1923(大正8)年9月22日の臨時梨花会
1923(大正8)年9月22日土曜日午後2時、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「ここにこうして、梨花会の皆で集まるのは久しぶりだな」
牡丹の間に集まった在京の梨花会の面々を玉座から見渡しながら兄が感慨深げに言うと、出席している一同が一斉に頭を下げる。7月の下旬までは、毎週のように梨花会が開かれていたけれど、関東大震災が起こってからは、メンバー全員が震災への対応で手いっぱいで、9月8日の定例開催日に梨花会を開くことができなかった。そして、関東大震災の発災から3週間が経った今日、ようやく梨花会を開催することができたのだ。
「まぁ、いない人も結構多いけどね」
いつものように兄の右手側の席に座った私は、兄にこう指摘する。迪宮さまはまだ日光にいるし、東宮武官である山下奉文さんも、迪宮さまに従って日光にいる。山縣さん、松方さん、西郷さん、陸奥さん、西園寺さんも日光に滞在中だし、私の義父・有栖川宮威仁親王殿下と児玉さんは、福島県にある有栖川宮家の別邸にいる。今日の出席者は普段の3分の2ほどしかいないので、少し寂しい感じもしてしまう。
と、
「しかし内府殿下、人が少ないからこそ、のびのびと話し合えるというものですよ」
一番末席にいる山本五十六航空少佐が明るく言った。
「あ、山本、それは……」
「や、山本少佐、それ以上は……」
山本少佐の向かいに座っている堀悌吉海兵少佐と私は、山本少佐の発言を止めようとしたけれど、
「なんせ、小うるさいお歴々がいないのですから」
山本少佐は笑顔で地雷を踏み抜いた。
(あちゃあ……)
「ほう、相変わらず元気の良い小僧ですな」
私が頭を抱えたのと同時に、枢密院議長の黒田さんが山本少佐に視線を突き刺す。
「まぁ、このくらい元気でなければ、わしらも困る訳ですが」
今日は私の向かいに座っている枢密顧問官の伊藤さんが、少し楽しそうに言った。
「日光にいる山縣さんたちが後で聞いて悔しがるくらい、今日の梨花会の後、山本少佐をたっぷり鍛えてやりましょう」
我が臣下が微笑して恐ろしい台詞を吐くと、山本少佐は表情を硬くしてうなだれる。例え人数が少なくとも、侮ってはいけないのが梨花会の古参の面々なのだ。
「まぁまぁ、久しぶりの梨花会で卿らが嬉しいのは分かるが、時間も無いから、本題に入ろうか」
兄が上座からなだめるように言うと、黒田さんと伊藤さんと大山さんが残念そうに頭を下げる。伊藤さんの隣に座る内閣総理大臣の桂さんが「では……」と言いながら立ち上がると、「それでは、梨花会を始めます」と一同に告げた。
今日の梨花会で話し合われるのは、関東大震災の復興計画だ。“史実”では、内務大臣が総裁を務める“帝都復興院”という政府機関が設置されたそうだけれど、この時の流れでは、内務省に“復興局”という部署が設置され、局長は内務次官が兼任することになった。
「この際、東京市・横浜市を一気に改造したいのですが、そうもいかない事情がございます」
桂さんに指名されて立ち上がった内務大臣の後藤さんは、東京市と横浜市の被害状況を簡単に説明してからこう言った。
「それは、壊れなかった、焼けなかった建物が多いことです。東京市では3割ほど、横浜市では5割弱の建物に何らかの被害が出ていますが、“史実”ほどの被害ではありません。喜ばしいことではあるのですが……被害の少ないところでは、計画の邪魔になる建築物を破壊する手間が増えますので、一気に街路整備をすることはできません。そのような地域では10年……いや、数十年以上の時を掛けて街路整備を行わなければならないでしょう」
「なるほど、現実的ですな」
配布された資料に目を通しながら渋沢さんが頷く。
「完成が数十年後になるならば、当然、数十年後、いや、100年後の東京・横浜の交通を考えなければなりません。約100年後と言えば、前世の内府殿下が亡くなられた頃です。内府殿下の前世のお話を参考にさせていただくと、自動車がとんでもなく台数を増やし、道路に軌道を置く路面電車のみならず、地上に専用軌道を持つ列車・電車を地下、あるいは高架上に駆逐することになるのが予想できます。従って、現在東京市と横浜市を走る市電は、地下鉄や高架鉄道、あるいは乗合自動車に転換されるでしょう。そして、自動車の性能の更なる向上により、自動車が高速で走ることができる自動車専用道路を、高架上や地下に建設する必要が出てきます。高架道路や地下道路、そして高架鉄道や地下鉄の軌道は、工事の手間を考えますと、既存の道路の上や地下に建設するのが一番効率的です。ですから、現在の市電通りは、少なくとも4、50mに拡幅したい。我輩はこのように考えております」
後藤さんの話を聞いた一同がざわめいた。
「4、50mとは……確か、極東戦争終結後、大観兵式を行うために皇居外苑に整備した道路の幅が36mだったが、それより広いということか。いや、昔、内府殿下に、未来の名古屋には100m幅の道路があると聞いたことがあるが……」
呆気にとられたような口調で言った伊藤さんに、
「東京にはそこまでの幅の道路は無かったですけれど」
私は苦笑しながら注釈を入れた。
「でも、これから自動車が台頭してくることを考えると、主要道路の幅は広く取るべきです。もちろん、鉄道も発展しますから、その用地を確保することも見据える必要があります。新幹線の用地は、既に確保されていますけどね」
「内府殿下のおっしゃる通りです。そして、中央駅……東京駅も造らなければなりません。おそらくこれが、東京市における震災復興の記念碑的存在となるでしょう」
私に続いて、後藤さんが力説する。すると、
「ちょっとお尋ね申し上げますが」
まるで議会での質問のように、野党・立憲自由党総裁の原敬さんが声を上げた。まぁ、原さんは衆議院議員でもあるので、質問が議会調になるのも不思議ではないのだけれど。
「一連の復興費としては、どのくらいの予算規模になるとお考えですか?」
原さんの質問に、
「特別予算は、約4億円とする予定です」
大蔵大臣の高橋さんが答えた。
「ああ、意外と現実的な金額ですね。計画規模も、以前斎藤さんに聞いた“史実”の復興計画より小さいですし……」
緊張した顔を少し緩めて応じた原さんに、
「もちろん、もっと大規模にやりたかったのでありますよ……」
後藤さんが悔しさを滲ませながら言った。
「この際ですから、内府殿下の時代の名古屋にある100m幅の道路も何本か造りたいですし、新幹線も敷設したい。数年内に、南豊島の御料地を会場として、万国博覧会やオリンピックを開催してもいいと思うのです。さすれば、日本国民も元気づくに違いない!」
「やっぱりか!」
怪気炎を上げる後藤さんの隣にいる参謀本部長の斎藤実さんが、呆れたように叫んだ。
「新平にしては現実的な計画だと思ったのだ。お前はどうも、大風呂敷を広げる癖があるからな」
「う、ううむ、我輩にとっては大風呂敷でも何でもないのだが、桂閣下に説得されてな……それで、この規模になったという訳だ」
「なってよかったですよ……」
残念そうに呻く後藤さんに、私はため息をついて応じた。「もっと飛行器が発展して、ヨーロッパやアメリカから東京に1日で来られるようにならないと、イベントの成功は難しいと思います。それに、外国人に対応できるホテルが東京には少ないです。もちろん、復興の過程で、設備面では外国人に対応できるホテルはたくさん建っていくでしょうけれど、ホテルで働くスタッフが外国人に対応できるようになるまで育つには時間が掛かります。東京での万博やオリンピックの開催は、私と兄上の老後の楽しみに取っておきますよ」
私がこう言うと、国軍大臣の山本権兵衛さんが深く頷く。外務次官の幣原喜重郎さんも「内府殿下のおっしゃる通りですな」と呟いていた。
「なるほど。あくまで現実的な線で行くという訳だな」
兄は微笑むと、ふと真面目な表情になり、
「ところで、国債は発行しなければならないだろうが、発行額はどのくらいになりそうだ?」
と一同に問うた。
「浜口君、答えたまえ」
高橋さんが指名すると、大蔵次官の浜口雄幸さんは一礼して、
「現時点では、3億8000万円程度の発行を見込んでおります」
と厳しい顔で述べた。
「しかし、被害額の算出はできておりませんから、発行総額は前後する可能性はあります」
「ふむ……一体、被害額はどれほどになるのでしょうか……」
浜口さんの言葉に、宮内大臣の牧野さんが僅かに顔をしかめると、
「物価の違いはありますが、“史実”の55億円より減るのは間違いないでしょう。それにほら、日本橋区と京橋区がそっくりそのまま焼け残りましたから、経済の状況は“史実”より遥かにいいですよ」
斎藤さんが右手を挙げて言う。東京市、特に日本橋区と京橋区には、金融機関や企業が集中している。“史実”では、震災に伴って発生した火災により、日本橋区の全ての建物が焼け落ち、京橋区も85%ほどの建物が焼けた。このこともあって、被災した企業が債務を支払うことができなくなってしまったのだ。しかし、この時の流れでは、東京市の殆どの企業や商店は、債務の支払い能力を失わなかった。このため、経済の混乱は思ったよりも発生していないのだけれど、あくまでも“思ったよりも”、である。横浜市、そして東京市でも本所区・浅草区の焼失した地域に本社がある企業や商店に関しては、債務の支払いを当面の間延長するという、“史実”と似たような対応が取られた。
「しかし、油断は禁物です」
大蔵大臣の高橋さんが言った。「悪質な者たちが、震災のせいで支払えないと偽って、別の債務の支払いを免れようとする可能性もあります。注意深い監視が必要です」
「しかし、それは大蔵省だけでやるわけではないだろう?」
兄が確認すると、大山さんが声も無くニヤッと笑う。……どうやら、震災の混乱に乗じて不正を働こうとする連中に明日は無いようだ。
「それならば、後々への悪影響もなさそうですが……いつもながら、恐ろしいことです」
斎藤さんは大山さんの方を見ると、一瞬身体を震わせた。
と、
「ところで、院のことが出たついでに伺いますが、内府殿下、盛岡町邸に有栖川宮殿下が越してこられるそうですが、院の分室は移転するのでしょうか?」
伊藤さんが身体を乗り出しながら私に尋ねた。
「私もそうなるだろう、と思っていたのですけれど、横槍が入って、結局、移転しないことになったんですよ」
私は伊藤さんに回答すると、大きなため息をついた。
「ほう、“横槍”とは、穏やかではないですが……」
首を傾げた伊藤さんに、
「兄上ですよ……」
私は顔をしかめて言った。
「最初は、お義父さまが引っ越してこられるので、お義父さまたちは本館に入っていただいて、私と栽仁殿下が別館に移って、今まで別館にあった院の分室機能は、霞が関の本邸に移る予定だったんですけれど、兄上から待ったがかかって……」
「当たり前だろう!」
伊藤さんに答える私の言葉の末尾に、兄が覆いかぶせるように言う。兄は私を睨みつけていた。
「盛岡町の庭園にできる赤十字社の臨時病院には、様々な者が出入りするのだぞ!その中に不届き者がいて、お前を隠し撮りしたり、お前を襲ったりしたらどうするのだ!」
「だからぁ、臨時病院で働く人たちの身元調査はちゃんとしてもらっているし、病院の出入りには庭園側にある門しか使わせないことにしているのよ。もちろん、門には守衛さんもいて、入る人のチェックをするし、庭園と本館の間に塀だって造っているの。これだけ防備してるんだから、院の分室が盛岡町に無くても大丈夫だってば」
私が兄に反論すると、
「恐れながら内府殿下」
原さんが非常に真面目な口調で言った。
「内府殿下は我が日本のみならず、世界の最重要人物の1人でいらっしゃいます。そんな方が密かに写真を撮られたり、曲者に襲われたりするようなことがあれば、世の中が大変なことになります。……お忘れですか?昨年の皇族会議での騒動を。あの時内府殿下は、もし会議の情報が外部に漏れれば、内府殿下に憧れる女性たちが、久邇宮殿下と梨本宮殿下を襲撃するかもしれない、とおっしゃいました。今回も同じです。もし内府殿下の御身に変事が起これば、赤十字社が内府殿下を慕う者たちによって襲撃されてしまいます!」
妙に筋道だった理論を原さんが私に突きつけると、「その通り!」と叫んで立ち上がった人がいる。内務大臣の後藤さんだ。玉座に座る兄は「よく言った、原」と呟いて頷いているし、伊藤さんや桂さん、黒田さんや国軍大臣の山本さんも首を激しく縦に振っていた。
「内府殿下、色々と思いを抱えていらっしゃるのは承知しておりますが、全くもって原さんの言う通りです。ここはどうか堪えていただいて、院の分室が移転しない件については、ご了承いただきますように……」
牧野さんが椅子から立って私に最敬礼したので、私は「分かりましたよ……」と返事しながら頷くしかできなくなってしまった。
「さて、世界の平和が保たれるのが確認できたところで……有栖川宮殿下はいつ御帰京されるのですかな?」
本気とも冗談ともつかない口調で尋ねた伊藤さんに、
「今のところ、25日に翁島を自動車で発たれる予定です」
と答えたのは、私の隣に座る大山さんだった。
「日光の皇太后陛下と皇太子殿下の御機嫌伺いをなさってから日光でご1泊され、翌26日に御帰京の予定ですが……」
「台風が近づいてきているから、もしかしたら、出発が遅れるかもしれませんね」
大山さんの言葉に私が付け足すと、
「ふーん。梨花はもしかして、万智子たちに会いたくないのか?少し、顔が引きつっているように思うが……」
兄がニヤニヤしながら私に尋ねる。
「そんなこと、あるわけないじゃない!ただ、私は、お義父さまが帰ってきた後の苦行……じゃなかった、課題を思うと、その、ね……」
うつむいた所で、これ以上この話を続けると、兄が私をからかって遊び続けると気が付いた私は、頑張って顔を上げ、
「そう言えば、迪宮さまとお母様は元気かしら。もう2か月も会っていないから心配だわ」
と兄に言った。8月の下旬、私が兄と一緒に避暑先の葉山から帰京した時には、お母様も迪宮さまも日光へ出発した後だった。2人に最後に顔を合わせたのは7月の末だ。2人とも、変わりなく過ごしているだろうか。
「連絡が無いから、お母様も裕仁も元気なのだろうが……裕仁がどうなっているかは少し心配だな」
兄は少し残念そうな顔をして私に答えた。「何せ、山縣顧問官、松方顧問官、西郷顧問官、陸奥顧問官、そして西園寺侯爵がそばにいる。こってり絞られていないだろうか……」
「陛下、そこは喜ぶべきところでしょう」
伊藤さんが苦笑しながら兄に言う。「皇太子殿下は将来陛下を助けんがため、ご修業に励まれているのですから」
「それは分かっているがなぁ……山縣顧問官たちがやり過ぎていないか心配で」
私は深く頷いた。例え相手が天皇だろうと皇太子だろうと、教えることに容赦はしないのが梨花会の面々だ。
(迪宮さまが無事でありますように……)
心の中で密かに祈った私に、
「梨花さまも後で五十六と一緒に、みっちり鍛えて差し上げましょうか」
大山さんがそっと囁く。私は慌てて首を横に振り、「間に合っております」と我が臣下に答えた。




