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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第72章 1923(大正8)年小寒~1923(大正8)年穀雨
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接待役の変更

 1923(大正8)年2月3日土曜日午後1時30分、赤坂御用地内にある鞍馬宮(くらまのみや)邸。

「お願い、輝仁(てるひと)さま!」

 鞍馬宮邸の応接間。前に座っているこのお屋敷の主人・鞍馬宮輝仁さまに、私は両手を合わせながら頭を下げた。

「あなたしかいないのよ、この大役ができるのは」

「いや、拝んでも何も出ないから、(ふみ)姉上」

 私の懇願に、私のたった1人の弟は、意外にも冷静に応じる。

「拝みたくもなるわよ、この状況……」

 私は大きくため息をついた。「決めていた接待役が急にいなくなるなんて、考えてもいなかったんだもん……」

 先月の26日、皇族の重鎮である伏見宮(ふしみのみや)貞愛(さだなる)親王が、脳溢血で急逝した。歩兵大将で宮家の当主である彼の葬儀は国葬として行われることが決まったけれど、葬儀とは別の問題が発生した。貞愛親王殿下は、この春に来日するイギリスのエドワード皇太子の接待役になっていた。従って、皇族の中から新しい接待役を選び直す必要が生じたのだ。

「そもそもさぁ、俺よりもエドワード皇太子の接待役にふさわしい皇族って何人もいるだろ」

 輝仁さまは私に不満げに反論する。「有栖川宮(ありすがわのみや)さま、確かイギリスに留学してたことがあったよな?それに、(ふみ)姉上と栽仁(たねひと)兄さまだって、俺と一緒にイギリスに行ったじゃないか。“イギリスに行ったことがある”ってだけで、俺をエドワード皇太子の接待役にするんなら、有栖川宮さまと栽仁兄さまも接待役候補に入れるべきだぜ」

「まぁ、その通りなんだけど、この間の皇族会議のことを考えるとね」

 弟の鋭い質問に答えると、私は出されたお茶を一口飲んだ。

 先日の皇族会議前の騒動は、私を嫌っている人と、私に近い人との争いになった。前者の代表は私を侮辱した久邇宮(くにのみや)殿下と梨本宮(なしもとのみや)殿下で、後者の代表は栽仁殿下や北白川宮(きたしらかわのみや)成久(なるひさ)王殿下などだ。そして、私の義父の有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下は後者に含まれる。なんせ、私が売られた喧嘩を買おうとしていたのだから。

 あの皇族会議の記憶が新しい今、義父や夫にエドワード皇太子の接待役を命じてしまうと、兄は後者の側を贔屓していると皇族たちに思われてしまう。もちろん、久邇宮殿下と梨本宮殿下に激怒したことからも分かるように、兄は後者の肩を持っているのだけれど、それを改めて示すような人事はしてはいけないのだ。

「……そう言われれば、そうだな。(ふみ)姉上、色々考えなきゃいけないから大変だな」

 頷きつつ、私を気遣ってくれる弟に、

「本当、気を遣わないといけないからね」

私は微笑してみせた。「本当は、筆頭宮家の秩父宮(ちちぶのみや)さまが接待役をするのが一番なのだけれど、秩父宮さまは江田島で勉強中だから東京に戻れないでしょ。だから、接待役として一番適任なのは輝仁さまなのよ。イギリスに行ったこともあって、秩父宮さまに次ぐ格式の高さを誇る宮家の当主であるあなたがね」

「……理屈は分かったよ」

 輝仁さまはそう言って、大きく息を吐いた。

「だけど、俺としては心配な点がいくつかあるんだ」

「どんなこと?」

「もし俺が接待役をするとしたら、この家に、一度はエドワード皇太子を招かないといけないだろ。いいのかよ、中央情報院の本拠地にイギリスの使節団を入れても」

 輝仁さまは、私に当然の問いを投げた。このお屋敷が鞍馬宮邸ではなく“青山御殿”と呼ばれていた頃から、この屋敷の別館は中央情報院の本拠地となっている。日本とイギリスは同盟を結んでいるけれど、だからと言って日本の諜報の実態をイギリスにそのまま晒すわけにはいかない。輝仁さまが心配するのももっともだ。

「そこはね、金子さんに確認した」

 私は中央情報院の総裁の名を挙げた。「“どうとでもなる”と言われたわ。完璧に隠してもよし、敢えて無防備な様子を見せてMI6を侮らせてもよし……状況でどうするか決めるってさ」

「うへぇ……そこまで考えてるのかよ、金子閣下は……」

 輝仁さまは目を丸くすると、

「俺、とてもじゃないけどついていけないや。そりゃ、諜報にはそれなりに興味はあるけどさ、空を飛んでる方が性に合うんだよなぁ……」

そう呟いてため息をつく。

「……まぁ、そういう訳だから、院に関する心配はしなくていいわ。で、他に心配なことはあるの?」

 私が質問すると、

「……蝶子(ちょうこ)のことなんだ」

輝仁さまは思いがけない答えを私に返した。

「蝶子ちゃん?……あの、もしかして、おめでた?」

「いや、そうじゃなくてさ」

 輝仁さまは2、3度首を左右に振ると、

「これ、(ふみ)姉上には伝えてなかったんだけどさ、イギリスにいた時、蝶子の話をエドワード皇太子にしたら、妙に食いついてきたんだよ」

と少し声を潜めて言う。

「ここだけの話、エドワード皇太子って女遊びが激しいらしいじゃないか。だから、蝶子が妙なことをされないか心配でさ……」

「大丈夫よ。そんなことしたら私がエドワード皇太子を殴るから」

「いや、(ふみ)姉上が殴ってどうすんだよ。“世界の平和の女神”が、暴力を振るったらいけないだろうが」

 私が右の拳を固めながら即座に答えると、輝仁さまは私にツッコミを入れた。

「でも、輝仁さまと蝶子ちゃんの平和が破られようとしているのよ。それなら姉として、平和を守らないといけないじゃない」

「だからって、実力行使するのかよ、エドワード皇太子に。そりゃまずいぜ、(ふみ)姉上。国際問題になったらどうすんだよ」

「まぁ、そう言われれば……」

 私が呟いて、考えを深めようとした時、応接間と廊下を隔てる襖がガタっと音を立てた。強い風が吹いたのか、と一瞬思ったけれど、今日の風はそんなに強くない。変だなぁ、と思っていると、襖が僅かに動いた。

「どうした、(ふみ)姉上?」

 襖を見つめている私に、弟が訝しげに声を掛ける。私は唇の前に左の人差し指を立て、静かにするように弟に合図すると、素早く椅子から立ち、襖をサッと開けた。

詠子(うたこ)!」

 輝仁さまが目を丸くして立ち上がる。私が開けた襖の向こうには、輝仁さまの長女で3歳9か月になる詠子さまが立っていたのだ。まさか私が襖を開けると思っていなかったのか、詠子さまはきょとんとして廊下に突っ立っていた。

「詠子、お前、何してんだ?」

 輝仁さまが詠子さまに近づきながら尋ねると、

「父上、母上は襲われちゃうの?」

詠子さまは不安そうな瞳で父親を見つめながら聞いた。

「ああ……父上と章子伯母さまの話を聞いてたのか」

 輝仁さまは屈んで、詠子さまと目の高さを合わせると、

「大丈夫だ。父上が母上を守るからな」

力強い声で娘に言い聞かせる。こくりと頷いた詠子さまに、

「ほら、父上は伯母さまと大事な話をするから、母上の所に行って遊んでなさい」

輝仁さまがこう言うと、詠子さまは「はい」と素直に返事をして応接間から去っていった。

「元気だね、詠子さまは」

 襖を元のように閉めた弟に話しかけると、

「今日はおとなしい方だな」

軽くため息をつきながら彼は答え、椅子に腰を下ろした。「もっと大変なことも多いぜ。ゴムまりを投げて盆栽を倒そうとしたり、ハサミで庭に植えてある花を丸坊主にしたり……。正月の時なんて、俺の正装の背中に太い筆で大きく“一”の字を書いてさ。本当に参ったよ」

「それはかなりのいたずらっ子ね」

 私は弟に苦笑いを向けた。「小さい頃の輝仁さま以上かも」

「だな」

 頷いた弟に、

輝正(てるまさ)さまは元気なの?」

私は詠子さまの弟で1歳2か月になる輝正さまのことを尋ねてみた。

「ああ。詠子と比べるとおとなしいけどな」

「分からないわよ。成長したら、詠子さまみたいないたずらっ子になるかも」

 私はクスっと笑うと、

「さて、用件は終わったから私は帰るね」

と言いながら椅子から立ち上がった。

「ええ?もう帰るのかよ」

「ごめんね。子供たちの勉強を見てあげる約束をしていて。……ああ、そうだ。紀元節の頃までには、今日の話を受けるかどうか決めておいてね」

「え゛」

「何よ、変な声出さないでよね」

 変な反応をした弟を注意してから、

「紀元節の頃に、兄上があなたを呼んで今日の話の返事を聞くから、蝶子ちゃんや金子さんとも相談しておいて。嫌だったら、受けなくてもいいって兄上が言ってたわ」

と私は告げた。

(と言ったけれどね……)

 恐らく、輝仁さまは接待役を引き受けるだろうと私は思った。実は、鞍馬宮家の別当でもある中央情報院総裁の金子さんは、既に輝仁さまが接待役をすることに賛成しているのだ。輝仁さまが引き受けるのを渋ったら、金子さんが説得してくれるだろう。

(我ながら、悪い姉だなぁ……)

 抱いてしまった感想を顔に出さないように注意しながら、私は輝仁さまに別れの挨拶をして鞍馬宮邸を辞した。


 1923(大正8)年2月12日月曜日午前11時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「やれやれ、輝仁がエドワード皇太子の接待役を引き受けてくれて助かったな」

 お茶を一口飲んでから、先ほどの輝仁さまとの面会の感想を述べた兄に、

「うん、先に金子さんに手を回しておいてよかったわ」

と私は微笑して応じた。つい30分ほど前、輝仁さまは兄に呼ばれ、この御学問所で兄と話をした。そして、エドワード皇太子の接待役を引き受けてくれないかという兄の頼みに快く応じてくれたのだ。

 と、

「……」

妙な視線を感じて、私と兄は入り口の方を同時に見た。私と兄にお茶を持ってきた大山さんが、口を真一文字に引き結んで私を見つめていたのだ。

「大山さん、蝶子ちゃんなら大丈夫だよ」

 私は少し呆れながら言った。「蝶子ちゃん、輝仁さまと結婚して何年も経つんだよ。今までにもいくつか儀式や行事にも出席しているけれど、そつなくこなしているじゃない。あなたが仕込んだから、英語にもフランス語にも不自由しないし、お義父(とう)さまから教わった舞踏もなかなかの腕前よ」

「それは分かっておりますが……」

 ムスッとしたまま私に答える大山さんに、

「大丈夫だよ、大山大将。蝶子は梨花と同じように、日本が誇る立派なプリンセスに成長した。それに、エドワード皇太子が妙なちょっかいを出してきたら、輝仁が全力で守ってくれるよ」

兄がなだめるように言った。

「そうよ。結婚する時に、輝仁さまは兄上に蝶子ちゃんを守るって誓ったじゃない。それに、私が一緒にいる時は、私も蝶子ちゃんを全力で守るわ。だから心配しないで、大山さん」

 大山さんは口を閉ざしている。けれど、私を見つめる瞳からは、刺々しさが消えていた。気持ちは落ち着いたのだろうと判断した私は、

「さて、これからイギリス側と打ち合わせて、エドワード皇太子の日本滞在中のスケジュールを決めないといけないわね」

と兄に話しかけた。

「ああ、牧野大臣によると、イギリスからは、“観艦式を開催してはいかがか”と言ってきているらしい」

「やっぱりねぇ……」

 兄の言葉に私は顔をしかめた。

「やらざるを得ないでしょうけれど、どの艦を参加させるかは考えないといけないわね」

「しかし、我が国の面子もあるから、ある程度は軍艦を出さないといけないだろう」

「ということは、“祥鳳(しょうほう)”と“瑞鳳(ずいほう)”も出さないといけないかしら」

 昨年進水した新鋭の航空母艦の名前を私が挙げると、

「そうなるが……最終的には梨花会の面々の意見も聞くべきだろう」

そう言った兄は「それよりも」と話題を変えにかかった。

「東京での行事をどうするか考えなければならない。裕仁(ひろひと)がロンドンに行った時の歓迎行事と同じようにすればいいかと思うが」

「……どんな行事があったっけ、兄上?」

「確か、バッキンガム宮殿で晩餐会に呼ばれて、先帝とヴィクトリア女王の墓に詣でて……」

 私の質問に、兄は指を折りながら答え始めた。

「ロンドン塔にも行っていたし、観劇もしていた。オックスフォード大学にも行っていたような……」

「つまり、それをエドワード皇太子の場合に置き換えて考えると、東京市内の名所や、歌舞伎や能の見学をしてもらって、東京帝大にも行ってもらって……」

 考えながら言った私は、ハッと気が付いて、

「ダ、ダメだよ兄上!」

と思わず叫んでしまった。

「ん?」

「だって、帝国大学には多喜子(たきこ)さまがいるじゃない!」

 少し首を傾げた兄に、私は声を叩きつける。東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)王殿下に嫁いだ私と兄の末の妹である多喜子さま。彼女は東京帝国大学理科大学に在学中なのだ。

「そうだ……」

 兄は目を見開くと、

「待てよ、そうなると、皇居での行事も危険か?」

と言い始めた。

「どういうことよ?」

「皇居には珠子(たまこ)がいるだろう」

 兄は緊張した表情で私に言った。「万が一、エドワード皇太子が珠子に手を出そうとしたら……」

「そ、それ、ヤバすぎるじゃない!」

 私は椅子から立ち上がった。「どうするのよ!本当にそんなことが起こったら、文句の1つも言いたいけれど、そんなことをしたら、イギリスがどう出るか……」

 私が顔を青ざめさせながら言ったその時、

「陛下も梨花さまも落ち着いてください」

大山さんが呆れた声で私たちに呼びかけた。

「あるはずがないでしょう。いくらエドワード皇太子が好色だとしても、他国の皇族に手を出すことがどれだけ危険なことかはご存じのはず。例えエドワード皇太子がそれを望んでいたとしても、周囲に必ず阻止されます。それに、中央情報院も控えているのですよ?」

「……その通りだな」

 兄はため息をつき、私も両肩を落とした。

「まったく……これしきのことで動揺なさっていてはいけません。明日の演習では、またたっぷりとしごかなければなりませんな」

 大山さんは微笑しながら、私たちに恐ろしいことを言う。私と兄は目を見合わせると、再びため息をついたのだった。

※伏見宮貞愛親王の実際の薨去日は1923年2月4日です。


※あと、“祥鳳”“瑞鳳”はもちろん実際のスペックとは違うでしょうが、どんな船か考えていません。(金剛型よりちょっと長い船体に220mぐらいの航空甲板というイメージはありますが)

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