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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第72章 1923(大正8)年小寒~1923(大正8)年穀雨
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1923(大正8)年4月の梨花会

 1923(大正8)年4月7日土曜日午後2時15分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「……という訳でありまして、皇太子殿下はもちろんでございますが、北白川宮(きたしらかわのみや)殿下もご無事にご帰京なさいました」

 冒頭、末席から出席者一同に報告して一礼したのは、東宮武官の山下奉文(ともゆき)歩兵少佐だ。彼は先月31日から今月3日まで多摩地域で行われた近衛師団の演習の経過について……いや、と言うより、その演習を全て見学した迪宮(みちのみや)さまに供奉した北白川宮成久(なるひさ)王殿下の動静について報告してくれた。

「うん、ありがとう、山下少佐」

 兄は微笑んで山下さんにお礼を言うと、視線を迪宮さまに向け、

「すまなかったな、裕仁(ひろひと)。成久のためにお前をだしに使ってしまって」

と穏やかな声で謝罪した。

「いえ、成久どのの命が助かるのならば必要な手間です。それに、今回の演習見学はいい勉強になりました」

 兄の謝罪に対し、迪宮さまはこう答えて頭を下げる。

(いい子だなぁ、迪宮さまは……)

 迪宮さまの答えを聞いた私は小さく頷いた。

 4月1日……私の時代ではエイプリルフールの日として知られている。ここ数年で、日本でも、“欧米ではそういう習慣があるらしい”ということが広まって来たけれど、“史実”の1923年4月1日というのは、日本にとって1つの不幸が発生した日でもある。フランスに留学していた成久殿下の運転する自動車が交通事故を起こし、成久殿下が亡くなってしまったのだ。

 この時の流れでは、成久殿下は留学していない。けれど、万が一ということがあるから、念には念を入れる方がよい。という訳で、事故が発生した4月1日に、成久殿下を絶対に自動車を運転できない状況に置くことにした。急遽、近衛師団の演習を東京近郊で行うことにして、それを見学する迪宮さまに成久殿下がお供するよう、梨花会の面々が手を回したのだ。もちろん、東京から演習地、そして演習地内での成久殿下の移動は馬車で行う。そうやって、成久殿下を“史実”と同じ状況に置かないようにと努力した結果、成久殿下の事故死を回避することができた。

「本当に良かった。成久は将来、皇族の重鎮として活躍してもらわなければならない人材だ。命を落とすようなことにならなくて良かった」

 兄が梨花会の一同に素直に心境を吐露したので、

「そうね。それに、成久殿下がこんな時に亡くなってしまったら、栽仁(たねひと)殿下が悲しむもの」

私も率直な感想を述べる。

 すると、

「北白川宮殿下は、将来、内府殿下のお力となられるお方ですからな」

伊藤さんが私に向かってこう言った。

「あの皇族会議の時にお取りになった言動からも分かる通り、北白川宮殿下と同年代の皇族方は、有栖川(ありすがわ)の若宮殿下と考えを同じくしていらっしゃいます。あの頑迷な久邇宮(くにのみや)殿下と梨本宮(なしもとみや)殿下と違い、内府殿下、いいえ、女性たちが社会で活躍することに対して理解がおありになりますし」

 伊藤さんに続いて枢密院議長の黒田さんが発言すると、

「それは黒田閣下、理解が無いのがおかしいのです。教育勅語にも、“社会と世界に通用する女子を育てる”とありますからね。そのような女子を受け入れない者は、教育勅語に反しているという理屈も成り立ちます」

前内閣総理大臣の西園寺さんが指摘した。確かに彼の言う通りだ。

 と、

「ところで、この時の流れでの北白川宮殿下の自動車運転の腕はいかがなのでしょうか?」

国軍参謀本部長の斎藤さんが一同に問いかけた。

「自動車免許は取得なさっていますよ」

 その質問に答えたのは私の隣に座る大山さんだった。「北白川宮殿下に自動車の運転をご教授なさったのは、有栖川宮の若宮殿下です」

 大山さんの言葉に、「おおっ」という声が牡丹の間のあちこちから聞こえた。どうやら、知らない人も多かったようだ。

「有栖川宮の若宮殿下は、そんな技能を隠し持っておられたのですか」

 今月から梨花会に復帰した児玉さんが賞賛すると、

「それはもちろん、私の息子ですからね。運転の腕は保証しますよ」

私の義父の威仁(たけひと)親王殿下が得意げに言った。義父は日本で初めて自動車を購入した人だ。しかも、免許がないと自動車が運転できなくなった1902(明治39)年には、東京府で第1号の自動車運転免許を取得していることからも分かるように、自動車の運転はお手の物である。日本での自動車の発展を黎明期から見守ってきた義父の言葉には説得力があった。

「うらやましいですなぁ、内府殿下は。そんな自動車運転の達人と、毎週のように自動車で出かけられているのですから」

「あ、いや、その……」

 西郷さんののんびりした言葉に、私は照れてしまったけれど、

「達人かどうかまでは分からないですけれど、栽仁殿下は成久殿下だけではなくて、鳩彦(やすひこ)殿下と稔彦(なるひこ)殿下と輝久(てるひさ)殿下にも自動車の運転を教えていました。私の時代なら自動車の教習所がたくさんありましたけれど、今、自動車の教習所って全国に2、3校しかないですからね」

と西郷さんに答えてみた。

 すると、

「内府殿下、そのお話、後で詳しく聞かせていただいてよろしいですか?」

児玉さんが目をキラキラさせながら私に尋ねた。

「え……?どの話ですか?栽仁殿下の話は、プライベートになるのでしたくないのですけれど……」

「そのお話も伺いたいですが、私が聞きたいのは、内府殿下の時代の自動車……主に、運転免許の取得の流れについてでして」

 困惑してしまった私に、児玉さんはこう言うと、私をじっと見つめる。

「ん?商売のタネでも見つけたのか、源太郎?」

 国軍大臣の山本さんの問いかけに、

「まぁ、そんな所ですよ。本当は今すぐお話を聞きたいのですが、そうしてしまうと梨花会が進まない。ですから後で、と申し上げたのですが」

児玉さんは私から視線を離さずに答える。私が児玉さんから放たれる圧力に負けそうになった時、

「児玉大将の言う通りだな」

兄が苦笑しながら言った。児玉さんも私も、そして他の一同も兄に頭を下げた。

「わたしも梨花の話を聞きたくて仕方がない。だが、そうすると用意した議題が終わらない。……桂総理、会議を進めてくれないか」

 兄の穏やかな声に、内閣総理大臣の桂さんが「はっ」と大仰に答えた。


「それでは、エドワード皇太子の来日につきまして、改めて予定を確認させていただきます」

 桂さんは椅子から立ち上がると、来日まであと5日に迫ったイギリスのエドワード皇太子の日本でのスケジュールについて説明を始めた。

 エドワード皇太子が乗ったリヴェンジ級戦艦“レジスタンス”は、4月12日の午前中に横浜港に入港する。横浜港で彼を出迎える皇族は、迪宮さまと、接待役を命じられた私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁(てるひと)さまだ。皇族2人の出迎えは手厚すぎるような気もするけれど、迪宮さまがイギリスを訪問した時、港にエドワード皇太子と彼の大叔父であるコンノート公が出迎えに来てくれたため、今回、皇太子を含む皇族2人でエドワード皇太子を出迎えないと失礼になってしまう可能性があるので仕方がないらしい。

 エドワード皇太子の一行を乗せた特別列車は、横浜港を出発し、40分ほどで東京の南の玄関口・新橋駅に到着する。新橋駅でエドワード皇太子を出迎えるのは、兄以下、東京とその周辺にいる成年の男性皇族だ。

(ということは、(たね)さんとお義父(とう)さまはもちろんだけど、あとは、えーと……)

 桂さんの説明に私が考え込んだ時、

「内府殿下、ご心配なさらなくても、久邇宮殿下と梨本宮殿下はいらっしゃいませんよ」

宮内大臣の牧野さんが横から補足し、私に笑顔を向けた。

「あ、そうですね……」

 久邇宮殿下の勤務地は大阪、梨本宮殿下の勤務地は名古屋で、どちらも東京からは遠い。ホッとした私の頭上に、

邦芳(くにか)恒久(つねひさ)はいるが、奴らに梨花に何か言う度胸はないだろうよ。万が一、もし奴らが何か梨花に言って来たら、俺が止めるさ」

……という、兄の硬い声が降ってきた。

「……止めるなら、なるべく穏便に止めてね、兄上」

 私はこう言うのがやっとだった。もし兄が伏見宮(ふしみのみや)邦芳王殿下と、竹田宮(たけだのみや)恒久王殿下を叱責したら、2人とも気絶するだろう。あの皇族会議に、彼らも出席していたのだから。

「エドワード皇太子は新橋駅から天皇陛下と共に馬車で皇居に移動された後、皇居で天皇皇后両陛下との会見に臨まれ、ご宿舎の浜離宮に入られます」

 兄の邪魔がいったん去ると、桂さんは冷静に説明を再開する。エドワード皇太子一行は東京到着の夜、皇居での晩餐会に招かれることになっている。その晩餐会は、在京の皇族や閣僚たちも出席する大規模なものである。

 翌日以降、エドワード皇太子は多忙な日々を過ごす。東京市や東京帝国大学が主催する歓迎会に出席したり、桂さんと外務大臣の内田康哉(やすや)さんの公邸でそれぞれ開催される晩餐会に出席したり、歌舞伎を鑑賞したり、迪宮さまと一緒にゴルフをしたり……その間には、観桜会への参加や青山練兵場での観兵式、横浜港での観艦式もある。最初の9日間の東京滞在中にたくさんの予定が詰め込まれていて、私はエドワード皇太子が少し気の毒になった。

「それで、日光に行ったらいったん東京に戻って、それから鎌倉と箱根と富士五湖を遊覧して、京都・琵琶湖・奈良・大阪・神戸・厳島・鹿児島と回ってイギリスに戻るのね。すごくタイトなスケジュールだけど、大丈夫かしら」

 桂さんの説明が終わり、配布されたスケジュール表に目を通した私が眉をひそめると、

「イギリス側の要望で、このように予定を詰め込んだと聞いております」

大山さんがこんなことを教えてくれた。「イギリスから見れば、日本は簡単に訪問できる国ではありません。ですから、世界にも知られている日本の名所を、可能な限り網羅しておきたいのでしょう」

「古い話になりますが、廃帝ニコライも、日本を訪れた際、エドワード皇太子と同じように日本各地を巡りました。外国の皇太子が我が国を訪問するとなると、考えることは似通ってくるのかもしれません」

 山縣さんも大山さんに続けて言う。確かに、私も、外国を訪れた時は、名所を可能な限り回ったから、外国を訪問した際に人が取る行動は、その人がどの国の人間であっても似るのかもしれない。

多喜子(たきこ)輝久(てるひさ)との子供を身籠ったから、体調不良を理由に東京帝大の歓迎式典を欠席できるな」

 兄が両腕を組んで難しい顔で言う。「宮中での行事も心配だが……余り言うと大山大将が怖いからやめておく」

「そうね。ということは、観兵式と観艦式、それと輝仁さまの家での晩餐会が、日本にとっての山場かしら。蝶子(ちょうこ)ちゃんの場合は、観兵式と観艦式は関係ないけれど」

 私が兄にこう応じると、

「大山閣下。叔父さまの家での行事では、中央情報院はどのような方針で臨むのでしょうか?」

私の言葉を聞いた迪宮さまが大山さんに質問した。

秘密情報部(MI6)の油断を誘う方向で対応すると聞いています」

 大山さんはニヤリと笑った。「秘密情報部は年々成長しておりますが、中央情報院を超えたと秘密情報部が思えば、秘密情報部の成長は止まるでしょう。それを狙っていると金子さんは言っていました」

「相変わらずですね……」

 大山さんのセリフを聞いた山本五十六(いそろく)少佐が一瞬身体を震わせると、

「おや、五十六君、まだまだ修業が足りないようですね。エドワード皇太子が来るまで、僕がみっちり鍛えてあげましょうか」

陸奥さんが視線を投げながら山本少佐に微笑む。すると、あの豪胆な山本少佐が、目を見開いてしまった。

「そ、そう言えば、詠子(うたこ)さまと輝正(てるまさ)さまは、輝仁さまの家での晩餐会の時、どうするのかしら?」

 なんだか、妙な雰囲気になってしまっている。私が慌てて一同に問いかけると、

「皇太后陛下が鞍馬宮邸においでになって、詠子内親王殿下と輝正親王殿下のお相手をするそうです」

牧野さんがにわかには信じがたいことを言った。

「お、お母様(おたたさま)が、輝仁さまの家に?!」

 驚く私に「ええ」と牧野さんは頷いてから、

「詠子内親王殿下は、皇太后陛下によく懐いておいでです。それで、鞍馬宮邸での晩餐会と夜会の間、詠子内親王殿下と輝正親王殿下を大宮御所にお移ししてはどうかと鞍馬宮殿下が言い出されました。それを皇太后陛下に言上致しましたら、皇太后陛下の方から、鞍馬宮邸にお出ましになると仰せになられました」

と、事情を私に教えてくれた。

「はぁ……。でも、夜会まであるから、エドワード皇太子が輝仁さまの所を出るの、夜の10時を確実に過ぎますよ?お母様(おたたさま)をそんな遅くまで詠子さまたちに付き合わせたら、お母様(おたたさま)が疲れちゃうんじゃないかしら……」

「大丈夫だろう」

 心配する私に兄は言った。「大宮御所と輝仁の家は同じ敷地にあるのだ。それに、輝仁の家にお母様(おたたさま)が泊ってもいいのだぞ。あの家には客殿があるだろう」

 そう言えばそうだ。輝仁さまの家は、元々は兄の結婚直後に私が引っ越した屋敷である。当時、“青山御殿”と呼ばれていた輝仁さまの家に、私は節子(さだこ)さまが滞在できるようにと客殿を設けてもらったのだ。そこが改装されたという話は聞いたことがないから、客殿は今でも機能するはずだ。

「イギリスの皇太子を迎えるのは、我が国にとっては初めてのことだ。しかし、今まで数々の外賓をもてなしてきた我が国なら、きっとうまくやれる。皆、しっかりと業務に励んで欲しい」

 兄がこう申し渡すと、梨花会の面々が一斉に最敬礼する。それに倣って下げた私の頭の中には、微かな不安が消えずに残っていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] そう言えば伏見宮って、つい先日貞愛親王が薨去したから跡を継いだ邦芳王の場合、喪中のド真ん中だから出席不能じゃないですかね?
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