エドワード皇太子の来日
1923(大正8)年4月12日木曜日午前10時38分、皇居から新橋駅に向かう馬車の中。
「あいにくのお天気になっちゃったわね」
宮内高等官女子大礼服を着た私は、馬車の窓から外を覗いた。今日の未明から降り続く小雨は道路をしっとりと濡らし、馬車の窓に時折小さな水の滴をぶつける。そんな天気の中、皇居から新橋駅まで続く道の両側には、学生たちや在郷軍人だけではなく、エドワード皇太子を出迎えようと自主的に集まった老若男女が整列していた。
「これ、兄上の即位礼の時と同じぐらいの人がいるわ……」
私が窓の外を見ながら更に呟くと、
「はい。恐らく、廃帝ニコライやコンノート公の来日の時より、沿道にいる人の数は多いでしょう」
私の隣に座る大山さんが言った。「何と言っても、同盟国の皇太子がやって来たのですから」
「そうだよねぇ……。でも、お天気が悪いから、風邪を引く人が出ないかが心配だわ」
私がそう言った瞬間、馬車は新橋の駅前に到着する。私は大山さんにエスコートされて馬車から降りると、前を歩く兄に従って新橋駅に入った。
新橋駅のプラットホームには、東京やその近郊にいる成年男子皇族をはじめ、内閣総理大臣の桂さん以下の閣僚たち、国軍のお歴々や東京市長、更には近衛歩兵第2連隊から選抜された儀仗兵たちがズラリと並んでいる。その混雑ぶりは、即位礼の時と同じレベルに思える。やはり即位礼の直後に東京駅を建設した方がよかったのかもしれないと思った瞬間、軍楽隊によるイギリス国歌の演奏が始まり、日本とイギリスの国旗を前面に交差させた、エドワード皇太子の乗る特別列車がプラットホームに入ってきた。
(やっぱり、この格好なんだ)
紅のジャケットに、紅の線が入った紺のズボン、そして黒い毛で覆われた長い帽子という近衛歩兵大佐の正装に身を包んだエドワード皇太子が特別列車から降りてきた。1894(明治27)年の6月に生まれたエドワード皇太子は現在28歳。7年前にロンドンで顔を合わせた時は頼りない感じがして印象が薄かったのだけれど、今は威厳があり、大国の皇太子にふさわしい青年に成長していた。
兄はそんなエドワード皇太子と英語であいさつを交わすと、
「本日、あなたをこの東京でお迎えできることを喜ばしく思っています。また、12年前にわたしと妻が、7年前にわたしの弟の輝仁と妹の章子が、3年前に長男の裕仁が貴国を訪れた際、貴国の皇室、並びに国民から熱烈な歓迎を寄せられたこと、大変ありがたく思います」
と日本語で述べた。兄ならこのくらいは英語で話せるのだけれど、公式の場でのあいさつなので、万全を期して通訳に訳してもらうことにした……皇居を出る直前、兄はそのようなことを私に言った。
『陛下のお言葉に感謝申し上げます』
一方、兄の言葉を受けたエドワード皇太子は、堂々とした態度で兄に応じた。
『念願であった貴国への訪問を果たすことができ、非常に満足に思っています』
更にこう続けると、エドワード皇太子は兄と握手する。続いて兄は、並んでいる男性皇族を英語で紹介し、エドワード皇太子は彼らと次々に握手を交わした。面識のある私の義父の威仁親王殿下、そして私の夫の栽仁殿下とは、エドワード皇太子は特に親しげに握手を交わし、二言三言、英語で何かを喋っていた。
そして兄は桂さん以下、出迎えに出た大臣を紹介する。私も一応内大臣ではあるので、宮内大臣の牧野さんの次、各大臣の最後にエドワード皇太子に紹介された。
『お久しぶりです、皇太子殿下』
イギリスを訪問した時に出会っているから、もちろん初対面ではない。私は英語でこうあいさつして、エドワード皇太子に営業スマイルを向けた。
『お久しぶりです、章子殿下』
エドワード皇太子は、その整った顔に柔らかな微笑を浮かべ、私の右手を紳士的な態度でそっと取る。
『日本に来ることができて、本当に良かったと思っています』
エドワード皇太子は私の右手を握ると、英語でこう言った。
(まぁ、ごあいさつのテンプレの使い回し、って感じだな)
こう思ったけれど、それは表情に出さないようにして営業スマイルを続けていると、
『章子殿下の御活躍、新聞で拝見しております。内大臣となられ、世界大戦の悪夢を回避しようと世界に呼び掛けられ、国際連盟設立のきっかけをお作りになったこと、素晴らしいことだと感激しました』
エドワード皇太子の微笑にほんのりと赤みがさし、瞳がキラリと輝く。
『……お褒めに預かり、光栄でございます』
テンプレ通りではないエドワード皇太子の反応に、戸惑いながらもお礼を言うと、
『しかも、以前お会いした時から、お美しさが更に増しているとは……!』
私の手を握ったまま、エドワード皇太子は、ほんの少し私との距離を詰めた。
その瞬間、私とエドワード皇太子との間に、誰かの手がスッと入り込んだ。
『そろそろ、閲兵を……』
私の前に立ち塞がるように身体を入れた兄は、エドワード皇太子に英語で話しかけた。その声は妙に低い。兄の身体から、よからぬ気が立ち上り始めているのを、私は敏感に感じ取った。
『殿下、お願いです!直ちに閲兵を!直ちに!』
ここで兄が、去年の皇族会議の時のように激怒してしまったら、国際問題に発展する。しかも、私の隣に立つ大山さんも、そして、皇族たちと一緒に立っている栽仁殿下も、エドワード皇太子に硬い視線を突き刺している。何としてでも、エドワード皇太子を私から引き離さないと、大変なことになってしまう。私は英語で必死にエドワード皇太子に懇願した。
『殿下、閲兵の方へ……』
エドワード皇太子の後ろにいたウィンストン・チャーチル海軍大臣も、顔をしかめながらエドワード皇太子に告げる。エドワード皇太子はチャーチル海軍大臣に頷くと、儀仗隊を閲兵する位置に兄と共に動いた。
「……梨花さま」
何とか新橋駅での歓迎行事が終わり、皇居へと向かう馬車に乗り込むと、大山さんが席に座った私の手を取った。
「大事ございませんでしたか」
真剣な表情で尋ねた我が臣下に、
「あなたと兄上と栽仁殿下が暴走しないかと思って、本当に心配したわよ」
と私は答えて、大きなため息をついた。
「まったく……あそこであなたたちが激怒したら、国際的な問題になる可能性があるのに、どうして一触即発みたいな状態になるのよ」
「これは異なことを仰せられますな」
私の抗議に、大山さんは訝しげな顔をして反論する。
「陛下の大切な御妹君が、若宮殿下の大切な妃殿下が、そして俺の大切なご主君の危機でございます。そのような時には何としてでも梨花さまを危機から救わねばなりません」
「それで国際問題が勃発したら世話無いわよ」
私が再びため息をついた時、ガタリと音を立てて馬車が動き出す。私はいったん口を閉じ、席に深く座り直した。
「……とにかく、気持ちはありがたいけれど、周りへの影響をよく考えて行動してね。後で兄上と栽仁殿下にも釘を刺しておくわ」
私の言葉に、大山さんは黙って頭を下げた。しかし、エドワード皇太子の東京滞在はまだ始まったばかりだ。果たしてこれ以上の騒動が起こらずに済むかどうか、私は全く自信が持てなかった。
1923(大正8)年4月12日木曜日午後9時30分、皇居・表御殿にある豊明殿。
(うう……居心地が悪い……)
椅子にお行儀よく座る私は、時折襲ってくる怒りに怯えながら過ごしていた。
今行われているエドワード皇太子歓迎の晩餐会に、私は栽仁殿下の妃の立場で出席している。エドワード皇太子のそばには兄夫妻の他、接待役である私の弟の輝仁さまと妃の蝶子ちゃん、そして迪宮さまがいて、エドワード皇太子と談笑している。そのまま話に夢中になっていてくれればいいのに、エドワード皇太子は時折私に夢見るような視線を投げる。そのたびに、私の隣に座っている栽仁殿下が怖い顔をして、エドワード皇太子と視線をかち合わせる。エドワード皇太子が私から目を離すまで、夫の身体からは肌がピリピリするような怒気が滲み続け、それを何度も浴びせられた私は、段々と気分が悪くなってしまった。
(まぁ、エドワード皇太子が蝶子ちゃんに興味がなさそうなのはよかったけどさ。でも、何で私に興味を持つのよ……)
心の中で毒づいていると、晩餐会が終わり、エドワード皇太子と兄夫妻は牡丹の間に移動した。あと30分ほどしたら、正殿で舞楽の催しがあるので、それまでの間歓談するのだ。私も正殿に移動しておこうと思い、栽仁殿下と一緒に豊明殿を出た瞬間、
『内府殿下、よろしいですか?』
横からチャーチル海軍大臣に声を掛けられた。この人も厄介な人だ。
『何でしょうか』
素早く戦闘態勢を整え、チャーチルさんに営業スマイルを向けると、
『皇太子殿下の件、誠に申し訳ございません』
何と、チャーチルさんはそう言って、私に頭を下げた。思わず目を見開きそうになったけれど、感情を顔に出さないように一生懸命努力し、
『な、……何のことでしょうか』
私はチャーチルさんに問い返してみた。
『何のことか、と?冗談がお上手ですな、内府殿下は』
チャーチルさんは大げさに両肩をすくめると
『皇太子殿下は、内府殿下に惚れています』
と苦々しげに言った。
『ええ、大変迷惑しております』
私が答えるより先に、栽仁殿下が英語で言った。『僕の愛する妻に横恋慕するなど、あってはならないことでしょう』
『殿下のおっしゃる通りです』
チャーチルさんは不気味なくらいに低姿勢だった。『以前、内府殿下がイギリスにいらした時には、全くそんな気配は無かったのです。しかし、内府殿下の御活躍が世界に広く知られるようになると、皇太子殿下は内府殿下への想いを募らせるようになったのです。それを紛らわせるかのように、皇太子殿下は女性に手を出すことを繰り返し……』
『なるほど』
いつの間にか私のそばにやってきた大山さんが、チャーチルさんに相槌を打った。
『皇太子殿下が手を出した女性たちには、いくつかの共通点があります』
大山さんが会話に加わってきたのは咎めないらしい。チャーチル海軍大臣は説明を続けた。
『まず、知性があること』
『はぁ』
間が抜けた返答をした私に、
『第2に、ご自分より年上であること』
チャーチルさんは“共通点”とやらを列挙する。
『第3に、自由奔放であること。そして、美人であればなお良し、ですな』
知性があるのと自由奔放なのは両立するのだろうか。私がこんな疑問を抱いた瞬間、
「なるほど、内府殿下に全て当てはまっておりますな」
「はい」
大山さんと栽仁殿下が、日本語で言葉を交わして頷きあった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
私は大いにうろたえた。チャーチル海軍大臣がいなかったら、床に両膝をついていたところだ。
「どうしたの、章子さん?」
「い、いや、だって……両立不能な単語が並んでるじゃない」
不思議そうな顔をした夫に、私が何とか抗議すると、
「別に問題は無いでしょう」
大山さんが冷静な口調で答える。そして、私の左耳に口を近づけると、
「この時代に生きる人間にとっては、実際に梨花さまがそう見えるのですから」
彼はこんな言葉を囁く。私が渋々口を閉じた時、
『私も何度も皇太子殿下に申し上げたのです。内府殿下に惚れるのは危険過ぎる、と』
チャーチル海軍大臣は苦悩の表情で言った。
『万が一、内府殿下に愛を囁けば、内府殿下の周囲から凄まじい報復を受けるでしょう。それに、ドイツに知られれば、皇帝が怒り狂って我が国に攻め込むでしょう。そうなれば、世界大戦という悪夢が現実のものとなります』
(それは否定できない……)
ドイツの皇帝・ヴィルヘルム2世は、なぜか私に執着している。チャーチルさんの言う通り、エドワード皇太子が私に言い寄ったことで皇帝が激怒したら、ドイツはイギリスに宣戦布告するかもしれない。
そして、
『だから、今回の日本への訪問が、外相の強い後押しで決まった際、国王陛下は私に密命を下されました。皇太子殿下が内府殿下に言い寄るのを、何としてでも阻止しろ、場合によっては、内府殿下を含め、誰と協力しても構わない、と』
チャーチル海軍大臣は、信じがたい言葉を口にした。
(国王陛下からの密命って、そんなこと……しかも、こんなバカバカしい内容だなんて、これ、チャーチルさんの罠の可能性が……)
私が何とか脳細胞を回転させ始めた時、
『どうか、皇太子殿下を止めるのにご協力いただきたい!』
チャーチルさんがガバっと頭を下げる。私は大山さんと栽仁殿下と、3人で顔を見合わせた。
※兄上とエドワード皇太子のあいさつについては、『答礼使御来朝記念写真帖』中巻(荒木利一郎,大正11.大阪毎日新聞社編)を参照しました。




