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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第74章 1923(大正8)年処暑~1923(大正8)年白露
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1923(大正8)年9月5日午前9時35分

 1923(大正8)年9月5日水曜日午前9時35分、皇居・観瀑亭(かんばくてい)にある仮御座所。

「東京府・神奈川県では、罹災者支援の動きが本格化しており、商業活動は徐々に再開しつつありますが、犯罪行為も散見されます」

 兄の前にいるのは、鞍馬宮(くらまのみや)家別当を務める明石(あかし)元二郎(もとじろう)さんだ。しかし今日は鞍馬宮家の別当ではなく、裏の顔である中央情報院の総裁として仮御座所にやって来た。そのため、仮御座所にいるのは兄と明石さんの他は、大山さんと私だけだった。

「例えば、北関東や東北から、罹災者に法外な値段で食料や日用品を売りつけようとしたり、家屋の簡単な修理に多額の金を請求したりする者が流れ込んでおります。現在、上野駅などを中心に国軍が検問を行い、我々も検挙に協力していますが、不届き者の数は徐々に増えております。また、法外な値段で物を売りつけようとする輩に、罹災者たちが襲い掛かり、重傷を負わせる事例も数例ございました」

「ひどい話だ」

 兄が顔をひどくしかめてため息をついた。「我が国は法で支配されているはずなのだがな。それに、世の中、善人ばかりでないことは百も承知しているが、こうもあからさまに罹災者の弱みに付け込もうとする人間がいるとは……」

「被災地で悪事を働こうとは、命知らずな奴らですなぁ」

 私のそばに座っている大山さんが、声を出さずに笑った。「たとえ天が見逃しても、明石君は見逃しませんぞ」

「けれど、国軍と院に頼る以外の策は立てるべきよ。国軍の兵士や院の職員だって、数限りなくいるわけじゃないの。それに、軍隊は色々な場所の復旧作業に、院は流言の予防や防諜に重きを置くべきだし」

 両腕を組んで少し考えた私は、

「……内務省や逓信省で、この件に関して対策を立てる動きはありますか?」

と明石さんに聞いてみた。

「はい、先ほど、桂総理にも同様の報告を致しましたところ、“直ちに関係部署と協議に入る”ということでございました」

 明石さんの答えを聞くと、私は「ありがとうございます」と頭を下げた。桂さんがそう言ったのならば、犯罪行為をする連中が東京と神奈川に入り込むのを防ぐ策は、必ず実行に移される。

 すると、

「梨花、策の具体的な内容まで考えていただろう」

兄が私にニヤッと笑いかけた。

「……まぁ、考えたけどね。正当な理由なしに東京に向かう列車に乗ることを禁じる、って、各鉄道会社に通達を出す、という所までは」

 私は兄に苦笑いを向けた。「自転車や自動車や徒歩で入り込んでくる連中には対応できないけどね。あと、妙な暴力沙汰が起こらないように、被災地の警備も強化しないといけないし……でも、桂さんが協議に入る、と言ったのなら、その辺りの対応は桂さんに任せるべきだと思ったの」

「なるほど」

 私の言葉を聞いた大山さんは頷くと、

「他には何かありますか、明石君?」

と言いながら、明石さんに視線を向けた。

山階宮(やましなみや)殿下からもご報告があるかもしれませんが、東京市内では、火事のあった場所以外での犠牲者の捜索はほぼ終了しました。市内での圧死者は300人ほどになる見込みですが、そのうち、身元不明のものが100ほどございます」

(圧死者が300人……“史実”よりは確実に少ないと思うけれど……)

 明石さんの報告を聞いた私がこんな感想を抱いた時、

「身元不明の遺体の多くは、商店や、比較的広い家で見つかりました」

その明石さんが、不思議なことを言う。私と兄が揃って首を傾げると、

「ほう、盗みを働こうとした者がそんなにいましたか」

大山さんが表情を変えずに言った。

「「え……」」

「おや、先ほど、陛下ご自身がおっしゃったではありませんか。“世の中、善人ばかりではない”、と」

 揃って動揺した私と兄に、大山さんは言い返すとニヤリと笑う。

「避難訓練では、屋外に出る必要があります。それは、裏を返せば、家屋敷の守りが手薄になるということ……泥棒にとっては仕事にうってつけの環境が整う訳です。今年の防災の日は、例年よりも大規模な訓練となることは予告されておりましたから、稼ぎ時だと感じた盗人も多かったことでしょう」

 大山さんはそう言うと、

「陛下も梨花さまも、人が良すぎますからなぁ」

そう付け加えて、声を出して笑った。

「……政務においてはそうならないようにしてきたつもりだったのだがな」

 強張った顔でため息をついた兄に、

「そのような者たちも命だけは救うべく、我々も検挙に努めておりましたが、陛下のご期待に沿えず、誠に申し訳ございませんでした」

明石さんは深々と頭を下げる。

「いや……ありがとう、助けようとしてくれて」

 兄は表情を元の穏やかなものに戻すと、明石さんにこう言った。

「なお、院の通信機能は、一昨日までは停電の影響で7割ほどしか保てませんでしたが、昨日から全復旧致しました。罹災地域の治安維持を国軍と協力して行っていきますが、本来の業務も怠りなく継続いたします」

(流石だなぁ……)

 相変わらず、中央情報院の能力は凄まじい。大震災が起こることは事前に知っていて対策はできたというアドバンテージはあるけれど、もう通信機能を全回復させるとは……本当に大変な組織になってしまった。

「そうだな。……年明け早々には、第2回軍縮会議の予備交渉が始まる。わたしたちが震災からの復興に精力を注いでいる間にも、列強では軍縮を巡って駆け引きが続いている。明石総裁、今後も頼んだぞ」

 兄の力強い言葉に、明石さんは最敬礼した。


 1923(大正8)年9月5日水曜日午後4時、皇居・観瀑亭にある仮御座所。

「うーん……」

 私は、兄の前の文机に置かれた書類を横から覗いていた。書類の中身は、東京近辺にある御用邸や宮内省関連の施設、そして、今日調べることができた3つの宮邸の被害状況をまとめたものだった。

「かなり壊れたな」

 やがて、書類に目を通した兄は、書類を持ってきた宮内大臣の牧野さんに微笑を向けた。

「鎌倉の御用邸は全壊、熱海・宮ノ下・葉山の御用邸は大破、箱根離宮は洋館が大破、か……」

「はい、恐れ多いことではありますが」

 歌うように呟く兄に、牧野さんが身体を小さくして一礼する。そんな彼を、

「震源に近いところにあるのだから、壊れるのは当然だ。牧野大臣が責任を感じる必要は無い」

兄は穏やかな声で慰める。

「大体、あの辺りには御用邸が多すぎるのだ。これを機会に、少し整理してよいかもしれない。施設の維持にも金がかかるし……色々落ち着いたら、省内で検討してみてくれないか」

 牧野さんは兄の言葉に一礼する。そして、私の方を見ると、

「内府殿下は、一体何を憂慮なさっておいででしょうか?」

私にこう尋ねた。

「上野の帝室博物館の被害が大きいのが……」

 私は牧野さんに答えるとため息をついた。「1号・2号・3号館が大破した、と……収蔵されているものが破損していないか、本当に不安です」

「梨花は意外と美術品や工芸品に造詣が深いからなぁ」

 ニヤッと笑った兄に「“意外と”は余計よ」と抗議してから、

「お城の遺構もですけれど、博物館に保管されているものも、未来に残さないといけない大切なものですからね。できる限り守らないといけません」

と私は牧野さんに言った。

「博物館の収蔵品については、ただいま調査を進めているとのこと。今のところ、目立つ破損はないということですが、全ての品を調べ終わった訳ではありませんので、注視する必要がありましょう」

「そうですね。収蔵品に被害がないことを祈りましょう」

 私が牧野さんに向かって頷いた時、

「梨花、別のことも気にする方がいいと思うぞ」

兄が私に話しかける。

義兄上(あにうえ)の所、洋館が大破したとは……ひどく壊れたではないか」

「確かにね。でも、あの洋館、かなり古い建物だから仕方ないと思うわ。お義父(とう)さまだって、翁島に出発する前、“この洋館は、地震で瓦礫になってしまうかもしれませんね”って言っていたし」

 すると、

「分かっていないなぁ、梨花は」

兄が再びニヤッと笑った。

「洋館が大破したと知った義兄上(あにうえ)が、次に口にする言葉を教えてやろうか。“では、我が家の修理が終わるまで、栽仁(たねひと)と嫁御寮のところに、しばし身を寄せると致しましょう”」

「それは無いと思うなぁ」

 兄は義父の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下の口調をそっくり真似て言ったけれど、私は特に感想を抱かず、首を左右に振った。

「もし、お義父(とう)さまたちが盛岡町邸(うち)で暮らすことになったら、私と栽仁殿下は別館に移らないといけないわよ。別館は、院の分室でもあるでしょ。院の運営に影響が出るから、お義父(とう)さまも私たちと一緒に盛岡町邸(うち)で暮らすとは言わないんじゃないかな」

「それは、有栖川宮殿下が東京にお戻りになってからでないと分かりませんな」

 大山さんは微笑を含んだ声で言うと、

「ところで、山階宮(やましなのみや)殿下の御本邸の検分も済んだようですな」

牧野さんにこう話しかけた。

「はい、日本館は半壊しましたが、洋館は無事とのこと。しかし、鎌倉にございます御別邸は、伏見宮(ふしみのみや)家の鎌倉御別邸とともに全壊したそうです」

(うわぁ……)

 私は思わず目を見開いた。もし、山階宮家や伏見宮家の人々が、9月1日に鎌倉の別邸にいたら、恐らく倒壊した建物の下敷きになっていただろう。もちろん、兄一家も、鎌倉や葉山の御用邸にいたら、建物の下敷きになっていた可能性が高い。

お母様(おたたさま)が皇族を日光に集めてくれて、本当に良かったわ……」

 私が心からの安堵と共にこう吐き出すと、

「だな。もし、皇族が各々勝手に行動していたら、死傷者が出るのは免れなかっただろう」

私に応じた兄もほっと息をついた。

「……さて、奥御殿と表御座所の電気試験ですが、無事終了いたしました」

 話が一段落したところで、牧野さんは兄にこう報告した。

「従って、天皇皇后両陛下におかせられましては、この後、奥御殿にお戻りいただきとうございます」

「そうか」

 首を縦に振った兄は、私に視線を向けると、

「梨花はどうする?観瀑亭に残るか?俺と節子(さだこ)が奥御殿に戻っても、ここは侍従や侍従武官たちの宿泊場所として使えるようにはしておくが……」

と尋ねた。

「内大臣室に戻るよ」

 私は兄に即答した。「部屋の片付けもしないといけないしね。それに、使い慣れた部屋で過ごす方が安心できるわ」

 もちろん、この観瀑亭を使い続けてもよかったのだけれど、ここだと、内大臣と内大臣秘書官に与えられる部屋が合わせて1つになってしまう。秘書官たちと一緒に過ごすのは別に嫌ではないけれど、寝る時まで一緒の部屋になるので、プライバシーなど全くない。この災害下で贅沢ではあるけれど、私はプライバシーが守られる空間が欲しかったのだ。

 すると、

「そうか。では、夜も梨花の所に自由に行けるということだな」

兄が突然、とんでもないことを言い始めた。

「はぁ?!」

 私は思わず腰を浮かせた。「冗談じゃないわ。私はプライベートな空間が欲しいのよ。何で皇居に泊まり込むからって、夜も兄上の相手をしないといけないのよ!昼間だって、政務の合間に散々話してるのに!」

「昼に話しても足りないから、夜も話したいと思うのだが?」

 私の猛抗議に、兄はしれっと言い返した。

「この観瀑亭は、大人数で使うと狭いからな。それに、節子も含めて3人で話す、となるとなかなか難しい。だが宮殿なら、人の密度も少なくなるから、俺たちも梨花と一緒に過ごしやすくなる、という訳だ」

「はぁ……」

 私は両肩を落とした。

「節子さまも一緒なら、断れないじゃないの……。仕方ないなぁ。夜、内大臣室に来てもいいけど、余り長居はしないでね」

「ふふっ、計算通りだな」

「何か言った?」

「いいや」

 睨んだ私に向かって、兄が首を左右に振る。私と兄のやり取りを聞いていた大山さんが笑い声を上げ、牧野さんもクスクス笑った。

 ……こうして、1923(大正8)年9月5日水曜日午後5時10分、兄は4日ぶりに奥御殿に還幸した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大変なときに、軽く言葉を交わせる歳の近い相手がいることが、皇族方が無事であるということが、大正天皇の心を少しでも軽くさせているんでしょうね。
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