1923(大正8)年9月2日午前7時30分
1923(大正8)年9月2日日曜日午前7時30分、皇居・観瀑亭。
「んー……疲れが余り取れてないかも……」
朝食用に配布された乾パンをかじり終えた私は、こう言うとあくびをした。昨夜は午後10時前に就寝したけれど、裁可と日光からの使者の到着で2回起こされ、更に余震で何度か目が覚めたので、長時間ぐっすり眠れたわけではない。
「夕べは大変でしたものね。深夜に御裁可があったり、日光からの使者が来着されたり……」
苦笑しながら私に話しかけた平塚さんの横から、
「では、本日の御裁可の書類が来るまでの間、内府殿下はどうぞ休んでいてくださいませ」
と大山さんが言った。
「うん、まぁ、休んでいいなら休むけれど……」
昨晩は、内大臣と内大臣秘書官に割り当てられた和室で、秘書官たちとの間に屏風を立てて寝た。また同じようにすれば、秘書官たちの迷惑にならずに済むだろうか。こんなことをぼんやりと考えた時、
「かしこまりました。それでは俺は内府殿下がよく眠れますように、おそばで子守歌を歌って差し上げましょう」
大山さんがおどけた調子で、こんなことを口にした。
「ちょっと待って。何でそうなるのよ。子守歌なんて必要ないってば」
思わず大山さんに言い返すと、
「おや、お子様方がお小さかった頃は、内府殿下も子守歌を歌っておられたではないですか」
大山さんはなぜか真面目な表情になって私に更に反論する。
「いや、だから、子守歌というのは、子供を寝かしつけるために歌うものであって、私みたいな大人を寝かしつけるために歌うものじゃないの。大山さん、それ、ちゃんと分かってる?」
「もちろん分かっておりますとも。ですが、俺は内府殿下の御幼少のみぎりから、内府殿下のおそばに侍らせていただいております。ですからつい、内府殿下の子守をしたくなってしまうのです」
気が付くと、松方金次郎くんが、畳に突っ伏して笑っている。東條さんもお腹を抱えて大笑いしているし、平塚さんもクスクス笑っている。私が唇を尖らせて大山さんを睨むと、笑い声が一層大きくなった。
と、
「章子、いるか?」
廊下から兄の声がした。室内にいた全員がその場に素早く正座したのを確認してから「はい」と返事をすると、兄が自分で障子を開けて部屋に入ってきた。
「陛下、どうしたのですか?」
兄に向かって頭を深く下げてから私が尋ねると、
「ああ、お前に用事を言いつけようと思ってな」
夏用の白い軍装を着た兄はそう言いながら、私の目の前で胡坐をかいた。
「だったら、侍従さんに言いつけて、私を御座所に呼べばいいじゃない」
「そうなのだが、気分転換をしに外に出たくなってな」
私の指摘に、兄はこう返してニコニコと笑う。
「それに、今、侍従と侍従武官は手薄なのだ。何人か、東京市内の状況の視察と慰問に向かわせたからな」
「ああ、そうなんだ……。どのあたりに派遣しているの?」
「まず、皇居の近場からだな。麹町、日本橋、神田、京橋、牛込、四谷、赤坂……この7区に行かせた」
この時の流れでは、東京都心部に東京市がある。東京市は麹町・神田・日本橋・京橋・芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷・下谷・浅草・本所・深川の15区で構成されているけれど、兄はその15区の半分ほどに侍従さんたちを派遣したようだ。
「本当は、もっと多くの場所に侍従たちを派遣したいが、まずは歩いて行けるところからだ。横浜や川崎は、交通機関がどうなっているか分からないからな……」
「そうね……だけど兄上、じゃない、陛下、私に言いつけたいことって何?」
東條さんたちがいるのに、普段と同じような言葉遣いで兄と話していたから、“陛下”と言わなければならないところをうっかり“兄上”と言ってしまった。訂正しながら私が尋ねると、
「ああ、お前にも、見に行って欲しいところがあってな」
と兄は答える。
「いいけど……病院関係かな?」
「違う違う、範子たちのところだ。特に、佐紀子と和彦のことが心配でな」
昨日の夕方に避難してきた山階宮菊麿王殿下の妻・範子妃殿下などの山階宮家の人々には、安全の確認が取れた表御殿の化粧の間にいてもらっている。電気はストップしているので、夜の灯りはロウソクと石油ランプに頼ることになるけれど、天幕の下で地べたに毛布を敷いて寝るよりはマシだという判断からである。宮内省の職員たちも、東溜の間など、表御殿の安全確認ができた部屋で仮眠を取っていた。
「……確かにそれは、私が行く方がいいかもね」
私はそばにあった診察カバンの取っ手を掴んだ。「まかせておいて。ちゃんと診てくるから」
「待て、章子、診察まではしなくていい。昨日の侍医たちの報告では、佐紀子にも和彦にも異常は見られなかったということだったぞ」
慌てて私を止めた兄の後ろから、
「内府殿下が御自ら診療にあたる必要はないでしょう。今や内府殿下は天皇陛下を常時輔弼なさる大切なお役目を担っておられるのです。医師としての技能を発揮されるよりは、内大臣として山階宮妃殿下や若宮妃殿下のお見舞いをなさるほうが重要かと存じます」
大山さんも兄に加勢して私を止める。
「……分かったよ。じゃあ、診察カバンは置いていく」
私がカバンの取っ手から手を離して立ち上がると、
「平塚どの、内府殿下の護衛をお願いいたします」
大山さんが平塚さんに声を掛ける。「はい」と返事して立った平塚さんは、廊下に面した障子を開けた。
「そうだ、章子」
平塚さんに続いて廊下に出た私に、後ろから兄が声を掛ける。
「南溜の前を通るだろう。何か目新しい情報がないか、ついでに聞いてきてくれないか」
表御殿の南溜の間には、現在、宮内省の一部の部署が移転している。東車寄から表御殿に入って真っ直ぐ化粧の間に向かうと、必ず南溜の間の前を通るから、兄は私にそう言いつけたのだろう。
「分かった。じゃあ行ってくるわ」
私は兄に向かって軽く手を挙げてから、そのまま平塚さんの後ろをついて歩き、観瀑亭を出た。
1923(大正8)年9月2日日曜日午前7時55分、皇居・表御殿。
「市内の火事がすべて消し止められてよかったですわ」
東溜の間の前の廊下を歩きながら、平塚さんが笑顔で私に言った。
「そうですね」
平塚さんは、先ほど、南溜の間の宮内省の職員さんから聞いた戒厳司令部からの報告のことを言っているのだろう。私は平塚さんに機械的に応じながら、
(その報告だけだと、まだ安心できないわね……)
と思い、軽く顔をしかめた。そんな私の顔を見た平塚さんが、「内府殿下、いかがなさいましたか?」と私に心配そうに尋ねる。
「ああ、ごめんなさい。まだ大雑把な報告だけですから、手放しで喜ぶのはまだ早いなと思って」
「ええと、どういうことでしょうか?」
「鎮火はしたけれど、どのくらいの面積が焼けてしまったかという報告はありませんでしたよね」
首を軽く傾げた平塚さんに私は説明を始めた。
「それから、火災で失われた主だった建物や、焼死した人がどのくらいいたかということも報告にはありませんでした。その情報がないと、火災でどのくらいの損失が出てしまったのか推測することはできません。あとは、これは直接火災とは関係ないですけれど、道路や鉄道の損壊状況も知りたいですね。今の東京市内にはたくさんの物資が必要ですけれど、道路や鉄道が損壊していれば、物資を東京に入れることができません。それから、水道・電気・ガスの復旧状況も、市民の生活の再建には重要な情報です。……まぁ、このあたりは、後で桂さんや山階宮さまが教えてくださると思いますけれど」
東京市の火災が“史実”より大きくならないで済んだのかどうかは、斎藤さんに聞かないと分からない。少なくとも、圧死者は“史実”より減らせたのは間違いないと思うけれど、焼死者の方はどうなのか。
(今回焼けたのだって相当な面積だろうから、焼け跡の捜索には時間が掛かる。被害が確定するまで、どのくらいの期間が必要なのかしら……)
そんなことを考えながら化粧の間に向かって歩いていると、
「イヤです!」
その化粧の間から女性の叫び声が聞こえた。私は平塚さんと顔を見合わせると、すぐさま化粧の間に向かって走った。
化粧の間の扉は開いていて、中に5、6人の男女がいるのが見えた。椅子に座り、和彦王殿下を抱いているのは佐紀子女王殿下だろう。彼女の後ろに和彦王殿下の乳母らしき女性と、佐紀子さまの義理の弟の山階芳麿伯爵が立っていて、佐紀子さまを心配そうに見ていた。
「佐紀子さん、そんなことをおっしゃらないで、牛乳をお飲みくださいな」
佐紀子さまの前に座る範子さまが、佐紀子さまに懇願するように言ったのに対し、
「それはいけませんわ、お義母さま!」
佐紀子さまは勢いよく首を左右に振って拒否した。よく見ると、2人の間にはテーブルがあって、その上にコップが2つ乗せられている。コップには両方とも牛乳が入っていた。
「だって、お義母さまと芳麿さんの分のお食事には、牛乳がついておりませんでしたもの!それなのに、私だけ牛乳をいただくわけには参りません!この牛乳は、どうか、お義母さまがお飲みください!」
(ああ、そういうことか……)
佐紀子さまの言葉で、何となく、事情が推測できた。これはきちんと佐紀子さまたちに説明しなければならない。私は「失礼します、入りますね」と言いながら、化粧の間に足を踏み入れる。人がいるとは思っていなかったのか、室内の人々が私の声を聞いて一斉に目を丸くし、私に向かって最敬礼した。
「ごめんなさい、少し話を聞いていました」
私はそう言うと、佐紀子さまの前に片膝をついた。慌てて立ち上がろうとする彼女を「どうぞそのまま」と制してから、
「佐紀子さま、牛乳を飲みたくないとおっしゃったのは、朝食に出されたものが範子さまや芳麿さまと同じなのに、自分と乳母さんの朝食には更に牛乳もつけられていたから……ということでいいのかしら?」
私は彼女に確認した。
「はい、内府さまのおっしゃる通りです」
佐紀子さまは硬い表情で頷いた。「お義母さまも、子宮の全摘という大変な手術をなさったのですから、栄養のあるものを摂取していただいて、お身体を労わっていただきたいのに、私と乳母の食事にだけ牛乳がついていたので、動転してしまって……」
「その牛乳はね、佐紀子さまと乳母さんが飲まなければいけないものです」
私は佐紀子さまに優しい声で告げた。
「そんな!内府さままで……」
「落ち着いて、これは医学的な根拠があってのことです」
目を見開いてしまった佐紀子さまを、私はじっと見つめた。
「授乳期の女性は、赤ちゃんのためにお乳を自分の身体で作らないといけません。だから、普段身体を動かすのに必要な熱量とは別に、赤ちゃんのお乳のための熱量も摂取しないといけないのです」
「……」
「こういう緊急事態の食事に関しては、皇居の場合、妊娠している女性と授乳期の女性には他の人より余計に配給することにしています。今回は牛乳が手に入ったから、牛乳をつけさせてもらいました。この牛乳は、佐紀子さまのための牛乳でもあるけれど、和彦さまのための牛乳でもあるのです。最初にそのことを佐紀子さまに伝えていなかったから驚いたかもしれないけれど、そういう事情ですから、自分だけもらって申し訳ないと思わずに、どうか飲んでくださいませ」
私はテーブルの上のコップを手に取り、佐紀子さまに差し出した。「さ、妃殿下」と言いながら、横から乳母さんが佐紀子さまの腕から和彦さまを受け取る。佐紀子さまは意を決したように私の手からコップを受け取り、牛乳を口にした。
化粧の間に張り詰めていた空気が緩んだのを確かめると、「乳母さんも、牛乳を飲んでくださいね」とお願いしてから私は立ち上がった。扉の前にいた平塚さんを促し、化粧の間を出て4、5歩歩いたところで、
「内府殿下!」
と後ろから声を掛けられた。振り向くと、扉の前に佐紀子さまの義弟・山階芳麿伯爵が立っている。彼は深く頭を下げると、
「誠に……誠に、ありがとうございました」
と私にお礼を言った。
「気にしないでいいですよ。最初に説明しなかったのが悪いのですから」
私はこう応じたけれど、芳麿さまは少し顔をしかめたまま反応を示さない。「どうしましたか?」と尋ねてみると、
「申し訳ございません、内府殿下。自分の不甲斐なさが、情けなくなってしまって……」
芳麿さまはこう答えてうつむいた。
「不甲斐ないって……そんなことはないと思いますけれど」
父親と兄が軍務で不在のところ、ちゃんと母親と兄嫁に付き添い、彼女たちを守っているのだから、芳麿さまは胸を張っていいだろう。そう思いながら私が芳麿さまに応じると、
「……僕は臣籍降下した後、国軍を退役して、東京帝国大学に入りました」
彼は暗い声でこう言った。彼は皇族であった頃、幼年学校から機動士官学校に進学し、機動少尉に任官したのだけれど、1920(大正5)年の満20歳の誕生日に臣籍降下して国軍を退役し、長年の夢であった鳥類の研究をするために、翌年の9月に東京帝国大学理科大学に入学した。
「皇族という身分に縛られていてはできなかった鳥類の研究をしようと考えて帝国大学に入りましたが、この大災害を前にして、軍を退役せずにいたら、もっと世間のお役に立つことができたのではないかと思ってしまって……あの時の自分の選択が間違っていたのではないかと、今更ながら悔やむ気持ちが出てきたのです」
「そうなのですか。……優しくて、責任感が強いのですね、芳麿さまは」
芳麿さまに微笑して言ってみると、彼は恐縮したように頭を下げた。
「確かに、軍人でなければできない人助けだってありますよ。でも、軍人ではできない人助けだってあります。だから、できることをやればいいと思うのです。自分の立場のせいでできないことはたくさんありますけれど、自分の立場だからできることもたくさんあるはずです。私に言わせれば、この大災害の中、お母さまとお義姉さまのそばについていてあげるのも、立派な人助けですけれどね」
「はっ……」
「まぁ、これは年上の戯言と思って、聞き流してくださっていいですよ。では、ごきげんよう」
少し出しゃばり過ぎたかもしれない。私が一礼して踵を返すと、
「あのっ」
芳麿さまが私に声を掛けた。再び振り返ると、
「ありがとうございます。……自分でも、少し考えてみます」
彼はこう言って、私に最敬礼をした。




