1923(大正8)年9月8日午後2時35分
1923(大正8)年9月8日土曜日午後2時35分、皇居・表御座所にある内大臣室。
「ふぁ……疲れたぁ……」
内閣から届けられた資料に目を通していた私は、椅子の背もたれに身体を預けると大きく伸びをした。今日で、関東大震災が発生してから1週間となる。ずっとがむしゃらに働いていたので、ここでちょっと立ち止まって、今までの情報を見直しておこうと思ったのだ。
「1週間分の報告をまとめると、流石に量が多いわねぇ……。さてと、鉄道に関しては……」
そう呟きながら資料のページをめくった時、ドアをノックする音がした。「どうぞ」と椅子に座ったまま答えると、開いたドアの向こうには意外な人物がいた。
「あら、英宮さま」
部屋に入ってきたのは、兄と節子さまの三男で、希宮珠子さまのすぐ下の弟である英宮尚仁さまだった。極東戦争の講和直後、1905(明治38)年の9月末に生まれた彼も、もうすぐ18歳になる。この8月の末には、機動士官学校に入学していた。
「梨花叔母さま、今、お忙しいですか?」
「私は章子よ」
また私の名前を間違えた甥っ子に注釈を入れてから、
「ううん、忙しくないわよ。ちょうど今、一息入れようと思っていたの」
と微笑んで答えると、
「じゃあ、叔母さま、質問をしてもいいですか?」
英宮さまは真剣な表情で私に尋ねた。
「いいわよ。そこのソファーに座ってちょうだい」
英宮さまに来客用のソファーを勧め、私もその向かいにある長椅子に腰かけると、
「……叔母さま、ぼく、弱いんでしょうか?」
ソファーに座った英宮さまは、突拍子もない問いを私に投げた。
「は?!全然そんなことないと思うけど……どうして、そう思ったの?」
兄の次男の秩父宮さまほどではないけれど、英宮さまも身体を動かすことは得意で、剣道の成績はとても良いはずだ。そんな彼が、なぜこんな質問をするのだろうか。混乱している私に、
「あ、あのですね……地震の救援活動をしていて、そう思って……」
英宮さまは小さな声で答えてうつむく。そう言えば、士官学校の生徒は、国軍大学校の生徒の指揮の下、“遊撃部隊”として、関東大震災の発災時から、一番人手が必要な部署で活動することになっていた。“例え直宮と言えど、特別扱いは許されない”という兄の方針で、機動士官学校の新入生である英宮さまも、遊撃部隊として働いていたはずだ。
「……詳しく聞かせてもらっていいかな?」
私は長椅子に座り直し、英宮さまが話し出すのをじっと待った。
「……1週間前に地震が起こってから、皇居に戻らずに泊まり込みで、色々なことをしました」
やがて、うつむいたまま、英宮さまは口を開いた。
「地震が起きた直後は、芝区の方で、崩れた家から脱出できなくなっている人を助け出したり、怪我をした人を開いている病院に運んだりしていました。地震が起こってからそんなに時間が経っていない頃は、助け出された人は、怪我をしていても元気だったんです。でも……」
英宮さまの身体は、微かに震えている。私は長椅子から少しだけ腰を浮かせた。
「だんだん……時間が経っていくと、助け出されても、脈が触れない人が、多くなって……。柱や、家具に押し潰されて……どんな顔だったのか、どんな体つきだったのか、分からない、ご遺体が……」
英宮さまの身体の震えが、言葉を口にするごとに大きくなっていく。顔は苦痛で歪んでいた。私は英宮さまのそばによると床に両膝をつき、彼の身体を抱き締めた。
「それから、何でもない時に、思い出してしまうんです……。瓦礫の下から、ご遺体を出した時のこと……。そのたびに、ぼくはあの人たちを助けられなかったんだ、と思って、胸が苦しくなって……。そのことを考えると、夜、眠れなくなってしまいます……」
1つ1つの言葉をお腹の底から吐き出すように言った英宮さまは、涙に濡れた目で私を見ると、
「叔母さま、ぼく、もうダメかもしれません。ぼく、軍人として、直宮として、お父様の子として、強くなくてはならないのに、こんな情けないことになってしまって……ぼくは、やっぱり、弱いのでしょうか?」
しゃくり上げながらこう続ける。
「そんなことはないよ」
私は英宮さまの瞳をしっかり見つめると、
「本当に辛い経験をしたのね、よく頑張ったわ、英宮さま」
そう言って、彼の頭をそっと撫でた。
「……!」
英宮さまは私の左肩に顔を埋め、泣き続けている。それが落ち着いたのを見計らって、
「あのね、英宮さま。辛かった経験を、ふとした時に思い出して苦しくなったり、辛くて眠れなくなったりするのは、誰にでも起こる反応なのよ」
前世の大学時代に習ったストレスに対する反応のことを思い出しながら、私は甥っ子に語り掛けた。
「叔母さまも、今の英宮さまみたいになったことがあるわ、失恋で」
「失恋?!」
英宮さまが、勢いよく顔を上げた。「叔母さま、栽仁叔父さまに失恋したの?!あんなに仲がいいのに?!」
「べ……別の人よ。外国の王子さま。叔父さまと結婚する何年も前に亡くなったわ」
英宮さまに前世のことを言う訳にはいかないので、私はとっさにフリードリヒ殿下のことを早口で喋り、
「こ……このことは絶対、誰にも言っちゃダメよ!」
彼にしっかり口止めをした。「わ、分かったよ」と英宮さまが頷いたのを確認すると、
「ところで英宮さま、どうして私にこのことを話してくれたの?」
私は彼に尋ねた。
「……お父様とお母様には話せないと思いました」
英宮さまは再びうつむいた。「お父様は政務でお疲れだろうから、ぼくのことで心配させるわけにはいかないし、お母様は罹災者のために、着物をせっせと縫っていらっしゃって、邪魔をしてはいけないと思ったんです。迪兄さまたちがいれば、迪兄さまたちに話したけれど、迪兄さまと姉さまは日光だし、淳兄さまは練習航海中だし……」
「……英宮さまのお父様もお母様も、いずれ、英宮さまが悩んでいることに気が付くと思うわ」
私は顔に苦笑いを浮かべた。「何か聞かれたら、ちゃんと話す方がいいと思うな。大丈夫よ、英宮さまのお父様もお母様も、英宮さまをちゃんと受け止めてくれるから」
「うん……」
「もちろん、私も話を聞くわ。だから、辛くなったら、また内大臣室に来ていいよ」
そう言いながら英宮さまの頭をもう1度撫でると、
「分かりました。……ありがとうございます、叔母さま」
彼は私に笑顔を向ける。その明るい笑みを見ながら、
(そうか、メンタルケアねぇ……)
私は考えが至らなかった自分を責めていた。
1923(大正8)年9月9日日曜日午前10時30分、皇居・表御座所にある内大臣室。
「はぁ、なるほど……」
兄に国軍全体の状況に関する報告を終えた直後に内大臣室に引きずり込まれ、災害時のメンタルケアについての話を聞かされた国軍参謀本部長の斎藤実さんは、私の話を聞き終わると呆けたような表情で頷いた。
「何とか、理解はしたと思うのですが……」
斎藤さんは首を傾げると、
「しかし内府殿下、なぜ今になって、その“メンタルケア”……というものを言い出されたのですか?」
私に至極もっともな質問をした。
「え、ええとですね……前世の次兄が、東日本大震災の時、ボランティア……無償で、避難所の手伝いをしに行って……」
まさか、英宮さまの件で、対策が欠けていたのを思い出したとは言えない。私は慌てて、作り話をでっち上げた。
「その時、被災地の惨状を目の当たりにして、その光景を思い出してしまって勉強が手につかなくなった……という事件があったのを、いまさら思い出して……」
2011(平成23)年の東日本大震災の時、私の前世の次兄は大学生だった。だから、話の辻褄は合っているけれど、次兄はボランティアには行っていない。心の中で前世の次兄に謝罪しながら話し終えると、
「そういうことでございましたか」
斎藤さんは深く頷いてくれた。
「言われてみれば、確かに必要なことです。今回、幼年学校と士官学校の生徒を遊撃部隊として現場に投入しましたが、彼らには実戦経験はありません。そんな少年たちを、過酷な現場に行かせてしまっておりました。内府殿下のおっしゃるように、症状を悪化させてしまった彼らが幼年学校や士官学校を退学してしまえば、将来的な国軍の戦力低下につながります」
「その通りです。もちろん、同じような対策は、今回の救援に関わった兵士、士官全員に取られるべきですし、罹災者に対しても取られるべきです」
どうやら、斎藤さんは私の話を理解してくれたらしい。私がホッとしながら応じると、
「ところで内府殿下、なぜこのお話を山本閣下ではなく俺になさったのですか?」
斎藤さんが再び私に尋ねた。
「あの……変に実戦経験がある人たちにこの話をしちゃうと、“そんなのは気合で乗り切れ!”って言われてしまいそうじゃないですか」
国軍大臣の山本権兵衛さんは、戊辰戦争に従軍したらしい。その他、山縣さん、西郷さん、黒田さん、桂さん、児玉さん、大山さんなど、国軍と関わりがある梨花会の古参の面々は、全員、戊辰戦争や西南戦争などに従軍している。それに、私や兄、そして迪宮さまたちに対して、手心を一切加えないスパルタ教育をしてきた人たちだから、メンタルケアのようなことには理解がないと思ったのだ。
「ああ、それなら納得しました」
斎藤さんはため息をついた。「容赦が無いですからな、あの方々は」
「ただ、そうでなくても、この概念、この時代と合わない可能性が高いんですよね……。困難は精神力で何とかできる、と思っている人も多いじゃないですか」
「それは否定できませんが、この時の流れの国軍では、精神より科学に重きを置く教育をしておりますよ」
斎藤さんは私に言い返すと、
「しかし内府殿下、この“メンタルケア”というものは、今後を考えると研究を進めるべきだと思います。成果が出始めるのには20年、30年とかかるでしょうが、それでも、前世の内府殿下が生きていらした頃までには、“史実”よりも発展しているでしょう。精神医学者たちや心理学者たちに、研究を始めてもらってもよいのではないでしょうか」
「なら、東京帝大に依頼してみましょうか」
「では、俺から手配しておきます。それから、後で堀と検討してみますが、国軍で震災の支援業務に従事している者に対しては、まずは休息を適度に取ることを徹底させ、悩みがあれば信頼できる仲間と話し合うように命じましょう」
「ありがとうございます。長いこと引き留めてしまってごめんなさい」
しっかりと対応を請け負ってくれた斎藤さんにお礼を言うと、私はドアのところまで行き、彼を見送った。
(あーあ、しくじったなぁ……。これは絶対、関東大震災が起こる前に準備しておくべきことだったのに……)
表御座所から出て行く斎藤さんの後ろ姿を見ながら、私が両肩を大きく落とした時、
「おい、梨花」
後ろから突然話しかけられ、私は思わず飛び上がりそうになった。振り向くと、黒いフロックコートを着た兄が、私のすぐそばに立っている。
「ああ、その様子では、俺の気配に気が付いていなかったのか。お前、相当疲れているな」
兄は顔に苦笑いを閃かせると、真面目な表情になり、
「梨花、尚仁の話を聞いてくれてありがとう」
と言って私に頭を下げた。
「あ……」
英宮さまのことは、斎藤さんとの話が終わったら、兄に伝えようと思っていたのだ。とっさに言葉を口に出せない私に、
「昨日の夕食の時、尚仁の様子が少しおかしかったから、夕食の後で俺の書斎に連れて行って、どうしたのかと聞いたのだ。そうしたら、“遊撃部隊”での辛かった経験を話してくれたよ」
兄はこう言うと、少し寂しそうに微笑んだ。
「尚仁が、俺の子として強くなければいけないのに、こんなザマになってしまって悩んでいる、と言うから、“もし俺が同じ経験をしたら、俺も尚仁と同じように辛いと思うだろう”と言ってやった。それから、“俺だって人に自慢できるほど強くはないのだから、お前が弱くても全然構わない。強かろうが弱かろうが、俺と節子が尚仁に注ぐ愛は変わらない”、と尚仁に言ったのだが……。なぁ、梨花、それでよかったのかな?」
「……よかったんじゃないかな」
私は兄の目を見て微笑んだ。「やっぱり、親の愛に勝るものはないわね」
「何を言う。いつでも相談できる優しい叔母さまがいることも、尚仁の助けになっているぞ」
兄はこう言って私の頭を撫でると、
「だからな、梨花。今日はこれから、仕事のことはなるべく考えないで休め。参謀本部長にああ言ったのだから、お前も休める時に休んでおかないと示しがつかないぞ」
少し不思議な言い回しで私に命じた。
「分かった。……でも、兄上も盗み聞きなんかしてないで、奥に戻って休まないとダメよ」
私が軽く睨みつけながら言い返すと、
「ああ、これは1本取られたな」
兄は屈託ない笑顔を見せた。




