御苑
1920(大正5)年10月9日土曜日午後0時50分、皇居・奥御殿。
「梨花叔母さま、裕兄様が召し上がっているものは何ですか?」
兄一家が食堂として使っている部屋。普段は中央に置かれているテーブルが部屋の隅に追いやられ、暗くされた室内では、今から2か月ほど前、世界一周巡航に出ている迪宮さまがイタリアを訪れた時に撮影された活動写真が映されている。スクリーンの中にいる迪宮さまの様子を見た兄夫妻の末っ子・学習院初等科3年生の倫宮興仁さまは、無邪気に私に尋ねた。
「私は章子だよ」
いつものように訂正を入れてから、
「あれは多分、ピッツァだね」
と私は倫宮さまに答えた。
「ピザ?」
9月から華族女学校高等中等科第2級……私の時代風に言うと高校2年生になった兄夫妻の長女・希宮珠子さまがこう言ったので、
「ピザでもいいけれど、ピッツァって言わないと、“お客さん、ピザじゃなくてピッツァです!”って怒る人もいるわよ」
私はたしなめるように言った。
「どんなお料理なの、叔母さま?」
「そうねぇ……平たく丸く、お盆みたいに伸ばした生地の上に、チーズやトマトなんかを載せて、オーブンや専用のかまどで焼き上げて作るのよ」
今生でピッツァを食べたことは無いけれど、前世でならもちろんある。その時のことを思い出しながら私が倫宮さまに教えると、
「まぁ、叔母さま、お詳しいですね。召し上がったことがあるのですか?」
希宮さまが目を輝かせながら尋ねた。
「……無いけれど、イタリアの人にそう聞いたことがあるの。とっても美味しいって」
私は可愛い姪っ子にごまかして答えた。流石に、私の前世のことを彼女に知られる訳にはいかない。
「兄上と節子さまは、イタリアに行ったことがあるから、ピッツァを食べたことがあるんじゃない?」
これ以上希宮さまの質問を受けないよう、私は一緒に活動写真を観ている兄と節子さまにピッツァの話を振ってみた。
「確かに食べたが……おかわりをしようとは思えなかったな」
「私も……チーズに慣れていないからでしょうか」
兄と節子さまがお互いの顔を見合わせて答える。……確かにこの時代、チーズは日本で普通に食べられるものにはなっていない。節子さまが“チーズに慣れていない”と言うのは当然だ。
(そう言えば、私、外遊中にイタリアには行けなかったから、ピッツァを食べ逃したんだっけ……。今生で、ピッツァが食べられるかしら)
そんなことを考えていると、活動写真の場面が切り替わる。迪宮さまが乗った馬車に、迪宮さまより小柄な初老の男性が乗り込む。2人は群衆の歓声を受けながら立派な宮殿へと向かっていった。
「あれがヴィットーリオ・エマヌエーレ3世かな」
「だろうね」
兄の言葉に私は頷く。昨年、私が新型インフルエンザで寝込んでいた頃、イタリアの前国王・ウンベルト1世も新型インフルエンザに罹り、肺炎を併発して75歳で亡くなった。“史実”では1900(明治33)年に暗殺されていたことを考えると、この時の流れでは恵まれた生涯を送ったと言っていいのかもしれない。このウンベルト1世の跡を継いでイタリア国王となったのは、ウンベルト1世の一人息子であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世だった。
「出迎えている王族たちの中に……あのバカどもはいないわね」
宮殿で迪宮さまを出迎えるイタリア王族たちの映像を見ながら、私が胸を撫でおろすと、
「それはないだろう。トリノ伯もアブルッツィ公も、お前の見舞いに行こうとして戦艦を乗っ取ろうとした事件以来、軟禁されていると言うし」
兄は少し呆れたように言う。そして、
「裕仁は、本当に立派になったな」
と、スクリーンに再び映し出された迪宮さまの姿に目を細めた。
「世界一周巡航の最初の頃……沖縄や北京を訪れていた時は、ぎこちなさが残っていた。しかし、段々と落ち着きが出てきている。……やはり、活動写真というものはいいな。裕仁の成長を目の当たりにしているかのようだ」
兄の言葉に私は黙って頷く。私の時代なら、生中継の技術もあるし、そうでなくても撮られて2、3日中には、世界中の映像が見られるけれど、この時代ではそうはいかない。このフィルムも、イタリアからシベリア鉄道経由で日本に輸送されているから、“最新”と銘打っていても、撮ってからこうして上映されるまで、1か月ほどのタイムラグは生じてしまうのだ。
「裕仁は、今はイギリスですけれど……国王陛下に随分とよくしていただいていると電報が参りましたね」
「そうね。アスキス首相たちも、迪宮さまに妙なちょっかいは出していないようだし、本当に良かったわ」
私が節子さまにこう言うと、
「もしそんなことがあったら、イギリス大使に厳重に抗議する」
兄の声が冷たいものに変わった。
「章子がイギリスでチャーチルに絡まれたと聞いた時にも、イギリス大使に俺自ら抗議しようかと思ったのだ。その直後に、イギリスの閣僚たちが米内に返り討ちにされたと聞いたから矛を収めたが」
(収めてくれて本当に良かったよ……)
兄の発言に私がため息をついた時、ちょうど活動写真が終わった。
「良かった。迪兄上がお元気そうで」
希宮さまが明るくなった部屋でこう言って微笑すると、
「ねぇ、お父様、お母様、この活動写真、もう1回観るんでしょ?」
倫宮さまが両親に尋ねた。
「そうだな、尚仁が戻ってきたら、また夜に観ないとな」
兄は自分の末っ子に優しく答える。尚仁、というのは、希宮さまと倫宮さまの間に生まれた現在15歳の英宮尚仁さまのことだ。彼は先月から幼年学校に入学し、平日は幼年学校の寮で生活し、土日に皇居に戻るという生活を送っている。
「それに、雍仁が戻ってきたら、今までの分もまとめて観ないといけませんね」
節子さまも兄の隣で微笑しながら言う。この夏に学習院中等科を卒業した兄夫妻の次男・淳宮雍仁さまは、猛勉強の末、海兵士官学校の入学試験に自力で合格した。現在は広島県の江田島で学生生活を送っている。年末にある冬の長期休暇には東京に戻って来るから、節子さまはその時に、迪宮さまの活動写真の上映会をするつもりでいるのだろう。
「お母様、淳兄上が戻っていらっしゃる頃には、迪兄上もご帰国なさるのではないかしら。そうしたら、迪兄上に活動写真の解説をしてもらえばいいと思います」
「ああ、そうねぇ。いい考えだわ、珠子。楽しい年末になりそうね」
一人娘の提案に、節子さまが何度も頷く。「それ、いいなぁ」と末っ子ははしゃぎ、兄はその様子を嬉しそうに見つめている。食堂には穏やかな時間が流れていた。
倫宮さまが宿題を片付けるために自室に引き上げると、珠子さまもピアノの練習をするために自分の部屋に向かうと言って、椅子から立ち上がった。すると、
「じゃあ、珠子のピアノを聴かせてもらおうかしらね。どこまで上達したかしら」
節子さまも席を立ち、希宮さまと一緒に食堂から出ていく。食堂に残された格好の私に兄が近づき、
「梨花、一緒に腹ごなしの運動をしないか?何、馬に乗るわけではない。庭を歩くだけだよ」
と耳元で囁いた。
「いいわね。……でも、2時から梨花会だから、余り遠くまでは行けないかな」
「それでも構わん。最近、運動と言えば馬に乗ってばかりだったから、たまには歩くのもよいだろう」
そう言うと兄はすぐに立ち上がる。お誘いを断る理由も無いので、私は兄について吹上御苑の方へ向かった。
「裕仁は本当に立派になったな」
兄と2人きりで御苑に入ると、兄は歩きながら、先ほどと同じ言葉を口にした。
「日本に帰るころには、うんと成長しているだろう。これも義兄上と伊藤顧問官のおかげだ。あの2人には感謝しなければな」
「きっと、外遊から戻ってきた時の兄上みたいに、一回りも二回りも大きくなっているね、迪宮さまは」
私が兄にそう応じると、
「俺はあの外遊で成長したという実感がないが……梨花が言うなら、まぁ、そうなのだろう」
兄はやや歯切れの悪い口調で言う。
「兄上、自信を持ってよ。私には散々“自分を傷つけるな”って言っておいて、その言葉はないんじゃない?」
私が兄を軽くたしなめると、
「自分を傷つけたつもりはないぞ。驕ってはならないと自戒しただけだ」
兄は少し不機嫌そうになる。
「じゃあ、そういうことにしとく」
「ああ、しておいてくれ」
兄は私に言い返すと、「それにしても」とため息をついた。
「裕仁が戻ってきたら、結婚の準備を進めなければな」
「そうだね。来年の秋だっけ?」
「ああ。……そう言えば、裕仁は良子に手紙を出しているのか?」
「出していると思うわよ?あの2人、仲がいいし」
首を傾げた兄に私は言う。迪宮さまの婚約者は久邇宮家の御当主・邦彦王殿下のご長女・良子さまに決まっている。“史実”では婚約を解消する、しないでひと騒動あったらしいけれど、この時の流れではそのような騒ぎは一切起こっていない。
「しかし、そうか……。俺の子供が嫁を取る、と考えると、呆然としてしまうな。赤ん坊だったころのことがつい昨日のように思われるのに、もう結婚、とは……」
「だねぇ。私も信じられないわ。私は子供がまだ小さいから、子供たちが結婚することなんてまだ全然考えられないけれど」
兄に苦笑しながら返すと、「そうだ、兄上、話を変えるけどさ」と私は兄に話しかけた。
「今、山縣さんは来るわけがないから、聞いちゃうけれど……鹿児島への行幸、どうしよう?」
すると、
「それか……」
兄は眉根に皺を寄せ、深いため息をついた。
「いつか言っていたように、大演習の時に一緒に行ければ……とも思うが、それでは日程が厳しい。大演習は今年から10月になったから、何とかなるかもしれないが、来年以降もずっと10月実施のままかは分からない」
「そうね。インフルエンザワクチンの接種も始まる。これで死亡率がうまく下がれば、大演習の時期はまた11月に戻るだろうね」
今年の春からオーストラリアで行われていたインフルエンザワクチンの治験では、インフルエンザが重症化する確率は、ワクチンを接種した群で接種しない群の3分の1程度に下がった。もちろん、ワクチンを接種した群の死亡率は、接種しなかった群の4分の1程度になった。日本でももうすぐワクチン接種を始められそうだから、インフルエンザの流行を懸念した日程調整も必要なくなるだろう。
「ああ、だから、大演習とは別に、5月あたりに鹿児島に行くのが一番いいが……」
そう言うと、兄の眉間に刻まれた皺が深くなる。
「山縣さんのことが、ねぇ……」
私も大きなため息をついた。
鹿児島県は、日本で最後の、そして最大の不平士族の反乱である西南戦争が発生し、そして終結した地だ。西南戦争で鹿児島の住民の心にできた傷は、まだ深い。もちろん、兄も、そして私も、西南戦争で亡くなった方々のご冥福を、敵味方の区別なく現地で祈りたいと考えているけれど、ここで問題になるのが宮内大臣の山縣さんのことだ。宮内大臣は内大臣と同じように、天皇の行幸に付き従うのが通例なのだけれど、山縣さんは西南戦争に、参軍……政府軍の実質的な総司令官として参加していたのだ。
「山縣さんを恨んでいる鹿児島の人は多いと思う。西南戦争を西郷軍側で戦った人たちも生きているでしょうし。もし山縣さんが鹿児島に行ったら、恨んでいる人に襲撃されるかもしれない。それは避けないといけないわ。兄上の前で宮内大臣が暗殺されるなんて事件が起こったら、国民感情が不安定になる可能性もある」
私が暗い声で吐き出すと、
「だから俺も、“鹿児島に行きたい”と言い出せないのだ。宮内大臣が皇太子の行啓について行くことはないから、皇太子だった頃は気軽に言えたのだが、天皇となった今は、どうも、な……」
兄はそう言ってため息をつく。だから鹿児島行きのことは、表御座所で兄と話し合うことが出来ない。表御座所には山縣さんがしょっちゅう出入りしているからだ。
「だからと言って、山縣さんを宮内大臣から下ろすという選択肢は兄上には無いでしょう?」
私が尋ねると「当たり前だ」と兄は即答した。
「山縣大臣は、俺がなんでも言うことが出来る人間だ。それを辞めさせるなど考えられない。だから鹿児島に行く話は、山縣大臣が絶対に来ない、こういう機会にしかしないことにしている」
兄はそこまで言うと視線を遠くに投げ、
「鹿児島には、裕仁に行ってもらう方がいいのかもしれない」
と呟くように言った。
「確かにその手はあるけれど……時間はまだあるよ。結論を出すのは早いんじゃないかな」
私は慎重に言葉を選んだ。山縣さんが宮内大臣を辞めた後で、鹿児島に行幸すればいいのではないか……そう思うけれど、山縣さんがいつ宮内大臣を辞めるのかは分からない。そもそも、こちらから“辞めてくれ”と言うこともできないのだ。それに、私は山縣さんに宮内大臣を辞めて欲しくない。
(ただ……いつかは退任する時が来る。その時に鹿児島に行けばいいのよ。山縣さんが宮内大臣を辞めるまでに、兄上が“史実”みたいに体調を崩してしまうなんてことはあり得ないのだから)
そう思っていると、
「それはそうだが」
兄は答えて口を閉じる。眉根の皺の深さは、先ほどと変わらない。遠くにある大木の方を見つめ、兄は何かを考えているようだ。私が口を開こうとした時、
「……誰か来たな」
兄の視線が私の後ろの方に動いた。
「え……」
私は後ろを振り返る。どうもそんな様子はないけれど……と思っていると、遠くにフロックコートを着た男性の姿が見える。彼は私たちの姿を見つけると、全速力でこちらに向かって走ってきた。
「陛下、内府殿下、こちらにいらっしゃいましたか!」
走りながら大声で叫んだのは、兄の侍従の高辻さんだ。
「もう間もなく、出御のご刻限でありますれば……!」
「ああ、そうか、もうそんな時間か」
兄が答えるのと同時に、私は腕時計の盤面をのぞく。時計の針は1時50分を指していた。
「兄上、梨花会が始まるまであと10分よ」
「うん……では表御座所まで走るか、梨花」
私にそう答えるやいなや、兄は高辻さんのいる方角に向かって走り始めた。
「待ってよ、兄上!そんなに速く走らないでよ!」
「待たぬ!遅刻して、山縣大臣に叱られたくないからな!」
兄は大声で私に答えながらも、足を止めずに走り続ける。私との距離はぐんぐん広がってしまっている。
「ああ、もう……!」
軽く舌打ちすると、私も制服のスカートを翻しながら、兄に追いつくべく必死に走った。
※実際にこんなにワクチンの治験の結果が綺麗に出るか分かりません。(夾雑物は混じっているでしょうし……)




