あと3年
1920(大正5)年9月1日水曜日午前6時25分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「ん……」
本館2階にある私と栽仁殿下の寝室。大きなベッドの上で無意識のうちに寝返りを打った時、右手が掛布団でもシーツでもない感触のものに軽くぶつかり、私は少しだけ目を開けた。私の右手は、誰かの手に優しく握られている。その手の持ち主は、ベッドに寝たまま、澄んだ優しい瞳で私を見つめていた。
「おはよう、梨花さん」
私と目が合うと、隣に寝ている夫は挨拶して微笑む。寝起きだからか、白い寝間着は少し着崩れていた。
「おはよう、栽さん……ああ、今日、日曜日だっけ……」
毎週土曜日の夜、栽仁殿下は横須賀から東京に戻ってきて、この盛岡町邸に1泊する。だからこうやって、私の隣で朝の挨拶をしてくれるのは、日曜日の朝だけだ。いつものスケジュールをぼんやり思い出しながら私が言うと、
「違うよ、梨花さん。今日は水曜日だよ」
栽仁殿下の微笑みが、悪戯っぽいものに変化した。
「え……?」
今日は祝日ではないはずなのに……。寝ぼけた頭で考えた時、あることを私は思い出した。栽仁殿下が平日の朝に、盛岡町邸にいるのは当然のことなのだ。なぜなら……。
「そうだ……栽さん、国軍大学校に合格したんだもんね。だから、ずっと東京にいるんだ」
右手で栽仁殿下の手を軽く握り返すと、
「そうだよ、梨花さん」
栽仁殿下がとても幸せそうな笑みを私に向けた。
6月に実施された国軍大学校の入学試験に、栽仁殿下は見事合格した。もちろん、皇族の特権は一切使わず、自分の実力だけで合格したのだ。今日、9月1日から3年間、栽仁殿下は赤坂御用地の隣にある国軍大学校に通学することになり、昨日、今までの勤務先だった一等巡洋艦“八丈”から荷物を引き払って戻ってきた。だから、今日からしばらくは、ベッドで目を覚ませば、栽仁殿下が隣にいる。
「梨花さん、どうしたの?とっても嬉しそうだけど」
今までのことを思い出していたら、栽仁殿下が私にこう尋ねた。私は栽仁殿下に身体を寄せると、
「だって、これからは、栽さんと同じ家で暮らせるんだよ」
と答えた。
「朝起きたら目の前に栽さんがいて、一緒に朝ご飯と夕ご飯を食べて、一緒に眠るの。なんて……なんて幸せなことなんだろう、って思うわ」
「梨花さん……」
栽仁殿下が寝たまま私の身体を抱き寄せる。晩夏の空気とは違う熱が、私の身体をふわりと包んだ。
「僕もだよ。僕も、梨花さんと暮らすことができて、本当に嬉しい。こうやって手を伸ばせば、梨花さんにすぐ触れられるんだから」
「た、栽さん……朝から、こんなこと……」
「ふふ、国軍大学校に合格できてよかった。本物の大将になる第一歩を踏み出せることももちろんだけれど、梨花さんとこうして一緒に過ごせるのは、僕にとっては本当に幸せなことだからね」
栽仁殿下が私に囁き、私を抱く腕に力をこめようとしたその時、
「父上!母上!」
寝室のドアをノックする音とともに、私たちを呼ぶ声がした。今日で華族女学校高等小学科第3級……私の時代風に言うと小学4年生になった、私と栽仁殿下の長女の万智子だ。
「……!」
「ヤバっ!」
お互いの身体を離しながら慌てて起き上がった栽仁殿下と私の予測通り、万智子はノックへの反応を確かめることなく寝室のドアを開け、
「あ、父上も母上もお目覚めだったのですね。おはようございます」
と私たちに元気よくあいさつをした。
「ああ、おはよう、万智子」
「万智子、おはよう。朝から元気ねぇ」
ベッドの上に正座した栽仁殿下と私があいさつを返すと、
「はい、朝食の仕度のお手伝いをしなければなりませんし、お弁当作りも手伝わないといけませんから」
万智子は私たちにこんなことを言う。彼女はいつの間にか、包丁やコンロの扱い方もちゃんと覚えて、台所仕事を積極的に手伝うようになっていた。
「あと20分ほどで朝食ができ上がりますから、父上と母上も着替えて食堂にいらしてくださいね」
長女はそう言い残すと、くるりと踵を返し、私たちの寝室を後にする。軽やかな足音が遠ざかっていくと、私と栽仁殿下は顔を見合わせた。
「万智子は、ますますしっかりしてきたわね……」
「だね」
私の呟きに、栽仁殿下が苦笑して応じる。
「私が働いているから、その分、家のことは自分がやらないといけないと思っているのかしら……。もし、他にやりたいことや勉強したいことがあるなら、そっちをやらせてあげたいけれど……」
「確かにね」
私の言葉に夫は頷くと、「でも、それは今日の夜か、週末に考えるべきことだ」と言う。そして、
「それより今は、さっさと着替えて、食堂に行かないと。もし遅刻でもしたら、僕たち、万智子に叱られちゃうよ」
と真顔で付け加えた。
「……それは間違いないわね」
私はサイドテーブルの上に用意してある制服を掴んだ。栽仁殿下に背を向けると、大急ぎで着替えを始める。登場人物を変えながらも、慌ただしい日常は、またいつものように巡りだした。
1920(大正5)年9月1日水曜日午前11時30分、皇居・表宮殿の御車寄前。
「……ぷはぁ」
表御座所から前庭を経由してここにたどり着くまで黙っていた私が大きく息を吐くと、
「……どうも不思議だ」
私のすぐそばに立っている兄が、私を見ながら小さな声で言った。
「何で?だって、“おかしもて”でしょ?避難場所に着くまで、喋っちゃいけないんだから、口は閉じてないと」
私が言った“おかしもて”というのは、この時の流れで制定された避難訓練の標語だ。“押さない”・“駆けない”・“喋らない”・“戻らない”……いわゆる“おかしも”というのが、私が前世で教えられた標語だ。この時の流れで避難訓練を始めた時も、その標語を使ってもらったのだけれど、すぐに、“て”……“手回り品以外は持たない”という項目が付け加えられた。避難訓練の際、タンスや長持に荷物をたくさん詰めて、背中に担いだり大八車に載せたりして避難場所に集合した人が多数いたからだ。これでは素早く動けないし、大火事になった際、荷物に引火してしまう可能性も高くなる。
……話が逸れてしまった。とにかく、私はこの避難訓練の標語に従って、黙々と避難行動を取っていたわけだ。まだ幼かった私の進言により、1889(明治22)年に防災の日が定められ、防災訓練が始まって30年以上経っているから、この“おかしもて”も常識になっているのだけれど、なぜ兄はそれが不思議だと言うのだろうか。
すると、
「いや、そうではなくてな」
兄は私になだめるように言うと、
「毎年思うのだが、なぜ梨花は避難場所に着くと、そんなに大きく息を吐くのだ、と聞きたかったのだ」
と説明した。
「ああ……前世の頃からの癖ね」
私は囁くように答えた。「黙って逃げるのが、どうも苦手でね。どうかすると喋りだしそうになるから、避難場所まで動いている間、口をぎゅっと閉じてしまうの。その反動で、避難場所に着くと“ぷはぁ”ってなっちゃうのよ」
「はぁ……分かるような、分からないような……」
兄があいまいな答えを私に返した時、
「陛下、表に詰めている人間と宮内省の者は、全員避難が完了しました」
「奥の者たちも、全て避難が完了しています」
宮内大臣の山縣さんと内大臣秘書官長の大山さんが兄に報告した。
「そうか、ご苦労。次は放水訓練だな」
兄の言葉に、山縣さんと大山さんが頭を下げる。そして、職員たちが何班かに分けられると消防ポンプに取り付き、大木の枝から高さ5mほどの所にぶら下げられた的に向かって、ホースで放水を始めた。
元々、この時の流れでの防災の日は5月の最終土曜日に設定されていたけれど、兄の即位を機に、9月1日に改められた。もちろん、3年後に発生する関東大震災を見据えての措置である。各地方自治体や学校はもちろんだけれど、あらゆる職場で防災訓練が行われるよう義務付けられていて、11時40分から正午まで、電気・ガスは“訓練の臨場感を出すため”止められることになっている。もちろん電車や列車も、11時40分から20分間は運転を止めるよう定められていた。
「あと3年か……」
敷地内の木々に向かって綺麗な線を描いて放たれる幾筋もの水を見つめながら、兄がポツリと言った。
「そうなのよねぇ……」
私は顔をしかめて兄に応じた。
「私が梨花会の面々に関東大震災のことを伝えたから、東京や横浜では、市電を敷く時に一緒に区画整理をして、道幅を広げたり、防火用水を備えたりしてきた。もちろん、上水道も、なるべく地震に強い構造にはしてもらったけれど、それで火事を食い止められるかどうか……」
そもそも、関東大震災の発生時間が最悪過ぎる。午前11時58分なんて、各家庭や飲食店、そして職場の食堂などで、お昼ご飯の仕度のために、火を盛んに使っている時間帯だ。しかも、この時代、七輪やかまどで煮炊きをしているご家庭が大半だから、私の時代のように、電気とガスの供給を止めれば火が使えなくなるという訳ではないのだ。
「七輪やかまどは、火を消したと思っても、燃え残りがあることもあるから……火災はどうしても発生するだろう」
「それをさっさと見つけて消し止めるしかないわね……本当は、首都圏の住民全員に首都圏から退避してもらいたいけれど、下手に“大地震が来る”なんて言ったら、みんな混乱するからなぁ……」
「ああ。東京地震の時のように、防災訓練中にたまたま地震が発生した、ということにするしかないな」
兄がそう言った時、数か所から上げられていた放水が一斉に止まった。訓練が終了したようだ。
「次は……あれか」
「災害発生時のシミュレーション、だね……」
兄の声に、私は両肩を落とす。実はここからが辛いところだ。実際に災害が起こったと想定して、やるべきことを1つ1つ確認していく。机上演習ではあるけれど、私と兄の場合は、梨花会の面々のうちの1人が、満足いく回答が得られるまで徹底的に問い詰めるという形式を取るので、毎年毎年とても大変なのだ。
「去年だっけ、陸奥さんが、震災発生3日目に、ニューギニアにいるドイツ軍がフィリピンに攻めこんだっていう問題を出してきたのは……。何を答えたらいいかさっぱり分からなかったわ」
私がため息をつくと、
「一昨年の松方顧問官の、震災発生と同じ日に、イギリスで株が大暴落したがどうする、という問題も、全く手出しができなかったな……」
兄も渋い顔をしてこんなことを言う。
「兄上、今年の担当は誰だっけ?」
「黒田議長だ。……まぁ、誰が相手にしろ、簡単に済むはずがないのだが」
私の問いに、兄は首を左右に振る。
「しかし、どんな状況でも対応できるように、少しでも頭を鍛えておかなければならない。行政の遅滞で、人をいたずらに死なせるようなことはあってはならないのだからな」
そう言いながら、兄は空に目線を投げる。西の方に、夕立の前触れの大きな入道雲がそびえ立っているのが見えた。




