兄上にストレスを掛けないために、私たちができることなんだから)
両方の拳を握りしめた私は頷くと、前に向かって歩き出した。
1923(大正8)年12月26日水曜日午後7時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
義理の両親と義理の祖母が盛岡町邸に越してきてから、私と栽仁殿下が居間で過ごすことは少なくなっている。もちろん、夕食の後は、家族そろって居間で他愛もないお喋りに興じるけれど、2、30分も過ごせば、私と栽仁殿下は“書道をするので”と言って共用書斎に向かうことが多くなった。今夜も夫と一緒に共用書斎に入り、椅子に腰かけて夫が書いたお手本を机の上に広げた時、
「梨花さん、ちょっといいかな?」
その夫が私に声を掛けた。
「うん、いいけど……どうしたの?」
私の机と夫の机は、壁に沿って並んでいる。私が左を向いて夫に応じると、
「これ……本当は父上に先に言うべきなんだろうけれど、梨花さんに先に言いたいな、と思って」
夫はこちらに向けた椅子に背筋を伸ばして座った。
「それは嬉しいけれど……」
私が慌てて姿勢を正しながら言うと、
「今日、内示があった。お正月が明けたら、“鬼怒”に砲術長として赴任する」
栽仁殿下は優しい声で私に告げた。
「“鬼怒”の?!」
私は目を見開いた。利根型2等巡洋艦の“鬼怒”は、横須賀を母港としている。10月に行われた横浜・横須賀への行幸の際は、港湾設備などの関係で、急遽、御召艦として使われた。
「そっか……おめでとう、栽さん」
私が微笑んでお祝いを言うと、
「基本は横須賀港にいるから、“八丈”にいた時みたいに、余程のことがなければ週末や祝日は東京に戻るよ。梨花さんをできる限り寂しくさせないようにする」
栽仁殿下は真正面から私の目を覗き込み、真剣な表情で宣言する。胸の中で心臓が飛び上がったような気がして、私は慌てて夫から顔を背けた。
「梨花さん?」
「な……ななななんでもない」
首を傾げた夫に、私は右手で胸を押さえながら答えた。
「本当に?……梨花さん、もしかして、おまじないの効き目が切れちゃった?」
栽仁殿下は立ち上がり、尋ねながら私に近づく。
「だ……大丈夫よ!急にそんなことされたから、びっくりしただけ!」
必死に私が弁明すると、
「うん、じゃあ、そういうことにしておくけれど……梨花さん、やっぱり可愛いな」
栽仁殿下は私の身体を後ろから抱き締めて言う。私は栽仁殿下に身体を預け、火照りが収まるのをしばらく待った。
「……梨花さん、話してもいい?」
5分ほど経っただろうか。栽仁殿下が私にそっと囁いた。私が黙って頷くと、
「子供たちの将来を考えないといけない時期に、家を空けることになってしまってごめんね」
栽仁殿下は続けてこう言った。
「謝らなくていいよ、栽さん。お役目なんだし」
私は首を横に振ると、
「子供たちの将来か……謙仁は、海兵士官学校に進む気満々だから、無事に進学して海兵士官になるかどうか、見守ればいいだけだけれど、他の2人がねぇ……」
そう言ってため息をついた。
「そうだね。万智子はこの前、父上に言われたことの結論がまだ出ていないみたいだし、禎仁は……金子閣下から毎日お説教されているみたいだけれど、あれ、大丈夫なのかなぁ?余り叱り過ぎるのもよくないと思うし……」
「安心して、栽さん。それ、ただのお説教じゃないから」
心配そうな夫に、私は少し首を動かしながら言った。「諜報についての本格的な講義なんですって。なかなか有望だって金子さんが言ってたわ。でも、禎仁が諜報分野に進むとしたら、何か隠れ蓑になる職業に就かないといけないでしょう。それに、少なくとも臣籍降下するまでは、皇族身位令に従って、軍に所属してないといけないし……。そのことをちゃんと禎仁が考えているのか、私は心配だわ」
すると、栽仁殿下はふふっ、と笑い、
「梨花さんは諜報の話になると元気になるね」
と、私に悪戯っぽく言う。
「中央情報院の初代総裁が育ての父だから、仕方ないかな」
私は苦笑いを夫に向けた。
「母親として何をしたらいいのか、分からない所は正直あるけれど、今はお義父さまもお義母さまも一緒にいるから、困った時は頼ることにするわ」
「うん……僕たちは幸いなことに、子育てに関しては孤独じゃないんだ。お互い協力しつつ、困った時は経験者に相談して、子供たちが望む未来を掴み取れるようにしないとね」
あと何日かすれば、激動の1923年が終わり、新しい年が始まる。師走の終わりの空気は肌を刺すように冷たかったけれど、栽仁殿下と過ごしている今だけは、その冷たさも苦にならなかった。
「来年は、いい年になるといいわね……」
後ろから夫に抱き締められたまま、私は呟いた。




