役者
1923(大正8)年5月21日月曜日午後2時30分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「お召しにより、参上いたしました」
あらかじめ人払いされている御学問所に現れたのは、第1軍管区の司令官である山階宮菊麿王殿下だ。彼の表情は、明らかに強張っていた。
「うん」
鷹揚に頷いた兄は、
「まぁ、座ってくれ」
と、菊麿王殿下に、自分の前に置かれた椅子を示しながら言う。
ところが、
「いえ、このままで結構です」
菊麿王殿下は硬い声で兄に答えた。
(あー……)
私はそっとため息をついた。間違いなく、菊麿王殿下は兄のことを恐れている。原因はもちろん、昨年の皇族会議だろう。兄があの時のように激しい怒りを見せたらどうしたらいいのかと菊麿王殿下は怯えている……私はそう感じた。
けれど、菊麿王殿下が椅子に掛けてくれないと、兄は菊麿王殿下が座るまで、ずっと椅子を勧め続けるだろう。そのやり取りが長引けば話が進まないし、兄の機嫌も悪くなる。そこで私は、
「山階宮さま、どうぞ陛下のおっしゃる通りに、椅子にお掛けください」
と菊麿王殿下に穏やかな声で言った。
「そうだ。このままでは話がし辛いから座ってくれ」
兄も重ねて要請すると、菊麿王殿下は「では……」と応じ、椅子に腰を下ろす。それを見ると兄は、
「今日は菊麿に伝えなければならないことがあって、ここに来てもらった」
と言った。
「は……」
軽く頭を下げた菊麿王殿下に、
「章子が幼い頃、未来を予言したという話を知っているか?」
兄は穏やかな声で尋ねる。
「はい、そんな噂をチラッと聞いたことはあります」
菊麿王殿下は答えながら、私に一瞬目をやった。「詳しい内容までは存じませんが、参謀本部は、幼い頃の内府殿下が予言された我が国の壊滅的な敗北を回避するために、極秘裏に研究を重ねているとか……」
(うわぁ……あの話、本当にまだ生き続けてるのか……)
菊麿王殿下の答えを聞いた私は、御学問所から逃げたくてたまらなくなった。
“増宮殿下には天眼がある”……それは私が幼い頃、官僚や軍人たちの間で囁かれていた噂だ。私に“史実”の記憶があると分かった時、梨花会の面々は、その中の戦争に関する情報を参謀本部に流し、作戦を研究するように命じた。参謀本部の人々が不思議に思って梨花会の面々を幾度も追及したため、梨花会の面々は“増宮殿下が予言されたのだ”という理由を彼らに教えて誤魔化した。その結果、私に予知能力があるという噂が広まってしまったのだけれど、30年ほど昔の話だから、もう忘れ去られていると思っていた。だから先週土曜日の梨花会で、
――内府殿下が関東大震災を予言された、ということにすればよいのです。内府殿下が“天眼”をお持ちだという話は、国軍で密かに語り継がれていますからな。
と児玉さんが言い出した時は、“そんなことを山階宮さまが信じている訳がないから、別の策を考えるべきだ”と私は主張したのだけれど……。
(ど、どうしよう、児玉さんの策が普通に通用しそうなんだけれど……)
「ならば話は早いな」
激しく戸惑っている私をよそに、兄は菊麿王殿下に微笑を向けて言った。
「その噂は本当のことだ。この妹は幼い頃、実に様々なことを予言した。医学を修めようと勉学に励んだこともあり、長ずるに及んで予言の力は失われたが、今は元から持つ聡明さでわたしを助けてくれている」
兄の言葉に菊麿王殿下が私に身体を向け、最敬礼をする。
(あああ……ごめんなさい、山階宮さま!私、そんな力なんてありません!)
私は菊麿王殿下に心の中で謝罪した。けれど、謝罪の気持ちを少しでも顔に出してしまうと、山階宮さまが訝しんで、“関東大震災が発生するという情報を、私が予言したことにして山階宮さまに伝えて信じさせる”という作戦が失敗してしまう。
――よいですか、内府殿下。ここで顔に気持ちを少しでも出してしまうと、この作戦は失敗してしまいます。明鏡止水の心境で、下界を冷徹に見下ろす神になったようなおつもりで、心を無にして山階宮殿下に相対なさいませ。
先日、児玉さんに言われたことを思い出しながら、私は想いを顔に出さないよう、必死に平静を保った。
「幼い頃の章子に予言された最悪の結末を避けようと皆が努力した結果、予言も外れることが多くなっている。しかし、天変地異に関することは全く外れていない。今から35年前の磐梯山の噴火、更には34年前の熊本地震、32年前の濃尾地震、29年前の東京地震と庄内地震、27年前の三陸地震、それから9年前の桜島の大噴火など、……幼い頃の章子は我が国を襲う大きな天変地異が起こる場所や発生日時までピタリと言い当てた」
菊麿王殿下に、兄は淡々と話し続ける。
「その予言の中に、今年の9月1日の午前11時58分、関東を大地震が襲い、特に東京府と神奈川県で大きな被害が出る、というものがある。地震に続いて津波、更に大火事が発生し、10万人以上の人が亡くなると……」
「10万人以上?!」
両目を丸くした菊麿王殿下は、
「まさか、防災の日が陛下の御即位を機に9月1日になり、防災の日の避難訓練が正午前に行われているのは……!」
と大きな声を上げた。
「流石、菊麿は察しがいいな」
兄は笑わずに菊麿王殿下を褒めると、
「大地震の発生は免れないが、避難訓練の最中に大地震が起こるように設定すれば、少なくとも圧死者は減るだろう。そう考えて取っている処置だ」
と続けて言った。
「もちろん、これだけで全ての人間を救うことはできないと思っている。この大地震では津波も起こるそうだ。それに備えて、東京や神奈川、そして千葉、静岡の海岸を立ち入り禁止にしなければならないが、震災による被害の救援をすることを考えると、9月1日に第1軍管区の兵が全て出動する計算になる。それゆえ、菊麿にだけは地震のことを伝えておかなければならないと思い、こうして呼び出したのだ」
「は……」
菊麿王殿下が兄に深く頭を下げた。
「ご配慮、誠にありがとう存じます。……ところで陛下、このことは陛下と内府殿下以外には、どなたが知らされているのでしょうか?」
「桂総理と山本国軍大臣は知っている」
菊麿王殿下の質問に兄が答える。「しかし、知っている者は多くないし、それぞれに厳重に口止めをしてある。こんな話が漏れたら、国民が恐慌状態に陥るのは目に見えているからな」
「おっしゃる通りです」
菊麿王殿下が再び頭を下げると、
「無論、菊麿もこのことは他人に漏らさないでくれ。では、9月1日のこと、しっかり頼むぞ」
と兄は命じた。
「もちろんでございます」
菊麿王殿下の答えを聞くと、兄は「では、下がってよい」と菊麿王殿下に言う。立ち上がった菊麿王殿下の姿が障子の向こうに消えると、
「ぷはぁ……」
私は椅子の背もたれに背中を預け、大きなため息をついた。
「兄上、疲れたよぉ……」
「そのようだな」
私の顔を上から覗き込むと、兄はクスリと笑った。「梨花の顔から、すっかり生気が抜けている。今回の面会がよほど辛かったと見える」
「だってさぁ、仕方ないとは言え、“かつて日本の未来を予言した不思議な女性”の役を演じないといけなかったんだもん」
椅子の背もたれに寄りかかったまま、私は口を尖らせた。
「山階宮さまに申し訳ないったらありゃしなかったわ。詐欺の片棒を担いでいるような気分で、謝りたくて仕方なかったけれど、私が謝罪したら計画がおじゃんになるから、必死に顔色を隠さないといけなくて……」
「ああ、うまくやれていたぞ。あれなら菊麿も、間違いなく信じただろう」
「だといいけどさ……」
兄と私が感想を言い合っていると、
「陛下、梨花さま、よろしいでしょうか」
障子の外から大山さんの声がする。「入っていいぞ」と兄が言うと、隣の二の間に潜んで話を聞いていた大山さんが、微笑を顔に湛えながら御学問所に入ってきた。
「いかがでございましたか、梨花さまの役者ぶりは」
そう問うた大山さんに、
「なかなかよかったぞ」
兄は満足げに笑いながら答えた。「威厳も出ていたしな。間違いなく菊麿は、“章子の予言”を信じたよ」
「俺もそう思います」
大山さんも微笑したまま応じた。「山階宮殿下が御学問所から立ち去られる様子を、二の間から覗いておりましたが、明らかに顔が青ざめておいでで、秘事を漏らされてしまうのではないかと心配になるくらいでした」
「それならいいけどさ……」
私は大きなため息をついた。「山階宮さまの私に対する印象が滅茶苦茶になってないか心配だわ」
「おや、そんなことはないと思いますが」
すると、大山さんが不思議そうに私を見た。「かつてご自分の病を治してくださった、美しく聡明で予言の力もある、全世界にその名声が轟く内府殿下でございましょう?」
「盛り過ぎだってば!」
私は思わず全力でツッコんだ。「少なくとも、予知能力はないでしょう!」
「予知能力を持っていると思えるほど聡明であることは間違いないが」
横から兄がこう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
「いや、ちょっと待ってよ、何で兄上も茶化すの?」
「おや、茶化しているつもりはないが。……まさか梨花、お前、自分を卑下したのではないだろうな?もしそうなら、久々にお前を“教育”しなければならないが……」
「なんちゅう無茶苦茶な言いがかりを……!」
私は思いっきり顔をしかめると、
「……いや、並みの人間より頭がいいのは認めるけれど、予知能力があるというのは非科学的だと思うのよ……」
と、兄に向かって呟くように言った。
「よしよし、よく言えた」
兄は私の頭に手を伸ばして優しく撫でると、
「では梨花、一緒に茶菓子を食べようか」
と私を誘う。
「いいわね。もう気疲れしちゃって、甘いものが欲しくて仕方ないのよ」
「それは俺もだ」
兄はそう言ってクスクス笑うと、大山さんの分を含めて、3人分の茶菓子を持ってくるように大山さんに言いつけた。関東大震災まであと3か月余り、私たちはこうして時々英気を養いながら、できることを少しずつやるしかなかった。




