1920(大正5)年のお正月
※台詞ミスを修正しました。(2023年7月19日)
1920(大正5)年1月1日木曜日午前9時30分、皇居・表御座所。
「新年、明けましておめでとうございます」
天皇の執務室・御学問所。大元帥の正装をまとった兄の前には、宮内官を代表する4人が、大礼服を着て畏まっている。維新以来の古強者で、内閣総理大臣を務めた経験もある宮内大臣の山縣有朋さん。山縣さんと同じく、維新以来の古強者で、謹厳、剛直で知られる侍従長の奥保鞏さん。極東戦争の諸海戦で武勲を立て、情に厚い人柄の侍従武官長・島村速雄さん。そして、内大臣の私である。通常なら、兄以外の人間がもう少しいるのだけれど、今年は東京府に非常事態宣言が出されているので、新年拝賀と新年宴会は中止され、他の諸行事に出席する人数も削減されていた。
「うん、皆、本年もよろしく頼む」
臣下一同を代表して新年の挨拶をした山縣さんに鷹揚に頷くと、
「静かな新年だな」
と言って、兄は微笑を含んだ視線を一同に向けた。
「華やかな行事が続く新年というものも心が弾んでよいものだが、こういう静かな新年も、気持ちが引き締まってよいものだ。どちらの新年にも、それぞれの良さがある。章子が今回の緊急事態宣言が出された直後に言っていたが、制限がある中でも、少しでも気持ちよく、楽しく過ごす工夫をして、この冬を乗り越えなければな」
兄の言葉に、自然と頭が垂れた。昨年の12月12日に緊急事態宣言が出て以来、東京府では新型インフルエンザの患者が増え続けている。昨年12月の東京府でのインフルエンザ患者の数は約10万人、死者数は約1300人だった。インフルエンザが感染拡大しやすい冬はまだまだ続くのだ。兄の言う通り、少しでも楽しく過ごす工夫をして、ストレスをためないようにしないといけない。
(そうしたら、栽さんと離れている寂しさも、少しは紛れるか、な……)
私が大礼服のジャケットの上から、首から鎖に通して掛けている結婚指輪を左手で握った時、
「だからな、章子。月末あたり、微行でお前の家に行ってもいいか?」
兄が突然、私に尋ねた。
「はぁ?!新年早々、なんでそんなことを聞くのよ!」
私が思わず全力でツッコミを入れると、
「いや、お前も栽仁に会えなくて寂しいだろうし、俺がお前の家に行けば、多少は寂しくなくなるだろうと思ってな」
兄は大真面目に私に言う。
「兄上は気軽に言うけど、こっちは準備が大変なのよ。大掃除はしないといけないし、何か芸ができる人を呼んでこないといけないし、ああ、それから、活動写真も借りないと……」
私が指を折りながら準備事項を列挙すると、
「そんなことはするな。お前と茶を飲みながら、他愛もない話ができればそれでいいのだから」
と兄は言う。こういう時、兄の言葉通りのことをしないと、兄は不機嫌になるのが常だ。だから本当に、余計な気を遣わなくていいということなのだけれど……。
「だ、だけどそれ、許されるの?!奥閣下が、って……」
反論しようとした私は、はっと気が付いて右手を見た。謹厳、剛直な奥侍従長が兄の微行を許すのか……そう言おうとしたのだけれど、その本人が今、この御学問所にいるのだ。気まずさを覚えた私が顔を伏せると、
「事前に言っていただいたので、問題は全くございません」
その奥侍従長が私の方に振り向いて言った。
「恐れ多くも天皇陛下は、日曜以外は毎日政務を内府殿下とともにご覧になっておられます。この緊急事態宣言下では、息抜きを兼ねて市井の様子を視察することも叶いませんから、内府殿下のご自宅に行幸なさって英気を養っていただくのは、必要なことだと考えます」
思わず叫ぼうとして、兄は皇太子時代、この奥侍従長と語らって、地方行啓の際、行啓先の市民の生活を見るために微行に出ていたことを私は思い出した。それならば、この侍従長は、兄が微行に出るのを止めるどころか、むしろけしかけるだろう。……それが予定外ならば雷を落とすのだろうけれど。
「ほら、侍従長の許しも出たぞ。微行の話、進めていいな、章子?」
「しょうがないわねぇ……」
なぜか得意げになっている兄に、私はため息で応じた。
「じゃあ、お正月が明けたら調整を始めて……」
私がこう言った時、
「失礼致します」
外の廊下から、御学問所に声が掛かった。振り返ると、廊下には、侍従で兄のご学友の1人でもあった甘露寺さんが立っている。
「甘露寺、どうした?」
甘露寺さんは、兄が心を許している人間の1人である。いつものように気軽に声を投げた兄に、甘露寺さんは一礼し、
「外務省から連絡が入りまして……現地時間の12月30日の夜、アメリカのウィルソン大統領が倒れ、意識不明の状態に陥ったとのことでございます」
という、容易ならぬ情報を伝えたのだった。
1920(大正5)年1月4日日曜日午前10時50分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
この時代でも、日曜日はもちろん休日で、この日に大臣や官僚が皇居に参内することはほとんどない。ところが、今日は政始……新年の仕事始めをする日でもあったので、日曜日ではあるけれど、内閣総理大臣以下、閣僚は全員参内する。そこで、
「アメリカへの方針を確認しておく必要があるだろう。政始が終わったら、そのまま臨時の梨花会を開こう」
と兄が言い出したのだ。そのため、新年早々、牡丹の間に梨花会の面々が集まることになった。
「ウィルソン大統領が倒れたのは、12月30日の午後8時ごろだったとのことです」
全員が指定の席に座ると、大山さんが早速情報を伝え始めた。
「夕食後、自室に戻ろうと食堂の椅子から立った時、突然床に倒れたようです。一時は意識不明でしたが、今は意識を取り戻しています。医師が診察したところ、右半身の麻痺、そして言語障害が認められました。症状は悪化していないようですが……梨花さま?」
怪訝な表情で私に尋ねた大山さんに、
「いや、ウィルソンさんが脳梗塞を起こした可能性が高いと思うのだけれど、どの動脈がやられたのかが気になってね」
私はそう答え、両腕を胸の前で組んだ。
「右半身の麻痺って、範囲は具体的にどこからどこまでなのかしら?顔面にも麻痺が起こっているのかしら?あと、言語障害にも、色々種類があるのよね。発語に関係する筋肉の制御が、脳の障害で失われている場合もあれば、筋肉の制御には問題がないけれど、言語中枢がやられて言語障害になる場合もあるし……。聞いた感じ、左の中大脳動脈か内頚動脈が閉塞した可能性が高いとは思うけれど、視野障害があるという情報が無いからなぁ……。あとは、どんな機序で発症したかだけれど……」
ぶつぶつ呟きながら私が考えをまとめていると、
「梨花、口を閉じてくれないか。お前の言っていることが“まにあ”過ぎて分からん」
兄がため息をつき、左の手のひらを額に当てた。
「……とにかく、一命は取り留めたが、大統領として職務を遂行できる状態にはないと考えて良いのでしょうか?」
医師でもある厚生大臣の後藤さんが、手を挙げて大山さんに質問すると、
「そう考えてよいでしょう」
大山さんが後藤さんの方を向いて頷いた。
「ということは、大統領の職務は誰がすることになりますか?」
「マーシャル副大統領が、ウィルソン大統領が復帰するまで代行を務めるようです」
西園寺さんの質問に、外務次官の幣原さんが答えた。「今年は大統領選挙があります。実際に大統領が替わるのは来年の春ですが、そこまでずっとマーシャル副大統領が大統領を代行し続けるかは分かりませんね」
「まぁ、井上さんのように、リハビリを重ねて職務が遂行できるほどに体調が回復すればよいのでしょうが……」
前内閣総理大臣の渋沢さんの言葉に、
「さぁ、そう上手くいくでしょうか。話を聞いた限りでは、大統領の症状はかなり重い。職務に耐えられるまでに体調が回復するか……」
後藤さんが眉をひそめて答えた。
(“史実”で、こんなことってあったのかしら?)
私は記憶を必死に探った。“史実”の記憶を持つ人間が私の前に現れるたび、大山さんはその人から“史実”であったことを詳しく聞き出し、情報を統合させている。その中に、ウィルソンが倒れたというものがあったかどうか……。
と、
「“史実”の記憶を持つ者の話では、ウィルソン大統領は1919年の10月に重態が伝えられたということでしたが……」
大山さんが、まるで私の考えを読んだかのように言った。
「はい。何の病気かまでは覚えていませんが、そのような新聞記事を読んだ記憶があります」
“史実”の記憶を持つ斎藤参謀本部長もこう言った。同じく“史実”の記憶を持つ山本五十六航空少佐も、こちらを見て頷く。
「あ、そうなんだ……じゃあ、“史実”では、一時重態だったけれどすぐに良くなって、副大統領が職務代行をしなければならないほどではなかったのかな」
細かすぎて覚えていなかった、と言ったら、大山さんに怒られるだろう。私が言葉を選びながら確認すると、
「“史実”でも、大統領の職務を遂行できないほどの重症だったが、“史実”ではそれを隠していた……という可能性もありますねぇ」
枢密顧問官の陸奥宗光さんが顎を撫でながら言った。
「しかし、“史実”ではどうであったかを検討するのは蛇足でしょう。統合した“史実”のことを覚えていらっしゃらなかった内府殿下をいじめる、という点では有用かもしれませんがね」
(うっ……)
人の痛いところを確実にえぐってくる陸奥さんの言葉に私が落ち込んでいると、
「しかし、これでアメリカはどうなりましょうか?」
私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が一同に問うた。
「内府殿下を崇拝しているウィルソン大統領がいなくても、彼の国は院の情報操作に簡単に踊らされております。我が国の思う通りに選挙結果を操り、彼の国の国民の目を国内に向けさせ続けるのは容易いことです」
国軍航空局長の児玉さんがそう言ってニヤリと笑った。そう言えば、アメリカの国内世論は、院の息が掛かったいくつかの新聞社に操られているし、ホワイトハウスにも院の諜報員が多数入り込んでいる。アメリカは、諜報に対する防御が本当になっていないのだ。……日本も重々用心しなければならないけれど。
「皆様方の対アメリカ政策については、本当に度肝を抜かれてばかりです」
山本航空少佐がため息をついた。「コネチカット級、サウスカロライナ級、フロリダ級、ワイオミング級……“史実”で建造された準弩級戦艦・弩級戦艦が建造されていない。更に、超弩級戦艦のペンシルベニア級・テネシー級の建造数も減っている。この結果、アメリカ海軍の主力艦保有トン数は、“史実”の4分の1以下です。また、対外拡張もしておりませんし、“史実”の今頃には発生してしまっていた排日運動も発生しておりませんし……」
「それは君、僕が外務次官をしていた頃から、日本人の移民はアメリカではなくてハワイやブラジルに向かっているからね」
山本少佐に陸奥さんが得意げに答えた。「まぁ、我が国の産業発展に伴って、移民も減っていますが」
「最近、アメリカには朝鮮人が多く流入しているようです」
幣原さんが陸奥さんの言葉に横から付け足した。「清に併合されてから、朝鮮では毎年のように反乱がおこり、農地が荒廃しています。それを嫌った者たちがアメリカへ渡る例が増えているようです」
「ほう、朝鮮人か」
迪宮さまの弟たちの輔導主任を務める枢密顧問官の西郷さんがのんびりした調子で呟いた。
「移民した連中が、アメリカで稼いだ金を反乱軍の軍資金として朝鮮に送っている可能性もあるのう」
「それは清に任せておけばよいだろう」
宮内大臣の山縣さんが西郷さんに言う。
「こちらが変に手を出せば、貴重な人的資源を割くことになってしまう。日本は朝鮮に手を出さない……これは“授業”の後の日本の大原則だからな」
「それはそうなのだが……山縣大臣、話を元に戻してもよいか?」
兄が穏やかに玉座から声を掛けると、山縣さんが恐縮したように一礼する。それを見ると兄は首を動かし、
「裕仁、アメリカに対する方針、お前ならどうする?」
と自分の長男に尋ねた。
「変える必要はないかと考えます」
私の向かいに座った迪宮さまは、兄の質問に慌てることなく答えた。
「今まで通り、アメリカ国民の目はアメリカ国内にのみ向けさせるよう情報操作を行う。そして、対外拡張政策を主張する政党ではなく、国内政策にのみ注力している民主党が大統領選や上院・下院選挙で勝つように世論を誘導し、対外拡張や、それに必要な軍備増強を行わせないこと……児玉の爺が言うように、ウィルソン大統領抜きでも、アメリカは十分に操れると思います」
「俺もそう思う」
兄は迪宮さまとしっかり視線を合わせると頷き、
「……これなら、わざわざ梨花会を開かずともよかったかもしれないな」
と言って微笑んだ。
※政始は、「まつりごとはじめ」とルビを振りましたが、政始式と書いて「せいししき」とルビを振った当時の文章もありました。




