改軌論争(1)
1892(明治25)年、8月10日。
「何これ!」
皇太子殿下と一緒に鎌倉に滞在していた私は、新聞記事の内容に驚いていた。
「電信線工事で、多額の賄賂を受け取りし逓信省」
という題の記事には、濃尾地震の電信線復旧工事に関して、逓信省と岐阜県、施工業者の間で密談があったこと、そして逓信省の役人が、岐阜県と施工業者から多額の金銭を受け取った疑惑があることが書かれていた。
「合計20000円……って、私が1年に自由にできるお金と同じ金額?!」
相当な額の金額なのは間違いないけれど、正確に言うとどのぐらいの価値になるのか、いまだによくわからない。前世の金銭感覚が、抜けきってはいないのだ。なので、先日、松方さんに、
――皇太子殿下とは別の意味で、経済感覚を身につけていただかねば……
とため息をつかれながら言われてしまった。
――皇太子殿下は、全くご存じないので、素直に吸収していただけるのですが、増宮さまは、本質的なことはお分かりになっているようですが、貨幣の価値が我々とずれていらっしゃって、かえって教えづらいというか……。
確かに、前世では、働いてお金を稼いだ経験もあるけれど、今生でお金を自分で使ったのは、この間の北里先生の歓迎会の時だけだ。
――そうね……、色々なものを、自分の手で買いそろえるようにしたら、多分慣れるかな?
松方さんにこう答えたら、
――増宮さまのご身分で、買い物を御自ら……。いや、確かにそれが一番、貨幣の価値を知ることのできる方法ではありますが、宮中の者がやかましいのでは?
度肝を抜かれたような表情をされてしまった。北里先生の歓迎会の時に、花松さんがお金を用意してくれて、そのお金で支払いをしたことを教えたら、松方さんの目が更に丸くなっていたけれど……。
(でも、濃尾地震の復旧工事で、こんな不正が行われたなんて……あったっけ?)
“史実”でも、岐阜県の知事が、不正だか、復旧工事の不手際だかで免官されたと前世の祖母に聞いたけれど、その原因がこの事件だったのかどうかは記憶にない。もしかしたら、マスコミがデマを流しているだけかもしれない。ただ、これが事実だとしたら……。
(本当だとしたら、絶対に許せない)
その日の夜、東京にいったん戻っていた大山さんが姿を現したので、新聞記事の件を聞いてみた。
「本当です」
大山中央情報院総裁は、私に重々しく告げた。
「そう……未来の愛知県民としては、あの地震で甘い汁を吸う奴がいるなんてことが、許せないわ。ぶん殴ってやりたい」
私は右手を握り締めた。「そもそも、賄賂なんてこと自体が許せないわ。前世でも、政治家が自分の関係先に利益を誘導して、金もうけをするなんてこと、結構あったからね。そういう事件が積もり積もると、国民から政治への信頼が失われる。そこを反政府勢力に付け込まれたら、あっという間に反乱が起こるわ」
今が戦国時代で、私が戦国大名なら、隣国で領民の政治への不信感が募っていると耳にすれば、その不信感を煽るような工作をして反乱を発生させ、それに乗じてその国に攻め入るぐらいのことは考える。
「なかなか物騒なことをお考えになられますね。しかし、そのぐらいの緊張感を持っておられる方がよいでしょう」
大山さんは一つ頷いて、微笑した。
「あの……もしかして、今日、大山さんが東京に戻っていたのは、その、新聞記事の件を話し合うためかしら?」
「はい。この件、逓信次官の関与が明らかになりまして……」
「な、なんですって……?!」
私は眉をしかめた。「まさかとは思うけれど、後藤さんは大丈夫よね?!」
すると、
「その可能性も、ゼロではありません」
大山さんはこう言った。
「!」
「資金の出所は、わざと多額に出費したように見せかけた、復興工事にかかる費用です。元を正せば、特別予算を編成して出した国庫の金です。次官の罪だけでも、由々しき事態……了介どんは、陛下と話し合い、後藤どのに辞職を勧告し、従わなければ罷免することを決めました」
「罷免って……憲法の規定通り、ということか」
まさか、“史実”と違う帝国憲法が、こんなところで生きてしまうとは思わなかった。
「だけど……“史実”では、岐阜県の知事が免官になったと前世の祖母に聞いたけれど、こんな事件があったかまでは知らない。原さんは、何か言ってた?」
「おっしゃる通り、岐阜県知事が、濃尾地震の復旧工事に関する疑獄で免官された、ということはあったということですが、それは来年の春のことだったそうで……」
「その不正が、今回の事件と同じものなのか、違うものなのか、分からないわね……」
私はため息をついた。
「私が覚えている、“史実”の政治的な事項に関することは、完全に役に立たなくなった、と見てよさそうね。まあ、そもそもが、後世の一方的な見方で彩られたものだから、役立つかわからないけれどね。原さんの記憶も、同じだろうけれど……」
「それでも、参考にできるところはありましょう。思い込みから脱却して、冷静に、公平に歴史を捉えればよいだけのこと。梨花さまも、そう山縣さんにおっしゃっていたではないですか」
(よく覚えてるなあ……)
確か、去年、原さんと初めて会った後、山縣さんに、“国軍三羽烏を梨花会に入れたい”と伝えた時だ。
と、
「梨花さま」
大山さんが私を呼んだ。
「あまり、落ち込まれませぬよう」
「顔に出てたか……」
私は苦笑した。思うことを顔に出さないようにするのは、難しい。特に、この人の前では。
「いつか申し上げましたが、梨花さまに足りない所は、我々が補っております。梨花さまには、“上医”になるため、引き続きご修業に励まれますよう」
大山さんは、私の目をじっと見た。やっぱり、優しくて、暖かい眼差しだ。その視線を受け止めていると、“梨花会”の皆への申し訳なさと、自分が役に立てない焦りとでざわついていた私の心が、なぜか静かに、穏やかになっていった。
「そうね……とりあえずは、今できることをするしかないか」
私は軽く息を吐いた。「差し当たっては、鎌倉を満喫したい、と言いたいところだけれど……ねえ」
「いかがなさいました?」
「時期が悪いのよ。こんな、夏の真っ盛りだと……」
「確かに、古刹の花々や、紅葉が楽しめる季節ではありませんが……」
「そうじゃないの、大山さん。下草や木が茂ってるから、地形が分かりにくいのよ!」
私は思わず、椅子から立ち上がった。
「地形……?」
首を傾げる大山さんに、
「あのね、大山さん。鎌倉は、三方を山に囲まれ、南は海に面している。天然の要害に囲まれた都市よ」
私は説明し始めた。
「山から鎌倉に入るとすれば、山を切り開いた狭い切通しを通らなければいけない。守る側にとっては、すごく防御がしやすい地形なのよ。それに、戦国時代には、玉縄城という、後北条氏が築いた山城もあったの。あの城、前世の私が生きていたころでは、開発で遺構がかなり失われるから、是非見たかったんだけれど……下草が生い茂ってる夏の最中じゃ、古道の跡や、土塁や堀の遺構が、分かりづらいのよ!山城探索のベストシーズンは、冬なんだから!」
すると、大山さんが吹き出した。
「ちょ、ちょっと、何がおかしいの?!私、真面目に言ってるのよ?」
「失礼いたしました……」
大山さんは私に向かって一礼したけれど、笑いを必死にこらえているのが明らかだ。
「もう……前世でも、城が好きだと言うと、変わり者扱いされましたからね。慣れているけれど……」
「申し訳ありません。陛下を思い出してしまいまして」
「陛下を?」
「刀剣についてお話しされている時の、陛下にそっくりだ、と……」
「そうかなあ?」
私は首を横に振った。天皇の刀剣オタクっぷりは、はっきり言って私の城郭オタクっぷりを越していると思う。なんせ、親子の初対面の場で、日本刀の蘊蓄を長いこと語ったんだからなあ……。
「とおっしゃいますが……親子なのですよ、陛下と梨花さまは」
「いまだに慣れないけどね……内親王であることも」
「慣れていただかねば」
「わかってはいるけれど、完全に慣れてしまいたくはないわ。平民であることを忘れないでいた方が、分かることもあるだろうから」
(もっとも、その“平民の感覚”も、今と前世とじゃ、大分ずれてるんだろうけどね……)
私は、ため息をついた。
結局、後藤象二郎逓信大臣は、黒田さんからの辞職勧告を受けて、大臣を辞任した。
後任の逓信大臣に就任したのは、大隈さんだった。
(なんでだろう?)
8月14日、日曜日の朝、まだ鎌倉に滞在中だった私は、昨日発行された官報を見て、首を傾げた。
ちなみに、後任の外務大臣には、外務次官の青木周蔵さんが繰り上がりで就任した。外務次官はまだ任命されていないけれど、恐らく現在アメリカにいる陸奥宗光さんになるのだろう。
――外務大臣の後任は、次官の青木周蔵。その後任の外務次官は小次郎。
去年の5月、勝先生がこう言っていた。その言葉が現実になった格好だ。
もう一つ、官報の記事で目を引いたのは、法典調査会の委員に、最近体調を崩している井上毅さんに代わって、西園寺公望さんが任命されたことだ。確か、8月の初めに、ドイツから日本に戻ったと聞いたけれど……。
(いよいよ出てきたか、“最後の元老”……)
“史実”では、桂さんと交代で、何回か首相をしている。そして、元老のうち、最後まで生き残っていた。昭和に入ってからは、彼ただ一人が、天皇に首相の推薦を行っていた。
しかし、彼の力をもってしても、軍部の暴走は止められなかった。
(いずれ、西園寺さんとも、会わないといけないのかな……)
私は官報を置くと、英語で書かれた本を手に取った。アーサー・コナン・ドイルの「緋色の研究」……シャーロック・ホームズシリーズの第1作である。実は、水道の計画を立ててもらっている、内務省のウィリアム・バルトンさんが、作者のコナン・ドイルさんと知り合いで、その伝手で本を譲ってもらったのだ。最新作の短編が載っている“ストランド・マガジン”も、毎月取り寄せて読んでいる。ただ、長編に取り組む余裕は普段無いから、この鎌倉滞在中に読もうと思っていたのだけれど……。
数ページを読み終えた時、
「増宮さま」
大山さんが、私と皇太子殿下が居間として使っている部屋の入口に、姿を見せた。
「あら、大山さま。どうしました?」
「御来客でして」
私は、勉強中の皇太子殿下に、「ちょっと出てきます」と声を掛けて、応接間として使っている部屋に向かった。
「やあ、増宮さま!」
応接間にいたのは、大隈外務大臣……ではなかった、大隈逓信大臣だった。
「お、大隈さん?官報で、逓信大臣になったと、読みましたけれど……」
「そうなのです。それで、ご挨拶に参りました」
大隈さんが、立ち上がって一礼する。彼は長身なので、立ち上がられると、ちょっと気圧されてしまう。
「賄賂事件の後を受けての就任だから、おめでとう、と言っていいのか、ちょっと分かりませんけれど……」
「いいえ、“おめでとう”で結構でございます、増宮さま。むしろ、この人事は、吾輩にとって、本望であったと言っても過言ではありません!」
大隈さんは胸を張った。
「はあ……それは、頼もしいことです」
私はあいまいに頷いた。逓信省内は今、賄賂事件で、動揺しているはずだ。そこに赴任するのが“本望だ”と言い切るとは……。
(相当な自信ね……)
「そして、増宮さま、本日はお願いがありまして。これは、勅命でもあるのですが」
「なんでしょうか、大隈さん?」
「増宮さまの世の話を、聞かせていただきたく……」
「はあ……郵便ですか?電信や電話の話ですか?」
私が首を傾げると、
「違います。鉄道の話です」
大隈さんはこう言った。
「は?」
私は、眉をしかめた。「鉄道って……ああ、そうか、7月に内務省から逓信省に所管が移ったんでしたね」
すると、大隈さんは不敵な笑みを顔に浮かべた。
「ふ……吾輩にとって、これは千載一遇の好機。吾輩の一世一代の失策、その過ちを修正できる日が、こんなに早く訪れようとは!」
「えーと、大隈さん、“一世一代の失策”って、一体なんですか?」
興奮している大隈さんに戸惑いながら、私は質問した。
「よくぞ聞いてくださった!それは、軌間のことでございます!」
「はあ……?」
“きかん”という音が、うまく漢字変換できなくて、私は首を傾げた。
「おや、増宮さま。軌間をご存じありませんか?」
「ごめんなさい、大隈さん……漢字が思い浮かばないので、教えてもらっていいですか?」
私は、応接間のテーブルの上に載っていた、鉛筆と紙を大隈さんに渡した。大隈さんは「よろしゅうございます」と、鉛筆を手に取ったのだけど、「増宮さま、吾輩の申し上げる通りに、紙に書いていただいてよろしいでしょうか」と、鉛筆を私に返した。
「なんで?大隈さんが書いた方が、速いじゃないですか」
「吾輩、唯一、字の美しさだけは、苦手とするところでありまして……」
「何を言ってるんですか。私だって、習字は得意ではありません。一応、華族女学校でも、普通の成績を取れるようになったけれど……今も毎日一時間習字をしていますけれど、辛いんですよ、あれ……」
「ほう、それならば、是非、増宮さまのお書きになる文字を、拝見しとうございます」
「どうあっても、自分では書かないつもりですね」
私はため息を一つつくと、大隈さんに教えられた通りに、“軌間”と、紙に書いた。
「書いても、あまり意味が分からないけれど……」
「もしや、増宮さまの世では、あまり馴染みがありませんか?」
「その筋のオタク、いや、詳しい人には、馴染みがあるんでしょうけれど……」
両腕を組んだ私に、
「鉄道の、レールの幅のことでございます」
大隈さんはこう教えてくれた。
「ああ、ようやくわかりました」
私は頷いた。「で、そのレールの幅が、なぜ一世一代の失策なのですか?」
「はい。増宮さまは、今、鉄道の軌間がいか程か、ご存じでしょうか?」
「いいえ、全く。……1メートルくらいかしら?」
「おお、素晴らしい。正確に言えば、1067mm、3フィート6インチでございます」
「ああ、そうなんですか……」
「それは、当時、世界では、その軌間の鉄道がどしどし敷設されていたので、なんとなく、決めてしまったものなのですが……」
(な、なんとなく……)
突っ込みたかったけれど、やめておいた。要するに、流行に乗った、ということらしい。
「しかし、昨今の鉄道の発展を見ますと、果たしてその判断で正しかったのか……考えれば考えるほど、吾輩の一世一代の失策であったのではないか、と思うのです」
「はあ。で、大隈さんは、どうする方がいいと思うのですか?」
「広げる方がよいのでは、と思うのです。そう、鉄道の元祖、イギリスにならって、4フィート8.5インチ、すなわち、1435mmに広げ、ゆくゆくはその線路上に新幹線を……」
「反対!!!」
突然、応接間に、大隈さんのものでも、大山さんのものでもない声が響き渡った。
「は、……原さん?!」
「ま、間に合った……」
応接間の入口に、原さんが、荒い呼吸をしながら立っていた。
「大隈閣下……鉄道の軌間を、広軌になさるというのか?!」
玄関からここまで、走ってきたのかもしれない。汗だくの原さんは、大隈さんに厳しい視線を投げた。
「おお、原君……いかにも、その通り。維新当初、軌間を狭軌にしてしまったのは、この吾輩の一生の不覚。先年、鉄道庁長官の井上勝君は、軌間を広軌にしようという意見を、東海道の線路が全通していないということと、鉄道の国有化を優先すべきということを理由として、捨ててしまったが……しかし、この吾輩が、彼とともにあるからには、鉄道が東京から神戸まで全通した今、日本の発展のために、軌間を広げ、輸送力を拡大すべきと考えるのである!」
「それは違います、大隈閣下。今、我が国に求められていることは、鉄道を、簡易な規格でもよいから敷設し、全国に張り巡らせ、産業の全体的な発展を図ることだ。私は一介の官吏ですが、山縣閣下から、大隈閣下の勅命の件を伺いまして……今、ここで、わたしの意見を増宮殿下に申し上げなければ、大変なことになると考えました故、参りました」
私の前で、大隈さんと原さんは、睨みあった。大隈さんは、余裕がある感じがする。ただ、もう一方の原さんにも、余裕が感じられた。
(これ、原さん、本気で戦う気だ……)
初めて会った時の原さんの様子を、私は思い出した。今の原さんは、身体こそ30代だけれど、その知識と経験は、前世のものも加えているから、見かけよりも、はるかに深くなっているはずだ。
(前世で会っている大隈さんの癖だとか考え方だとかも、知っているはずだから……これ、大隈さんが論破されてしまいそうだけれど……あれ?)
私は首を傾げた。なぜ原さんは、大隈さんが私に鉄道の話を聞きに行く、と聞いて、即座に私の所にやってきたのだろう。
(もしかして、“史実”でも、鉄道に関して、同じような争いがあったのかな……?)
鉄道については、私は専門的な知識がない。
(“史実”で、鉄道がどういう発展をしたのか、あと、レールの幅についての争いがあったのか、原さんに確認したいけれど……原さんに“史実”の記憶があることは、大隈さんには秘密だし……あ、そうだ)
「原さん、すごく汗をかいているけれど……水分補給はちゃんとした?」
私は原さんに、心配そうに声を掛けてみた。
「え……ああ、そういえば、今朝、東京を発ってからは、全く……」
「原さん、この暑い時期に、それはよくないです。……大山さん、食堂で、原さんに麦湯を出してあげてください」
「増宮殿下?」
不思議そうな顔をする原さんに、「塩を少し入れるか、お漬物も一緒に食べてもらうといいんじゃないかしら?」と私は言って、笑顔を作った。本当は、冷えた麦湯、つまり前世で言う、麦茶を出したいのだけれど、井戸水で冷やすのが大変なのだ。
「それで、30分ぐらい休んでいただいて、そうしたら、原さんを連れてここに戻ってきてもらっていいかしら、大山さん?」
「かしこまりました。では、原どの、こちらへ」
大山さんに促されるように、原さんは応接間を出ていく。呆気に取られたような顔をしていたのは、気のせいだろうか。大隈さんも同じような顔をしていたけれど、「さ、そこに座ってちょうだい」という私の声で、慌てて椅子に掛けた。
「増宮さま?」
「じゃあ、大隈さん、レールの幅を広軌にする利点と、不利な点について、私にプレゼン……じゃない、説明してください。制限時間は30分ね。後で、原さんにも、私と一対一で、同じことをやってもらうから。じゃあ、始めて!」
私は、鉛筆を握った。
※現実には、こんな大規模な賄賂事件は発生していないはずです。ただ、復興予算に関して、不正支出があると会計検査院から指摘されたのは、実際に起こったことのようです。後藤象二郎さん、ごめんなさい……。
※そして、お待たせしましたと言っていいのかわかりませんが……。ただ、作者は鉄道に関しては素人なので、あまり期待しないでください。




