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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第71章 1922(大正7)年小満~1922(大正7)年小雪
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後始末(1)

 1922(大正7)年12月1日金曜日午前11時15分、皇居・表御座所にある内大臣室。

 私が皇族会議での華頂宮(かちょうのみや)博恭(ひろやす)王殿下の動静を振り返って慄然としたその時、内大臣室のドアがノックされた。大山さんが応接用の椅子から立ち上がってドアを開けると、

「お姉さま!」

大山さんの身体のそばをすり抜けて、節子(さだこ)さまが部屋に飛び込んできた。

「さ、節子さま?」

 皇后である節子さまの普段の居場所は奥御殿だ。平日の日中にこうして表御座所に現れるのは異例と言っていい。戸惑う私に、節子さまは掴みかからんばかりの勢いで近寄ると、

「聞きましたわ、先ほどの皇族会議のこと!」

と、興奮しながら言った。

久邇宮(くにのみや)さまと梨本宮(なしもとのみや)さまが、梨花お姉さまを侮辱したんですってね!」

「あ、ああ、うん、そうだけど……」

 何とか相槌を打った私に、

「本当、失礼しちゃいますよね!お姉さまは内大臣として、毎日頑張っていらっしゃるのに!嘉仁(よしひと)さまからそのことを聞いて、私、心底腹が立ちました!ああ、久邇宮さまと梨本宮さまの家に、殴り込みに行こうかしら!」

節子さまは鼻息荒くまくし立てる。

「殴り込み……」

 オウム返しのように呟いた私はハッとした。

「……節子さま、兄上から聞いた話、誰かに言った?」

「いいえ。聞いてすぐここに参りましたから、誰にも」

「そのまま誰にも言っちゃダメ」

 節子さまの答えに私はこう返すと、

「大山さんもよ」

と言いながら、我が臣下に目を向けた。

「さっきから私があなたに話したことは、誰にも言わないで。それから、皇族会議の出席者や関係者にも、全員、箝口令を敷いて。いい?皇族会議のことは、絶対に報道させないでよ」

「は?梨花さま、なぜでございますか?」

「久邇宮さまと梨本宮さまが、私に憧れる女性たちに襲撃されたらどうするのよ!」

 訝しげに問い返した大山さんに、私は叩きつけるように答えた。「そんな事件の発生を許したら、世に不満を持つなら政府高官や皇族を殺せばいいという風潮が広まっちゃうわ!そういうことが起こらないように、梨花会の皆で何十年も努力してきたのが無駄になる!このままだと、日本に将来必要な人たちが、不要な暗殺で何人も死ぬことになるわ。それは絶対に避けなきゃ!」

「梨花さまがそうおっしゃるのならば……」

 大山さんは頭を下げた。明らかに不満そうではあったけれど。

「頼んだわよ、大山さん」

 念を押すと、私は椅子から立ち上がって内大臣室を出た。向かうのは奥御殿だ。表御殿から表御座所に立ち寄ることなく奥御殿に戻った兄は、書斎で本に目を通していた。

「箝口令を敷くのは承知したが……それからどうするのだ?」

 私から一通りの説明を聞いた兄の身体からは、怒りは殆ど消えていたけれど、私に問う声には刺々しさが残っていた。

「それで終わりよ」

 私の答えに、兄は「何……?」と右の眉を跳ね上げた。

「梨花、お前は自分があの2人に何をされたのか分かっているのか?」

「分かってるわよ。侮辱されたってことは」

 鋭さを帯びる兄の声に、私は負けずに言い返した。

「ならば、邦彦(くによし)守正(もりまさ)を許すなど以ての外だ。俺は、あの2人に懲罰を与えてもよいと思っている。“皇族身位(しんい)令”に基づいてな」

 “皇族身位令”というのは、皇族の叙勲・任官・臣籍降下などについて定めた皇室令だ。その中に、確かに皇族の懲戒について規定する箇所がある。

「少なくとも、謹慎処分にはしなければならないだろう。それか、再び皇族会議を招集しなければならないが、皇族特権の停権か剥権の処分を下すか……」

「だから、それはダメ!」

 不穏なことを口走る兄を私は慌てて止めた。

「どうしてだ」

「そんなことをしたら、処分を官報に載せないといけないでしょう!」

 顔をしかめる兄に、私は必死に声を叩きつける。「さっきも言ったけど、この事件は絶対に外に漏らしてはいけないの。もし漏れたら、世の女性たちが暴発する。そして社会が不安定になる。梨花会の皆で何十年も努力してきたことが、水の泡になってしまうのよ。……私は嫌だからね。そのせいで、日本が世界大戦に巻き込まれて、“史実”の第2次世界大戦と同じような状況になるのは」

 大げさに言い過ぎたかもしれない。けれど、相手の論理のデメリットを大きく見せるには必要な言葉だろう。私は無言で睨みつける兄の視線を受け止めながら、

「もちろん私だって、あの2人をぶん殴ろうとは思った。でも、兄上があの2人を滅茶苦茶叱ってくれたから、あの2人は私の拳骨より1万倍くらい大きなダメージを負ったわ。だから私はこれで手打ちにしたいの。日本のためにもね」

と言って、兄をじっと見つめた。

「……仕方ないな。梨花がそこまで言うなら」

 数秒の睨み合いの後、兄は私から視線を外すと、そう言ってため息をついた。

(よかった……)

 私は胸をなで下ろした。兄が先ほどの会議の時のように激怒してしまっていたら、私は恐怖の余り、兄を説得する言葉を失っていただろう。今も機嫌は悪そうだけれど、怒りは殆ど消えていたから何とかなった。

 と、

「陛下、内府殿下、よろしいでしょうか」

廊下に面した障子の向こうから、宮内大臣の牧野さんの声が聞こえた。「入ってよい」と兄が応じると、緊張した表情の牧野さんが兄の書斎に足を踏み入れた。

「陛下……黒田閣下、そして伊藤閣下と山縣閣下が私の所にいらっしゃいまして、梨花会を明日、緊急に開催するよう求めてこられました」

「え……?」

 私は首を傾げた。梨花会の定例開催日は第2土曜日……つまり8日後だ。それまでに話し合わなければならないことがあるのだろうか。

 すると、

「先ほどの皇族会議に関して、久邇宮殿下と梨本宮殿下に報復しなければならない、その内容を迅速に決めなければ……と、お三方とも息巻いておられます」

牧野さんは考えられうる限り最悪な情報を告げた。私は両腕で頭を抱えて天を仰いだ。

「……報復なんて、そんなことは絶対にさせませんよ。今回の件が外に漏れたら、どれだけの騒ぎになると思ってるんですか」

 私がそう言って、頭を2、3度横に振ると、

「私もそう思います。内府殿下が侮辱されたと外に漏れれば、国民、及び諸外国の要人の暴発を招きます。何としてでも、事態を鎮静化させなければなりません」

牧野さんは力強く言った。どうやら、牧野さんは私と同じ考えであるようだ。

「明日の梨花会開催は仕方ないです。そこで伊藤さんたちの暴走を全力で止めます。牧野さん、協力していただけますか?」

「もちろんです」

 牧野さんが首を縦に振ったのを確認すると、

「兄上もそれでいいわね?」

私は難しい顔をしている兄に尋ねた。

「……仕方ないな」

 兄は渋々と言った感じで頷いた。

「……とりあえず、暴発しそうなのは、伊藤さん、山縣さん、黒田さんの3人ですかね」

 兄の書斎から牧野さんと一緒に退出すると、私は歩きながら牧野さんに確認した。

「そこはもちろんですが、私より古参の方々は、過激な論調に乗ってしまう可能性が高いです」

 牧野さんは私の隣を歩きながら、固い表情で言った。

「となると、西郷さん、陸奥さん、松方さん、西園寺さん、高橋さん、原さん、山本さん、桂さん、児玉さん……このあたりですか」

「ええ、特に、現役の国会議員が過激な論に乗ってしまえば大変なことになります」

 牧野さんの言葉に、私は黙って頷いた。確かに、今回の事件が国会議員たちに漏れてしまえば、貴族院も衆議院も大騒ぎになってしまう。そうなれば、この件が新聞やラジオで報道されてしまい、事態は最悪の方向へ向かう。

「恐らく枢密顧問官の方々には情報が漏れていると思います。内府殿下、私はこれ以上の情報流出を防ぐため、枢密顧問官の方々に接触し、あわせて説得を試みます」

「分かりました。じゃあ私は、残りの梨花会の面々に接触して、暴論に乗らないようお願いして、更に協力者を募ります。牧野さん、事態を収めるために、全力で頑張りましょう!」

 私が牧野さんの目を見て言うと、牧野さんも私の目を見つめ返して頷いた。

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― 新着の感想 ―
いっそ各々の妃方に、尻を敷かれては? 今回の事態を妃や子供達に知らせてどれほど非常識かをみっっっっちり教えて差し上げたらよろしいかと思います
[一言] 何処かの段階であると想定された話でしたがとうとうですね。 梨花が皇族で先帝の数少ない娘、当代の信頼厚い妹で内大臣とかほとんどの人間が文句が言えないうえに愛されているキャラだけに彼女に絡んで…
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