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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第71章 1922(大正7)年小満~1922(大正7)年小雪
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抜き打ち試験

 1922(大正7)年10月3日火曜日午前10時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「陛下、梨花さま、ご説明いただきましょうか」

 今日は週に1回の、梨花会の面々による机上演習が行われる日である。宮内大臣の牧野さんと一緒に御学問所に入ってきた、今週の机上演習担当者である大山さんは、私と兄に鋭い視線を投げた。

「今日はこれから机上演習でしょう。それなのになぜ、この時間に、関係の無い牧野さんを御学問所にお呼びになりましたか?」

「……それはね、牧野さんを交えて緊急会議を開く必要が生じたからよ」

 兄の横の椅子に座った私は、大山さんに答えると大きなため息をついてみせた。「今年のノーベル生理学・医学賞の受賞者が、東京帝大の近藤先生に決まったのは知っているでしょう?」

「もちろん。昨日は非番でございましたから、新聞で読みました」

 大山さんは冷静に私に言う。「受賞理由はABO式血液型の発見……そこから派生した輸血の理論が、多くの患者を救っていることを考えますと、近藤先生がノーベル賞を授与されたのは遅すぎるのではないかとも思いますが……それが何か?」

「受賞が遅すぎたという意見には全面的に賛成するけれど、今回私が問題にしたいのはそこではないの」

 私はこう言うと椅子から立ち上がった。

「はぁ。と言いますと……」

「ノーベル賞の授賞式はスウェーデンでやるから、近藤先生は日本を離れなくてはならないわ。その期間は少なく見積もっても2か月……近藤先生がご自身の勉強のために欧米の各地を回られるのなら、もっと時間がかかることになる」

 いまいち乗り気でないような口調で応じる我が臣下に、私は熱意をこめながら説明を加え、

「近藤先生は現時点で、私を除けば、兄上に侵襲的な治療ができるただ1人の医師……もし近藤先生が日本にいない間に、兄上に侵襲的な治療が必要になったら、誰も兄上に治療ができないのよ!」

と、恐ろしい現状を指摘した。

 と、

「おい、梨花」

兄が横から私を呼んだ。

「先ほども聞いたが、お前が治療をするのはダメなのか?」

「残念だけど難しいわね」

 兄の問いに私は首を横に振った。「私が臨床を離れてから7年近く経った。万智子の産休から4年弱臨床から離れていた時も、臨床に復帰して手術の勘を完全に取り戻すまでに何か月か掛かった。ノーベル賞の授賞式は再来月だから、今から休みの時に東京帝大か国軍病院で勉強させてもらっても、勘は完全には戻らないわ」

「では今からでも、毎日東京帝大で医術の修業をすればいいではないか」

「毎日って、内大臣の職務はどうするのよ!」

「内大臣の職務をしながら、医術の修業をすればいいのではないか?」

「兄上は私を過労死させるつもりなの?!大体、手技だけじゃなくて、この時代の最新の医学の知識も身につけないと、手術の勘を完璧に取り戻すのは難しい……っ?!」

 喉元に鋭利な刃物を突き付けられたような感覚に襲われ、私の身体が一瞬震えた。恐る恐る振り向くと、我が臣下がこちらに向かってフルパワーで殺気を放っているのが見える。顔に苦笑いを浮かべた牧野さんが、大山さんから黙って一歩身体を遠ざけた。

「その……大山大将、いきなり殺気を放つのはやめてくれないか?」

 兄が微かに顔をしかめて言うと、

「陛下と梨花さまが言い争いをおやめになれば」

大山さんは穏やかな声で答える。既に彼の身体からは殺気は消えていた。

「しかし梨花さま、近藤先生が日本を離れることによって生じる問題は、今、緊急に協議をしなければならないほど、解決の手段が見えないのですか?」

 大山さんが更に穏やかな口調で紡いだ言葉に、私は軽く顔をしかめた。……嫌な予感がするけれど、何とか、兄の命令通りに会議を開く方向に持っていかないといけない。

「何言ってるのよ、大山さん。解決の手段が見えないから、私は兄上とも相談したの。それで、緊急に会議をしないといけないという結論に達して……」

 言い募ろうとした私の口の動きを、大山さんは「ですから」という重い声で止めてしまった。

「順当に考えればいいだけの話です。近藤先生は東京帝国大学医科大学で、日本一の外科医として、外科学教授として、数多くの後進を育てていらっしゃるはずです。それに他の医療機関で活動している外科医のことにも、臨床を離れていらっしゃる梨花さまより詳しいはずです。ですからまずは、近藤先生に意中の人物がいるか聞くことから始めるべきでしょう。従って、ここで議論をするのは意味のないことです。それにお気づきにならないとは、ご聡明な梨花さまらしくありませんな」

「あ、そうか……そうね……」

 大山さんの言葉に、私はがっくりとうなだれた。

「私も大山閣下と同意見ですね」

 牧野さんが落ち着いた口調でこう言うと、

「梨花……」

目を伏せた兄が、私の左手を労わるかのように優しく取る。そして、私の手のひらに自分の人差し指を押し当てると、

『上手クイカヌデハナイカ』

電信で使う電鍵を打つ要領で人差し指で私の手のひらを叩き、モールス符号で私に言葉を伝えてきた。

『初メカラ無理ヨ』

 私も同じようにして、左の指先にある兄の手にモールス符号を打った。

『ドウシテダ』

『私モ大山サント同ジ方法デイイト思ツタ』

『ソコヲ上手ク言イクルメレバイイダロウ』

『大山サン相手ハ無理ヨ。オマケニ、コレヲダシニシテ演習ヲサボロウナンテ』

 簡単なことを思いつけなかった衝撃から立ち直れないふりをしながら、兄と必死に無言でやり取りしていると、

「ほう、モールス符号ですか……」

大山さんがこちらを見てニヤリと笑った。

「陛下も梨花さまも、お芝居が上手になりましたな。しかし、その程度でこの(おい)の目を誤魔化すことができると思っているのなら大間違いです。そもそも、密着した状態で話すことができない時に、指でモールス符号を打って意思疎通を図るやり方は、院にいた頃に(おい)が考案したものでございます。恐らく、近藤先生のノーベル賞受賞の話をお聞きになり、この後の机上演習から何とか逃れようとしてお2人で企まれたのでしょうが、おやりになるのなら、もう少し上手くおやりになることですな」

「くっ……医学がらみのことだから、これなら行けると思ったのだが……」

 私の手を握ったまま悔しがる兄に、

「いやだから、無理だって何度も言ったじゃない……」

私は呆れながら言い返した。「大山さんは私のそばにいるから、医学の知識も結構あるのよ。だから、他の梨花会の面々がついて行けない医学ネタに巻き込もうとしても、大山さんは冷静に対応できるんだってば」

「そうか……机上演習をサボる絶好の機会と思ったのだが……」

 兄がため息をついた時、

「では、今日も机上演習を始めると致しましょう。今日は問いを、更に厳しくしなければなりませんな」

大山さんは微笑してこちらに一歩近づく。その瞬間、兄が身体を強張らせた。

「ま、牧野さん!何か緊急の用事はありませんか?!」

 私は一縷の望みをかけて、宮内大臣の牧野さんを呼んでみたけれど、牧野さんは曖昧に微笑し、

「陛下、内府殿下、御武運を」

そう言い残して最敬礼し、御学問所を去ってしまった。

(あ、兄上のバカ―っ!)

 こうして、私と兄の努力もむなしく、机上演習は予定通り行われ、大山さんの非常に厳しい質問により、私と兄の頭はパンク寸前になってしまった。


 1922(大正7)年10月8日日曜日午前10時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「近藤先生、ノーベル賞の受賞、本当におめでとうございます」

 応接間の椅子に大山さんと並んで座った私は、向かい合って座っている近藤次繁(つぎしげ)先生に深々と頭を下げた。近藤先生は東京帝国大学医科大学の第一外科学教授だけれど、昨年、附属病院の院長にも就任しており、多忙な日々を送っていた。

「いまだに受賞した実感が湧かないのです。血液型のことは、内府殿下からお教えいただいた未来の知識をそのまま形にしたようなものですし……」

 そう言って苦笑する近藤先生に、

「確かに私は先生に、血液型や輸液のことをお伝えしました。けれど、それを他の研究者たちの批判に耐えうる研究や論文にする方法までは伝えていません。私の知識を実際に応用できる形にしたのは先生です」

私は穏やかな声で言った。

「先生に尽力していただいたおかげで、外科手術の成功率は飛躍的に上昇しました。それに、西郷さんと桂さん、そして大山さん……私の身近にいる大切な人たちの手術も執刀していただいて、命を救っていただきました。先生のなさった研究は、たくさんの人たちの命を救っているのです。その事実は否定できません」

 近藤先生は両眼を閉じて私の言葉を聞いていたけれど、やがて、

「おっしゃる通りです。それでは、胸を張ってノーベル賞をいただいてくるとしましょう」

ニッコリ笑ってこう言った。

「ええ、是非」

 私がホッとして頷くと、

「ところで内府殿下、大山閣下から本日の面会を打診された際、私が国外にいる間、天皇陛下に侵襲的な治療が必要になった場合の対応について、内府殿下が非常に心配なさっていると伺ったのですが……」

近藤先生は私にこう確認した。先週の火曜日は大山さんに兄ともどもこってりと絞られたけれど、大山さんはきちんと今日の近藤先生との面会をセッティングしてくれたのだ。

「はい、その通りです。私は内大臣になって以来、メスを握ることがなくなりました。頑張れば、兄上の手術の第1助手はできるかもしれませんけれど、執刀医になるのは無理です。ですから、もし先生の不在中に兄上に侵襲的な治療が必要になった時、どうすればいいのかと思って……」

 私がそこまで言って黙り込んでしまった時、

「内府殿下は、塩田(しおた)広重(ひろしげ)という外科医をご存知でしょうか?」

近藤先生は私に尋ねた。

「ええと……医学雑誌で何度か名前を見たことはあると思います。ただ、会ったことがあるかと言われると……」

 想定外の質問に、私が必死に記憶をたどりながら答えると、

「彼は私の教え子です。今は第二外科の教授をしています。内府殿下が医科大学の外科に顔を出していらっしゃった頃はオーストリアに留学していたのですが、内府殿下は彼にお会いになったことがあるはずです」

近藤先生は私に更に思わぬことを告げる。

「え……?」

 全く記憶に無い。首を傾げると、

「では、実際にお会いいただく方が早いですね。……内府殿下、少々お待ちください。ここに塩田君を連れて参ります。実は今、このお屋敷の控室にいてもらっているのです」

近藤先生は微笑みながら私に言い、席を立つと応接間から出て行く。話の展開について行けない私の前に、やがて近藤先生は、意思の強そうな風貌をした1人の男性を連れて戻ってきた。

「紹介致します。彼が塩田広重君です」

 近藤先生の声に、彼の隣に立つ男性が「塩田と申します」と言って私に頭を下げる。確かに顔には微かに見覚えがあるけれど、どこで出会ったのかが思い出せない。

「塩田先生、大変失礼な質問を致しますけれど、私は先生とどちらでお会いしたでしょうか?」

 私の失礼な問いに、

「ああ、20年近く前ですから、無理もございませんな」

塩田先生はこう答え、カラカラと笑った。

「内府殿下は、ドイツのバイエルン王国のマリー王太子妃が虫垂炎を発症された時、第2助手として手術に入られたでしょう。その時、第1助手を務めていたのが私です」

「あの時の!」

 バイエルン王国の王太子妃で、今では私の友人でもあるマリーが、来日した際に虫垂炎を発症したのは1903(明治36)年5月のことだ。当時軍医学生だった私は、兄の依頼でドイツ公使館にマリーの往診に行き、そのまま医科大学で行われたマリーの虫垂炎の手術に第2助手として参加したのだ。

「大変失礼致しました。人生の一番初めの手術に一緒に入った先生だったなんて……」

 私は立ち上がると、塩田先生に向かって最敬礼した。

「いや、お気になさらず。その当時、私は駆け出しでしたから、殿下が覚えていらっしゃらないのも無理はありません」

 笑って許してくれた塩田先生に、

「何を言っているんだい。あの時も、塩田君は度胸がある奴だと私は感心したんだよ」

近藤先生は苦笑しながら言う。「誰か私の助手についてくれと言っても、ほとんどの先生が“外国の王族の手術は……”と尻込みしていたのに、君は“私が入ります”と立候補してくれたじゃないか」

「そうだったんですね……」

 頷いた私に、

「ですから、先帝陛下が内府殿下を内大臣に任命なさって身罷られた直後、私は塩田君に言ったのです。“今後、内府殿下が手術室でメスを握られることはないだろう。私が生きているうちは、天皇陛下に手術が必要な場合は私が術者をするが、私がいなくなれば、天皇陛下の手術の術者ができる人間がいなくなる。そうなった時は、君に術者を頼むしかない。その時がいつ来てもいいように、今からしっかり修練に励んで欲しい”と」

近藤先生はしっかりとした口調で言った。

(ああ……)

 私は近藤先生に向かって最敬礼した。お父様(おもうさま)が亡くなると、私は内大臣の仕事に忙殺され、兄に手術が必要になった場合のことを深く考えることができなかった。けれど近藤先生は私の置かれた状況を理解し、万が一のために備えてくれていたのだ。

「ありがとうございます、近藤先生……私が全く考えていなかった万が一のことを、こんなに考えていてくださって……」

 お礼の言葉を口にした時、ふと、私の頭の中にこんな考えが浮かんだ。確かに、近藤先生は自分がいなくなった時のことを考え、塩田先生が代わりを務められるようにしてくれている。けれど、近藤先生が苦労して乗り越えた“天皇の身体を臣下が傷つけていけない”というしきたりを、塩田先生は乗り越えられるのだろうか。

「あの、塩田先生……先生は皇族を治療なさったご経験はありますか?」

 頭を上げた私は、塩田先生を見据えてこう尋ねた。

「いえ、残念ながら、その機会に恵まれておりません」

 塩田先生から返ってきた答えを聞き、私は急いで家にある医療器具を頭の中で確認した。……急だけれど、今、試してみるしかない。

「では、今から、私の採血をしてください」

「内府殿下?!」

 私の言葉に、近藤先生が目を丸くした。塩田先生の顔も強張る。

「なるほど……」

 1人大山さんだけは微笑して、

「では、準備をしなければなりませんな。天皇陛下の御妹君であらせられる内府殿下の採血の準備を」

塩田先生に向かって大げさな口調で告げながら椅子から立ち上がった。大山さんは、私の意図を察してくれたようだ。

「塩田先生、この私の採血、今すぐできますか?できなければ、兄上の身体に触れることは許しません」

 私が威厳を込めながら塩田先生に言うと、

「かしこまりました」

彼は私に深々と頭を下げた。けれど、頭を上げた時、彼の顔からは緊張の色が消えていた。

 塩田先生が洗面所で手を洗って戻ってきた時には、応接間では採血の準備がすっかり整えられていた。駆血するためのゴム管に消毒用のアルコール綿、注射針に空の注射器などが、机の上に整然と置かれている。

 更には、

「どうぞ、妻のことをよろしくお願いします。恐れ多くも先帝陛下の血を引き、天皇陛下からの信任も厚い妻の身体に、万が一のことがあってはなりませんので」

居間で謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)の相手をしていた栽仁(たねひと)殿下が、私の後ろから腕を伸ばし、私の着物の左袖を上腕の真ん中までまくって押さえていた。本当は私1人でもできるのだけれど、栽仁殿下を大山さんが連れてきたのは、塩田先生によりプレッシャーを掛けるためだろう。大山さんに呼ばれた謙仁と禎仁、更には自分の部屋で勉強していた万智子(まちこ)まで応接間にやって来て、塩田先生への圧を強めている。見守る近藤先生の額に汗がにじんでいた。

「失礼致します」

 塩田先生は私に声を掛けると、左の上腕にゴム管を巻き、アルコール綿で消毒をする。そして、肘窩の静脈の位置を見定めると、迷いなく注射針を刺した。

「……終わりました」

 注射器に5mlほどの血を採取した塩田先生は、ゴム管を私の腕から外して針を抜き、アルコール綿で圧迫止血を始める。そして、

「お痛みは辛くはございませんでしたか?」

と、止血しながら私に尋ねた。

「まぁ、それ相応には痛かったですけれど……驚きました。針を刺すのに、過剰な恐れや動揺が感じられなかったので」

 私はこう感想を述べた。大山さんや栽仁殿下が掛けられるだけの圧を掛けている中で、塩田先生は見事に私の採血をやってのけた。彼の精神は相当に鍛え上げられたものであることは明らかだった。

「試してしまい、申し訳ありませんでした」

 止血が終わると、私は着物を直してから塩田先生に深く頭を下げた。「先生になら、近藤先生の不在中でも、兄上の手術を任せられます。万が一、そんなことが起こってしまったら、その時にはどうかよろしくお願いします。もちろん兄上の手術の全責任は私が負います」

「これはありがたいお言葉でございます」

 塩田先生も私に最敬礼した。「もちろん、天皇陛下がいつまでもお健やかであらせられることが一番ですが、……内府殿下のそのお言葉さえあれば、全力で天皇陛下の手術に臨むことができます」

「ありがとうございます」

 私は再び塩田先生に一礼する。こうして、近藤先生の外遊中に、兄に外科手術が必要になった場合は、塩田先生が執刀するということで、無事に結論が出たのだった。

※塩田先生の経歴は実際とは少し変わっていると思います。ご了承ください。

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