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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第74章 1923(大正8)年処暑~1923(大正8)年白露
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1923(大正8)年9月2日午後2時5分

 1923(大正8)年9月2日日曜日午後2時5分、皇居・観瀑亭(かんばくてい)内の仮御座所。

「神田区の三崎町(みさきちょう)2丁目から発生した火災は、三崎町1丁目と2丁目を燃やし、更に区の境を越えて麹町区の飯田町(いいだまち)4丁目に燃え広がりましたが、そこで消し止めることができました。甲武鉄道の飯田町駅と水道橋駅は焼失を免れています」

 兄の前に正座しているのは、関東戒厳司令官に任命された山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下だ。彼と兄の間には、東京市内の地図が広げられている。その他、仮御座所には私と大山さんの他、宮内大臣の牧野さん、侍従長の奥保鞏(やすかた)さん、侍従武官長の島村速雄(はやお)さんがいて、菊麿王殿下の説明にじっと聞き入っていた。

「深川区では、洲崎(すざき)弁天町(べんてんちょう)で出火しまして、町の北半分を焼いたところで消し止めました。また、東大工町(ひがしだいくちょう)のガラス工場から出火した火事も、東大工町の大部分と元加賀町(もとかがちょう)の一部を焼きましたが、小名木川(おなぎがわ)の水を利用して鎮火に成功しました」

(洲崎弁天町って……花街ね)

 私は少しだけ眉をひそめた。特に花街では、昨年までの防災訓練への参加率が良くなかったので、今回の防災訓練は必ず参加するようにと、院も協力して大々的に呼びかけがなされたはずだ。そこで出火したとは……防災訓練に参加しなかった店があったのかもしれない。

(心配だなぁ……まぁ、明石さんが、“花街の者は全員何としてでも防災訓練に参加させる”って意気込んでいたから、多分大丈夫だろうけれど……)

 私がぼんやりと考えていると、

「本所区では、まず、菊川町(きくかわちょう)2丁目の自動車屋に置いてあったガソリンに引火して火災が発生しました」

菊麿王殿下の説明は本所区に移った。

「火は堅川(たてかわ)に掛かる三之橋を焼損し、堅川を越えて花町(はなまち)に入りましたが、そこで破壊消火を行ったため鎮火に至りました。緑町(みどりちょう)5丁目でも出火して、一時は火が総武鉄道の線路に掛かりそうになりましたが、こちらも破壊消火を行って、それ以上の延焼は防げました。また、石原町(いしわらちょう)のせんべい屋からも出火し、こちらは外手町(そとでちょう)番場町(ばんばちょう)荒井町(あらいちょう)と北方・西方に向かって延焼しましたが、横網町(よこあみちょう)2丁目と中之郷(なかのごう)原庭町(はらにわちょう)で破壊消火を行い、鎮火に成功しました。太平町(たいへいちょう)2丁目の煮豆屋から出た火も、柳島(やなぎしま)梅森町(うめもりちょう)、柳島横川町(よこかわちょう)を焼きまして、押上町(おしあげちょう)、柳島元町(もとまち)での破壊消火で何とか鎮火したという状況です」

「すると、本所区は3割ほどの面積が焼けてしまったということになるのか……」

 兄が眉を曇らせる。

「……で、ですけど、総武鉄道は無事だったのですよね?それから、両国橋駅の北の被服廠……じゃなかった、横網公園も!」

 私も後ろから菊麿王殿下に尋ねた。

 被服廠跡……“史実”では、関東大震災でここに避難した人々が火災旋風に襲われ、約3万8000人にものぼる死者を出した。この時の流れでは、被服廠は1915(明治48)年に赤羽に移転し、その跡地は東京府に払い下げられた。そして、1920(大正5)年に横網公園として開園し、東京市民の憩いの場となっていたのだけれど……。

 すると、

「総武鉄道も、横網公園も全く無事です」

菊麿王殿下は微かに笑って答えた。「横網公園は国軍が防災拠点として使っておりましたので、集まってきた人々には両国橋を渡って日本橋区方面に逃げるよう指示・誘導しています。……しかし、天皇陛下のおっしゃる通り、本所区は概算で3、4割が焼失したと思われます」

「浅草区はどうなりましたでしょうか」

 緊張した表情で、宮内大臣の牧野さんが問う。

「浅草区で発生した主な火災は2つあります。1つは、須賀町(すがちょう)から出火したものです。じわじわと燃え広がりまして、南隣の旅籠町(はたごちょう)瓦町(かわらまち)福井町(ふくいちょう)、そして西の猿屋町(さるやちょう)、新福井町を焼いたところで何とか鎮火しました。2つ目は光月町(こうげつちょう)から出火したもので、北は千束町(せんぞくまち)、南は新谷町(しんたにまち)芝崎町(しばざきちょう)田島町(たじまちょう)松清町(まつきよちょう)松葉町(まつばちょう)、一部は下谷(したや)区に入り込んで新坂本町(しんさかもとちょう)山伏町(やまぶしちょう)を焼きましたが、市電通りに沿って大規模な破壊消火を行い、ようやく鎮火させました。2つの火災とも、鎮火したのは今朝の6時ごろです」

 菊麿王殿下の答えに、兄の表情がまた暗くなる。須賀町からの火災と光月町からの火災……正確には分からないけれど、浅草区の1割以上は焼けてしまっているだろう。

「……神奈川県の川崎町と横浜市はどうだ?横浜市は混乱しているという報告があったが」

「はい、川崎町は、圧死者は数名のみで、発生した火災もすぐに消し止めることができました。しかし、工場群がかなり損害を受けています。恐らく、被害額は1000万円を超えるのではないでしょうか」

 兄の問いに菊麿王殿下が回答すると、仮御座所に緊張が走った。今年度の政府の予算総額は約3億円だ。川崎だけで、その30分の1という巨額の設備が失われてしまったことになる。

「そして横浜市ですが……全市域では3割ほどの家屋が全壊しております。ほとんど全ての家屋が倒壊している町もあります」

「3割?!」

 島村侍従武官長が目を丸くした。「そんな……東京市で、最も建物の倒壊が多かった本所区でも、全壊した建物は全体の2割には届かないだろうという報告が昨日ありましたが……」

「横浜は埋め立てて造成した土地が多いです。それに、今回の地震の震源は小田原付近とのこと……東京より横浜の方が震源に近いですから、被害も大きくなります」

 島村さんになだめるように答えた菊麿王殿下に、

「横浜での火災の状況はどうなのだ?」

兄は再び尋ねた。

「火災は50か所ほどで発生しています。これは東京市の出火地点の数とほぼ同じです。消火活動は比較的進めやすかったのですが、横浜駅近くにある石油タンクに火が入ってしまい、いまだに石油が燃え続けています。幸い、防災訓練でほとんどの者が屋外に出ていたので、圧死者はほとんどいません。また、市民も避難指示に粛々と従ったため、焼死者も少ない見込みではありますが、横浜地方裁判所、横浜郵便局、また、山下町の外国人向けのホテルも倒壊しました。山下町ではその他、各国領事館や銀行なども倒壊し、特に南京街の建物はほとんどが倒壊しています」

 横浜は、1858(安政5)年に安政五か国条約が結ばれて開港した時から、各国の領事館が置かれている。また、外国人居留地もあったので、清の人など、外国人も居住している。特に清から来た人が多く住むのが南京街で、清から来日した約5000人が住居を構えていると言われている。

「横浜では桟橋なども壊れているため、来援した国軍の第1艦隊は、艦載艇を使って物資を陸に運んでいます。これほどの大地震ですと、海底の地形の変化も予想されますので、大型船を岸壁に横づけしての物資の搬入ができません。海から横浜・小田原などの相模湾沿岸の都市への輸送は、平時より効率が落ちると思われます」

「……分かった。菊麿、ありがとう。昨日からほとんど休めていないだろう。身体に気を付けて、休める時には休んでおけよ」

 菊麿王殿下の報告を聞き終わった兄は彼にお礼を言う。最敬礼して仮御座所から下がる菊麿王殿下の背中を見送ると、

「章子」

兄は私の名を呼んだ。「はい」と私が返事をすると、

「散歩に行くから、お前だけついてこい」

兄はそう言い残し、素早く廊下に出てしまう。私は慌てて兄の後を追った。


 1923(大正8)年9月2日日曜日午後2時35分、皇居・吹上御苑。

 兄は観瀑亭を出ると、私の方をチラッと見た後は、ずっと前を向いて早足で歩いている。私はやや小走りになりながら、兄に必死について行く。いつも兄と一緒に散歩する時には、兄は私に歩く速さを合わせてくれるのに、今日はその気配が全くない。私は戸惑いながら、一生懸命両足を動かした。

 やがて、前方に、大きな池が見えてくる。この皇居が江戸城と呼ばれていた頃に造成されたものだ。兄は池のほとりまで来ると、周囲に鋭い視線を走らせる。そして、池に相対して立つと、両肩を大きく落とした。

「兄う……」

 私が声を掛けようとした時、

「ああ……」

兄の声から呻くような声が漏れた。その苦しげな、悲しげな響きに思わず口の動きを止めた私の前で、兄は崩れ落ちるように地面に両膝をつき、

「悔しいっ!」

と叫んだ。

「兄上……」

「考えられる手を全て……全て打っていたのに、東京も横浜も焼け、多くの国民の財産が消えてしまった……」

 地面の上に正座した兄は、両手で腿のズボンの生地を掴み、言葉を絞り出している。私は兄のそばまで歩くと、兄のすぐ右隣に、兄と同じように正座した。

「その結果、多くの国民に苦しみを与えてしまい……ああ、俺がもっとしっかりと……天皇としてしっかりとしていれば、こんなことにはならなかった……お父様(おもうさま)や、伊藤顧問官、山縣顧問官、大山大将……多くの人が、俺に期待をかけて、俺を立派な天皇にしようとしてくれたのに、俺はその期待に応えられずに……」

「……圧死者の数は、“史実”より確実に減ってるよ」

 私は兄に、穏やかな声で話しかけた。「それに、火事で死んだ人の数も。何と言っても、被服廠跡での惨劇が起きなかったんだから」

 すると、

「だから何なのだ!」

兄は涙に濡れた目で私を睨みつけた。

「大部分の者は、“史実”のことは知らないのだ!彼らにとっては、この状態が未曽有の大災害なのだぞ!」

「……そうね、その通りね」

 私は首を垂れた。「ごめん、兄上。私の認識が甘かった」

 そのまま私は口を開かなかった。兄も一言も喋らなかった。蝉の鳴き声と、兄が時折鼻をすすり上げる音だけが響く中、私は次に何を言うべきか考えていた。

「……ねぇ、兄上」

 この池のほとりに来て、5分ほど経ったのだろうか。私は口を開いた。

「その未曽有の大災害を更に悪化させないために、兄上がいるのよ」

「大災害を、更に悪化させないため……?」

 顔を上げた兄に向かって私は頷いた。

「この震災に巻き込まれた国民は、多くのものを失っているわ。家族や友人、職場や学校……そういうものもだけれど、水や食料や衣類、それから現金に家屋といった財産も失っている。兄上は、国民が失ったものを取り戻す手伝いをしないといけないのよ。それに、街や田畑、山林に工場、道路や港や鉄道……そういうものも復興させないといけない。兄上の名の下に、兄上の臣下たちがね。それがなされなければ、国民は色々なものを失ったまま生きていくことになる。必要な物を得られなくて死ぬ人だって出てくるわ。……これ以上の犠牲者を出さないために、傷つく人を増やさないために兄上がいるのよ」

「梨花……」

「兄上が苦しいのも、少しは分かるつもりよ。苦しい状況なのに、臣下たちの上に立って、どっしり構えてないといけないんだから、余計に苦しいと思う。……だからさ、本当に苦しくなったら、私にその苦しさを吐き出してよ。言葉にするだけでも、気持ちって楽になるからさ」

「そう、か……」

 兄は微かに笑うと、私の左手を取った。

「先人たちの期待の全てに応えることはできない……しかし、期待に応えられないなりにも、もがかなければならないのだな。これ以上の犠牲者を出さないために。……辛い。天皇というものは本当に辛いな。しかし、俺は、天皇の位の重さに耐えることよりも、自分のせいで傷つく人が出る方が辛い。なら、俺の力の限りを尽くして、天皇の職務を粛々と行うしかない」

「兄上……」

「ありがとう、梨花。……お前がいるから、俺は何とか、天皇として(まつりごと)をやれる。これからも、頼りにさせてもらうぞ」

 そう優しい声で言った兄に、

「まかせてちょうだい。私は兄上を助けて、兄上を全力で受け止める。そのためにいるんだから」

私は明るく笑ってみせた。


 1923(大正8)年9月2日日曜日午後6時10分、皇居・観瀑亭にある仮御座所。

「忙しい時にすまないな、桂総理」

 上座に座った兄の言葉に、「いいえ!」と答えて桂さんは大きく首を左右に振る。そして、

「して、陛下、一体何事でございましょうや?」

やや芝居がかった調子で彼は兄に尋ねた。

「うん。梨花や牧野大臣とも相談して、政府に1000万円を下賜することにした。今回の震災の被害者の救恤(きゅうじゅつ)のためにな」

 兄の言葉に、桂さんは「は?!」と両眼を丸くした。

「恐れながら陛下、今年度の宮内省の予算は、およそ1500万円でございます。1000万円もの御下賜となれば、今後、様々な方面に支障が出てくるやもしれませぬが……」

「金が足りなくなったら、御料地を売れば問題ない」

 声を潜めて言上した桂さんに、兄は笑顔で言った。

「それに、わたしや節子(さだこ)、子供たちの生活費も、切り詰められるところは切り詰める。宮殿や御用邸も震災で壊れたところがあるだろうが、必要最低限の修理をしてくれれば構わないし、過度な装飾は廃する。それなら、どの方面にも支障は出ないだろう」

「お言葉ではございますが、陛下。費用を切り詰めるとおっしゃられましても、帝王としての威厳、皇室の威厳を保つため、宮殿にはある程度の装飾が必要でございましょう。その費用まで削ってしまうのはいかがなものかと……」

 頭を下げてこう言った桂さんに、

「見栄を張るためだけに使う金なら、その金を苦しむ国民のために使う方がはるかにいい」

兄はやや厳しい声で答える。桂さんが畏まって頭を低くした。

「わたしは国民を苦しませてまで見栄を張るようなことはしたくない。自分が楽しむために民を苦しませるなど、帝王としてあってはならないことだ。だから、わたしが使う費用で削れるところは削って、苦しむ国民のために少しでも力になりたい」

「はっ……しかと……しかと承りました。深き大御心、まさに聖天子でございます」

「……褒めなくてもいい。わたしはできることをやっているまでだ」

 そう言うと兄は姿勢を正した。

「1000万円の下賜とともに、沙汰を下す」

「はっ」

 畳に額をこすり付けるように頭を下げた桂さんに向かって、

「今回、未曽有の大災害が東京やその近県を襲った。それで人々が苦しんでいるのを見聞きして、わたしも己の身が切られるように苦しく、深く悲しんでいる。せめて被害者たちの苦しみを少しでも和らげたいと思い、手許金を政府に下賜することにした。政府と国民が力を合わせ、適宜応急の処置を行うように」

と、兄は厳かな声で告げた。そして、

「頼んだぞ」

兄は祈るように桂さんに言った。

「ははっ!」

 桂さんが最敬礼をすると、兄は私の方を向いた。これでいいか、と言っているような兄の視線をしっかり受け止めると、私は黙って頷いた。

※作中の火事の進行方向、延焼面積については実際のものと変更しています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 逆によく「史実とは火災の被害を変更しています」と言えますね。先生の調査力もすごいですし、資料もよく残ってたなあと思います。
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