後始末(2)
1922(大正7)年12月2日土曜日午後2時15分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「……よって、今回の久邇宮殿下と梨本宮殿下が内府殿下を侮辱した件は、皇室典範にある“品位を辱むるの所行”であると、わしとしては結論付けたいのであります」
昨日の皇族会議を受け、急遽開催された梨花会は、牧野さんによる事件の経過報告の後、伊藤さんの演説となっていた。本当は私が発言しようとしたのに、伊藤さんが私より早く挙手してしまい、司会役の桂さんが伊藤さんを指名してしまったのだ。
「うん、伊藤さんのおっしゃる通りじゃのう」
伊藤さんの演説が終わると、西郷さんがゆったりと頷く。黒田さんと松方さんも首を縦に振っていた。
「内府殿下、何かご反論は?」
枢密顧問官で前宮内大臣の山縣さんが、私を刺すように見つめる。山縣さんは伊藤さんと黒田さんと一緒に牧野さんの所に押しかけたから、もちろん強硬派の1人である。
「ええと、皇族としての品位を辱める行為、あの会議中、半数ぐらいの人がやっていました」
私は昨日の皇族会議の様子を思い出しながら言った。「稔彦殿下は、梨本宮さまを臆病者と罵っていましたし、輝久殿下と竹田宮さまはお互いを“バカ”と罵っていました。それに、お義父さまと山階宮さまは、喧嘩を仲裁するどころか、騒ぎに加わろうとしていましたし……もし久邇宮さまと梨本宮さまを罰するなら、彼らも罰するべきだと思います」
すると、
「嫁御寮どのは、不思議なことを言いますね」
私の義父の威仁親王殿下が不満そうに言った。
「売られた喧嘩を買うのは、人としての礼儀でしょう」
「そんな礼儀が地球のどこにありますか!」
私は全力で義父にツッコミを入れた。「そういうのは反応しちゃダメで、スルースキルを磨かないと……いや、そうじゃなくて、喧嘩を買ってはいけない時はたくさんあります!それに、これは私が売られた喧嘩ですから、私があの2人をさっさと殴るべきだったんです!それなのに、騒ぎが大きくなってしまって……」
「なるほど、つまり、今の内府殿下も含めて、皇族としての品位を辱める行為をした者が多数いた、と……。確かにそれを考慮すれば、どこまで処罰を下すかという問題が発生します。何人もの皇族が謹慎や停権の処分を食らってしまえば、日本中が大騒ぎになります」
横からチクリと言った前内閣総理大臣の西園寺さんに、
「処分されたのが1人でも、大騒ぎになるのは変わりません」
と私は指摘した。
「私が最も懸念しているのは、あの2人への処分が下ったと発表された時、または、今回の会議の情報が外部に漏れた時、私に憧れる女性たちが、あの2人を襲撃することです。そんなことが起こってしまえば、今まで暴力的な事件を起こさないようにと梨花会の皆で何十年も努力してきたのが無駄になります。いいんですか?今回の件のせいで、世に不満があれば政府高官や皇族を暗殺すればいいという風潮が生まれてしまっても」
「その通りだ!」
末席の方にいる外務次官の幣原さんが、叫びながら立ち上がる。その他、山本少佐、山下さん、堀さん、浜口さんや高橋さんも、深く頷いていた。
「内府殿下のおっしゃる通りです。一度“政府高官や皇族を暗殺すればよい”と言う風潮が生じてしまえば、日本だけでなく世界も乱れてしまいます。それは将来的に、世界大戦という悪夢を現実のものにしてしまいかねません」
元内閣総理大臣で貴族院議員の渋沢さんが私を援護射撃する。昨日の午後、事態を収拾するために接触した時から、渋沢さんは私の考えに全面的に賛同し、他の面々への説得にも協力してくれていた。
「皆さんが久邇宮さまと梨本宮さまを懲らしめたいと言う気持ちは分かります」
渋沢さんの言葉に力を得た私は、一同に向かって言った。
「けれど、一時の激情に駆られて彼らに処分を下してしまえば、その災いを私たちはずっと被ることになります。兄上があの2人を叱ったことで、既にあの2人には十分すぎる罰が下っています。だから、新たに罰を与える必要はありません。今回の一番の被害者である私はそう考えます」
そして、結論を述べると、出席者一同を見渡す。もちろん、ありったけの威厳をかき集めてだ。
「ううむ、確かにごもっとも。社会の安定には必要な処置でございますな」
内閣総理大臣の桂さんが両腕を組むと、国軍大臣の山本さん、内務大臣の後藤さん、国軍航空局長の児玉さんが一様に渋い顔をして頷く。このあたりの面々には、渋沢さんが説得をしていたはずだ。“どうなるか分からない”と渋沢さんからは報告されていたけれど、この様子だと、暴論に乗るという愚かな行為に加担することは自重したらしい。
「ご自身の名誉が傷つけられることよりも、国への今後の影響をお考えになって……私より公を尊重するご決断、内府殿下に改めて感服いたしました」
野党・立憲自由党総裁の原さんは、しみじみとこんなことを呟いている。一応、昨日、原さんにも手は回して、私への協力を取り付けたのだけれど、この言葉が彼の本心からの言葉なのかどうか、私には分からなかった。
「つまらないですねぇ」
その原さんの師匠、枢密顧問官の陸奥さんが、前髪をかき上げながら言った。「僕は、久邇宮殿下と梨本宮殿下に、もっと罰を与えてもいいと思っていたのですよ。内府殿下に無礼な口を聞いてお咎め無しでは、示しがつかないではないですか」
「陸奥閣下、それは閣下が楽しみたいからおっしゃっているだけでしょう」
国軍参謀本部長の斎藤さんが、手厳しい指摘を加える。この人も、私が事態の鎮静化のために根回しをした1人だ。
「もしこのことが何らかの形で公になってしまえば、久邇宮殿下と梨本宮殿下の所には、女性たちだけでなく、外国からの刺客もやってきてしまうかもしれません。それどころが、ドイツの皇帝がやってくる可能性も……。軍縮会議を再来年に控え、更に、イギリスのエドワード皇太子も来春に来日されるというこの状況で、他国を刺激する動きは極力起こしてはなりません」
「斎藤さんの言う通りです」
最強の援軍の言葉に、私は深く頷いた。「諸般の事情を考えると、久邇宮さまと梨本宮さまには、処分を下さないのが妥当です。それが日本の……いいえ、世界平和のために必要なことなのです!」
このセリフを口にするのは恥ずかしかったけれど、必要だと思ったので、私は努力でして大声で言い放った。
すると、
「何と……何とお優しく、慈悲深いのか……」
山縣さんがうつむいて涙を流し始めた。
「世界平和のためには、相手を許すことが肝要、と……。この山縣、内府殿下のお考えに賛同致します……」
(よしっ!)
私は心の中でガッツポーズを決めた。これで強硬派の一角は崩れた。あとは、残りの血気に逸る人たちの心を折っていくだけだ。
「ぐぬ……」
黒田さんが唸っているその隣から、
「大山さんはそれでいいのか?仮にも、ご主君が侮辱されたのだぞ?」
伊藤さんが焚きつけるように大山さんに問いかける。
「それは……思う所は多々あります」
大山さんが暗い声で伊藤さんに答えたので、私はギョッとした。もし、大山さんが強硬論に賛成してしまったら、結論が悪い方向に向かってしまう。
「しかし、梨花さまが、あの2人を罰さなくてもよいとおっしゃっているのです。臣下としては、ご主君のおっしゃることに従うしかないではありませんか」
「なるほど、ならば仕方ないかのう」
大山さんの答えを聞いた西郷さんは、明らかに残念そうに呟く。その一方、私は心底からホッとしていた。
「陛下と皇太子殿下はいかがですか」
大山さんは動かないと見たのか、伊藤さんは視線を私より上座に向ける。
「仕方なかろう。肝心の本人がああ言っているのだから」
軽くため息をついた兄の言葉に、
「僕も、良子とその父親とは別ですから、良子のことは考えに入れないで下さい、と梨花叔母さまに話したのですが、叔母さまは、それでもご自分の考えは変えないとおっしゃいました」
という、迪宮さまの発言が続く。流石の伊藤さんもこれを聞いて黙り込んでしまった。
と、
「しかし、謝罪は必要でしょう」
黒田さんが憮然とした表情で言った。「何らかの形で、あのお2人から内府殿下に謝罪をしていただかなければ」
「ちょっと待ってください、それは……」
反論しようとした私の声は、「その通り」「そうだ!」という梨花会の面々の反応にかき消されてしまった。
「ダメですよ、そんなの!あの2人はもう十分に罰を受けて……」
謝罪というのは、文書でだろうか。それとも口頭でだろうか。文書では後に残ってしまうし、口頭での謝罪であっても、同時に金品が渡ってしまえば、それが証拠として残ってしまう。それが後々スキャンダルとなって、暴力事件の原因になってしまうのは避けなければならない。私が必死に反論しようとした時、
「謝罪が無ければ、梨花を侮辱した者を野放しにしておいていいという理屈が生まれるぞ」
兄がやや不機嫌そうに私に言った。「それではけじめがつかない。だから梨花、あの2人の謝罪を受けろ」
「……分かったよ」
兄と、そして梨花会の面々からの圧力に負け、私は首を縦に振った。
「でも、詫び状とか、詫びの品とかは絶対にいらないからね。ただ頭を下げてくれればそれでいいから」
私の要望に、「仕方ないな」と兄は答えると、
「では大山大将、あのけしからん者たちを早速呼び出せ」
大山さんにこう命じた。




