米と将棋と李鴻章
※誤字を修正しました。(2023年5月6日)
1892(明治25)年、7月初め。
「じゃあ……やっぱり、李鴻章さんって、“史実”ではこの時期に日本に来ていないんですね?」
「その通りだ」
私の質問に答えながら、原さんは、自陣の駒組に手を入れた。
今、私と原さんは、テーブルの上に置いた将棋盤を挟み、将棋を指している。畳の上で座って対局するなら、足つきの盤を使うのがいいのだろうけれど、それをテーブルの上で使ってしまうと、私の今の身長では、盤面が見えなくなってしまう。なので、足のない将棋盤を買ってもらった。私の横の椅子には、大山さんが掛けていた。
「そうなんですか……参内したら、見慣れない格好の人がぞろぞろ歩いてきたから……。一応、あいさつはして、ちょっとお話ししましたけれど」
昨日、お母様に呼ばれて参内したら、廊下の向こうから、前世で父親が見ていた、中国のホラーアクションコメディ映画に出てくるような格好の人たちが、ぞろぞろ歩いてきたのだ。びっくりしたけれど、すぐに、清から李鴻章さんが来ていることを思い出して、天皇に拝謁した帰りに出会ったのだろう、と見当を付けられた。
中国語なんて、你好しか知らないから、彼らとすれ違った時の挨拶は日本語でやった。そのあと、通訳さんを介して少し話をした。
「さようでしたか。それはようございました」
私の横で、大山さんが微笑しながら頷いた。
「李鴻章さんたちに、すごく喜ばれたんだけど……一体なんでだろう?」
「喜ぶのは当然だな。あなたの中身を知らなければ」
原さんがため息をつきながら言う。「こんなお転婆で、医学の天才だと知れば、誰でも震え上がるだろう」
「持って生まれた気性を、今更変えるわけにはいきませんね」
「それもそうだな」
原さんはニヤリと笑うと、両腕を組んだ。「で、指したぞ。次の手はどうするのだ?」
「あ、はい……うそ、こう来たか……」
私は、盤面を睨みつけた。
ここ数か月、私は、原さんと将棋を指している。こうなったのには、ちょっとした事情があった。
皇太子殿下は将棋が好きで、私を相手に、毎晩のように将棋を指す。それだけでは飽きてしまうようで、誰か将棋が指せる大人がいないか……となった時、原さんに白羽の矢が立ち、彼は皇太子殿下の将棋の相手をするため、時々花御殿にやってくるようになった。どうやら、この人選には、大山さんの力が働いたらしい。確かに、“史実”の記憶を持つ原さんと、周囲に怪しまれずに接触できるから、彼が皇太子殿下の将棋の相手をして、ついでに私に会うこと自体は、私も賛成だ。
ところが、
――あなたが余りに将棋が弱くては、良くない。皇太子殿下のお相手をするには、将棋の技量も必要だと思うが、主治医どの?
と原さんが言い出して、皇太子殿下のお相手をした後、私の居間に寄ると、必ず私との対局を要求するようになったのだ。
前世では、将棋を指したことは一回もないから、花御殿に引っ越したばかりの頃、皇太子殿下に駒の動かし方から教わった。今では、少しは指せるようになったけれど、皇太子殿下よりはもちろん弱いし、原さんよりはもっと弱い。最初は、原さんに駒を6枚落としてもらっても、全然勝てなかった。最近は、6枚落ちでは、運が良ければ原さんに勝てるようにはなってきたけれど……。
「うーん……でも、李鴻章さん、なんで日本に来たのかしら」
私は、銀を角の右横に上げた。「日清戦争の発生を阻止するためってことですか?」
「まずそこになろうが……どこまで話し合うつもりだ?」
原さんが歩を、私の角のすぐ前に置くと、
「正式に、日清修好条規を改正するためですよ」
私と原さんの対局を見ていた大山さんが言った。
「な……!」
原さんが口をあんぐりと開けた。
「そして、同盟も結ぶ運びです」
「はい?」
大山さんの台詞に、今度は私が倒れそうになった。
「ちょっと待って、そんなの、新聞には載って無かったですよ」
“史実”で日本が最初に外国と同盟を結んだのって、1902年の日英同盟が最初じゃなかったっけ……?
すると、
「無論です。秘密同盟ですからね」
大山さんが言った。
「秘密……同盟?」
「下準備自体は、昨年、北洋艦隊が来た時から始まっていましたが」
私が“国軍三羽烏”に、前世のことを話したあたりのことだろうか。
「何と……李鴻章が秘密裏に昨年東京に来たことは、山縣から“口外するな”という条件で聞かされたが……防穀令事件の解決とともに、それも目的にしていたか。しかし、よく清が同盟など決心したな。周りの国を、自らより格下に見ようとするあの国が……」
「今年の初めに、西太后が亡くなりましたからな」
原さんの言葉に、大山さんが答える。「何人か殉死者も出たようですが、今は光緒帝の下に臣下も一つにまとまり、徐々に新しい国に生まれ変わろうとしているようです」
「確かに、西太后が亡くなったとは聞いたのだけれど……」
私は首を傾げた。「“史実”だと、もう少し生きていましたよね、原さん?」
「ああ」
原さんが頷いた。「確か、日露戦争の後、光緒帝の後を追うように死んだ記憶がある。光緒帝が自分の死後に生き残っていると、光緒帝に自分のやったことを否定されてしまうと恐れて、光緒帝を毒殺したという話もあったな。西太后に仕える宦官や、袁世凱が皇帝を毒殺した、という説も出ていたが……」
「こ……皇帝を毒殺?!」
西太后が悪女だという話は、前世でもちょっとだけ聞いたことがあるけれど……。
「あれ、でも待って、嫌な予感がする……」
「嫌な予感、とは?」
原さんの質問に、私は大山さんを見つめた。“何か思い悩むことがあれば、話してほしい”とは言われたけれど、原さんの前で話して、大丈夫なことだろうか?
大山さんは私の視線に気づくと一つ頷いて、私を励ますように見つめた。
(話していい、ってことかな?)
「西太后……暗殺されたんじゃ……」
私の言葉に、
「恐らく、そうだろうな」
原さんが頷いた。「光緒帝派の誰かがやったのだろうとは、一報を聞いて、考えてはいたのだが……、今の話を聞くと、李鴻章がやったか。意外ではあるが……」
原さんはそう言うと、大山さんの方を見た。
「けしかけたのですか?李鴻章を」
「さあ、昨年の交渉の席で、具体的に何が話し合われたかまでは……」
大山さんは微笑して答えた。「流石に、紫禁城の奥のことまではわかりませんよ」
(いや、知ってるだろ、絶対!)
私は心の中で大山さんに突っ込んだ。中央情報院の息がかかった人たちが、清に侵入している可能性は十分にある。
「あの……殉死者が出た、というのも、本当に殉死?」
恐る恐る大山さんに尋ねると、「存じませんなあ……」と、彼は微笑するばかりだった。
(絶対殉死じゃないわ、これ……)
大山さんの微笑の裏にある真実に、震えあがっている私の前で、
「なるほど……洋務運動を続けさせ、変法自強運動で成しえなかった、清の政治体制の転換まで持っていき、清を立憲君主制の国に生まれ変わらせる、ということですか」
原さんが静かに言った。「そしてロシアに対して、清と共同して当たると……イギリスも将来、加わらせるのでしょうな。義和団事件が起きなければ、更に上々と言ったところですか」
「そちらも既に、手は打ち始めているところでしてね」
大山さんが答えた。「原どのの記憶のおかげですな」
(ええと……)
確か、義和団が生じた背景に、日清戦争後、特に顕著になった中国大陸への列強の進出や、中国国内でのキリスト教徒と非キリスト教徒の対立があったと、原さんからも聞いたけれど……。
「まず、日清戦争が起きなければ、列強の清への進出意欲も薄れる。あとは……キリスト教を強引には布教させないってこと?けど、どうやって……」
私は腕を組んだ。盤面の角を、原さんの手から逃れさせる手段が、どうしても分からない。
「それは既に考えているのでしょう、総裁閣下?」
原さんが呼びかけると、大山さんは微笑した。
(原さんも知ってるのか、大山さんが中央情報院の総裁だってこと……)
私がちらりと原さんを見やると、
「……で、分からないのか?この局面が」
原さんがニヤニヤする。
「どうしても、角を逃がす手段がね……渡したら、こちらが詰んでしまいそうだし……もう少し考えてみる……」
私は盤面に視線をやって、また原さんを見た。
「……でも、日清戦争が起こる原因って、朝鮮の甲午農民戦争ですよね?それはどうするんですか?」
「どうしようもないだろう」
原さんがため息をついた。「前世でもそうだったが、朝鮮では、やはり役人の間で賄賂が横行し、政界が腐敗しきっている。“史実”通りに、甲午農民戦争は発生するだろうな。あなたの“史実”の記憶でも、防穀令のことは、根本的にはどうにもならなかっただろう?」
「まあ、確かに自然が関わっていることでもあったから……」
防穀令事件というものが、1889(明治22)年に起こって、日本と朝鮮の関係がこじれた、ということがあったのを覚えていたので、それは“授業”の時に“梨花会”のみんなに伝えていた。だから、日本政府も、日本の商人には、無茶な穀物の確保をしないように命令して、更に、朝鮮の地方官にも「防穀令を出すときは、1883(明治16)年に制定された“朝鮮国に於いて日本人民貿易の規則”に基づいて、発する一か月前に出すことを通告するように」と念を押し、防穀令が出た時の混乱を少なくしようとしたのだけれど、それなりに取引現場で混乱が出てしまった。しかも、“史実”であったのか無かったのか分からないけれど、防穀令を出した朝鮮の地方官の中に、防穀令を利用して朝鮮国内での穀物相場を操作し、それで一山儲けようとした奴がいたらしく、それも混乱を拡大させた。
原さんに言わせれば、“一応、防穀令発動の1か月前に通告は出たし、無茶なやり方で米を確保することが禁じられたから、まだ日本の被害は少なくて済んだがな”ということらしい。“史実”では日清戦争の前年までもつれ込んだ防穀令事件の解決が、李鴻章さんが介入したおかげで既に去年成された、というのも、上出来なのだそうだ。
「わたしが最初から関わっていたとしても、あの事件を起こさせないようにするのは無理だ。今、日本では食料増産が追い付かず、海外から米を輸入しているという現状がある。しかも、朝鮮の米は値段が安い。我が国が買わずとも、清やその他の国が、あの国の米を買い漁るだろう。まあ、そんな安い米でも、朝鮮の庶民の口には入らない。我が国が米の輸入に対して関税を掛けた結果、朝鮮国内で米の流通量が増え、米の値段が多少下がったとしても、その状況は変わらないだろう。……甲午農民戦争は“史実”通り起きる。ただ、その後の日清のにらみ合いが無ければ、日清戦争は起こらないという訳だ」
「なるほど……」
私は、原さんのセリフについていこうと、必死に頭をフル回転させた。角を生かす手順を考えるのは、相手の言葉の意味をきちんと理解し終えてからだ。
「でも、朝鮮から安いお米が入ってこなければ、日本のお米の値段は上がりますよね?」
「その通りだ。まあ、南京米を輸入するという手はある。独特の匂いがあるし、パサパサして食べづらいがな」
「南京米って……インディカ米のことですか?粒が日本のお米より長細いやつですよね?」
「知っているのか?」
原さんが目を丸くする。「意外だな。あなたの時代でも、普通に食べているのか?」
「ええと……普通に、というよりは、特別な機会に、という感じですね。インドやタイの料理を出すお店で食べました。あれって、ピラフやチャーハンにしたり、カレーと混ぜて食べたりするのがおいしいんですよ。原さん、もしかして、日本のお米と同じようにして炊いて食べてましたか?」
「……よくわかったな」
「前世で、ちょうど私が生まれたころぐらいに、冷害でお米が不作だったことがあって、タイからインディカ米……あなたの言う南京米を輸入したことがあったんです。祖母が“普通にタイ米を炊くと、皆に“においがきつい”と文句を言われたから、あの頃は毎日カレーかピラフを作ってた”って教えてくれましたね。あと、その時は、日本産のお米が手に入ると、麦を混ぜて麦飯にして、少しでもお米を節約していたとも聞きました」
――戦争が終わった直後の頃と比べりゃ、あんなことぐらい、どうってことなかったさ。
戦前生まれの前世の祖母は、そう言って笑っていたっけ。
「麦飯か。それも一つの手なのだ。今の時代、麦も、米の3、4割程度の収穫量がある。それゆえ、わたしも総理大臣の時に、麦飯を推奨したことがあった……ただ、白い飯に憧れて都市にやってくる者も多いこの時代だ。今更麦飯を食べろと言われても、なかなか納得できないだろうな」
「私の時代だと、玄米ご飯もそうだけれど、麦や雑穀を混ぜたご飯も、“健康にいい”ということで、嫌がらずに進んで食べる人も結構いましたよ」
「なるほど、価値観は時代で変わるものなのだな」
「そうですねえ……」
ようやく角を生かす筋が分かって、私は角の右横の銀で、角頭の歩を取り払った。
「ああ、そうか、麦飯も、確か脚気予防にいいのよね。玄米は脚気予防によいということは実証したけれど、麦に関してはまだ実験をしていないから……次は米と麦を混ぜた飼料で脚気のニワトリを育てて、経過を見るという実験をしてもいいのかもしれませんね。麦飯での脚気予防効果が実証されれば、“健康食”として価値が出て、日本国内でのお米の消費量を減らすことにつながるかもしれません。でも、この時代の価値観で、その概念が受け入れられるかな……?それに、やっぱり根本的には、収穫量を増やすのが一番だから、植物の品種改良をしないといけないですね。冷害や病気に強かったり、収穫量が多かったりする稲や麦。それから、肥料や農薬も開発しないといけない。農地そのものの改良もして、……ああ、そうしたら、農地の区画整理のついでに水路もコンクリート化できるから、ミヤイリガイの繁殖は少し減らせるかな?それから、蚊やミヤイリガイの駆除もしないといけないし……」
「駆除はいいがな」
原さんが言った。「いいのか、その筋で?」
「へ?」
「こう指せば、詰みだが」
原さんが、私からさっき奪った飛車を盤面に置く。ちょっと前まで銀があった場所を貫いて、飛車は私の王将を狙っていた。
「えっと……玉をこっちに逃げて……じゃだめだ、と金で捕まる。取った駒を使っても……やだ、全然だめ……」
私はため息をついて、駒台に右手をついた。
「負けました。ああ、勝てない……」
「視野が狭いのだ」
原さんがつまらなそうな顔で言った。「大駒に気を取られて、自らの玉を見ていない。時折、攻めが恐ろしく鋭いが……まだまだ、あなたはわたしには遥かに及ばないな」
「うにゃあ……2018年のコンピュータと将棋ソフトがあれば、あなたなんて一発なのに。名人にだって、勝っちゃうんですからね」
「それはそうかもしれないが……たまには、地に足を付けて考えろ。天翔けるだけでは、解決できぬこともある」
「わかっていますけど……駒の利きがどうとか、駒を動かすとどうとか、全然分からなくて……」
私はため息をついた。駒の利きだけではない。飛車の位置や自陣の囲い、形勢判断に攻めの速度の計算……色々な要素が複雑に絡んで混じり合って、将棋は全然分からない。
(大体、こっちの指し手に相手がどう応じて、それにこっちがどう対応するかって……あれ?)
不意に、頭の中で、何かがつながった気がした。けれど、その正体をつかめないうちに、
「まあ、修業を積め、主治医どの」
両腕を組んだ原さんが、見事なドヤ顔で言い放ったので、私は両頬を膨らませたのだった。
※足なしの卓上将棋盤(将棋の朝日杯の公開対局などで使っているあれ)が、この時代にあるのだろうか、とかなり必死に考えてしまいました。この時代、洋間で生活することはあまり一般的ではないので、足つきの将棋盤がメジャーだったのかな、とも思いましたが、縁台将棋も普通にやっていたでしょうしね……。という訳で、このような形にしました。
※さて、これで光緒帝の“史実”と同じ死亡フラグは折れたと思われます。ただ、「殉死」したメンツによっては、某ラストエンペラーが出てこない可能性が出てきましたけどね……。
※防穀令が出た1889年が、朝鮮で豊作だったのか凶作だったのか、さっぱりわかりません……。豊作説も凶作説も両方ある上、信頼できる1次資料が見つかりませんでした。なので、このような展開にしてみました。




