夢か現実か
1922(大正7)年5月8日月曜日午前11時、太平洋を西に向かって航行する装甲巡洋艦“榛名”。
「どうだ、節子、何か見えるか?」
甲板に立つ兄は、隣に立つ節子さまに声を掛ける。桜色のデイドレスを着た節子さまは双眼鏡を両手で持ち、北側にあるはずの陸地を、レンズを通して見つめている。
「はい……」
節子さまは双眼鏡のレンズを覗いたまま答えた。
「あれは……灯台ですね。室戸岬の灯台かしら」
「先ほど艦長が、今は室戸岬の近くにいると教えてくれたから、そうだろうな」
兄は優しく節子さまに応じると、「このあたりの海図があれば、借りてきてくれないか」と侍従さんたちに言いつける。その命令に応じ、侍従の高辻さんが一礼して艦橋の方へ向かった。
兄と節子さまは、念願だった鹿児島・宮崎・熊本の南九州3県への行幸啓のため、昨日の朝、東京を出発して、横須賀港で“榛名”に乗艦した。この軍艦の前には、“榛名”の同型艦・“金剛”が先導艦として航行している。“榛名”と“金剛”は鹿児島港を目指し、太平洋を西へ進んでいた。
程なくして、高辻さんが海図を借りて戻ってきた。
「風がありますから、御座所に戻りましょう。海図が広げにくいですから」
侍従武官長の島村速雄さんが申し出て、甲板にいた一同は御座所に移動する。もちろん私も兄と節子さまに付き従って御座所に入った。
「我々が今いるのはこの地点でありまして……」
海図が机の上に広げられると、島村武官長はさっそく私たちに説明を始める。彼の説明はとても分かりやすく、言いたいことがちゃんと伝わってきた。
「素晴らしい。よく分かった、島村武官長」
兄の賞賛の言葉に「恐れ入ります」と、島村さんは照れたように頭を下げる。そして、
「昔は海で働いておりましたから、つい、はしゃいでしまいまして……。お聞き苦しいところもあったかもしれませんが、お褒めの言葉をいただきありがたい限りです」
と兄に言上した。
「そう言えば、武官長は海兵出身だった。極東戦争で連合艦隊の幕僚だったな」
「お恥ずかしい話です。私はあの時、末席を汚していただけでして……」
「そんな……だいぶ活躍なさっていたと、有栖川宮さまからお聞きしましたわ」
兄の言葉に恐縮しきりの島村さんに、節子さまは明るい声で反論する。
「そうだ、島村閣下、せっかくですから、極東戦争の体験談を聞かせてくださいませんか?ここは、海戦が起こった海域と離れていますけれど……」
皇后のリクエストだから、応じないわけにはいかない。島村さんは「かしこまりました」と頭を下げると、「ええと、適当な地図はあるかな……」と言いながら、周囲を見回し始めた。
「日本海を中心とした地図があればいいですか?私、借りてきます」
私が思わず一歩進み出て島村さんに申し出ると、
「内府殿下」
隣にいた大山さんが苦笑しながら私を止めた。
「そのようなことならば、俺が致しますのに……。なぜ申し出られましたか」
「あ、ごめん……。ほら、島村閣下には、軍医学校時代に戦術について教わったし、極東戦争の時にもお世話になったから、上官だって感覚が抜けなくて、つい……」
私が正直に大山さんに白状すると、
「確かにそうだ。それに、武官長は、お前が江田島の海兵士官学校で栽仁の手術をした時に、士官学校の校長だったのだ。夫の恩師ともなれば、頭が上がらないのは当然だな」
兄が私にニヤリと笑いかける。節子さまや宮内大臣の牧野さん、その場にいる侍従さんや侍従武官さんたちもクスっと笑った。
「では、せっかくの申し出だから、章子に地図を持ってきてもらおうか。目付け役に大山大将をつけてな」
兄がおどけた調子で私に命じる。私も「かしこまりました」と言いながら大げさに頭を下げ、大山さんと一緒に御座所を出た。
「……大山さん、色々忙しくて聞けなかったけど、昨日の夜は眠れたの?」
御座所を出てすぐ、私は大山さんに尋ねた。
「眠れましたが……それが何か?」
「だって昨日の朝、あなた、眠そうだったから」
訝しげな我が臣下に、私は言い返した。「心配だったのよ、船酔いにならないか……あなたが体調を崩したら、診察しないといけないから」
「それはご心配をおかけしました」
大山さんは私に一礼した。「気取られぬようにしていたのですが……」
「もう30年以上、あなたの主君をやっているのよ。そのくらい気付くわ」
私は苦笑しながら言うと、
「まぁ、一応分かるつもりよ、あなたが眠れなかった原因は」
と付け加えた。
「……2度と鹿児島には帰れないと思っておりましたから」
穏やかな声で大山さんは私に言った。「ですから、今回の行幸啓に供奉を仰せ付けられて、夢なのかと疑いました。こうして鹿児島に向かう船に乗っているのも信じられないのです」
「……牧野さんが言ったの。早く鹿児島に大山さんを連れて行かないと、大山さんが鹿児島に行く機会を永久に逃してしまう、って」
私は大山さんに答えた。「即位礼の京都への行幸啓以来、久しぶりの大規模な行幸啓だけど、牧野さんが滅茶苦茶頑張ったのよ」
「牧野さんはせっかちですなぁ。俺はまだまだ死ぬつもりはありません。梨花さまをお守りしなければならないのですから」
「それは分かっているけどね。でも、抗生物質が発展していなかったら、あなた、胆嚢炎になった時に死んでいたかもしれないのよ」
私が再び苦笑すると、
「分かっております。あの時は、梨花さまと近藤先生に命を救われました」
と言って大山さんは微笑む。そして、
「もしあの時命を落としていれば、この日を迎えることもありませんでした」
と、しみじみした口調で言った。
「本当に良かったわ。あなたの遺骨を抱いて鹿児島に行くことにならなくて」
軽くため息をついて応じてから、
「私、鹿児島に行くのは初めてなのよ。前世も含めてね」
と私は大山さんに言った。
「だから、鹿児島のこと、色々と教えてほしいの。もちろん、大山さんがいた頃と今とじゃ、様子が変わっているだろうけれど……」
「かしこまりました。承りましょう」
私のお願いを快く引き受けてくれた大山さんは、
「しかし梨花さま、そろそろ地図を借りて御座所に戻りませんと……」
と、私の足りないところを注意するのも忘れない。
「そうね、急がないと」
私は頷くと、大山さんと一緒に艦橋へと小走りで向かった。
1922(大正7)年5月9日火曜日午前11時、御召艦となっている装甲巡洋艦“榛名”。
艦列は、薩摩半島と大隅半島に挟まれた鹿児島湾に差し掛かっている。あいにくの曇り空だけれど、両舷に広がる山と青い海とが織りなす景色は、普段の生活では絶対に見られないものだ。双眼鏡を持った私は、落ち着きなく首を左右に動かしていた。
「あの山は……桜島にしては少し近すぎるわね。とても形が綺麗な山だけれど……」
「あれは開聞岳でございます」
私の呟きを拾った大山さんが答えてくれた。「富士の山に山容が似ておりますから、“薩摩富士”とも呼びます」
「そうなのね。確かに富士山に似てる」
私は左舷に見える美しい開聞岳の稜線にしばし見とれた。一通り美しさを堪能して、大山さんの方を振り向くと、彼は身じろぎもせず、開聞岳を見つめていた。
「大山さん?」
声を掛けると、大山さんは慌てて私の方を向き、「ああ、梨花さま」と返事をした。
「やっぱり、感慨深い?」
私の質問に、「はい、とても」と大山さんは頷いた。
「本当に故郷に……鹿児島に帰ってきたのだと……。夢を見ているようでございます」
そう言った大山さんに、
「夢じゃないよ。私がいるんだもの」
と私は微笑んだ。
「何なら、ほっぺたをつねろうか?」
「結構でございます」
「えー……せっかく、大山さんに反撃できるいい機会ができたと思ったのに」
「その程度のこと、お見通しでございますよ、梨花さま。俺を出し抜こうとするならば、まだまだご修業が必要でございます」
「なんだ、つまんないの」
私が唇を軽く尖らせると、大山さんはふふっと笑う。軽口を叩きあった私たちは、徐々に遠のいていく開聞岳を並んで見つめた。
私たちが昼食をとっている間にも“榛名”は北上を続け、午後0時35分、鹿児島港の沖合に投錨した。皇礼砲が大気を震わせると、鹿児島の県知事が発動機のついた船に乗って岸壁から“榛名”にやってくる。兄と節子さまが知事の挨拶を受けると、上陸の準備が始まった。
“榛名”も“金剛”も、鹿児島港の岸壁に横づけするには船体が大きすぎる。このため、艦載艇を海面に下ろし、舷梯を降りてそれに乗り移ることになる。
「節子、大丈夫か」
先に艦載艇に乗り込んだ兄が、節子さまに手を差し伸べ、艦載艇に乗り込むのを助ける。自分の妻をサッと助けるあたり、兄は非常に紳士的である。私が艦載艇に乗り込む時には、島村侍従武官長が助けてくれた。本当は大山さんに助けて欲しいのだけれど、彼は国璽と御璽を奉じているので両手が塞がっている。
「……」
岸壁に向かって動く艦載艇の中、大山さんの視線は左右に忙しなく動く。艦載艇の後ろ、“榛名”と“金剛”の向こうには桜島が見える。そして前方には、刻一刻と近づく桟橋が……。声を掛けるのは野暮だと思い、私は故郷を目の前にした大山さんをただ見守っていた。
やがて、艦載艇は桟橋に到着した。定められた順番に従って、私は艦載艇から桟橋に飛ぶようにして移った。横須賀で“榛名”に乗りこんで以来、2日ぶりの陸地だ。深呼吸をして後ろを振り返ると、私の後ろに続くはずの大山さんがいない。彼は艦載艇のへりに立ったまま、目の前の桟橋を呆然と見つめていた。
「どうしたの?」
苦笑しながら問いかけると、大山さんは「ああ……」と声を漏らし、
「これは、現実でございますか?」
そう尋ねて首を傾げた。
「現実よ、まぎれもない現実」
私は答えて微笑み、
「国璽と御璽、支えてあげるわ。岸に移りにくいでしょう」
と言いながら、大山さんが捧げ持つ国璽と御璽を両側から支えた。
「ね、現実でしょう?」
桟橋に立った大山さんに、国璽と御璽を支えたまま私が問うと、
「はい……現実です」
大山さんはようやく、優しくて暖かい微笑みを見せた。




