皇后陛下
※注意!噴火の描写が少しあります。
堀河さんに連れられて、御所に参内すると、絨毯の敷かれた部屋の上座には、椅子に腰かけた天皇の隣に、もう一人、目鼻立ちの整った女性が座っていた。
「来たか、章子」
私が部屋に入るやいなや、天皇が立ち上がった。
「そなたが言った通りになってしまった。もっと本気にして、言うことを容れていればよかった」
頭を下げようとする天皇を、
「ちょ、ちょっと待って、待ってください!あまりにも畏れ多すぎるから、マジでやめてください、陛下!」
私は必死に止めた。
「それで……噴火の規模は、どの程度だったのですか?死傷者は?記憶だと、いくつか集落が埋まって、磐梯山の北側一帯の地形が、大きく変化したのですけれど、地形がどう変わったとか、情報はないですか?あと、桧原城跡と猪苗代城跡と……会津若松の、若松城の跡も、噴火で破壊されてはいませんよね?大丈夫ですよね?!」
「増宮さん」
私に呼びかけたのは、天皇の隣に座った女性だった。
「少し、落ち着きましょう。そんなに矢継ぎ早に聞いてしまっては、お父様も、お困りですよ」
とても落ち着いた、綺麗な声だった。顔には愁いの色があるけれど、全身から気品があふれ出ていて、まさに貴婦人、というたたずまいだ。
「はい……あのー、失礼ですが、皇后陛下で、よろしいのでしょうか?」
「お母様とお呼びください、増宮さん。そんなに他人行儀になさらずとも、よいでしょう?」
皇后――昭憲皇太后――は、静かにほほ笑んだ。
つまりこれで、母親に、生まれて初めて対面したわけである。本当なら感動の場面になってもいいのだろうけれど、どう見てもそんな状況ではなかった。
「状況だが、ほぼ、章子が申した通りだ」
天皇が説明し始めた。
磐梯山が噴火したのは、7月15日の朝だった。
その数日前から、山頂で数回、地震があったが、それ以外に、前兆は確認されなかった。
噴火と同時に、山体が崩壊した。
磐梯山は大磐梯、小磐梯、櫛ケ峰、赤埴山の4つの峰から形成されている。そのうち、小磐梯が爆発により、跡形も無くなってしまった。岩石や土砂は、磐梯山の北側に流れ下り、いくつかの集落と田畑、人命を飲み込んだ。
また、磐梯山の東側では、火山爆発による高温の爆風で、山の木がなぎ倒され、爆風を浴びた人がやけどする被害も出たとのことだった。
(史実通り、かな……)
私はため息をついた。
私がこうして明治時代にいることで、歴史が変わって、磐梯山が噴火しないことを願っていた。
しかし、噴火は、史実通り起こってしまった。
この様子だと、来年起こるはずの熊本地震や、3年後の濃尾地震、それから、明治三陸地震も、史実通り発生してしまうのだろう。そして、関東大震災も……。
「そなたの言うことが、どうにも信じられなかった。念のため、福島県に、磐梯山の調査を依頼はしていた。それゆえに、こちらに情報が届くのは早かったのだが……朕の不明の致す所だ」
天皇の声は暗かった。
「陛下……」
「お上……」
堀河さんと皇后が、沈痛の面持ちを浮かべる。
「あの、陛下、……伺いたいことがあります」
私は声を上げた。
「章子、何だ」
「この災害救助、支援は、どのように行う予定ですか?これだけの規模の災害なら、県だけでなくて、政府も何らかの支援をするべきだと思います」
「そなた……落ち着いておるな」
「変な話ですけど、前の世で少し“災害慣れ”していますし、この噴火も、私の記憶通りに起こっているので……」
前世では、噴火だけではなく、地震や豪雨による災害もしばしば起こっている。大学で、“災害時の医師の役割”というタイトルの講義も、1,2時間だけあった。
最初は、災害による負傷者が発生する。そのあとは、高血圧や糖尿病、喘息だとかの慢性疾患の治療が途切れないような支援が必要になる。この時代に概念そのものがあるかわからないけれど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も発生するだろうから、長期に渡るメンタルケアも忘れてはならない。また、明治時代だから、感染症の蔓延には、平成時代より、いっそう気を付けなければいけないだろう。水や電気などのライフラインの確保は絶対だ。
「……あと、今回の噴火に関しては、埋没しなかった集落も、川の流れが変わって、水の中に沈む、ということがあったはずなので、埋没した集落の住人も含めてですけれど、移転地の準備が必要です。今言った一連のことを円滑に行うために、お金と人員も用意しないといけません。私が思いつくのはこのくらいです」
天皇も皇后も、堀河さんも、黙ってしまった。
「なんと……」
ため息をついたのは天皇だった。
「章子の言うこと、いちいちもっともだ。細かい対応策は、山縣の仕事になろうが……朕が打てる手は、まず、資金を援助することだな。それと、医師の派遣か?」
「わたくしから、赤十字社に要請してみましょう、お上。戦時ではありませんが、そのようなことを言っていられる状況ではなさそうです」
皇后が進言した。
(赤十字社って、この時代でもあるのか)
私は妙なところに感心した。前世では、災害の起こったところには、必ずと言っていいほど、赤十字社の医療班が出動していたのだけど、明治のこの頃だと、まだそういうわけではないのだろうか。
「うむ、では美子、頼む」
「かしこまりました。増宮さんのお話を聞きましたら、すぐに」
皇后は、天皇に一礼した。
「私の話、ですか?」
私が尋ねると、皇后は、頷いた。
「増宮さんには、前世の記憶があると、お上から伺いました。そのお話を聞きたくて」
皇后は、そう言って微笑した。
「はあ……でも、あまり面白くないと思いますよ?本当につまらない、意気地なしな人間だったから……」
「人の一生に、面白いも面白くないも、ある訳がありません。皆、それぞれに、懸命に生きているのですから」
「そうでしょうか……」
皇后の言葉は、確かにその通りだ。
けれど、その前に、私は、前世で“懸命に生きた”という記憶が、あまりないのだ。
(でも、いずれは、前世のことを、話しておかないといけないよな……)
「では、話しますけれど……つまらなくなったら、おっしゃってくださいね?」
こう前置きして、私は話し始めた。前世の、私の人生を。