女子の星
1922(大正7)年5月12日金曜日午前7時20分、宮崎県宮崎町にある紫明館。
この紫明館は、今回の行幸啓で、兄夫妻の宮崎滞在中の宿舎として使われている。昨日、兄夫妻とともに宮崎町に到着し、紫明館の一室に泊まらせてもらった私は、朝食をとるために、大山さんと一緒に随行者用の食堂へと歩いていた。
「よかった。昨日と違って、今日は雨が降ってないね、大山さん」
「はい。曇り空ではありますが、雨が降っていないのは救いです」
「本当だね。昨日は一日中雨だったから、出迎える人たちがすごく大変そうだったもの」
庭園に面した廊下を、大山さんと話しながら歩いていると、
「これは内府殿下、大山閣下。おはようございます」
廊下の曲がり角で、私たちと同じ供奉服を着た男性に出会った。宮内大臣の牧野伸顕さんだ。
「おはようございます、牧野さん」
私は笑顔で牧野さんに挨拶すると、「牧野さんもこれから朝ご飯ですか?」と聞いた。
「はい。内府殿下と大山閣下もですか?是非ご一緒させてください」
牧野さんも笑顔で答え、私たちを誘う。断る理由はもちろん無いので、私と大山さんはお誘いを受けることにした。
「今日は、宮崎神宮を参拝したら、ずっと視察ですよね?」
朝食が載せられたトレイを受け取って食堂の席に座ると、私は牧野さんに今日の予定を確認する。
「……そうですね」
牧野さんはお茶をすすってから私に応じた。「宮崎神宮へのご参拝の後、県庁に立ち寄ってご昼食となります。午後からは、天皇陛下は宮崎県師範学校の男子部と宮崎中学校、宮崎地方裁判所をご視察になって、紫明館に還幸されます。皇后陛下は県庁を出られた後、宮崎県師範学校の女子部と宮崎高等女学校をご視察になる予定です」
ここまで一気に述べた牧野さんは、ふうっと深呼吸すると、
「鹿児島では、天皇陛下のたってのご希望で、県政一般の視察より、桜島の噴火の被災地の視察と西南の役の戦没者の慰霊を優先させましたからね。やっと、いつもの行幸に落ち着いたと言っていいかもしれません」
そう言って、顔に苦笑いを浮かべる。牧野さんの言う通り、天皇が地方に行幸する場合の行き先は、県庁や、その地域を代表する学校などが大半だ。ところが、今回の鹿児島滞在中、役場や学校の視察は全く無かった。まぁ、数日後には鹿児島に戻り、県庁や第七高等学校を視察する予定になっているのだけれど。
と、
「……しかし、まだ通常の行幸ではないでしょう」
大山さんが、箸で玉子焼きを切りながら指摘する。「勅使が大勢出ておりますし」
「そうだね。早い人は、昨日から出発しているからね。もしかしたら、今頃目的地に到着している人もいるかもしれないわ」
宮崎県での滞在中、兄と節子さまが西南戦争に関係する墓地や慰霊碑を参拝する予定はない。日程の都合がどうしてもつかなかったのだ。その代わり、侍従さんや侍従武官さんたち、更には宮崎県の職員さんたちが勅使となり、宮崎県内の墓地や慰霊碑を回り、官軍・薩軍双方の戦死者の冥福を祈ることになっている。西南戦争に関係する墓地や慰霊碑の数は、宮崎県内だけでも相当な数になるので、勅使1人当たり、10か所前後の墓地や慰霊碑を参拝することになる。また、近くまで鉄道では行けない場所にある墓地や慰霊碑もあるから、昨日のうちに出発した勅使も多いのだ。
「西南の役で戦死した者たちの墓や慰霊碑をすべて回りたい。回れない所にも、代拝の者を漏れなく送りたいというのが、天皇陛下の御心です。それを実行に移すのは、我々臣下の務めでしょう」
牧野さんが箸を置いて真面目な顔で述べる。余りにも正論過ぎるその言葉に反論することはもちろんできず、私は背筋を正した。
「勅使になった者たちの思い、そして、天皇陛下の御心を酌むならば、俺たちも本日のご視察を実りあるものにしなければなりませんな」
大山さんはそう言って汁椀をテーブルの上に置くと、
「ですから梨花さまも、“学校や役場の視察はつまらない”とお思いにならずに、しっかりとお役目を果たしてください」
私に微笑みを向けた。
「……何で分かるのよ」
本音を口にしたら絶対大山さんに怒られるから、心の内を悟られないようにしていたのだ。それなのに、あっさりと見破られてしまった。私がため息をつきながら聞くと、
「梨花さまには30年以上もお仕えしておりますからね。隠していらっしゃることなど、簡単に分かります」
大山さんはどこかで聞いたような言葉を私に返した。
「いいですか、梨花さま。視察というものは、視察される側にとっては1つの区切りとなります。学校では、生徒たちが視察時に陛下にご覧になってもらおうと作品を仕上げたり、勉学や運動に励んだりします。役場では、綱紀粛正のきっかけにもなり、今までの自分たちの業務を振り返る機会にもなるのです」
大山さんのお説教を、私は黙って聞いていた。
「ですから、本日の宮崎県庁と宮崎県師範学校、それから宮崎高等女学校のご視察、皇族らしく、そして内大臣らしく、威厳をもって臨むようお願いいたします」
大山さんが厳かに告げて頭を下げると、
「内府殿下は“女子の星”と、新聞紙上で褒め称えられておりますからね」
牧野さんが悪戯っぽく微笑む。「内府殿下のお姿を拝見して、勇気づけられる女学生は大勢いるでしょう」
「それ、どうなんですかねぇ……」
牧野さんに答えると、私はご飯を口に放りこんだ。「……確かに、時代の最先端にいる自覚はありますけれど、最先端を飛び越えてしまっているかもしれませんから、良妻賢母を求める人たちとは対立しちゃうんじゃないかしら……」
「何、堂々としていらっしゃればよいのです」
私にそう答えたのは、牧野さんではなくて大山さんだった。
「大山閣下のおっしゃる通りです。皇后陛下はもちろんでございますが、内府殿下も教育勅語にある、社会と世界に通用する女子でございます。是非、皇后陛下とともに、未来ある学生たちに女子の手本をお示しいただければと思います」
「はぁ……」
牧野さんの言葉に、私は曖昧に頷いた。私を手本として学生たちに示すと、逆に彼女たちの未来を摘み取る結果になってしまうのではと不安になるけれど、大山さんの顔にも牧野さんの顔にも“反論は許しません”と書いてあるような気がする。私は湧き上がってきた様々な考えを頭の奥に押し込めると、
「わかりました。では、今日は頑張ります」
そう2人に答えて、顔に営業スマイルを浮かべた。
1922(大正7)年5月12日金曜日午前9時30分、兄と節子さまは馬車に乗り、宿舎の紫明館から宮崎神宮へと向かった。参拝を済ませると宮崎県庁に移動する。知事さんから県政についての説明を受けて昼食をとると、兄と節子さまは別々の馬車に乗り込んだ。これから兄は宮崎県師範学校の男子部を、節子さまは宮崎県師範学校の女子部を視察するのだ。もちろん私は、節子さまについて行くことになっている。
「節子と章子と離れての視察だと、少し調子が狂うなぁ」
馬車に乗り込む直前にぼやいた兄に、
「慣れてちょうだいよ。これから、熊本と鹿児島でも、分かれて視察をするんだから」
と私は言い返す。基本、天皇は男子校を、皇后は女子校を視察することになっている。兄は私の言葉を聞くと、「分かっているよ」と苦笑して馬車に乗り込んだ。
私と節子さまが宮崎県師範学校の女子部に到着したのは午後1時5分だった。“授業中だろうから、学生や、授業をしている教師の出迎えは不要”という節子さまの意志が伝えられていたこともあって、校舎前での出迎えは校長先生をはじめとする数名の教諭のみだった。彼らの案内で校舎を歩きながら、私は校舎の中を観察した。普通の教室の他に、音楽や美術を教える教室、運動場や武道場があるのは、一般の学校とそんなに変わりはない。廊下に書道作品が展示されているのは、視察する私たちに日ごろの成果を見てもらいたい、というのだろう。節子さまに従って、各教室で行われている授業の様子を見て回っていると、
「内府さま」
節子さまが私を呼んだ。そっと節子さまのそばに近寄ると、
「随分物珍しそうにご覧になっているのね」
節子さまは小さな声で私に言う。
「あ……その、女子校を見学するのは初めてでして」
節子さまのそばには、私だけではなく女官さんもいる。私は丁寧な口調で節子さまに答えた。
「あら?華族女学校の授業を見に行かれたことはないのですか?」
節子さまの問いに、私は「はぁ」と歯切れの悪い返答をする。実は、華族女学校では、学校側に申し出れば、父兄は授業をいつでも参観できる。実際、私が女学生だった頃には、息子の嫁候補を探しているらしい華族のご婦人方が、時々授業参観に来ていた。けれど、私自身が親になってから、そういうことを一度もしたことは無い。
(本当は、万智子の様子を見に行く方がいいんだろうし、そのついでに謙仁の結婚相手を物色する方がいいんだろうけれど、謙仁、まだ10歳だしなぁ……)
私が色々と考えていると、
「だったら、今度、一緒に華族女学校の授業を見に行きましょうよ」
節子さまは私に優しく言った。「私は年1回、華族女学校の授業を見に行きますけれど、万智子さんはとても優秀ですよ。先生にあてられても、ちゃんと正解をスラスラおっしゃいます。流石内府さまのお子だと、いつも感心しているのです」
「は、はぁ……娘をお褒めいただき、誠にありがとうございます」
私は恐縮しながら節子さまに最敬礼した。義母の慰子さまには、“国のために働いているのだから、家庭のことは顧みなくてよい”と言われているけれど、我が子の学校での様子を兄嫁に教えてもらうというのは、母親としてはちょっと締まらない。
(せめて、子供たちへのお土産はちゃんとしたものを買おう……)
私は心の中で、密かにこう誓った。
師範学校の女子部の視察を終え、次に向かったのは、宮崎高等女学校だ。馬車が校門を潜ったのは午後3時過ぎ、馬車から降りた節子さまは、大勢の生徒と職員たちが出迎える中、優雅に玄関へと歩いていく。私も彼女に付き従って玄関へ向かおうとした時、
「ああ、内府殿下だわ……!」
小さな、けれど感極まったような声が聞こえた。
(ん?)
思わず足を止めた私の耳に、
「まぁ、足をお止めになったわ……!なんと凛々しくていらっしゃるの!」
「物憂げなお顔も、とてもお美しくていらっしゃる!」
「ああ、内府殿下のお姿を拝見できる日が来るなんて……今日まで生きていてよかったわ!」
などという、熱烈な思いを込めた複数の囁き声が届いた。……いや、私の耳に聞こえている時点で、もう“囁き”というレベルではないけれど。
(待って、なにこれ……)
余りのことに目を見開いてしまった瞬間、
「おや、どうなさいましたか?」
後ろにいた大山さんが私の顔を覗き込んだ。
「だ、だって……私、もうすぐ40歳なんだよ?結婚して、子供も3人いるんだよ?そ、それをアイドルみたいに崇めちゃ……」
小声で訴える私を、
「よいではありませんか、皆、内府殿下を慕っているのですから」
大山さんは優しくなだめにかかる。
「いや、問題でしょ、これは。節子さまもいるのにさぁ……」
「別に構わないでしょう。朝にも申し上げましたが、内府殿下は教育勅語にある社会と世界に通用する女子そのものでございます。堂々としておられればよいのです」
大山さんは私にこう言うと、「早く校舎に入らなければなりませんよ」と穏やかに注意を与える。慌てて足を動かすと、生徒たちの間から小さな歓声が上がった。
「我が校の生徒はここ10数年、勉学にも武道にも熱心でして……」
女学校の校長先生は、そう言いながら教室を案内してくれた。既に正規の授業時間は終わったということだけれど、いくつかの教室では熱心に授業が続けられていた。
「今は課外授業ということですが、見たところ、理数系の科目が多いですね」
「はい。当校では看護師を目指している生徒が多く、看護学校に入学するための受験勉強をしたい者の中で希望する者に、理数系の科目の課外授業をしております」
節子さまの質問に校長先生はこう答えた。「看護学校の入学試験には理数系の科目が必要ですが、女学校の規定の教科書だけですと、内容がどうしても薄くなってしまうので……」
「なるほど。やはり皆、将来は軍人を目指しているのですか?」
「おっしゃる通りです。内府殿下が国軍にお入りになって以来、女の権利を声高に叫ぶ者がいなくなり、皆、真面目に勉学と武芸に励むようになりました。非常に喜ばしいことです」
(要するに……“新しい女”たちが国軍を目指しているっていうことだよね……)
節子さまと校長先生のやり取りを聞きながら、私は暗澹たる気分に陥っていた。確かに、“新しい女”の中では、選挙権を得るために、医療関係の資格を取った後、国軍に奉職するという動きがあるとは原さんに聞いた。けれど、それが地方に波及しているとは思ってもいなかった。
次に案内されたのは武道場だ。稽古着の上に防具を付けた女学生たちが、竹刀や稽古用の薙刀を振り回し、激しい打ち合いをしていた。
「こちらも課外活動ですが、我が校では剣道と薙刀が盛んに行われておりまして……」
掛け声が盛んに響く中、校長先生が声を張り上げて説明する。
「大体、3年生を終えるころには、皆、初段の免状を取っております。その後に看護学校の受験勉強を始めるというのが、看護師を、更に国軍入りを目指す生徒たちの典型的な経過でして……」
「将来を見据え、武芸の修業を先にしておくということですね」
節子さまが校長先生に答えた時、「あの、校長先生……」と教諭らしき男性が校長先生に呼び掛ける。後ろには稽古着をまとった3人の女学生がいた。
「ん、何だね?」
振り向いた校長先生に、
「止めよとずっと言い聞かせているのですが、生徒たちが、内府殿下に剣の教えを乞いたいと言って引き下がらないのです」
教諭は非常に困った表情で言った。すると、彼の後ろにいた生徒たちが前に出てきて、
「お願いいたします、校長先生!」
「内府殿下は現役の軍医であらせられたころ、広島地区の国軍の剣道大会で、男子を負かして準優勝に輝かれたと聞き及びました!そんなお強くていらっしゃる内府殿下に、私たち、稽古をつけていただきたいのです!」
「“女子の星”との誉れ高い内府殿下に稽古をつけていただけるのなら、一生の記念になります!ですから校長先生、どうか!」
土下座して口々に叫ぶ。彼女たちの様子に気づいたのか、打ち合っていた生徒たちも次々にその手を停め、こちらに向かって平伏した。
(えええ……)
今でも剣道の稽古はしているけれど、独身だった頃と比べて弱くなってしまった。それに今は、節子さまの視察に随行するという公務中なのだ。その最中に剣道をするなんて……と困惑していると、
「いいじゃないですか、内府さま」
節子さまが私に笑顔を向けた。
「ちょ……ちょっとお待ちください、皇后陛下。まさか、私に剣道をしろと?!」
私が慌てて確認すると、
「ええ、だって、まだ時間がありますし」
節子さまは明るく言い、
「それに私、内府さまが剣道をなさっているところ、一度も見たことがありませんもの。だから、この機会にぜひ見たいです」
と、とんでもない言葉を付け加えた。
「はいいいい?!」
素っ頓狂な声を上げてしまった私に、
「いけませんよ。淑女は要望を断らないものです」
大山さんが妙な論理を突きつける。
「いや、それ、絶対関係ない……」
反論しようとするも、
「そうと決まれば、早速準備ですね。稽古着と竹刀と防具と……」
「はっ、新品がいくつかございますので、早速準備致します」
「ではお着替えの場所を確保して……」
節子さま以下、校長先生も大山さんも、ノリノリで準備を始めてしまう。
(何でーーーー?!)
……そして。
「1番!相川幸!お願いします!」
10分後、私はなぜか稽古着を着せられ、防具もつけて竹刀も持ち、武道場で女学生と向き合っていた。
「お、お願いします……」
戸惑いながら竹刀を構えた私に、
「たーっ!」
女学生はすぐさま勢いよく打ちかかって来る。隙が多い動きだったので、何とかいなして一本取ったけれど、
「2番!伊田綾子!参ります!」
「3番!宇野ハナ、お相手させていただきます!」
私が休む間も与えず、女学生たちは名乗りを上げて戦いを挑んでくる。
「い、いやだから、ちょっと待って、休ませて、空気読んでーーー!」
……こうして私は、熱心な女学生たち30人以上と、次々に竹刀を交えることとなってしまい、
「19勝15敗ですか……いけませんな、内府殿下。もっと剣道の稽古に励んでいただかなければ」
不本意な対戦成績となってしまい、最後に大山さんに手厳しい評価を下されてしまったのだった。




