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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第66章 1919(大正4)年春分~1919(大正4)年霜降
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夏の元気なご来訪?

 1919(大正4)年8月10日日曜日午後3時、有栖川宮(ありすがわのみや)家葉山別邸。

「よーし、できたね」

「できました!」

 厨房の机の前で、白い割烹着を着た私は、同じく割烹着を着た長女の万智子(まちこ)と微笑みあった。机の上には、ガラスの小鉢がいくつも並べられている。盛り付けられているのはあんみつだ。賽の目に切った寒天、甘く煮た干しアンズ、缶詰のサクランボ、そして小倉あんに白玉……。少女時代、私が料理人さんたちにお願いして再現してもらった未来の甘味のレシピは、私の輿入れとともに有栖川宮家に伝えられ、今では有栖川宮家の夏の甘味のレシピの1つになっていた。

「母上、私、今度あんみつを作る時、寒天を切ったり、アンズを煮たりしてみたいです」

 私と一緒にあんみつを盛り付けた万智子が、私を見上げて言った。しっかり者の長女は、やれる家事がどんどん増えていて、今では刃物や火を使わない台所仕事はかなりできるようになっていた。

「……そうね。万智子も大きくなったし、危ないことはしないしね。今度からやってみようか」

 私は万智子に笑顔で頷いた。

「ただ、初めの頃は、私や千夏さんや、料理人さんたちに作業を見ていてもらって、分からないところがあったら教えてもらうのよ」

「ありがとうございます、母上!」

 万智子はパッと顔を輝かせてお礼を言うと、「私、謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)に、あんみつができたって知らせます!」と言いながら台所を出ていく。その後ろ姿を見送ってから、私も割烹着を脱ぎ、奥で勉強している栽仁(たねひと)殿下の所に行くことにした。

(たね)さん」

 私と栽仁殿下が書斎として使っている部屋の襖の前で呼びかけてみたけれど、部屋の中からの応答はない。声を大きくして2、3度呼ぶと、

「……ああ、入っていいよ」

ようやく夫が返事をしてくれたので、私は襖を開けて部屋の中に入った。

「どうしたの、梨花さん?」

 文机の前に座る栽仁殿下が、私を見つめて微笑む。文机の上には何枚かの紙と本が置かれている。文机のそばにも、本が何冊か積み上げられていた。今年6月の国軍大学校の入学試験に残念ながら不合格となってしまった栽仁殿下は、来年の入学試験に合格するべく猛勉強しているのだ。

「あんみつができたから、みんなで一緒に食べようと思って」

 私が笑顔で栽仁殿下を誘うと、

「それはいいね。ちょうど、甘いものが欲しかったところなんだ」

栽仁殿下は文机の上を手早く片付けて廊下に出る。私も続いて廊下に出ると、栽仁殿下は私の隣に立ち、私の右手を優しく取った。

「日曜日だけど、梨花さんは大丈夫?ちゃんと休めているかな?」

 歩き始めた栽仁殿下は、私の顔を覗き込みながら、真剣な表情で質問する。

「うん、大丈夫よ」

 軽く頷いた私に、

「本当に?僕は休暇中だけど、梨花さんは、日曜日以外は毎日御用邸に出勤だから……」

紺色の無地の着物を着流している栽仁殿下は、心配そうに更に問う。無理もない。内大臣の私は、天皇の泊りがけの行幸の時には、御璽と国璽を持って付き従わなければならない。だから、兄一家の葉山御用邸での避暑に随行し、私も葉山にある有栖川宮家の別邸に泊まって、東京にいる時と同じように、日曜日以外は葉山御用邸に出勤している。そんな私のことが、栽仁殿下の目には休みなく働いているように見えるのだろう。

「東京にいる時と比べて、1日の仕事量は少ないのよ。午後はこの家に戻っていることも多いでしょ?」

 私はにっこり笑って栽仁殿下に答えた。

「それより、私は(たね)さんと万智子たちの方が心配だよ。私の長期出張に付き合わせているようなものだし……」

 逆に私がこう尋ねると、

「そんなことないよ」

栽仁殿下は首を左右に振った。

「子供たちに泳ぎの稽古もさせられるし、ハワイで教わった波乗りの練習もできる。それに、勉強したい時は、こうやって集中して勉強できるし、いざとなれば、梨花さんを助けることもできる。長期出張に付き合わされているなんて、全然思っていないよ」

(たね)さん……」

 夫の優しい言葉に心を打たれた私が、廊下に立ち尽くしていると、

「父上!母上!」

前方から、万智子が私たちを呼ぶ声が聞こえた。

「謙仁も禎仁も、もう居間にいます。早くいらしてください!」

「……叱られちゃったわ」

「だね」

 私と栽仁殿下は苦笑を交わすと、急いで居間に向かった。

 居間として使っている葉山別邸の和室は、庭に面して南向きに建てられている。ただ、庭に生えている背の高い木々が影を作ってくれるので、日中ここで過ごしていても、耐え難い暑さを感じることは無い。居間の中に置かれた長方形のちゃぶ台の前には、既に長男の謙仁と次男の禎仁がお行儀よく正座している。万智子に続いて私と栽仁殿下が所定の位置に座ると、お盆を捧げ持った千夏さんが居間に入ってきた。

「このあんみつ、宮さまと女王殿下が盛り付けをなさったのですよ」

 そう伝えながら、千夏さんが笑顔でガラスの小鉢をちゃぶ台の上に置いていくと、

「へぇ、とても綺麗だ。母上も万智子もよく頑張ったね」

栽仁殿下は私と長女を褒めた。

「父上、私、次にあんみつを作る時には、盛り付けだけではなくて、寒天やアンズの準備も手伝います。母上から、先ほどお許しをいただきました」

「そうか。それはすごいね。じゃあ、父上はそのあんみつを食べるのを楽しみにしているよ」

 高らかに宣言した万智子に期待の言葉を掛けると、栽仁殿下は匙を持ち、

「でも、まずは、万智子と母上が頑張ってくれたこのあんみつをいただかないとね」

と一同に話しかける。

 その時、

「あ……わ……若宮殿下ぁぁぁぁぁっ!」

男性の絶叫が聞こえた。この声は確か、表向きは我が家の新入職員として勤務している、中央情報院の職員のものだ。

「どうしたのかしら?」

「分からない。でも、様子を見る方がいいね」

 首を傾げた私に応じると、栽仁殿下は立ち上がる。入り口の障子の引き手に手を掛けようとする夫の着物の袖を、

「待って!」

と叫びながら私は引っ張った。

「章子さん、大丈夫だよ。僕は軍人だから、それなりに強い奴が相手でも戦えるよ」

 微かに笑って私をなだめる栽仁殿下を、

「そうじゃない!そうじゃないの!」

私は左右に頭を振りながら必死に止めた。まさか……まさかとは思うけれど、これは……私の感覚に引っ掛かった、この優しくて、頼もしい気配は……。

「章子さん、とにかく、様子を見てくるよ。危ないと思ったら無理せずに撤退して……」

 栽仁殿下が更に言葉を続けようとした瞬間、入り口の障子がススっと外から開かれる。

「何者……っ!」

 鋭い気合を放ち、今にも飛び出していきそうな夫に、私は横からしがみついて動きを止めた。幼い頃から慣れ親しんだ気配が、一層濃くなったのだ。そして、障子が開け放たれた時、

「ああ、皆、ここにいたのか」

庭に面した廊下には、薄茶色の着物を着流した兄が、末っ子の倫宮(とものみや)興仁(おきひと)さまと手をつないで立っていた。


「「……っ?!」」

 兄と倫宮さまの姿を視認した瞬間、栽仁殿下は畳の上に大急ぎで正座して、深く頭を垂れた。もちろん私も栽仁殿下に(なら)って、正座しなおすと兄に向かって最敬礼する。

(どういうことよ……)

 もちろん、兄と倫宮さまがやって来るという連絡は事前には無かった。すると、これはアポなし訪問、ということになるのだけれど……。

「へ、陛下、倫宮殿下、お久しぶりでございます」

 固い声で挨拶する栽仁殿下に、

「そう畏まるな、栽仁。お前は俺の義理の弟なのだぞ?」

兄は苦笑しながら応じる。

「章子も、毎日のように会っているのに、なぜそのように畏まっている?」

 更にそう言いながら視線を私に向けた兄に、

「む、無理よ、驚いちゃって……」

何とか言い返した私は、

「て、ていうか、何で来たのよ?!」

と、叫ぶように来訪理由を尋ねた。

「歩いて」

「い、いや、そうじゃなくてさ!何の目的があってここに来たんだ、っていう話で!」

 質問の意図が、兄に上手く伝わらなかったようだ。私がもう一度問い直すと、

「ああ、興仁が、謙仁の所に遊びに行きたいとねだったから連れてきたのだ」

兄は悪びれる様子もなく、こんなふうに答える。その言葉を裏付けるかのように、

「栽仁叔父さま、梨花叔母さま、こんにちは!遊びに来ました!」

と倫宮さまが元気よく挨拶した。

「いや、私は章子なのだけれどね、来るのなら、事前に連絡が欲しかったというか、その……」

 色々なことが一度に起こり過ぎて、頭の処理が追い付かない。何をどう言えばいいのか必死に考えていると、

「“陛下”とお呼びすればよろしいですか?それとも、“伯父上”とお呼びすればよろしいですか?」

万智子が首を傾げながら兄に尋ねた。

「「?!」」

 いくら兄の姪であるとは言え、一女王にしか過ぎない万智子が天皇を“伯父上”と呼んでしまうのは、流石に馴れ馴れし過ぎるのではないだろうか。身構えた私と栽仁殿下の上を、

「“伯父上”がよい。万智子は父親と母親に似て賢いな」

という、兄の満足げな声が通り抜けた。

「伯父上、お久しぶりです」

「こんにちは、伯父上!」

 遠慮なく元気に挨拶する謙仁と禎仁にも、

「うん、禎仁は、この間俺が盛岡町に行った時から、少し背が伸びたな。謙仁、いつも学習院(がっこう)で興仁と仲良くしてくれて礼を言うぞ」

兄は変わらず上機嫌で応対する。そして、緊張している私と栽仁殿下に視線を向け、

「栽仁も章子も、そんなに固くなるな。俺は微行(しのび)で来たのだし、ここには内輪の者しかいない。もう少し、ざっくばらんに語り合おうではないか」

と言って、ニカっと笑った。

「はぁ……なら、いつもの通りにやらせてもらうけどさ」

 私がため息をついてから言うと、

「それでいい」

と兄は大きく頷いた。

「普段の通りにやってくれなければ、俺の調子が狂ってしまう。……ところで、ちゃぶ台に載っているのは、甘味か?」

「あ、うん……。あんみつよ」

 私が答えると、兄はちゃぶ台に近寄り、

「ほう、これがか。話には聞いていたが、見たのは初めてだ」

ガラスの小鉢に入ったあんみつをしげしげと見つめた。

「賽の目切りの寒天が涼しげだな。他の具材も、美しく盛り付けられていて……」

「それは、章子さんと万智子が盛り付けたのです」

 栽仁殿下がやや緊張気味に答えると、

「そうか。万智子は偉いな。きちんと家の手伝いをして」

兄は万智子に優しい眼を向ける。その横で、

(これはまずいわね……)

私は新たに生じた問題に頭を悩ませていた。恐らく、兄の次の言葉は“あんみつを食べさせてくれ”だろう。しかし、今日作ったあんみつは、私たち家族と職員さんの人数分しかない。職員さんたちの誰かにあんみつを譲ってもらえば済む話かもしれないけれど、日ごろから私たちのために働いてくれている彼らに、そんなひどい仕打ちはできない。

(かと言って、子供たちの分を兄上に譲る訳にはいかないし、こうなったら……)

 意を決した私は、兄が口を動かそうとした瞬間、

「兄上、私のでよかったら、まだ手を付けてないからあげる」

あんみつの入ったガラスの小鉢を、スッと兄の前に動かした。

「いいのか?!では、興仁と半分ずつ食べるが……」

 一瞬、兄は嬉しそうに微笑んだけれど、すぐに心配そうな表情になり、

「しかし章子、お前の分が無くなってしまうぞ」

と私に言う。

「仕方ないよ。今度あんみつを作る時に、たくさん食べることにするから」

 私が兄に苦笑しながら答えると、

「僕、いいこと考えた」

我が家の末っ子である禎仁が右手を挙げた。

「父上のあんみつを、父上と母上が分け合って食べればいいんじゃないかな?」

「ち、父上の、あんみつを……?」

 禎仁の思わぬ言葉に、私はサッと顔を赤らめた。思い出してしまったのだ。今生で、初めてあんみつを食べた時……確かあの時も、まだ小さかった栽仁殿下と、あんみつを分け合ったのだ。

(い、今思えば、あれが(たね)さんとの初めてのデートだったのかもしれないけど、あの時の(たね)さんは、今の万智子よりちょっと大きいぐらいだったし、流石に覚えてはいないよね。だから、デートには入らな……)

 私が必死に理論武装して、心を落ち着けようとしたその瞬間、

「分け合って……そう言えば、僕が初めてあんみつを食べさせてもらった時、1つの小鉢のあんみつを、章子さんと2人で分け合って食べたね」

微笑する栽仁殿下の口から、私が最も聞きたくなかった言葉が飛び出した。

「な……なな、何で覚えているのよ?!」

 思わず夫に詰め寄ると、

「愛する人と2人きりで初めて話した機会だよ?覚えているに決まっているじゃない」

栽仁殿下は私に平然と言ってのける。

「そ、そんな……あなた、あの時、10歳になったかならないかくらいだったのに……」

 私が絶望しきって両目を見開いた時、

「母上、お顔が真っ赤です!またインフルエンザにかかってしまったのですか?!」

私の様子を見た万智子が叫んだ。

「違うよ、万智子」

 そのまま私に飛びつこうとする万智子を、兄が笑いながら手で制した。

「万智子の母上は、照れているのだよ。自分が心から愛している父上が、覚えていないだろうと思っていた昔のことを覚えていたのに驚いて、嬉しくてしょうがないのだ。こんなにも自分のことを愛してくれたのだ、とな」

「あ、兄上……」

 妙な注釈を入れないで欲しい。兄を怒りたいけれど、子供たちの前だから怒ることができない。拳を握りしめ、怒りを必死に堪えていると、

「伯父上、“愛している”とは、どういうことですか?」

謙仁が曇りのない眼を兄に向けて尋ねた。

「いずれ分かるようになるよ」

 兄は謙仁の頭を優しく撫でた。「だが、お前の母上のように、向けられる愛に鈍感になってしまってはいけないよ。それもまた可愛いのだが」

(す、好き放題言いやがって……)

 これ以上は、流石に耐えられない。私が怒りを兄にぶちまけようと、息を大きく吸い込んだ刹那、

「陛下っ!!」

その場を圧する厳めしい声が居間に響き渡った。見ると、居間の前の廊下に、フロックコートを着込んだ男性が仁王立ちしていて、こちらを鋭く睨みつけている。兄に仕える侍従長・奥保鞏(やすかた)歩兵大将である。

「倫宮殿下とご一緒に御用邸を抜け出されるとは、一体どういうことでございますか!」

 雷を落とし始めた侍従長に、

「あ、いや、その……その方が、時間が節約できたからな、うん」

と、兄は少しうろたえながら答える。そんな兄に、

微行(おしのび)で出かけられるのは構いません。構いませんが、警備の都合がありますから、事前にご相談をと、いつも申し上げているでしょう!」

奥侍従長は、至極まっとうなお説教を食らわせた。

(うわー、奥閣下に事前の相談無しか……。道理で、アポなしだった訳だよ……)

 兄が微行(おしのび)が好きなのは以前からだけど、侍従長に事前相談無しというのは流石にいただけない。私が再びため息をついたその時、

「それに内府殿下も、すぐに陛下に御用邸に戻られるよう、諫言なさるべきでしょう!」

奥侍従長の怒りの矛先が、なぜか私に向けられた。

「は?!ちょっと待ってください!私は、そちらの事情は一切知らなくて……」

「だまらっしゃい!」

 私の抗議をたった一言で封じると、

「陛下も内府殿下も、今日という今日は分かっていただきますぞ!」

と宣言して、奥侍従長は猛烈なお説教を始めてしまった。お説教は夕方まで続き、結局、私も兄も、あんみつを食べ逃してしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 1話から読んで、ついに最新話までたどり着いてしまいました。 凄い情報量に仔細な考証、そして紡がれる理想の明治大正史、そして魅力あふれるヒロイン章子さまと愉快な明治の元勲達。 果たして今後関…
[一言] 最強の侍従長降臨ですかwww ・・・にしても、剛直硬骨凄まじいですな。
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] よくラノベで 「小一時間問い詰めてやりたい」 なんてのを見かけましたけど、それをやられた訳ですな。
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