1923(大正8)年8月31日
1923(大正8)年8月31日金曜日午後3時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「本来休日の、しかも、天長節というめでたい日に、明日の凶事の話を申し上げなければならないのは、誠に心苦しいのでありますが……」
兄の前で恐縮したように頭を深く下げた内閣総理大臣の桂さんのそばには、3人の男性がいる。宮内大臣の牧野さん、内務大臣の後藤さん、そして、国軍大臣の山本権兵衛さんである。
「別に構わない。必要なことだからな」
今日で満44歳になった兄は、穏やかな口調で桂さんに答えた。「わたしが1つ年を取ったことよりも、明日の震災で、どれほど多くの国民を助けられるかの方が重要だ。だから、現在の状況を、ありのままに報告して欲しい」
兄の言葉に、居並ぶ大臣たちは一斉に最敬礼する。兄の横に立つ私も、兄に向かって頭を下げた。
「では、まず、一般的な状況につきまして、権兵衛と後藤君からご説明申し上げます」
桂さんがこう言うと、後藤さんと山本国軍大臣が頷き合う。そして、山本国軍大臣がまず口を開いた。
「国軍に関する報告事項でございますが、相模湾、東京湾沿岸の封鎖については、今日の正午をもって完了しました。伊豆半島東部、そして三浦半島の海沿いにある別荘は、兵の詰所に充てるという名目で借り上げて封鎖しておりますが、地震と津波で損壊しなかった場合は、周辺住民の避難所や、復旧支援にあたる国軍将兵の兵舎として活用する予定です」
「うん」
兄がゆったりと頷くと、
「横須賀港の艦艇は、明日の午前中には伊豆半島の西に退避を終えます。状況が落ち着き次第、相模湾・東京湾に入り、復旧支援を行う予定です。また、第1軍管区、第3軍管区の兵も、明日午前中に配備を終えます。山階宮殿下の御献策を受けまして、東京市、特に下町方面と、神奈川県の横浜市、川崎町に兵を多く配備することといたしました」
山本国軍大臣は更に報告を続け、一度言葉を切った。
「……下町はもちろんですけれど、横浜も川崎も、家が密集しているところですね」
兄が口を開かないので、沈黙に耐えかねた私はこう言った。
「はい。山階宮殿下が、“史実”での関東大震災のことをお聞きになり、“10万人以上の死者が出る大きな要因は火災だろう。今回、圧死者と溺死者は避難によってそれなりに減らすことができるから、火災の対策に注力すべきだ”とおっしゃいまして……それで、この3か所に兵を多く配置することとなりました」
(ああ、山階宮さまを引き込んでおいてよかったわね)
山本国軍大臣の答えを聞いた私はホッとした。第1軍管区の司令官……すなわち、山階宮菊麿王殿下には、関東大震災のことを伝えるほうがいいと5月に山本国軍大臣に提案された。関東大震災のことが他の人たちに漏れてしまわないかと不安だったけれど、今のところ、菊麿王殿下は秘密をしっかり守ってくれている。これなら、明日以降、国軍は万全の状態で動くことができるだろう。
「……分かった。国軍からは他に何かあるか?」
兄の声に、山本国軍大臣は「いえ……」と答えながら軽く頭を下げる。「続いて、内務省からご報告申し上げます」と声を上げたのは後藤さんだった。
「各地方では、“防災訓練”の準備が着々と進んでおります。特に東京・神奈川・千葉・静岡の4府県では、“防災訓練”に力を入れて行うよう指示しています。なお、例年通り、訓練が行われる午前11時40分から正午までは、電気・ガスは止めますが、本年は例年以上に、かまど・七輪の火は始末して防災訓練に参加するよう、市民にも強く呼びかけています」
兄が即位して以来、毎年9月1日の防災の日には大規模な防災訓練が行われている。住宅地では、在宅している住民のほぼ全てが訓練に参加するけれど、繁華街、特に飲食店街ではそうもいかない。訓練の最中にも、昼の稼ぎ時に向けて調理の手を止めない飲食店は多数あるのだ。今回はそのような店にも、防災訓練への参加を要請するようだ。飲食店が呼び掛けに応じるかどうかは分からないけれど、火事の火元を1つでも減らすために、できることはやらなければならない。
「なお、鉄道・市電・バスは、例年通り午前11時40分から正午まで運行を取りやめます。本年は“軍事訓練”によって相模湾・東京湾沿岸への立ち入りが禁じられておりますから、鉄道の乗降客……特に相模湾・東京湾に向かう行楽客は大幅に減ると予想されます」
「そうか」
「震災発生まであと24時間を切りましたが……可能な限り、事態を改善するよう努めます」
兄が相槌を打つと、後藤さんは改めて決意を述べて頭を下げた。
「最後に、皇族の方々につきましてご報告申し上げます」
今度は、宮内大臣の牧野さんが兄に向かって一礼した。
「久邇宮殿下のご一家が新潟県の赤倉に、内府殿下と若宮殿下以外の有栖川宮殿下のご一家が福島県の翁島にご滞在中です。東京に本邸がございますその他の皇族方のほとんどは、各々の赴任地で軍務に就いておられるか、皇太后陛下と皇太子殿下の“園遊会”のお誘いに従って日光にご滞在中です」
牧野さんがここまで言った時、
「梨花」
兄が突然私を呼び、
「お前の母上は……花松どのはどうなった?」
と心配そうな顔をして尋ねた。
「ど、どうしたのよ……。さっきまで殆ど黙ってたのに、急に話しかけられたからびっくりしたわ」
「何、国民のことは桂総理たちに任せてあるが、皇族に関係することは俺が出て行かないと解決しないこともあるからな」
兄は私に微笑んで答えると、
「それより、花松どのはどうなっている?先日、翁島に行くのを渋っていて、説得に難儀しているとお前から聞いたが?」
再度私に母のことを質問した。
「……お母様にお願いして、日光に呼んでもらったわ」
私はなるべく穏やかな声で兄に答えた。「母上も震災のことは知っているんだけどね。ただ、どうしてもお義父さまやお義母さまに遠慮して、翁島に行きたがらなかったの。でも、お母様のそばには、昔馴染みの早蕨さんや小菊さんもいるでしょう?それでようやく、重い腰を上げてくれたの。心配してくれてありがとう、兄上」
早蕨さんは兄の実の母、そして小菊さんは私の弟妹たち全員の母親で、2人とも、今は女官としてお母様に仕えている。彼女たちの他にも、お母様のそばには、お父様が生きていた頃からお母様に仕えていて、母と仲がいい女官たちが何人もいる。私の婚家の人々に遠慮しながら過ごすより、気心が知れた人たちと過ごす方が、母にとっては気楽なのだろう。
(実の祖母なんだから、本当は、もっと万智子たちの顔を見に来て欲しいんだけどねぇ……)
私がこっそりため息をついた時、
「しかし、東小松宮殿下のご一家と、山階宮殿下のご一家は、東京に残っておられます」
牧野さんが、私と兄の会話に割って入るように言った。
「そうだったな」
兄が即座に牧野さんに応じた。
栽仁殿下と国軍大学校の同期で親友でもある東小松宮輝久王殿下には、私の末の妹・多喜子さまが嫁いでいる。7月末に東京帝国大学理科大学を卒業した彼女は現在妊娠していて、出産予定日は9月末から10月上旬だ。いつ陣痛が始まってもおかしくない状況で、日光への移動を強いることはできず、多喜子さまは輝久殿下と一緒に東京の自邸に残っていた。
また、菊麿王殿下の妻で節子さまの姉でもある範子妃殿下、菊麿王殿下の長男・武彦王殿下の妻である佐紀子女王殿下も、東京の本邸にいる。8日前の8月23日に、佐紀子女王殿下が武彦王殿下との第1子・和彦王殿下を出産したのだ。産後10日も経っていない佐紀子女王殿下に、東京から日光までの長旅をさせるのは危険だ。という訳で、佐紀子女王殿下と和彦王殿下は東京に残り、嫁と初孫の世話をするために範子妃殿下も一緒に東京に残っていた。
「防災訓練名目で、震災の発生時には外に出ているから、建物に潰されることはないけれど、問題は火事に巻き込まれないかね。万が一の時には、皇居に避難してもらわないと」
私が兄に話しかけると、
「内府殿下の仰せの通り、手配してございます」
牧野さんがそう言って一礼した。
「うん、皇居には医療棟もあるし、侍医たちもいるからな。多喜子と佐紀子の診察もできるだろう」
頷いた兄は、
「多喜子と佐紀子だけではない。以前にも言ったが、皇居前の広場に逃れてきた人々の中に怪我や病気の者がいたら、侍医たちに治療させろ。せっかく梨花が建ててくれた医療棟、こういう時に使わなければもったいないからな」
と牧野さんに命じた。
「はい、そちらも滞りなく準備しております。誠にありがたき思し召し……感謝申し上げます」
牧野さんが兄に向かって最敬礼した時、障子を隔てた廊下から、「陛下、よろしいでしょうか」と声が掛けられた。内大臣秘書官長の大山さんだ。「入ってよい」という兄の返事を聞いて御学問所に足を踏み入れた大山さんは、
「中央気象台から、明日の予想天気図が届きました」
と言って、兄に1枚の紙を捧げる。目を通した兄が、「皆、近くに寄ってこの天気図を見てくれ」と言いながら、私たちを手招きした。
「これは……」
私は机の上に置かれた明日正午の予想天気図を覗き込み、息を呑んだ。佐渡島の南の日本海上に中心がある低気圧は、恐らく、今朝は九州北部にあった台風のなれの果てだろう。そこを中心として引かれた等圧線の間隔は、かなり狭いように見える。
「明日の東京、風がかなり強く吹くんじゃない?」
私の問いに「ええ」と答えて首を縦に振ったのは大山さんだった。
(そうか……)
関東大震災では、焼死者が多かった……前世でチラッと聞いた記憶がある。それがなぜなのか、深く考えることが無かったけれど、今、その理由の一部が分かったような気がした。昼食前の火を使う時間帯に木造住宅の密集地で発生した火災は、強い風に煽られて速い速度で燃え広がったのだろう。
(だから“史実”の関東大震災では、焼死者が多くなって……)
背筋を寒気が這い上がった時、
「……山階宮殿下のおっしゃっていた通りになりましたな」
私と同じように予想天気図に視線を注いでいた桂さんが唸るように言った。
「先日、内密の会合を持った時に、山階宮殿下がおっしゃっていたのです。“多人数が一時に亡くなる原因は、やはり火事だろう。火を使う時間帯に地震が発生するというのも大きいと思うが、そこに、数日間雨が降らずに空気が極度に乾燥していたとか、台風が日本付近を通過して風が強くなったとか、そういった気象上の悪条件も重なってしまえば、住宅密集地での火事の被害は際限なく大きくなる”、と……」
「なるほど……気象の話が出てくるのは、菊麿らしいな」
兄は予想天気図に視線を固定したまま呟くと、
「菊麿の所にこの予想天気図があるかどうか確認して、もし無いようなら届けてやれ」
と大山さんに命じた。士官教育の一環で、天気図の読み方は教わるし、そもそも、菊麿王殿下の趣味は気象観測だ。この予想天気図を見れば、明日の東京が火事が広がりやすい状況にあることはすぐに把握できるだろう。
(それにしても……)
大山さんが兄に応じる声を聞きながら、私は両眼を閉じた。背筋を駆け上がった寒気が、いつまでも消えてくれなかった。
※今回参照にしたのは、内閣府の防災情報のページにある「歴史災害の教訓報告書・体験集」(https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/saikyoushiryo.htm)の関東大震災の資料になります。次章はこの資料をベースに他の文献の記述を参考にしながら書く形になると思います……が……書けるのかねぇ……(資料の厚みにダウン寸前の作者)




