1923(大正8)年5月の臨時梨花会
※漢字ミスを訂正しました。(2024年7月20日)
1923(大正8)年5月19日土曜日午後2時5分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「つまり、日曜日に皇太后陛下とも話し合われた結果、9月1日は天皇皇后両陛下が東京にお残りになり、皇太子殿下と皇太后陛下が日光にいらっしゃる、ということに落ちついたのですな」
臨時で開かれた梨花会の冒頭、兄から説明を受けた桂さんが大げさな身振り手振りとともに確認すると、兄は黙って頷いた。
「色々と考えたのですが、僕は震災の当日、東京にはいない方がいいという結論に至りました」
迪宮さまは椅子から立ち上がり、牡丹の間にいる梨花会の面々を見渡しながらしっかりとした口調で言った。
「もし地震で皇居が壊れたら、皇居が手狭になります。そこに僕がいると、お父様とお母様、それから宮内省の職員たちが活動する場所が無くなってしまうかもしれません。避難してきた人々を、皇居の敷地内に収容しなければならないでしょうし……。かと言って、僕が東宮御所にいたら、お父様とお母様のお見舞いに皇居に行かなければなりませんが、皇居までの往復で避難民の通行を妨げてしまいます。ですから、9月1日は日光にいることにしました。お父様とお母様のおそばにいられないのがとても残念ですが……」
「よくご決断なさいました」
野党・立憲自由党の総裁である原さんが立ち上がり、迪宮さまに向かって最敬礼した。
「正直なところ、陛下に万が一のことがあった場合に備えて、皇太子殿下には日光に滞在していただくのが、警備する側としては安心できます」
国軍参謀本部長の斎藤さんもこう言って頭を下げる。その他、桂さんや高橋さん、後藤さんや国軍大臣の山本さんなど、現役の大臣たちは、一斉に顔に安堵の色を浮かべた。
と、
「残念じゃのう」
梨花会の面々が並んだ座席の真ん中あたりから、のんびりとした声が聞こえた。迪宮さまの弟たちの輔導主任を務めている西郷さんだ。
「本物の修羅場がやって参りますのに、それを体験なさらずに終わってしまうとは」
「……言っておきますけれど西郷さん、日光でも揺れは相当なものだと思います。お母様のお誘いで日光に集まった皇族たちもまとめないといけないでしょうから、迪宮さまも大変になりますよ」
なぜか悔しそうに言う西郷さんに私が冷静にツッコミを入れると、
「信吾どん、問題はない。俺たちが皇太子殿下に負荷を掛ければ済むことじゃ」
枢密院議長の黒田さんがニヤリと笑って言った。
「ああ、それもそうじゃな」
西郷さんがニッコリ笑って応じたのを見た私は、思わず机に顔をぶつけそうになった。……もしかしたら迪宮さまは、震災当日、東京にいるよりもひどい目に遭うかもしれない。
「これで、9月1日に梨花会の者たちがどこにいるかも決まったのですかね?」
私の義父の有栖川宮威仁親王殿下の問いかけに、「ほとんどは」と桂さんが大仰に一礼した。
まず、古参の面々から見ると、枢密院議長である黒田さんは東京に残る。本人は埼玉県にあるという自分の養鶏場にいたくてしょうがなかったようだけれど、“枢密院議長が東京にいなければ行政が止まるかもしれない”という周囲の説得により東京に残ることにした。けれど、本人は養鶏場のことが頭から離れないらしく、
――震災後、東京から出られるようになりましたら、真っ先に養鶏場を確認したいと思います。鶏たちが無事でしたら、陛下と内府殿下に卵を献上させていただければ……。
今週の机上演習の担当だった黒田さんは、演習終了直後、私と兄に向かってこう言ったのだった。
伊藤さんも東京にいる。自宅のある大磯は津波に襲われる危険が高いので、震災当日は東京での住居である大井町の家にいることになった。この家は、万が一、皇居から兄と節子さまが逃れなければならない時の避難所の1つにもなったので、
――隣にある“春花館”ともども、大井町の家はしっかり守り抜かねばなりませんな。
伊藤さんは先日、私にそう言って笑った。
東京ではない所で震災に備える人たちもいる。私の義父は、福島県の猪苗代湖畔にある翁島の別邸に、私の義母の慰子妃殿下や義理の祖母の董子妃殿下と一緒に滞在する。私の子供たちも預かってくれるそうだ。また、山縣さん、松方さん、西郷さんは、栃木県の那須にそれぞれ農場を所有しており、9月1日にはそちらに滞在する。地震が発生したら、この3人は日光に駆け付け、お母様と迪宮さまに付き従うことになっていた。
その他の梨花会の面々は、ほとんどが東京に残る。内閣総理大臣の桂さん、宮内大臣の牧野さん、大蔵大臣の高橋さん、内務大臣の後藤さん、国軍大臣の山本さんは現役の大臣なので東京に残らなければならない。外務次官の幣原さんと大蔵次官の浜口さん、国軍参謀本部長の斎藤さん、国軍の大臣官房に所属している堀さん、そして大山さんも東京にいる。また、元内閣総理大臣の渋沢さんも東京にいることになったけれど、これは東京市の北、滝野川町にある本邸が、伊藤さんの大井町の家とともに、兄と節子さまの緊急時の避難所となったからである。原さんも9月1日は東京の立憲自由党の本部に残り、各地の支部の被害を把握する予定だ。航空少佐の山本五十六さんが所沢の航空基地に、東宮武官の山下さんが迪宮さまとともに日光に滞在することを除けば、梨花会の面々は半数以上が東京に残ることになった。
けれど、9月1日の去就をまだ決めていない人もいる。西園寺さんと陸奥さんと児玉さんだ。
「原さんが東京にいるなら、僕は東京にいる意味が無いなぁ。かと言って、興津の別邸は津波が来るかもしれないし、京都は東京から遠過ぎるし……」
両腕を胸の前で組んで迷う西園寺さんを、
「でしたら、僕と一緒に日光にいることにしませんか?」
枢密顧問官の陸奥さんがこう誘った。
「日光なら皇太子殿下もいらっしゃいますから、退屈することはないと思いますよ」
「……ああ、それはいい考えだ」
ニヤリと笑った陸奥さんに、西園寺さんは人の悪い微笑を顔に浮かべて答えると、そのまま迪宮さまを見つめた。そして、
「せっかくの機会ですから、日光に参上しましたら、僕も皇太子殿下の机上演習を担当させていただきましょうかね。ふふ、皆さんに負けない難しい問題を作って差し上げなければ」
迪宮さまにとって不吉極まりない台詞を吐いた。迪宮さまの顔が微かに強張ったのが、向かいの席に座った私には分かった。
「さてと、私はどうしましょうか。所沢にいても東京にいても、足手まといになりますし……」
これで、9月1日の去就が決まっていないのは児玉さんだけになった。その児玉さんが独り言ちた時、
「でしたら児玉閣下、私の別邸にいらっしゃいませんか?」
私の義父が声を掛けた。
「お恥ずかしい話ですが、私1人だけでは、翁島の別邸で地震の大きさに動揺してしまうかもしれません。孫たちも両親を心配して騒ぐでしょうし……しかし、閣下に一緒にいていただければ私も心強い。ですから、閣下には是非翁島においでいただきたいのです」
「ふむ、それはよいですな」
義父の言葉に、児玉さんはニッコリ笑って頷いた。
「それでは有栖川宮殿下のお言葉に甘えさせていただきましょう。自動車のことも、色々とご教示いただきたいですし」
「もちろんですとも。翁島には自動車で行くつもりですから、向こうで一緒に自動車の遠乗りと参りましょう」
(ああ、それならいいわね)
児玉さんと義父の会話を聞いた私は内心ホッとしていた。9月1日に猪苗代湖畔で関東大震災に遭遇する私の子供たちが、いつ東京に戻れるのかは分からない。けれど児玉さんが一緒にいてくれるなら、少しは安心して過ごせるだろう。
「伊藤閣下や西園寺閣下のお話にもありましたが、津波に対する備えはしておかなければなりません」
全員の9月1日の所在が決まったところで、内務大臣の後藤さんが挙手をして言った。斎藤さんによると、関東大震災では津波も発生し、相模湾や東京湾の沿岸、そして伊豆半島で被害が出たそうだ。けれど……。
「津波の被害が出る範囲が広いし、住んでいる人も多いですよね。濃尾地震の時みたいに“ダイナマイトが大量に埋設されている”なんて言っちゃうと、住民がパニックになるし……どうやって住民を避難させましょうか……」
私がこう言って首を傾げると、
「東京湾と相模湾の沿岸、そして伊豆半島で、“大規模な軍事演習を行う”として、人の立ち入りを制限するしかないでしょう」
斎藤さんが硬い表情で答えた。「特に葉山や大磯など、相模湾沿岸には別荘が多くあります。別荘に滞在している人間は大体が東京に住んでいる者たちですから、地元の者より地理に不案内です。避難に手間取っているところを津波に襲われてしまうかもしれません」
すると、
「斎藤閣下のおっしゃる通りだと思いますが……」
迪宮さまが眉を曇らせた。
「何か御懸念がおありですか、皇太子殿下?」
問いかけた伊藤さんに、
「今、斎藤閣下がおっしゃったような範囲で人の立ち入りを制限するとなると、警備に非常に多くの兵が必要になると思うのですが、関東各地に震災被害の救援をする兵を配置しなければならないことも考えると、関東に現在いる兵だけで足りるのでしょうか?」
迪宮さまが鋭い問いを投げる。それを聞いた山縣さんが目を細めて頷いた。
「……先日斎藤の提案を受けて検討したところ、ギリギリで足りる計算にはなりました」
国軍大臣の山本さんが緊張した顔で回答を始める。
「しかし、避難訓練と軍事演習のみで第1軍管区の兵を全て使うのは今までに無い異常な事態です。ですから……軍管区司令官には、関東大震災のことを伝える方がいいかもしれません」
山本国軍大臣が硬い声で言うと、
「菊麿にか……」
兄が難しい顔をした。現在、関東と山梨・長野県の国軍を統括する第1軍管区の司令官は、山階宮菊麿王殿下だ。
「菊麿にどこまで言う?“史実”のことや梨花のことまで、全て話してしまうのか?」
兄が牡丹の間にいる一同に問うと、
「それは止める方がよろしいでしょう。私も嫁御寮どののことを初めて知った時には、肝を潰しそうになりましたから」
義父がこう言って、クスクス笑いながら私の方を見た。
(本当かしら?)
義父と初めて会った時を思い出した私は、彼の言葉を否定したくなったけれど、黙っていることにした。口を開いたら最後、義父は私を散々からかって遊ぶだろう。
「有栖川宮殿下のおっしゃる通り……しかも、話の流れによっては、伊藤閣下や俺、それに五十六のことも出さなければならないのです。山階宮殿下が一連の話を驚かずに全て受け止めることは難しいでしょう」
自身も“史実”の記憶を持つ斎藤さんが言う。確かに、斎藤さんも、初めて梨花会に出て、私や伊藤さんのことを聞いた時にはとても驚いていた。
「菊麿は思慮深くて聡明だから、下手に真実を隠すと、かえって全てを悟ってしまうかもしれないが……」
そう言って考え込んだ兄に、
「何、問題は無いでしょう」
と児玉さんが事も無げに言う。そのまま一同は、どうやって菊麿王殿下に関東大震災のことを伝え、協力を要請するかについて話し合いを続けた。




