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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第71章 1922(大正7)年小満~1922(大正7)年小雪
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義理の兄弟

 1922(大正7)年6月26日月曜日午後2時25分、赤坂御用地。

「まあ、増宮(ますのみや)さん、ご覧になって。綺麗な紫陽花ですね」

 赤坂御用地内の庭園。その中に張り巡らされた小道を私の先に立って歩くのはお母様(おたたさま)だ。もう70歳を過ぎているのに、歩く足取りは軽やかで、うかうかしていると置いて行かれてしまいそうになる。

「美しい青い花ですね。この青、増宮さんによく合いそう……。増宮さん、こちらにおいでになって」

 私より早く紫陽花の所にたどり着いたお母様(おたたさま)は、左手で私を招く。私はお母様(おたたさま)のそばへと走りながら、

(おかしい……。いつものことかもしれないけれど、これは絶対おかしい……)

今置かれている状況に、心の中でツッコミを入れていた。

 今日は平日だから、私はいつも通り、皇居に出勤したのだ。そうしたら、表御座所に現れた兄が、

――梨花、この手紙をお母様(おたたさま)の所に届けてくれないか。

と言いながら、持っていた文箱を私に押し付けた。

――兄上……それなら、侍従の誰かに頼めばいいじゃない。私はこれから兄上の書類の決裁を手伝わないといけないのに、何で私が手紙を届けにいかなきゃならないのよ。

 またか、と思いながらも、私は兄に至極真っ当な反論を試みたのだけれど、

――それはダメだ。手紙の中に、“この手紙は梨花に届けさせる”と書いてしまったからな。他の者に頼めばお母様(おたたさま)に失礼になる。

兄はいつもと同じ正論を私に突きつけた。そして、

――仕事は大山大将と相談してやっておくから、お前はきちんと使いとしての役目を果たしてこい。よいな。

と言って、ニヤリと笑ったのだった。

 ……半年に一度ほど、兄は私を“使い”という名目で、皇居からお母様(おたたさま)の住まいである東京大宮御所に行かせる。

――お前は余りにも、お母様(おたたさま)の所に行かなさすぎる。

 それが兄の言い分なのだけれど、お正月やお母様(おたたさま)の誕生日、それから、子供たちの長期休暇中には、栽仁(たねひと)殿下と一緒に、子供たちを連れてお母様(おたたさま)にあいさつに行っている。先月、南九州3県への行幸啓から戻った直後にも、子供たちと一緒に大宮御所に参上して、お土産の薩摩焼の置物をお母様(おたたさま)に差し上げたのだ。そのことは兄にも言って、もう私を“使い”には出さないようにとお願いしたのだけれど、兄はその願いを聞き入れてくれなかった。

(大体さぁ、朝のうちに到着した使いが、10時のお茶とお昼ご飯と、その上3時のおやつまでいただいてから皇居に戻るっていうのはおかしいでしょ。しかも、皇居から大宮御所まで、その気になれば30分で往復できるのに……)

 心の中でブツブツ呟いていると、

「ねぇ、増宮さん、いかがですか?」

紫陽花の花を、両手でふんわり包み込むようにしているお母様(おたたさま)が、私に微笑を向けた。

「は、はい。青は私も好きな色です。それに、和服は青いものをよく着ますから、お母様(おたたさま)が私に青が似合うとお考えになるのは当然のことかと思います」

 私が慌ててお母様(おたたさま)に申し上げると、

「そうですね。確かに青い色は、増宮さんによくお似合いになります」

お母様(おたたさま)は穏やかに私に言った。その言葉に微かな違和感を覚えた瞬間、

「ところで増宮さん、私の歩き方はいかがですか?」

お母様(おたたさま)は私に再び問いを投げる。

「歩き方……ですか?私と変わらない速度で歩いておられますし、足元もしっかりされています。お父様(おもうさま)が生きていらした頃より、足腰は丈夫になっていらっしゃるのではないかと感じましたけれど……」

 すると、

「ああ、よかった!」

お母様(おたたさま)は、美しい花がほころんだような笑みを見せた。

「お(かみ)からのお手紙に、私が歩く様子を増宮さんにちゃんと見てもらいなさい、と書いてあったのです。増宮さんからお返事がなかったからどうしようかと思いましたけれど、足腰が丈夫になっていると太鼓判をいただけましたから、安心しました」

「……?」

 やはり、話がかみ合っていないような気がする。戸惑う私に、お母様(おたたさま)は少し寂しそうに、

「内大臣として色々考えなければならないですから、どうしても、考え事に夢中になってしまわれるのですね。でも、ここは皇居ではありませんから、難しい考えから少し離れてもよいと思いますよ」

と言う。

「大変……大変、申し訳ありませんでした」

 事態を悟った私は、お母様(おたたさま)に向かって頭を下げられるだけ深く下げた。どうやら私は、お母様(おたたさま)の話を聞き飛ばしてしまっていたようだ。それで話がかみ合わなくなっていたらしい。恐縮しきりの私に、「叱ろうと思ったわけではないのですけれど……」と優しく言ったお母様(おたたさま)は、

「増宮さんはいつも、ご自分より他の人のことを優先なさるのね」

と続けた。

「は……」

「お上と節子(さだこ)さんについてこちらにいらっしゃる時は、いつも陰に回られています。それ以外で会いに来てくださる時も、必ず栽仁さんか万智子さんたちが一緒で、話す機会を栽仁さんたちに譲っていらっしゃいますし……。増宮さんとお話しするにはどうしたらいいかしらと、いつも悩んでしまいますの」

 私は黙って頭を下げ続けるしかなかった。お母様(おたたさま)のことは大好きだけれど、私は内大臣である。余りにお母様(おたたさま)の所に頻繁に通ってしまえば、世間の人は“内大臣が皇太后に取り入ろうとしている”と噂する。それは避けなければならないのだ。

「ね、増宮さん。私、増宮さんがお上の手紙を届けに来てくださると、とても嬉しいのです」

 黙りこくった私に、お母様(おたたさま)は優しく話しかける。

「だって、増宮さんを誰にも邪魔されずに独り占めできますから。増宮さんも、もう少しくつろいでよいと思いますよ。それもお役目のうちですから、ね?」

「はい……」

 私はお母様(おたたさま)に再び頭を下げた。……だから兄は、私を大宮御所に“使い”として送り込むのだろう。お母様(おたたさま)には、これでもちゃんと甘えていたつもりなのだけれど、兄とお母様(おたたさま)の目には、甘え方がまだ足りないと映るようだ。

(難しいよなぁ、その辺りの距離感って……)

 散歩を終えた後、お母様(おたたさま)と一緒におやつをいただき、皇居に戻ったのは午後3時40分のことだった。午後の政務はとっくに終わっているだろう。兄が今どこにいるかは分からないけれど、戻ったという報告はしなければならない。ただ、その前に内大臣秘書官室に寄って、今日は半日有給を使ったと処理してもらうことにしよう。そう思いながら表御座所の廊下を歩いていると、その内大臣秘書官室のドアが開いた。

「まぁ、内府殿下」

 ドアから姿を現したのは、秘書官の1人・平塚(はる)さんだ。「今ちょうどお帰りで」と言いながら私に近づいてきた彼女に、

「ええ。……今日は半日、有給を使ったことにしてください」

と私はお願いした。

「内府殿下……その必要はないのではないでしょうか。天皇陛下は内府殿下をご心配なさって、大宮御所への使いを命じてらっしゃるのですし」

 なだめるように言った平塚さんに、

「それは分かるし、ありがたいのだけれど、実際には遊んでいるようなものですから」

私が苦笑いしながら返答した時、秘書官室の中にある電話のベルが鳴った。「はい……はい……」と電話に応答するのは、平塚さんと同じ秘書官の1人の東條英機さんだ。やがてその声が消え、再び秘書官室のドアが開いた。

「内府殿下、帰っていらしたばかりのところ大変申し訳ございませんが、緊急の連絡が入りました」

「緊急?」

 深々と私に一礼して言った東條さんに、私が少し首を傾げながら応じると、

「葉山の御別邸で御療養中の東伏見宮(ひがしふしみのみや)殿下が、つい先ほど、午後3時30分に御危篤に陥られたと……!」

彼は容易ならざる情報を私にもたらした。


 東伏見宮の当主・依仁(よりひと)親王殿下は、伏見宮(ふしみのみや)の先代当主・邦家(くにいえ)親王の息子である。軍人としては海兵大将まで進級しており、皇族の重鎮の1人でもあった。

 そんな彼が体調を崩しているという情報が宮内省に入ったのは今月に入ってからだ。胸部のエックス線写真を撮影したところ、右肺に腫瘍があることが分かった。頸部のリンパ節の腫脹や声帯の麻痺など、肺がんの転移によると思われる徴候も認められ、現在の医学では根治できない絶望的な状況であることも判明した。そしてそのまま、彼の病状は悪化の一途をたどり、6月27日、薨去したとの情報が宮内省から公表された。

「宮家の当主の親王で、大将になっているから、能久(よしひさ)親王殿下の時に倣って国葬、なんですね……」

 1922(大正7)年6月28日水曜日午前9時、皇居・表御座所にある内大臣室。仕事用の机の前に座った私は、応接セットの椅子に座った4人……宮内大臣の牧野さん、枢密顧問官の伊藤さん、同じく枢密顧問官で前宮内大臣の山縣さん、そして内大臣秘書官長の大山さんに確認した。

「その通りです」

 牧野さんが穏やかに私に答える。「明日には国葬となる旨、勅令を出していただこうと考えております」

「それは分かりましたけれど……」

 私は大きなため息をついた。

「それで今回、私はどのような立場で国葬に参列すればいいのでしょうか?」

 皇族の国葬に参列した経験は、今までに2回ある。1回目は、1903(明治36)年の小松宮(こまつのみや)彰仁(あきひと)親王の国葬で、この時私は軍医学生だったので軍人とはみなされず、内親王として国葬に参列した。2回目は1915(明治48)年の北白川宮(きたしらかわのみや)能久親王の国葬だ。現役の軍医大尉だった私は、軍籍を持つ内親王として葬列に付き従い、一般の告別式に相当する葬場の儀ではただの内親王として参列した。さて、今回私は、国葬でどのように振舞えばよいのだろうか。

「まず、葬列に加わるかについては、どうとでもできます」

 口火を切ったのは伊藤さんだった。「皇室喪儀(そうぎ)令には、親王が国葬となる場合、軍籍を持つ内親王は葬列に加わるよう規定されております。それに忠実に従えば、予備役である内府殿下も葬列に加わらなければなりません。しかし同時に、親王が国葬となる場合は、宮内大臣は葬列に加わるよう明記されておりますが、内大臣にはそのような記載がありません。また、補足として、“やむを得ない場合は内親王・女王は葬列に加わらなくてもよい”と定められておりますので……今回はその“やむを得ない場合”が発生したとして、葬列には加わらずともよろしいのではないかと考えます」

「是非そうさせてください」

 私は伊藤さんに向かって最敬礼した。「葬列に加わりたくないのです。……いえ、正確に言うと、軍服で葬儀に出たくないのです。また、拝礼の順番で揉めて、栽仁殿下に迷惑を掛けてしまったらと思うと……」

 能久殿下の葬儀の時、華頂宮(かちょうのみや)博恭(ひろやす)王殿下が、私と栽仁殿下の拝礼順に文句をつけてきて、ひと騒動起こったことがあった。それを繰り返したくはない。

「ご安心を、内府殿下。そこはきちんと、御参列の皇族方に周知致します」

 牧野さんが強張った表情で私に応じた。「今回の葬場の儀に、内府殿下は王妃としてご参列なさる。従って拝礼順は、夫君の栽仁王殿下の次になる、と……」

「つまり、ご神事の時と同じということになるのだな」

 山縣さんが横から確認すると、「はい、おっしゃる通りです」と牧野さんは頷く。

「となると、(おい)はまた内大臣の名代として、葬場の儀に参列しないといけませんかな?」

「そうなります」

 大山さんの質問に、牧野さんが頭を下げた。「毎度のことで恐縮でございますが……」

「何、慣れておりますよ。ご神事の時はいつも、内大臣名代として参列しておりますから」

 大山さんはにこやかに答えたけれど、

「毎回毎回、本当に済まないわね、大山さん。……ああ、本当、私の立場ってややこしい」

彼の主君である私は大きなため息をついた。

「牧野さん、私、持病の仮病で葬儀を欠席してもいいですか?また華頂宮さまに因縁をつけられたら、思いっきり暴行を加えてしまいそうですし」

「“持病の仮病”とは、不思議な言い回しですな」

 私の言葉にツッコミを入れた伊藤さんの横で、

「別に構いませんが、梨花さまの所に見舞客が殺到致しますよ?清の梁啓超(りょうけいちょう)外務大臣や新イスラエルのストラウス大統領……もしかすると、ドイツの皇帝(カイザー)も日本にやってくるかもしれません」

大山さんは恐ろしい未来予想を口にする。

「分かった。ちゃんと葬儀には出るよ。出るけど……ああ、本当に、華頂宮さまをどうしたらいいのよ……」

「内府殿下、落ち着いてください」

 両腕で頭を抱えた私に、山縣さんが声を掛けた。「今回、内府殿下は軍服ではなく、通常礼装(ローブ・モンタント)で葬儀に参列なさるのですから、王妃としてのお立場でのご出席だということは一目瞭然です」

「ええ、我々も徹底的に周知します」

 力強く頷いた牧野さんの横から、

「それでも間違えてくる無礼者には、遠慮なく制裁を下せばよろしいのです。梨花さまの靴跡を顔に付けられた馬鹿者たちを、一度拝んでみたいですなぁ」

我が臣下がなかなか物騒な発言をする。

「とにかく、わしらも協力して、東伏見宮殿下の国葬は無事に終わらせます。ですから内府殿下は、大船に乗ったつもりで御参列くださいますようお願い申し上げます」

 冷静に私に一礼して言った伊藤さんに、

「よろしくお願いしますね……」

私は深く深く、頭を下げたのだった。


 1922(大正7)年7月6日木曜日午前9時30分、東京市小石川区小石川大塚坂下町にある豊島岡葬場。

(暑いなぁ、今日は……)

 参集所の2階にある皇族女子の控室。黒い通常礼装(ローブ・モンタント)に身を包んだ私は、椅子に座って扇子を使っていた。昨日までは梅雨らしいじめじめした気候だったのだけれど、今日は朝から晴れている。照り付ける太陽が、外気の温度をじりじりと上げていた。

「いつの間にか、大きなお部屋に仕切りができたのですね」

 私の隣に座る義母の慰子(やすこ)妃殿下が、周囲に視線を泳がせながら言った。

「はぁ」

 とりあえず、相槌だけ打っておくと、

「ほら、前はこの部屋、隣の男子皇族の部屋と一続きになっておりましたでしょ。広かったですけれど、男女の別なく1つの部屋で待たなければなりませんでしたから、服やお化粧の乱れたところを直すわけにもいかなくて……」

義母は更に続けて言う。そう言えば、能久親王殿下の国葬の時は、控室が男女別になっていなかったので、屏風の陰で佩用(はいよう)する勲章を取り換えた。

「確かに、控室は男女別になっているほうがいいですね、お義母(かあ)さま。気兼ねなく過ごせますし」

 それに、男性皇族がいないということは、博恭王殿下(ムカつくやつ)の顔を見なくて済むということでもある。私が義母に応じると、

「章子さま」

義母が私を呼んだ。身体を向けた私に、

「誰が何と言おうと、章子さまは栽仁の妻です。そうお思いになって、堂々としていらしてね」

義母は小さな声でこう言った。やはり彼女の頭の中にも、以前の国葬の時の騒ぎが残っているのだろう。私は義母に黙って一礼した。

 そうこうしているうちに、宮内省の職員から声が掛かった。私は廊下に出て、拝礼順に並んだ。栽仁殿下は王の中で一番席次が高い。だから栽仁殿下は宮内省の職員の指示に従い、親王の中で一番席次の低い閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王殿下の後ろに並んだ。その夫のすぐ後ろに私が並ぼうとした時、

「章子さん」

海兵大尉の正装を纏う夫が、私を囁くように呼んだ。

「何かあったら、僕が動くからね」

 顔を軽くしかめた私に、栽仁殿下は小さな声で言う。

「え、ちょっと、それ……」

 私が問い質そうとすると、

「無礼なことを言われたら、相手をぶっ飛ばすのは僕がする。だから章子さんは動かないで、僕に任せていて」

栽仁殿下はこう囁いて、私の手をしっかり握った。私はぎこちなく頷き、襲ってくるかもしれない衝撃に備えていたけれど、列に並ぶ華頂宮博恭王殿下が私たちに何か言ってくることはなかった。そのまま一連の儀式は順調に進み、正午過ぎ、依仁親王殿下の棺は、奥にある墓所へと出発していった。

「無事に終わったわね……」

 墓所に向かう葬列を見送り終え、私がほっと胸をなで下ろすと、

「だね……」

隣に立つ栽仁殿下も呟いた。博恭王殿下は葬列を送ると私たちに背を向け、早々と葬場を後にしたので、私たちに因縁をつける人間は誰もいない。先ほどまで少し険しかった栽仁殿下の表情は、穏やかなものに変わっていた。

 と、

「栽仁!」

私たちの後ろから声が掛かった。振り返ると、そこには栽仁殿下の幼い頃からの友人である北白川宮成久(なるひさ)王殿下が立っていた。彼のそばには、同じく栽仁殿下の友人の朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひこ)王殿下、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王殿下、東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)王殿下もいた。

「成久さん……鳩彦に稔彦に輝久も、一体どうしたんだい?」

 首を軽く傾げた栽仁殿下に、

「華頂宮さまに、何か変なことを言われなかったか?!」

と成久殿下は尋ねる。

「いや、特に何もなかったけれど……」

 栽仁殿下が訝しげに答えると、

「よかった……」

鳩彦殿下がそう言って息を大きく吐き出した。

「心配してたんだぜ!お前と姉宮さまが、また華頂宮さまに妙な因縁をつけられるんじゃないかって!」

「ああ。宮内省から、今日の拝礼順について、わざわざ念を押されたからな。だから、また華頂宮さまが栽仁と姉宮さまに何か言ってきたんじゃないかってピンと来たんだ」

 輝久殿下と稔彦殿下が口々に言う。2人の言葉の熱量の大きさに、私は少し戸惑っていた。

「栽仁、俺たちは小さい頃から一緒に遊んで、一緒に勉強してきた仲だ。それに、先帝陛下の御息女を娶ったという意味では義理の兄弟にもなる。父上の葬儀の時は、俺は喪主だったから何もできなかったけれど、もし今後、お前と姉宮さまに何かあったら、俺たち、絶対助けるからな!」

 成久殿下は強い視線で、栽仁殿下と私を見つめる。鳩彦殿下の瞳も、そして稔彦殿下と輝久殿下の瞳も、成久殿下と思いを同じくしていることを如実に物語っていた。

「ありがとう、成久さんも……鳩彦も稔彦も輝久も」

 栽仁殿下と一緒に、私も頼もしい王殿下たちに頭を下げた。


 けれど、この時、私は知らなかった。

 この麗しい、義理の兄弟の結束が、将来災いをもたらすことを――。


※東伏見宮依仁親王の危篤に陥った時刻については実際と変えました。ご了承ください。

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