兄妹の逡巡
1921(大正6)年11月8日火曜日午前10時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「兄上、どうする?」
今日はこれから、宮内大臣の牧野さんが報告をしに御学問所へとやって来る。必要な書類に御璽と国璽を押し、各省庁に引き渡しを終えた私は、御学問所に戻ると、1人で本を読んでいた兄に尋ねた。
「……どうしようかなぁ」
兄は本を閉じながら私に応じた。「言うと決めたのに、どうも、踏ん切りがつかない」
「そっか……」
「そういうお前はどうなのだ?」
すると今度は、兄が私に問いかけた。「今日、牧野大臣に確認するのか?」
「……聞いていいのかしら」
私は軽く顔をしかめた。「それぐらいは自分で判断しなさい、と言われてしまいそうで」
「相手は大山大将ではないのだ。そんな厳しいことは言わないと思うぞ」
「だけど、ちゃんとした人よ」
私はそう答えるとうつむいた。「やっぱり、私とは鍛えが違うし……」
「しかし、それはためらう理由にはならないだろう」
「そうかもしれないけどさぁ……」
昨日の午後も、御苑を歩きながら、兄と2人で話し合った。散々歩き回り、討論して、今日、牧野さんに会う時に話してみようという結論は一応出したのだけれど、本当に話していいものかどうか、心の中にはまだ迷いが残る。それは兄も同じなのだろう。
と、
「失礼致します。牧野宮内大臣がいらっしゃいました」
侍従さんの1人が、廊下から兄に声を掛けた。
「分かった。通してくれ。人払いも忘れるなよ」
私との会話を慌てて中断した兄が命じると、静かに障子が開き、牧野さんが御学問所に入る。「牧野大臣、座ってくれ」と兄が牧野さんに机の前にある椅子を勧めると、障子が外から静かに閉められた。
「陛下、内府殿下、いかがなさいましたか?」
私と兄の様子が、いつもと違うのに気が付いたのだろう。牧野さんが穏やかな口調で私に尋ねた。
「いや、何でもない」
姿勢を正して牧野さんに答えた兄に、
「なんでもなくないでしょう」
私は横からツッコミを入れる。
「そんなことはない。何かあるのはお前の方だろう」
「何言ってんのよ。何かあるのは兄上だって同じじゃない。ちゃんと牧野さんに話しなよ」
不機嫌そうになった兄に私が言い返すと、
「お前から先に話せ」
兄は短く私に言った。
「何でよ?」
「勅命だ」
私は兄を睨みつけた。勅命と言われてしまったら、兄の言葉に逆らうことはできない。勅命という言葉を、軽々しく使い過ぎている気がするけれど……。
「……それ、反則よ」
私は兄に釘を刺してから、牧野さんに向き直り、
「実は、来月東京で開催される、立憲改進党の関東党大会に出席したくて……」
牧野さんの様子をうかがいながら話し始めた。
「どうしても、大隈さんのことが心配なのです。党大会に出席して、途中で倒れないかって……。大隈さんが出席しないのなら、私も出席はしませんけれど、もし大隈さんが出席するなら、大隈さんが倒れた時に、私は医者として手当てをしたいのです。けれど、私が与党の党大会に出席してしまうと、例え微行であったとしても、政治的に公平な立場でいられなくなってしまいます。それは内大臣としていかがなものかと思いますし、それでも、大隈さんのことは心配ですし、どうしたらよいかと迷っておりまして……」
すると、
「ならば、立憲改進党の党大会にご出席の場合は、立憲自由党の党大会にもご出席になればよろしいのではないでしょうか」
牧野さんは事も無げに私に答えた。
「はい?」
「与党の党大会だけにご出席なされば、確かに公平ではありません。しかし、野党の党大会にもご出席なされば、与党・野党双方の党大会で、それぞれの主張をお聞きになったことになりますからお相子です。その方向で予定をご調整なさればよろしいのではないでしょうか」
戸惑う私に、牧野さんは穏やかに、淡々と策を述べる。
「そうだ。確かに牧野大臣の言う通りだ。……梨花、この理屈で押し通れば、立憲改進党の党大会に出席できるぞ。大隈伯爵に何かあっても、お前が手当てできる」
我が意を得たり、とばかりに積極的に私に勧める兄に、
「うん。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう……」
私はうつむきながら答えると、牧野さんに深く頭を下げ、「ありがとうございます」とお礼を言った。
「……さて、これで私の問題は解決したから、今度は兄上の番ね」
下げた頭を上げると、私は兄をじっと見つめた。途端に、兄の額に皺が刻まれる。
「……言わなければならないか?」
「当たり前でしょ!禁じ手まで使って、私に先に言わせたんだから!」
兄を睨みつけると、兄は大きなため息をつき、
「しかし、牧野大臣の心を傷つけるかもしれないしなぁ。どう言い出せばいいものか……」
と、駄々をこねるように言う。
「確かにそうだけれど、ここで言い出せなかったら、いつまでも言い出せないじゃない。原さんの暗殺事件のことも乗り越えたのだから、ここで言う方がいいってば」
私が少しイライラしながら兄に反論すると、
「私のことはどうぞお気遣いなく、陛下」
牧野さんが兄に向かって最敬礼した。
「お気遣いいただいたのは誠にありがたいのですが、私も東宮亮に就任して以来、色々と経験をさせられて、多少のことではへこたれなくなったつもりです。ですからどうぞ、陛下のお話になりたいことをご遠慮なくお話しいただきますように」
牧野さんから視線を動かさず、兄は黙って考えていたけれど、しばらくして、
「……わたしと節子は5年前の秋、宮崎・熊本・鹿児島の3県に視察に行くことになっていた」
と、重い声で話し出した。
「しかし、お父様が出発前日にお倒れになって、視察は中止になった。その後わたしが即位して、世界大戦の危機やら、新型インフルエンザの騒ぎやらで、なかなか視察の希望を言い出せずにいた。特別大演習のついでに視察することも考えたが、あの3県は東京から遠いから、往復で時間が取られて他の行事の日程が厳しくなる。だから、5月あたりにあの3県に行って、鹿児島が7年前の桜島大噴火から復興しているのを確かめ……西南戦争で命を落とした将兵の冥福を、敵味方の区別なく祈りたいのだが……」
兄の言葉は、次第にゆっくりになっていく。どう言えば牧野さんの心を傷つけずに済むか、一言一句、考えながら話しているのだろう。牧野さんは維新の元勲・大久保利通の次男で、幼い頃は鹿児島に住んでいた。大久保利通は、鹿児島では嫌われているという。宮内大臣は、天皇の行幸に供奉するのが通例だ。父親が嫌われている土地に、そして自身も複雑な感情を抱えているであろう土地に、牧野さんは足を踏み入れられるのか……兄はそれを案じているのだ。
と、
「それは是非、行幸なさるべきかと考えます」
牧野さんが背筋を伸ばし、兄にキッパリと答えた。
「牧野大臣……?」
兄は訝しげに牧野さんに呼びかける。「いいのか?牧野大臣が訪れたくない土地に足を踏み入れることになるが……」
「そこは仕事でございますから、何があっても陛下について参ります」
恐る恐る尋ねた兄に、牧野さんは穏やかな口調で答えた。
「それに私は幼い頃、大西郷に可愛がられました。不幸にして、大西郷は亡き父と道を違え、戦死することになりましたが……大西郷の冥福を、そして、大西郷と刃を交えた者たちや、大西郷に従って戦った者たちの冥福を、私も鹿児島で祈りたいと存じます」
「牧野さん……」
思わず呟いた私に、
「つかぬことをお伺い致しますが……陛下も内府殿下も、鹿児島への行幸をご希望なさらなかったのは、山縣閣下をお気遣いなさってのことでございましょうか?」
牧野さんは穏やかな声で問うた。私が黙って頷くと、
「やはり、ですか……。桜島が噴火する直前、鹿児島行きを強く希望なさっていた内府殿下が、陛下が御即位なさって以降、全くそのことを言い出されないのはなぜなのだろうと訝しく思っておりましたが……」
牧野さんはそう言って、少し悲しげな表情になった。
「……山縣顧問官は、西南戦争で政府軍の実質的な司令官を務めた。恨んでいる鹿児島県民も多かろう。万が一、鹿児島で山縣顧問官を狙った暗殺事件が起これば一大事だと思い、言い出せずにいた」
うつむいた兄は、絞り出すように言葉を紡ぐ。そのまま、口を閉ざした兄に、
「陛下、内府殿下……大山閣下も、間もなく80歳になられます。早く鹿児島に行幸をなさって、大山閣下を鹿児島にお連れにならなければ、大山閣下は鹿児島に行く機を永久に逃してしまわれます。ですから、お命じいただければ、南九州3県への行幸、来年に実現できるよう、宮内大臣として尽力致します」
牧野さんは声を励まして申し出る。いつも穏やかな牧野さんとしては、珍しいことだった。
「分かった。……ではそうしてくれ、牧野大臣。南九州3県への行幸、来年に実現できるよう、頼む」
命令に「かしこまりました」と最敬礼して応じた牧野さんに、兄は続けて、
「ありがとう……」
と言い、頭を下げた。
1921(大正6)年11月13日日曜日午前11時20分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
今日は、東京府での今年度の65歳以上へのインフルエンザワクチンの接種が先月15日から解禁されたのを受け、梨花会の65歳以上の面々を盛岡町邸に集めてワクチンの接種をする日だ。去年と同じように長女の万智子に手伝ってもらいながら全員にワクチン接種を終えると、私は接種を受けた人の休憩場所になっている食堂に万智子と一緒に入った。食堂ではやはり去年と同じように、夫の栽仁殿下、そして長男の謙仁と次男の禎仁が、接種を終えた人たちの相手をしてくれている。中を見回して、児玉さんと伊藤さんと一緒に禎仁に話しかけている桂さんの姿を見つけると、
「桂さん、ちょっといいですか?」
私はこう声を掛けた。
「はっ」
桂さんはこちらを向くと、すぐさま小走りで私に近づく。そして私の前まで来ると、
「何事でございましょうや、内府殿下」
と、大げさに頭を下げた。
「あの、来月の4日に、立憲改進党の関東党大会がありますよね?」
「その通りでございますが……?」
私の確認に大きく首を傾げた桂さんに、
「私、大隈さんが出席するなら党大会に出席します。ああ、もちろん、演壇に立つのではなくて、聴衆に紛れ込んで演説を聞いているだけですけれど」
私は笑顔でこう告げた。
「それはありがたき幸せ!」
桂さんは私に向かって最敬礼すると、
「しかし、それでは内府殿下のお立場として、いかがなものでございましょうか?」
今度は私に心配そうに尋ねた。
「そこはご心配なく。牧野さんとも相談して、そちらの党大会に出席した場合は、立憲自由党の党大会に出席することにしましたから。これなら公平でしょう?」
私が桂さんにわざと明るい調子で答えると、
「かしこまりました。我が党も早急に、党大会の開催を計画致します」
私のそばにいた立憲自由党総裁の原さんが、私に恭しく一礼した。何とか“史実”と同じように暗殺されずに済んだ原さんは今年で満65歳になり、盛岡町邸の集団接種の対象者に名を連ねることになったのだ。
「あの、原さん。早急に計画しなくても……」
原さんの恭しい態度と、余りに素早い対応に戸惑いながら私が言うと、
「そうじゃぞ、原君。インフルエンザの流行もどうなるか分からんし……」
枢密顧問官の伊藤さんも、横から原さんを止めた。
今月の上旬から、再び新型インフルエンザが大都市で発生している。今年の5月から9月に新型インフルエンザが流行した南半球のオーストラリアでは、ワクチンが普及したこともあってか、インフルエンザの死亡率は約0.5%に抑えられた。この時代の日本での通常のインフルエンザの死亡率の0.4%に近づいているけれど、患者数が増えて医療がひっ迫すれば、死亡率が上がる可能性は十分にある。そこで、今回のインフルエンザ流行に関しては、前回の流行と同じように緊急事態宣言を発出することになった。インフルエンザ感染が急速に広がれば、12月に入るのを待たずに東京府に緊急事態宣言が出る可能性がある。
「確かにその通りです。内府殿下がまたインフルエンザに感染なさったら大変なことになります。諸般の状況を鑑みながら党大会開催の時期は検討いたしますので、内府殿下、その際はよろしくお願いいたします」
原さんの最敬礼に黙って一礼してから、
「ところで、大隈さんの具合はいかがですか?」
私は桂さんに大隈さんの様子を尋ねた。もちろん大隈さんは自宅で静養中なので、この盛岡町邸には来ていない。
「実は、余り具合が良くないのです」
顔をしかめながら教えてくれたのは渋沢さんだった。「昨夜、血尿が出たそうです。今朝見舞って英麿どのに尋ねましたら、医師たちから19日の関西党大会への出席を禁じられたということでした。本人は私に元気に応対してくれたのですが」
「しかし、内府殿下が関東党大会に出席なさると聞けば、大いに張り切られるでしょう。関東党大会だけは、何としてでも出席していただきたいところです」
桂さんがこう希望を述べた時、
「桂のおじさま」
万智子が桂さんに呼びかけた。
「大隈の爺は具合が悪いのですか?」
「ええ。ただ今はご自宅で、元気になるために養生しておられます」
万智子の問いに桂さんが優しく答えると、
「私、大隈の爺のお見舞いに行きたいです」
万智子は少し悲しげな顔で桂さんに訴える。すると、
「僕も行きたいです」
「僕も!ねぇ、父上、母上、いいでしょ?」
山縣さんと陸奥さんと大山さんに相手をしてもらっていた謙仁と禎仁が口々に言う。
「僕はいいと思うけれど、章子さん、どうする?」
山本国軍大臣と何事かを話し合っていた栽仁殿下が、私に柔らかい視線を向ける。
「そうねぇ……」
血尿が出たということは、前立腺癌が進行しているのかもしれない。いつ大隈さんの命が尽きるかは分からないけれど、インフルエンザによる緊急事態宣言が出てしまえばお見舞いにも行き辛くなるし、行くなら早い方がいいかもしれない。
「じゃあ、次の週末に、向こうの都合がよければお見舞いに行こうか」
私が栽仁殿下に頷くと、桂さんと渋沢さんが私に向かって頭を下げた。




