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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第75章 1923(大正8)年白露~1923(大正8)年冬至
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別当の上京

※漢字ミスを訂正しました。(2024年7月20日)

 1923(大正8)年9月13日木曜日午前10時、皇居・表御座所にある内大臣室。

「内府殿下にはこの大地震にも関わらずご壮健であらせられ、誠に喜ばしく存じます」

 私の前で来客用のソファーに座っているのは、中央情報院麻布分室長の金子堅太郎さんだ。5月から現職に就いている彼は、震災の発生時は表の顔である有栖川宮(ありすがわのみや)家別当として福島県の翁島(おきなじま)にいたけれど、宮内省に呼び出されて今朝帰京してきた。

「金子さんもお元気そうで何よりです」

 私は大山さんの隣で、金子さんに軽く頭を下げると、

「あの……子供たちと、それからお義父(とう)さまたちは無事でしょうか?」

翁島の別邸に滞在中の家族の様子を真っ先に尋ねた。

「皆様、お健やかであらせられます」

 金子さんは笑顔で頷いてくれた。「有栖川宮殿下、それから、万智子(まちこ)女王殿下と謙仁(かねひと)王殿下と禎仁(さだひと)王殿下から、内府殿下と若宮殿下に宛てたお手紙を預かっておりますが……今、お渡しいたしましょうか?」

「あ、それは、家に帰ってから栽仁(たねひと)殿下と一緒に読みます」

 私は右手を軽く振りながら金子さんに答えた。「内大臣室(ここ)で読むと、間違いなく仕事が手につかなくなるので……」

「なるほど。……では、お手紙は、後で盛岡町に届けておきましょう」

 金子さんはそう言うと、

「やはり、お子様方のことがご心配ですか?」

と私に聞いた。

「もちろんです。東京より震源から遠いところにいますから、無事だというのは分かっていますけれど、やはり心配になります。地震に怯えていないか、とか、病気になってはいないか、とか……」

「最初の地震が起こった時は、翁島でも相当揺れましたが、お子様方は比較的落ち着いておられました」

 金子さんはため息をついた私に向かって話し始めた。

「しかし、9月1日の夜、東京方面の被害が大きいらしいという情報が入ってきた時には、お三方とも激しく動揺なさいました。禎仁王殿下は、御自らが自動車を運転して東京に行こうとなさいまして、有栖川宮殿下と児玉閣下にこっぴどく叱られておいででした」

「ほう、なかなかお元気ですな」

「元気が良過ぎるわよ……」

 感心したように頷く大山さんの横で、私は両肩を落とした。「あの子、10歳になったばかりじゃない……。栽仁殿下とお義父(とう)さまが自動車を運転しているのを見て、自分も運転できる気になっちゃったのかしら……」

「翌日、内府殿下と若宮殿下がご無事だという連絡が東京からありましたので落ち着かれましたが、それまでは禎仁王殿下を抑えるのが大変でございました」

 金子さんはこう付け加えると、顔に微笑を閃かせる。私は「禎仁が迷惑を掛けました」と彼に謝罪した。

「それで、翁島の皆さま方は、今はどうしていらっしゃるのですか?」

 大山さんの質問に、

「有栖川宮殿下は、3日に自動車で日光に赴かれ、皇太后陛下と皇太子殿下の御機嫌伺いをなさいました」

金子さんは指を折りながら答え始める。

「その後は、お子様方に書道と和歌の御指南をなさって過ごしておられます。董子(ただこ)妃殿下と慰子(やすこ)妃殿下と万智子女王殿下は、布をお買い求めになり、今回の震災の罹災者のために着物を縫っておいでです」

「偉いわ、万智子は。自分が被災者のためにできることをやっているのね」

 私は頷くと微笑んだ。元々、万智子は縫い物が得意だ。学校で出される縫い物の宿題も、クラスメートたちは家にいる女中にやらせることが多いのに、彼女は全て自分でやり、優秀な成績を取っている。そんな万智子なら、着物を縫うのはお手の物だろう。

「金子さん、万智子やお義母(かあ)さまたちに、東京に戻る時には縫った着物を忘れずに持って帰るようにと伝えてください。先日、宮家が合同して罹災者たちに着物を贈ることになったから、それに提供してもらえるといいと思うのです」

 私が金子さんに頼むと、

「そうすれば、梨花さまは着物を縫わずに済みますからな」

大山さんがニヤニヤ笑いながら私に言う。

「失礼ね。私も1枚は縫うわよ。万智子には負けるけれど、私だって、前世よりはお裁縫の腕は上がってるんだから」

 少しムスッとしながら大山さんに言い返すと、私の前世のことを知っている金子さんがクスっと笑った。

「ところで……どんなことになっているのやらと怯えながら上京して参りましたが、意外と東京が落ち着いているので驚きました」

 金子さんは笑いを収めると、私と大山さんに向かってこう言った。

「“史実”より、確実に被害は減っていますからね」

 私は金子さんに苦笑いを向けて答えた。「ただ、“史実”では考えなくてよかったことを考えないといけないのも事実です。特に日本橋区や京橋区で出現が懸念される泥棒対策とか、崩れた堤防の修復とか」

「なるほど」

「9月は台風が多い時期です。今も台風が接近しつつあります。荒川放水路の堤防は崩れませんでしたけれど、そこが雨で崩れて洪水にならないか、地震で地盤が弱くなっている所で土砂災害が発生しないか……心配ですね」

 私が顔をしかめた時、

「ほう、梨花さま、桂さんも山階宮(やましなのみや)殿下も控えているというのに、そのようなことをおっしゃるとは……ご修業が足りませんかな?」

大山さんがニヤリと笑う。

「それは分かってるんだけど、やっぱり心配なものは心配なのよ。少しは愚痴らせてくれてもいいじゃない」

 私が唇を尖らせると、

「大山閣下の理想は高いですな。内府殿下は既に、天皇陛下をご立派に輔弼なさっておられるのに」

金子さんは少し呆れたように大山さんに言う。

(おい)はできる生徒を見ると、ますます鍛えたくなる性質(タチ)でしてなぁ」

 我が臣下は笑顔とともに、私にとって不吉極まりない台詞を吐く。私は大山さんの方を見ないようにしながら、

「と、ところで……金子さん、私、今日、あなたとここで面会する予定は無かったですけれど、どうして私と面会することになったのですか?」

金子さんにこう尋ねた。金子さんが夜行列車で上京することは昨日から分かっていたのだけれど、私に皇居で面会したいという希望は無いと聞いていた。ところが、それが今朝になったら、“面会を希望する”と話が変わっていたのだ。何か事情があるのだろうか。

 すると、

「実は、牧野閣下に頼まれましてね」

金子さんは不思議なことを言った。

「内府殿下は、赤十字社が東京市・横浜市などに臨時救護所を多数設置しているのをご存知でしょうか?」

「はい」

 兄の被災地視察の時も、横網公園の赤十字社の救護所を一緒に視察したから知っている。青山との遭遇(よけいなこと)も思い出しそうになり、その記憶を慌てて頭から追い出すと、

「実は、赤十字社から宮内省に打診がありまして……救護所で入院加療が必要な患者は、入院設備のある救護所、もしくは渋谷町の本院に搬送しておりましたが、患者が収容しきれなくなってきているとのこと。そのため、どこか適当な御料地や宮邸の敷地を、仮病院の敷地としてお貸し下げいただけないか、と……」

金子さんはこう続けた。

「赤十字社病院の南隣には久邇宮(くにのみや)殿下の本邸がございますが、久邇宮殿下が余りよい顔をなさらなかったそうで……宮内省関係の用地で、久邇宮邸の次に赤十字社病院に近いのは盛岡町邸の敷地です。従いまして、大変心苦しいのですが……」

「金子さん、まさか、赤十字社の仮病院用地に、盛岡町邸の敷地を使わせていただきたい、と言うのではないでしょうね?」

 恐縮しながら話す金子さんが全ての言葉を言い終える前に、大山さんがそれを奪ってしまう。殺気を孕んだ大山さんの視線を受け、金子さんがゴクリと唾を飲み込んだ。

「金子さん、牧野さんを今すぐ内大臣室に連れてきてください。(おい)に叱られたくないから、金子さんに代わりに打診させるとは、牧野さんも偉くなったものですなぁ……。徹底的に痛めつけてやりましょう」

 そう言いながら、大山さんが指をバキバキ鳴らしたので、

「大山さん、殺気を出すのは止めて。命令よ」

私は半ば呆れながら命じた。「はっ……」と大山さんが頭を下げ、室内に渦巻いていた殺気が消えたのを確認すると、

「金子さん、私は構わないですよ。条件はありますけれど」

私は金子さんに回答した。

「よ、よろしいのですか?!」

「梨花さま?!」

 同時に叫んだ金子さんと大山さんに、「2人とも落ち着いてください」と頼んでから、

「条件は2つあります。まず、私だけではなく、お義父(とう)さまと栽仁殿下の許可も取ること。もう1つは、青山と石黒を盛岡町邸の敷地に入れないこと。この2つの条件が満たされれば、盛岡町邸の敷地を赤十字社の仮病院に使って構いません。そうですね、庭園の芝生の所に、病棟が建てられるんじゃないかしら」

と私は言った。

「梨花さま、本当によろしいのですか?青山も石黒も、ベルツ先生を侮辱した人間です。そんな者が関わる施設を盛岡町に造るのを許されるとは……」

「だから、青山と石黒は盛岡町に入れない、っていう条件を付けたじゃないの」

 気色ばむ大山さんをなだめるように私は反論した。

「確かにあの2人は許せないけれど、あの2人が関わる患者さんに罪がある訳じゃないわ。今は震災による怪我人がたくさんいる……いずれは赤十字社以外の病院に転院していくでしょうけれど、他の医療機関の診療能力が回復するまでは、赤十字社の仮病院は絶対に必要よ。もう私は臨床現場から離れたけれど、私も医者の端くれとして、患者さんのためにできることをやりたいのよ」

 私の言葉を黙って聞いていた大山さんはため息をつくと、

「……まぁ、そういうことなら、納得は致しました」

少し不機嫌そうな声で私に答えた。

「ご決断、誠に感謝申し上げます」

 私に最敬礼した金子さんは微笑すると、

「庭園に仮病院が建てられ、有栖川宮殿下も越してこられて、盛岡町のお屋敷は大変賑やかになりそうですね」

……という、非常に気になる言葉を口にした。

「あの、金子さん?お義父(とう)さまが盛岡町に越してくるって、どういうことですか?」

「ああ、先走ってしまいましたね。今日、お帰りになってから、若宮殿下とご一緒の時にお話しするつもりだったのですが……」

 金子さんは顔をしかめた私に苦笑しながら言うと、

「実は、震災で霞ケ関本邸の洋館が大破してしまいましたので、修理が終わるまでは盛岡町にお住まいになる……有栖川宮殿下がそう仰せられたのですよ」

という、とんでもないことを私に伝えてきた。

「ちょ、ちょっと待ってください!霞ケ関の日本館は無事だったから、そちらに住めばいいじゃないですか!それに、お義父(とう)さまたちが越してきたら、別館も私たちの住居用に使わないといけなくなって、院の運営に支障が……」

「ああ、院の方は何とかなります。それは明石くんにも確認済みです」

 反論する私に、金子さんは無情にも現実を突きつける。

「それに、万智子女王殿下も謙仁王殿下も禎仁王殿下も賛成していらっしゃるのですよ。お三方で集まって、盛岡町邸の図面を前にして、ここがおじい様とおばあ様のお部屋、ここがひいおばあ様のお部屋……と、部屋割りまで決めていらっしゃいまして」

「はいぃぃぃっ?!」

 私が思わず両腕で頭を抱えると、

「いくら梨花さまとは言え、家長の言に逆らうことはできませんからな。おとなしく有栖川宮殿下と同居なさるのがよろしいでしょう」

大山さんがなぜかとても楽しそうに言う。

――では、我が家の修理が終わるまで、栽仁と嫁御寮のところに、しばし身を寄せると致しましょう。

 私の脳裏に、観瀑亭(かんばくてい)で兄が義父の物真似をしながら口にした言葉が蘇る。

 私はガックリと頭を垂れた。

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[一言] 盛岡町邸の敷地。 あの組織のある別邸もあったと思うけれど運営の心配以前に不特定多数の人間が敷地内にあふれるそっちのセキュリティは気にしなくていいんだろうか。
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