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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第67章 1919(大正4)年霜降~1920(大正5)年穀雨
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皇太子の出航

※章タイトルを変更しました。

※漢字ミスを訂正しました。(2024年7月20日)

 1920(大正5)年4月25日日曜日午後1時20分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「まだまだ、と思っていたら、あっという間にこの日が来てしまったね」

 我が家の食堂でコーヒーを飲みながらゆったりと笑ったのは、私の義父・有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下である。今月の7日に、関東以西の府県で新興感染症特別措置法に基づく緊急事態宣言が軒並み解除されたのを受けて、迪宮(みちのみや)さまの世界一周巡航の出発日が明後日、4月27日と決められた。皇居での名残の宴は一昨日開かれたのだけれど、今日は週末で横須賀から戻った栽仁(たねひと)殿下が主催して、家族だけでの名残の宴を兼ねた昼食会が開かれていた。

「本当に、時が経つのは速いですわ」

 私の義母の慰子(やすこ)妃殿下の言葉に、私の義理の祖母の董子(ただこ)妃殿下が頷くと、

「おじい様、日本にはいつ戻っていらっしゃるの?」

私と栽仁殿下の次男、学習院初等科1年生の禎仁(さだひと)が、義父に無邪気に聞いた。

「そうだな、今のところは、年末に戻る予定だね」

 義父が顔をほころばせて答えると、

「ということは、8か月ぐらい、日本にいらっしゃらないのですね」

私と栽仁殿下の長男、禎仁より1歳上の謙仁(かねひと)がサッと言った。「父上と母上がご洋行なさった時は、5か月ぐらい日本を離れられる予定でした。その時より、期間が長いのですね」

「訪ねる場所が多いからね」

 義父は謙仁に優しい瞳を向けた。「謙仁の父上と母上が訪れていない場所にも立ち寄ることになっている。清やシャム、香港にシンガポール、それからオスマン帝国やギリシャ……多すぎて数えきれない。後で、おじい様が行く予定の場所がどこにあるか、世界地図で確認してごらん」

「はい、父上と母上に、地図を借りて確認してみます」

 謙仁は義父の目を見つめ、しっかりした口調で応じる。それを見た義父は、

「謙仁は賢くなったなぁ……。万智子(まちこ)も禎仁も、本当に成長して、賢くなって……おじい様はお前たちと離れるのがとても辛い」

と、本当に辛そうな表情で言った。そして、私と栽仁殿下の長女・万智子の方を向くと、

「だから万智子、お前と謙仁と禎仁の手紙は、こまめにおじい様に送るのだよ。それから、万智子の父上と母上を、おじい様に手紙を書くようにとせっつくのだよ」

孫たちどころか、私と栽仁殿下にも手紙を書くようにさりげなく要求した。

「特に万智子の母上は、仕事が忙しいと言って、手紙を出すことを億劫がるだろう。だが、いくら仕事が忙しくても、短い文章を書く時間は必ずあるはずだ。だから万智子が、早く手紙を書きなさいと母上に注意しなければならないよ」

 更に義父は大真面目に、万智子にとんでもないことを教え込む。「かしこまりました、おじい様」と素直に返事をしてしまった万智子に、

「ま、万智子、おじい様のおっしゃることを真に受けてはいけません!母上は伯父上の御用で本当に忙しいのだから、お手紙をおじい様に書く暇はないわ!」

と、私は慌てて言い聞かせた。

 すると、

「母上、それならば、伯父上にお許しをいただけばよいと思いますわ。おじい様へのお手紙を書く時間をくださいとお願いしたら、伯父上はきっと許してくださいます。それで、おじい様へのお手紙をお書きになればよいのです」

万智子が私にこう指摘してしまった。その見事な理論に、私は顔を引きつらせる。義父は楽しそうな笑い声を上げた。

「諦めた方がいいよ、章子さん。万智子のことだから、章子さんが手紙を書かないと、どんな手段を使ってでも手紙を書かせようとするよ」

 私の隣に座っている栽仁殿下がクスっと笑う。私は「そうみたいね」と答えるとため息をついた。

「ふふ、期待しておりますよ、嫁御寮どの。緊急事態宣言が終わって、栽仁も毎週この家に戻ってこられるようになりましたから、手紙も機嫌よく書けるでしょう」

「それとこれとは関係ないと思います……」

 私が義父に力無く言い返すと、

「ところで、栽仁」

義父は栽仁殿下に視線を向けた。

「国軍大学校の受験勉強は順調か?」

「何とか進めています」

 栽仁殿下は自分の父親に身体を向けた。「去年よりは形になってきたと思いますが、今後も更に勉学に励み、父上に吉報を届けられるよう精進いたします」

「うん、勉強は油断せず続けろよ」

 軽く頷いた義父は、

「それから、もう1つ大事なことを、お前と嫁御寮どのに伝えておく」

と私たちに告げる。いつもとは違う厳かな声に、私は慌てて背筋を伸ばして義父を見つめた。

「私が日本を離れている間、栽仁には我が有栖川宮家の当主代理を務めてもらうことになる」

 義父は真面目な表情を作ると、栽仁殿下と私を交互に見ながら話し出した。

「我が有栖川の家は、寛永の昔から、天皇陛下の藩屏である家。何か事があれば天皇陛下を守護し奉るのが我が家の役目だ。私が巡航に出発すれば、天皇陛下に何かしらの変事があった時、天皇陛下をお守りするのは栽仁と嫁御寮どのの役目……そのこと、ゆめゆめ忘れないように」

「はい、必ず、お守り申し上げます」

「上医として、内大臣として、兄上は全力で守ります」

 栽仁殿下と私が、義父にしっかり請け負うと、

「おじい様、僕も伯父上をお守りしたいのですが、どうしたらいいですか?」

謙仁が手を挙げて義父に尋ねた。

「何と……謙仁、お前はまだ8つなのに、天皇陛下をお守り申し上げたいと考えてくれるのか……」

 謙仁の言葉を聞いた義父は目を丸くするやいなや立ち上がり、謙仁のそばまで歩いていくと、後ろから謙仁を抱き締めた。

「謙仁は、いずれは軍隊に入って、陛下をお守りする軍の一員としての務めを果たすのだ。だから、まずは立派な軍人になるために、身体を鍛え、勉学に励まなければならない。しかし、軍人になる前であっても、謙仁の父上と母上がお役目を果たせるように助ければ、それもまた、陛下をお守りすることにつながるのだよ」

 謙仁を抱き締めながら言い聞かせる義父に、

「おじい様、僕も父上と母上を助けて、伯父上をお守りする!」

「私も、父上と母上をお助けします」

禎仁と万智子が次々と申し出る。

「ま、万智子も、禎仁も……お前たちは、本当に素晴らしい子に育って……」

 感極まって泣き出しそうになっている義父に、

「だからまず、朝の6時半には、母上をしっかり起こして、お仕事に遅刻しないようにします。母上ったら、寒い日だと、“寒いからまだ寝かせて”なんて言って、起きていらっしゃらないのです」

万智子が突然、とんでもないことを暴露した。

「万智子っ?!」

 両腕で頭を抱えた私をよそに、昼食会の出席者たちは一斉に笑い転げたのだった。


 1920(大正5)年4月27日火曜日午前11時、横浜港。

(よ、よかった……なんとかなった……)

 横浜港に係留された戦艦“三笠”の甲板。旅立つ側と見送る側とで別離の盃を交わす儀式が無事終わったところで、私はほっと胸をなで下ろしていた。

 今日これから、迪宮さまの一行は、世界一周巡航へと旅立つ。もちろん、迪宮さまたちの旅立ちは何らかの形で見送らなければならないのだけれど、この手はずを整えるのがかなり大変だった。

 皇太子が海外に行くこと自体は、この時の流れでは、兄が皇太子だった時にも行われた。その時は、行きも帰りも一般客船を使ったので、兄夫妻は横浜港の一般客も使うエリアから出発した。そのため、兄夫妻の出発を見送る人間の数は、場所の関係で、一部の政府高官と皇族、およそ数十人のみに絞られた。

 ところが、今回の迪宮さまは軍艦を使って海外に行くので、横浜港の軍専用のエリアから出発する。軍用のエリアは一般客の使う場所よりも広いので、たくさんの人が迪宮さまを見送ることができる。そのため、兄の洋行の時には見送りができずに涙を飲んだ各種の学校や在郷軍人会などが、迪宮さまを見送らせてほしいと、宮内省や、横浜港が所在している神奈川県に何度も陳情した。その結果、各種団体が迪宮さまの見送りに参加することが認められたのだけれど、申し込みが殺到し、最終的には総勢2万人が迪宮さまを見送ることになった。

 更に、兄夫妻、そして淳宮(あつのみや)雍仁(やすひと)さま以下、迪宮さまの弟妹たちも見送りを希望した。すると、宮内省の一部から、“陛下のご洋行の際、先帝陛下と皇太后陛下はお見送りなさらなかった”とか、“倫宮(とものみや)殿下はまだお小さいから、軍艦にお乗りになるのは危ないのではないか”とか、反対意見が続出した。ただ、宮内大臣の山縣さんが説得した結果、反対派たちも矛を収め、天皇・皇后と直宮(じきみや)たちが、旅立つ皇太子を見送るという前代未聞の事態を無事に終わらせるべく、宮内省一丸となって準備にあたった。

(まぁ、色々言いたいのは分かるけどさ。警備計画を立てるの、ものすごく大変だったし……)

 今までのことを思い出していた私は、迪宮さまの方を見た。海兵大尉の軍装をまとった迪宮さまの前には、大元帥の軍装姿の兄と、薄桃色の通常礼装(ローブ・モンタント)を着た節子(さだこ)さまがいる。

「一生に一度の機会だ。しっかり学んで、できる限りのものを吸収してくるのだぞ」

 兄の言葉に、

「はい、お父様(おもうさま)の仰せの通り、できるだけ多くのものを自分の糧に致したいと思います」

迪宮さまはしっかりとした口調で返答する。

「長い旅になります。どうか、身体には十分に気を付けて」

 節子さまの思いのこもった言葉に、

お父様(おもうさま)も、お母様(おたたさま)も、どうかお元気で」

そう答えた迪宮さまの身体を、一歩前に進み出た兄が抱き締めた。続いて節子さまも……。“三笠”まで見送りに来た皇族や政府高官の一部が、その様子を見てざわついていたけれど、兄と節子さまの素直な感情の表れだと私は感じた。

「兄上、元気でな。手紙くれよ、俺も書くから」

(みち)兄上、もし、珍しい植物を見かけたら、スケッチをくださいね」

(みち)兄さま、ご旅行中に面白い自動車を見かけたら、ぼくに教えてください!」

(ひろ)兄様、お土産、忘れないでくださいね」

 迪宮さまの1歳下の弟で、学習院中等科6年生の淳宮さまをはじめ、3歳下の希宮(まれのみや)珠子(たまこ)さま、5歳下の英宮(ひでのみや)尚仁(なおひと)さま、そして一番末の弟、まだ8歳の倫宮興仁(おきひと)さまが迪宮さまにまとわりつき、次々にお別れのあいさつをする。倫宮さまの言葉を聞いた一同がどっと笑った。

「分かっているよ、(とも)。うんと素敵なものを買ってきてあげよう」

 迪宮さまは末の弟の頭を優しく撫でると、他の弟妹達とも言葉を交わした。

 と、

「梨花さま」

私のすぐそばに控えていた大山さんが、私を小声で呼んだ。

「有栖川宮殿下が……」

 大山さんの声で、私は後ろを振り向く。1mと離れていないところに、海兵大将の軍装姿の義父と、黒のフロックコートを着た伊藤さんが立っていた。

「何をしているのですか。待っていてもちっともこちらに来ないので、私の方から来てしまいましたよ」

 少し不機嫌そうな義父に、私は「申し訳ございません」と素直に頭を下げる。義父へのあいさつが遅れてしまったのは事実だからだ。まだ何か言いたそうにしている義父を、伊藤さんが横から「まぁまぁ」となだめてくれた。

「内府殿下、わしのいない間、天皇陛下を頼みますぞ」

「もちろんです。必要な時には周りの助けも借りて、全力で兄上を助けます」

 伊藤さんの言葉に応えた私の目に、気になる人の姿が映った。義父のお付き武官にさせられてしまった堀悌吉(ていきち)海兵少佐と、東宮武官の一員に加えられてしまった山下奉文(ともゆき)歩兵少佐だ。2人とも、少し居心地悪そうにしていた。

(梨花会の面々に巻き込まれたわけだし、一応、お詫びというか、激励というか……何か声を掛ける方がいいわよね……)

 そう思いついて、私が堀さんと山下さんの方に、足を踏み出そうとした瞬間、

「……っ?!」

私の感覚を、ものすごく嫌なものが襲った。これは……大山さんのフルパワーの殺気だ。“三笠”の甲板上にいる皇族や政府高官たち、そして迪宮さまの随行員や“三笠”の乗組員たちが一斉に動作を止め、大山さんの方に怯えた目を向ける。もちろん、堀さんと山下さんも一歩後ろに下がった。

「大山さん!」

 私は大山さんを睨みつけた。「一体どうしたのよ!みんなが怯えているから、殺気は出さないで!」

 小声で命じると、大山さんは私に近づき、

「いえ、梨花さまが、余計な手出しをなさろうとしておられたので……」

と囁いて薄く笑った。

「余計な手出しって何よ。私は、堀さんと山下さんを励まそうと……」

「ですから、それが余計な手出しだと申し上げているのです。梨花さまが彼らに声を掛ければ、(おい)たちの意図が彼らに漏れてしまい、修業になりませぬ」

 抗議する私の身体を、大山さんは小声で反論しながら力強く抱き締める。そして、

「内府殿下はご体調を崩されたようなので、一足早く岸壁に戻らせていただきます」

と周りに声を掛け、私の身体を引きずるように動かし始めた。

「ちょっ?!わ、私は……」

 “体調を崩してなんかいない”と言おうとしたその時、大山さんが氷の刃のような視線を私に突き刺す。その恐ろしさに私の口の動きは止まってしまい、大山さんに連れられて“三笠”を退艦する羽目になった。

 やがて、私と大山さんだけではなく、兄夫妻をはじめとする見送りの諸員も、水雷艇に乗って岸壁へと戻って来る。

「大丈夫か、梨花?体調を崩したと大山大将が言っていたが……」

 岸壁上に張られた天幕の下に戻った兄は、私のそばに寄り、小さな声で尋ねた。

「あー、大丈夫、なんともない。後でちゃんと話すけど、余計なことをして、大山さんに強制退場させられただけだから……」

「強制退場?」

 私の説明に、兄が首を傾げた瞬間、汽笛が大きく鳴り響いた。横浜港に停泊している船が……それも1隻だけではなく、何十隻もいる軍艦・民間船の全てが、一斉に汽笛を鳴らしている。迪宮さま一行の安全な航海を祈りつつ、最後のお見送りをしているのだ。腕時計を見ると、11時30分になっていた。

 出航用意のラッパが大気を切り裂く。岸壁に待機していた軍楽隊が、行進曲を演奏し始める。岸壁に集まった国民たちが万歳を絶叫する。祈りと音が乱舞する曇り空の下、迪宮さまの御召艦“三笠”、そして供奉する旗艦“朝日”は、波を立てながら大海原へと進み始めた。

「……これで、よし」

 様々な音が荒れ狂うように響く中、兄が遠ざかり行く“三笠”を見つめながらこう言ったような気がしたけれど、余りに小さなその声は、私の耳に届く直前にかき消された――。

※横浜港の岸壁について(特にエリア分け)は勝手に設定しています。ご了承下さい。

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[一言] 更新お疲れ様です。 愛娘からの暴露と義父からの手紙要求がw 随行の堀&山下コンビ、逞しくなって帰ってきて欲しいですね(^^;; 次回も楽しみにしています。
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 現在なら「宇宙戦艦ヤマト」を演奏するところ。
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