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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第72章 1923(大正8)年小寒~1923(大正8)年穀雨
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観艦式

 1923(大正8)年4月20日月曜日午前9時25分、横浜港に停泊する御召艦・“榛名”。

『内府殿下』

 兄に従って“榛名”の甲板にいた私に、英語で気軽に声を掛けてきたのは、イギリスのチャーチル海軍大臣だ。今日は、これから横浜港で開催されるエドワード皇太子来日記念観艦式を陪観するため、エドワード皇太子とともに“榛名”に乗りこんでいた。

『おはようございます、チャーチル閣下』

 英語で丁重にチャーチルさんに挨拶を返した私は、彼の顔色が余り良くないのに気が付いた。顔は青白いし、頬は少しこけているようにも見える。

『閣下、お体の具合が良くないのですか?』

 もし無理をしてここにいるのならば、休んでもらう方がいい。そう思ってチャーチルさんに尋ねてみると、

『ええ、まぁ……内府殿下の元気の良い姪っ子殿下の件で、昨日、一昨日と熾烈な交渉を強いられましたからな。体力を消耗してしまいました』

(ああ……)

 チャーチルさんに同情しかけた私に、

『そうおっしゃる内府殿下こそ、お顔色がよろしくないようですが?』

その相手が私に冷たい視線を浴びせながら聞いた。

『ええ。閣下の所に押しかけようとする人たちをなだめるのに忙しくて』

 やはりチャーチルさんは手強い。虚勢を張っても仕方ないので、正直に実情を伝えると、

『お言葉ですが、本当にあの人たちをお止めになったのですかね?』

チャーチルさんが渋い顔のままで私にまた尋ねた。

『止めましたよ。伊藤さんや山縣さんや陸奥さんが、私の所に来て強硬なことを言うものですから、“それはやめなさい。同盟国を何だと思っているのか”と説得したのです。それで多少は閣下への攻撃を和らいだと思っていたのですけれど』

『……伊藤伯爵(アール・イトウ)山縣伯爵(アール・ヤマガタ)は、詠子(うたこ)内親王殿下の件をこちらが言い出すと、“そんなものより、恐れ多くも内府殿下に懸想したエドワード皇太子殿下は無礼が過ぎる!厳正な対処を求める!”と強硬に主張した』

 私の言葉には直接答えずに、チャーチルさんはブツブツと言い始めた。

『更に、陸奥男爵(バロン・ムツ)と来たら、吠え立てる伊藤伯爵と山縣伯爵を横目で見ながら、“ドイツの皇帝(カイザー)に、エドワード皇太子の件を連絡しましょうか”などとニコニコ笑いながら言ってくる。あの化け物め、この状況を楽しむことしか考えていないではないか!』

『……陸奥さんに関しては、確かに閣下のおっしゃる通りだと思います』

 私はチャーチルさんに答えると、大きなため息をついた。『一応申し上げておきますけれど、伊藤さんと山縣さんは、私にはもっと過激なことを言っていました。私の説得、多少は効いたようですね。まぁ、あの人たちを完全に説得するのは、彼らと長い付き合いのある私でも困難な仕事だと思いますけれど』

『ほう……長い付き合い、と言いますと、一体どのくらいで?』

『30年以上になりますわ』

 私は再びため息をついた。『子供だった頃、あの人たちと話すのは本当に大変な仕事でした。今も気が付くと、私はあの人たちに滅多打ちにされています。大体、あの人たちったら……』

 その時、私の首筋に刺すような感覚が走った。振り向くと、私と同じく兄に供奉して“榛名”に乗りこんでいる内大臣秘書官長の大山さんが、私のすぐ後ろからじっと私を見つめている。

「な、何かな、大山さん」

 私が日本語で大山さんに聞くと、

「いえ、愚痴をこぼす暇があるのなら、ご修業に励んでいただきたいと申し上げたかっただけですが」

大山さんはそう答えて微笑する。私は彼に曖昧に頷くことしかできなかった。

『なるほど、内府殿下は色々と大変なようですな』

 私と大山さんの様子を見たチャーチルさんが言った。『皇族の女性が、どうやって政治の素養を身につけたのか、疑問に思っておりましたが、そのような環境に長年身を置かれていたのならば納得はできます』

『おそらく、閣下が思っていらっしゃるより大変な状況にあったと思います』

 私は顔をしかめて付け加えた。『私は政治より、医学の方が好きですから』

 その時、“榛名”の船体が前へ動き始めた。横浜港内の指定の位置に整然と並んでいる軍艦を親閲するのだ。“金剛”“比叡”などの主力艦や巡洋艦、そして駆逐艦や潜水艦など、総勢60隻余りの艦列の間を、“榛名”は静かに、そして堂々と進んで行った。


 軍艦の親閲が終わると、“榛名”は錨を下ろした。観艦式に参加した各艦艇の艦長や参謀、駆逐隊の司令などが兄に拝謁するために“榛名”に移動する間、兄とエドワード皇太子は“榛名”の艦長室で昼食をとる。人数の都合で私は陪食できず、総理大臣の桂さんや閣僚たち、そしてエドワード皇太子の随員たちと一緒に士官室で昼食をとることになった。

『実に素晴らしい観艦式でした。どの艦の乗員も練度が高い。それに、艦船の整備も行き届いている』

 食事の席でも、チャーチルさんは私に頻りに話しかける。正直、余り相手はしたくないのだけれど、私は仕方なく『恐れ入ります』とチャーチルさんに返答した。

『しかし閣下、練度のことをおっしゃるのなら、はるばるイギリスから日本にやって来てくださった閣下方の軍艦の方が上ではないでしょうか?』

 私はリップサービスをしながら話を続けてみた。今日の観艦式には、エドワード皇太子と一緒に日本に来航したイギリスの軍艦も参列した。エドワード皇太子の御召艦であるリヴェンジ級戦艦“レジスタンス”、そしてその供奉艦であるキャベンディッシュ級巡洋艦の“キャベンディッシュ”と“ホーキンス”の3隻は、観艦式の会場で異彩を放っていた。

『それに、我が国の海軍は、様々な国の教えを受けて成長しました。当然、同盟国である貴国の貢献は大きいです。弟子が師匠に敵うはずがありませんわ』

 更に私がこう続けると、

『お戯れを』

チャーチルさんは鼻で笑った。『弟子が師匠に勝る例など、世界にいくらでもございましょう。現に、あなた方の海軍は極東戦争でロシア海軍に圧勝したわけですから』

『圧勝ではございませんわ、閣下。東朝鮮湾の海戦では“初瀬”が沈みました。今日の観艦式に参列している“三笠”と“朝日”の姉妹艦ですけれど……。それに、東朝鮮湾の海戦でも、対馬沖の海戦でも、日本・ロシアともに多くの人が亡くなりました。皇族として、決して忘れてはいけない出来事です』

 これ以上、この話題を続けてはいけないと思ったのだろう。チャーチルさんは咳払いをすると、

『ところで、日本の巡洋艦というものは、随分と機銃を付けるのですな。“淡路”と言いましたか、イギリスの巡洋艦より機銃を多く載せているので驚きました』

と私に言った。

軍事(せんもんがい)の話を私に振るなよぉ……)

 私は盛大にため息をつきそうになったけれど、栽仁(たねひと)殿下に教わった淡路型一等巡洋艦のスペックを必死に思い出した。


●淡路型一等巡洋艦主要性能諸元

 排水量:9750トン

 全長:171.2m

 全幅:19.8m

 主缶:技術本部式重油専焼缶12基

 主機:パーソンズ式タービン4基4軸

 最大出力:108000hp

 最大速力:33ノット

 航続距離:7000海里(14ノット)

 主砲:50口径20.3cm連装砲2基4門

 その他兵装:45口径12cm単装高角砲4門

       12mm連装機銃12基

       61cm連装魚雷発射管4基(魚雷16本)

 装甲:舷側 70-130mm

    甲板 25-38mm

    主砲塔 130mm(最厚部)

    司令塔 130mm(最厚部)

 

 “技術本部式”というのは、その名の通り、国軍の技術本部で開発されたということを意味する。今までの重油専焼缶のデータを元にして、技術本部は国産のボイラーを新しく開発したのだ。

『偵察用の飛行器を追い払いたい、という目的だと聞きました』

 私は愛想笑いを顔に浮かべながら答えた。『敵の飛行器を見逃していれば、こちらの陣容が全て相手に漏れてしまいます。ですから追い払うために機銃をつけた……と聞きましたけれど』

『“聞いています”とは、随分と不確かな答えですな』

『現役の軍人でなくなってからだいぶ経ちますから』

 少し意地悪なチャーチルさんの答えに私はこう応じた。『私には苦手なことがたくさんあります。暴走した伊藤さんたちを止めることですとか』

『なるほど、それは私も苦手だ』

 チャーチルさんは大げさに両肩をすくめると、

『貴国は飛行器をかなり重視しているようですな』

と続けた。

『まぁ、飛行器発祥の国ですからね』

 私がチャーチルさんにこう答えると、チャーチルさんは、

『ふむ。だからあんなに大きな航空母艦を建造したというわけですかな?』

と私に尋ねてきた。

(あう……、やっぱり目立つよな、“祥鳳(しょうほう)”は……)

 想定通りの質問ではあるけれど、苦手分野の軍事のことだから、答えるのも気が重くなってしまう。私は祥鳳型のスペックを必死に思い出しながら、こっそりため息をついた。


●祥鳳型航空母艦主要性能諸元

 排水量:20500トン

 全長:222.5m

 全幅:24.38m

 飛行甲板:229.2m×27.43m エレベーター3基

 主缶:技術本部式重油専焼缶12基+補助艦2基

 主機:パーソンズ式タービン4基4軸

 最大出力:118000hp

 最大速力:30ノット

 航続距離:7000海里(14ノット)

 兵装:45口径12cm単装高角砲4門

    12mm連装機銃12基


 以上が祥鳳型のスペックだ。今回観艦式に参列している“祥鳳”の他にもう1隻、姉妹艦の“瑞鳳(ずいほう)”がいるけれど、現在は佐世保に待機している。なぜここにその“瑞鳳”がいないのかと聞かれるのだろうかと思っていたら、

『我が大英帝国にも“ハーミーズ”という航空母艦がありますが、あれは“祥鳳”より一回り小さいですからな。しかし、日本はなぜこんなに大きな航空母艦を建造したのですか?』

チャーチルさんはこう尋ねてきた。

『大きな軍艦の建造技術をきちんと残すためですね』

 私は当たり障りのない答えを口にした。『残念ながら貴国に比べ、我が国の建艦技術は劣っています。貴国のおかげで金剛型を建造できましたけれど、技術は使わないと、応用の仕方が分からなくなってしまいがちです』

『ほうほう』

『それで、航空母艦の大型化が計画されたそうです。元々、“鳳翔”では甲板が短く、発艦したい飛行器が飛行甲板上で待機するスペースが少ない問題がありましたから、それを解決したかった……そう聞きました』

 これは真実の答えではない。これから大型になっていくであろう飛行器に対応するために、航空母艦を大きくしているのだ。今、私が口にしたのは、あらかじめ作っておいた偽の答えで、もし、チャーチルさんに突っ込まれたら、“私は軍事に疎いので”と逃げようと思っていた。

『なるほど』

 ところが、チャーチルさんは私の言葉に手厳しい指摘をすることは無かった。意外に思ったけれど、

(まぁ、チャーチルさんが私から情報を聞き出す必要はないもんね)

私はそう思い直した。チャーチルさんは海軍大臣だけれど、本職の海軍軍人ではない。恐らく、情報を集めているのは、エドワード皇太子のお付き武官や、随員に紛れ込んでいるMI6の職員だ。つまり、チャーチルさんが情報を集めるために私に話を聞く必要はないのだ。

(力量は、私よりチャーチルさんの方が明らかに上だよね。そりゃ、“史実”の第2次世界大戦を首相として戦い抜いた人だもんなぁ……)

『いかがなさいましたか、内府殿下?』

 ぼんやりしていると、チャーチルさんが声を掛けてきたので、

『いえ、我が国の軍隊は、やはり貴国の軍隊と比べれば劣ります。それを痛感したところでございます』

私はとっさにリップサービスをしておいた。

『そうご謙遜なさる必要もないと思いますが』

 チャーチルさんは顔に苦笑を浮かべた。『日本の海軍は、間違いなく東洋一の艦隊でしょう』

『そう言っていただけるのはありがたいですね』

 何と空虚な言葉だろうか。答えながら私は思った。確かに、この時の流れでの日本の艦隊は、“史実”の今頃と比べれば規模は小さいけれど整っている。けれど、“史実”の第2次世界大戦では、威容を誇った日本の艦隊が、戦いの末、この世から殆ど消え去ってしまうのだ。数多の将兵の命とともに……。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者(じょうしゃ)必衰の(ことわり)を現す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ。(ひとえ)に風の前の塵に同じ……」

『は?』

 首を傾げたチャーチルさんに、

『今から600から700年前にできたと言われている“平家物語”という古典の冒頭です。800年ほどに日本で栄華を誇った平家一族の栄枯盛衰を書いておりますの』

と私は言った。『今の文章の意味は、とても簡単に意味を言うと、万物は変転する、勢いが盛んな者も必ず衰える……ということになるでしょうか』

『はぁ……』

『威容を誇っても、形あるものはいつか滅びます。艦隊も、そして街も……』

 あと5か月もしないうちに、関東大震災がやってきてしまう。この“榛名”の士官室の窓から見える横浜の街も、そしてもちろん東京も、瓦礫の山と化してしまうだろう。本当は、チャーチルさんをここで相手する暇など無いのだ。私は近い未来の惨劇に思いを馳せ、しばし瞑目した。

※一応、キャベンディッシュ級巡洋艦は実際には“ホーキンス級”と呼ばれていたのですが、拙作では“キャベンディッシュ”が空母に改装されていないという設定にしました。ご了承ください。

※あと、もちろん淡路型や祥鳳型については、こんなスペックがありうるのか、これで実際に運用できるかどうかの検討はしていませんのでご了承ください。


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[良い点] 艦船のスペックが詳細であること。 [気になる点] 一等巡洋艦の主砲が少ないのは、後部にカタパルトが搭載されているのかな? 史実における後期の最上型重巡洋艦みたく。 祥鳳型航空母艦、史実の…
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