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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第74章 1923(大正8)年処暑~1923(大正8)年白露
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1923(大正8)年9月10日午後3時50分

 1923(大正8)年9月10日月曜日午後3時50分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「あ、あの……この数字、本当でしょうか?」

 揃って報告にやって来た内閣総理大臣の桂太郎さんと、戒厳司令官の山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下に、私は恐る恐る尋ねた。

「これ……この数字、桁をわざと減らしていませんよね?」

「いいえ、内府殿下、間違ってはおりません」

 私に向かって、桂さんは静かに首を左右に振った。「関東の1府6県、それから、山梨・長野・静岡の3県からの報告数、全て合わせたものがその数字でございます」

「じゃあ……じゃあ、今回の地震での死者・行方不明者は、合計、3598人……」

(ああ……!)

 私は歓声を上げそうになった口を慌てて両手で押さえた。“史実”での関東大震災の死者・行方不明者の数は10万人余りと言われていたはずだ。それが、10分の1どころか、約3.6%にまで減っている。けれど……。

「……」

 私はそっと兄の方を見た。提出された資料に記された死者・行方不明者の数を、兄は黙って見つめている。この数字を限りなくゼロに近づけたかった……。それが兄の本音だろう。

「内府殿下のおかげでございます」

 兄の前に立つ菊麿王殿下が、私に向かって最敬礼した。

「この大震災、もし事前の避難がなされていなければ、圧死者も焼死者も増えていました。それこそ、内府殿下が予言なさったように、10万人以上の死者が出ていたと思います。それがここまで抑えられたのです。本当に……本当に感謝申し上げます、内府殿下」

 私が黙って菊麿王殿下に一礼すると、

「菊麿」

兄が菊麿王殿下を呼んだ。身体を兄の方に向け直した菊麿王殿下に、

「それはお前のおかげだろう」

兄は穏やかな声で言った。

「章子は大地震が起こるという情報を与えただけだ。そのまま菊麿が何もしなければ、章子が予言したように、10万人の死者が出ていたはずだ。しかし、菊麿がしっかり対策を立てたから、死者の数をここまで減らせたのだ。……本当は、この死者・行方不明者の数がゼロになればよかったのだが、それは欲張り過ぎだろう。やれる全ての対策を行って被害を減らしてくれたこと、礼を言うぞ、菊麿」

「ありがたき……幸せでございます」

 頭を下げた菊麿王殿下の目には、涙が光っていた。

「ところで……建物や田畑に対する被害がどのくらいになるかは分からないか?」

 桂さんに兄が問う。“史実”の関東大震災の被害総額は約55億円と斎藤さんに聞いた。この時の流れでは、“史実”よりもインフレが進んでいないから、簡単に比較はできないと思うけれど、被害総額はどのくらいになったのだろうか。

「そちらは流石に量が膨大で、まだ概算は出せません」

 桂さんが慌てて答えた。「死者数が最悪の想定より遥かに少なかったこと、そして、罹災地域にいた国民のほとんどが、発災時に市町村の統制下にあり、各市町村ともすぐに住民の安否を把握できたこと、大きな被害が想定された市町村に蓄電池式の無線機が配備され、中央との連絡が容易に取れたこと……死者・行方不明者の総数が発災10日目にして全て把握できたのには、様々な幸運がございます。しかし、建物や田畑の被害は、尋常でないものがあります。把握しきるには、少なくとも2か月はかかるかと思います」

「そうか……。無理を言ってすまなかった、桂総理」

 兄は桂さんに軽く頭を下げるとため息をついた。

「横浜市の被害が大きいな。各国領事館や南京街の建物はほぼ倒壊、神奈川県庁も半壊……。横浜駅近くの石油タンクはいまだに燃え続け、焼死者は1200人余り……東京市の焼死者の8倍だ。震源に近い小田原町、山崩れが起きて300人余りの死者を出した片浦村(かたうらむら)……。早く、住民を励ましたいが……」

「お気持ちはよく分かりますが、横浜市も小田原町も片浦村も、地震による影響で近場の港に大型船が接岸できません。警備のことを考えますと、現時点での行幸は避けるべきと考えます」

「山階宮殿下のおっしゃる通りでございます。しかし、東海道線が復旧すれば、そう遠くない時期に横浜へは行幸が可能になります。それまで、しばしのご辛抱を……」

 苦渋の表情で言葉を吐き出す兄に、菊麿王殿下と桂さんが慰めるように言上する。兄は2人の顔をじっと見つめると、

「分かった。……許せ、先走ってお前たちを困らせてしまった。わたしはここで、1日も早く神奈川県に視察に行ける日が訪れるよう願いながら、(まつりごと)を遅滞なく進めよう」

穏やかな声で言った。

(兄上……)

 兄の声に深い悲しみが混じっているのに気が付いた私は、これからも兄を全身全霊で支え、関東大震災の犠牲者をこれ以上出さないことを改めて心に誓った。


 御学問所に持ち込んでいた震災についての資料を内大臣室に戻しておこうと思い、私は兄に断って、桂さんと菊麿王殿下と一緒に御学問所を退出した。

 すると、

「内府殿下」

廊下に面した障子を閉めて2、3歩歩いた瞬間、菊麿王殿下が私を呼んだ。

「あ、はいっ」

 実は、5月に兄が菊麿王殿下に関東大震災のことを告げてから、私は菊麿王殿下と一度も一対一(サシ)で話していない。少しぎこちなく菊麿王殿下に応じると、

「昨日、ようやく家に帰れたので聞いたのですが、範子(のりこ)佐紀子(さきこ)和彦(かずひこ)芳麿(よしまろ)も、皇居に避難している間、内府殿下に大変お世話になったそうで……ありがとうございました」

彼は私に丁寧にお辞儀をした。

「い、いえ……当たり前のことをしただけです。それに、芳麿さまに関しては、むしろ、私がお世話されましたし、今も、宮内省の職員たちがお世話になっていますし……」

 私が早口で菊麿王殿下に答えると、

「そうらしいですね。昨日、芳麿に聞いて驚きました」

彼はこう言ってニッコリ笑った。

「しかし、大の大人が考えの末に至った結論ですし、人様の迷惑になっているわけでもありません。この災害に、1人の国民として、自分ができることを通じて人を助けようとしている息子を、私は誇りに思いますよ」

 私は菊麿王殿下に黙って頭を下げた。芳麿さまも立派な青年だけれど、その父親である菊麿王殿下も尊敬すべき人だ。私は自分の子供たちを、菊麿王殿下のように立派に育てられているのだろうか。そんな問いが脳裏をかすめた。

 と、

「内府殿下は変わっていらっしゃいませんね」

菊麿王殿下が不思議な言葉を口にした。

「は……?」

 首を傾げた私に、

「増宮様とおっしゃった昔から、内府殿下は優しさと勇気をもって人を助けて来られた」

菊麿王殿下はこう言って微笑する。

「それは、成長なさっても変わらず、内大臣におなり遊ばされた今では、人を(いや)し、国を(いや)しておられます。そんな内府殿下を間近で拝見する機会を得て、芳麿も思う所があったのかもしれませんね」

「若輩の身に、過分なお言葉を……」

 微笑む菊麿王殿下に、私はこう返すのがやっとだった。綿密な防災計画を立て、災害から多くの市民の命を救った人に褒められ、私の心はほとんど舞い上がっていた。

「内府殿下がいらっしゃれば、この日本は、大地震から必ず復興できるでしょう。そのために、私も1人の軍人として協力致します」

「ありがたいお言葉でございます」

 私は菊麿王殿下に一礼すると、

「あの……山階宮さま、どうか、休みは適度にお取りになってください。過労でお身体を壊されたら、陛下も悲しまれますので」

と言った。

「かつての主治医の御助言、かたじけなく……」

 菊麿王殿下は再び静かに微笑むと、私に頭を下げ、表御座所を去っていった。


 1923(大正8)年9月10日月曜日午後5時45分、東京市赤坂区の赤坂御用地の南側を走る道路上。

「内府殿下、いかがなさいましたか?」

 我が家から迎えに来た自動車の後部座席に乗り込み、窓の外を流れる景色を見つめていると、車を運転している川野さんが私に尋ねた。

「……ああ、街の様子を観察していました」

 私は窓の外を見るのを止め、前を向いた。「3日前に視察した浅草や本所の方は、全壊した家がそれなりにあったから、こっちはどうなのかしら……と思いながら見ていますけれど、壊れた家は、そんなに多くないですね」

「ええ、皇居から西は、全壊した建物はほとんどないですね」

 川野さんは車を運転しながら私に応じる。「お屋敷も全く無事でした。それなのに、本省の点検員が来て、電気と水道の確認をするまでは、内府殿下も若宮殿下もお戻りにはなれないと本省から通達されまして……。まったく、早くお2人にお戻りいただきたかったのに、本当にイライラ致しました」

「それは仕方ないですよ」

 私は川野さんに苦笑いを向けた。

「大地震の後は、一見無事なように見えても、電気の配線や水道管の接続がおかしくなることがあるんです。“大丈夫だ”と思って電気を使って、配線から漏電して火事になったら大変でしょう?」

「おっしゃることはよく分かるのですが、内府殿下……」

 私の言葉を聞いていた川野さんはそう言うと、車のハンドルを強く握りしめた。

「我々はですね、職場に詰め切りで働いていらっしゃる内府殿下と若宮殿下に、一刻も早くご自宅でくつろいでいただきたかったのですよ!特に、内府殿下が倒れられたと聞いてからは、何としてでも盛岡町に戻っていただこうと、本省に家屋点検の実施を早めて欲しいと何度も陳情したのに……」

「あ、ああ、そうだったんですね……」

 そう言えば、数日前、“盛岡町邸の家屋点検の実施順を早めましょうか?”と牧野さんに聞かれた。その時は、“このタイミングで点検してもらったら、私が権力を使って順番を早めたと他の皇族に思われてしまうので、規定通り、皇居に近い他の宮邸から点検を進めてください”と答えたのだけれど……どうやら、川野さんたちの思いを無下にしてしまったらしい。

「ごめんなさい。私、陳情があったことを知らなくて……。一度、牧野さんに、“盛岡町邸の点検を早めましょうか”と聞かれたけれど、断ってしまったわ。内大臣の権力を使ったと思われたくなくて……」

「え……」

「私と栽仁殿下のことを考えてくれてありがとう。その真心、しっかり受け取って、今晩はゆっくり休ませてもらいますね」

 私が運転席に向かって一礼すると、

「い、いえ、こちらこそ……内府殿下のお立場を考えず、出過ぎたことを致しました」

川野さんは私に軽く頭を下げ、運転に集中した。

 盛岡町邸に戻ったのは、午後6時過ぎのことだ。震災前と何一つ変わらない内部の様子に安堵しながら、私は居間に入り、長椅子に腰を下ろす。栽仁殿下も今日は帰宅できるということで、私はこのまま居間で彼を待つことにした。

(帰ってきたんだなぁ……)

 長椅子に置いてあるクッションにもたれかかり、私は居間の天井を見た。天井から吊り下げてある電灯は明るく輝き、室内を照らしている。そんな当たり前のことが、とてもありがたく思えた。

(でも、私はまだ運がいい方だわ。震災で家を失った人もたくさんいるし、電気・ガス・水道……ライフラインが復旧していない所もたくさんある。どうしたら、当たり前の生活が、みんなに早く戻って来るのかしら……)

 天井を見上げながらそんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「……梨花さん、梨花さん」

 気が付くと、私の隣に誰かが座っていて、私の左肩を揺さぶっていた。

「あ……?」

 重くなった目蓋を何とか開けると、

「よかった、起きたね」

視界に栽仁殿下の笑顔が飛び込んでくる。彼のヒゲは綺麗に剃られていた。

「やだ……ごめんなさい、私、出迎えもしないで……」

 クッションから慌てて身体を起こすと、

「いいんだよ。疲れてたんでしょ?」

栽仁殿下が、私の身体を支えるように抱き締める。晩夏の夕方の空気とは違う暖かさが私を包み込んだ。

「でも、ちゃんと、玄関で“おかえりなさい”って言わないと……震災以来、初めてこの家に帰ったんだから……」

 夫から伝わる温もりに戸惑いながら私が言うと、

「そんなの、今ここで言えばいいんだよ」

と栽仁殿下は言う。いつもと変わらない明るい笑顔に背中を押されるように私は頷いた。

「じゃあ……お帰りなさい、(たね)さん」

 私が久しぶりの挨拶を口にすると、

「ただいま、梨花さん」

夫は私に笑顔で返す。そして、

「……お帰りなさい、梨花さん」

「ただいま、(たね)さん」

私たちは今度は言葉を逆にして交わし、お互いをしっかり見つめた。

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