1919(大正4)年6月の梨花会
1919(大正4)年6月14日土曜日午前11時40分、皇居・表御座所にある兄の執務室・御学問所。
「ねぇ、兄上」
午前の政務を一通り終えた後の休み時間。人払いをしてもらった表御座所で、兄といつものように他愛ないおしゃべりに興じていた私は、ふと気になって兄に声を掛けた。
「おう、どうした?」
微笑みを向けた兄に私が尋ねたのは、
「迪宮さま、大丈夫かな?」
兄の長男・迪宮さまのことである。実は迪宮さまは、9日から、東宮御学問所の卒業記念巡航に出ていて、しばらく東京にいないのだ。
すると、
「大丈夫だと信じたいが……」
兄が途端に難しい顔をした。
「あの巡航だからなぁ……五体満足ではいるだろうが、裕仁がどんなひどい目に遭っているかと思うと、寒気がしてしまう」
「だよねぇ……」
私は兄に相槌を打つとため息をついた。
「確か、兄上の時も滅茶苦茶大変だったんだよね。“思い出したくない”って兄上が言っていたのを覚えているけれど」
「ああ。艦隊の大演習に無理やり参加させられたり、義兄上と大山大将に難しい課題をたくさん解かされたり、国軍大学校の参謀演習旅行と同じように、演習地に連れていかれて、“お前が師団長ならこの局面からどう兵力を動かすか”などと3日間延々と問われたり……地獄のような1か月だったな。裕仁なら、俺よりは困難に耐えられると思うが、義兄上と航空局長が相手だからなぁ……」
「どんな人だって、簡単にはクリアできないでしょ、あの2人の仕掛ける課題は……」
私は再びため息をついた。横須賀を母港とする戦艦“三笠”にご学友さんたちと一緒に乗り込み、1か月の予定で日本沿岸を巡航している迪宮さまには、私の義父・有栖川宮威仁親王殿下と、国軍航空局長の児玉源太郎さんが付き添っている。梨花会の一員でもある彼らが、迪宮さまに何もしないはずがない。恐らく迪宮さまは、ご学友さんたちと共に地獄のような特訓を受けさせられているのだろう。
「とにかく、迪宮さまが無事に帰ってくることを祈るしかないわね」
「ああ……」
深刻な表情で頷いた兄は、ふと顔を上げ、
「そう言えば、栽仁はどうなのだ?」
と私に尋ねた。
「栽仁殿下?元気だけど」
私が軽く答えると、「いや、そうではなくてな」と兄はムッとしたように言い、
「昨日と今日で、国軍大学校の入学試験を受けているのだろう。手ごたえはどうだ、というような話を聞いているか?」
と、改めて私に訊いた。
「……相当手強いみたいね」
私は顔に苦笑いを浮かべた。
「輝久殿下や成久殿下たちと勉強会はしていたから、試験問題はある程度解けたけれど、表面的な回答しかできなかった。本当は、もっと深い考察が求められるのに……って、昨日、相当悔しがっていたわ。今日の試験の出来にもよるけれど、合格の可能性は五分五分、いや、それより低いって言ってたよ」
私はそう答えてから、
「そうだ。これは午後の梨花会の時に、斎藤さんにお願いしようと思っていたけれど、念のために兄上にもお願いしておくね」
と言って、姿勢を正して兄に向き直った。
「何だ。……まさか、栽仁を合格させろなどと言うなら許さないぞ」
鋭い眼光を私に向けた兄に、
「違うわよ。皇族だからとか、私の夫だからとかで忖度しないで、栽仁殿下の入学試験は公平に採点して欲しいの。これは栽仁殿下の希望でもあるけれど」
と私ははっきりと述べた。
「入学試験が終わったら、栽仁殿下も、国軍次官の所に行ってお願いすると言っていたけれど……」
私の言葉に、「そうか」と兄は満足げに頷いた。
「栽仁らしい要望だな」
「うん。……昔ね、栽仁殿下、私に言ってくれたことがあるの。私のためにも日本一の海兵大将になりたいから、皇族の特権を使って国軍大学校に無試験で入学するようなことはしたくない。もしそんなことをしてしまったら、中身の無い大将になってしまうから嫌だ、って。だから、忖度しないで欲しいという気持ちがすごくあるみたいなの」
「……やはりいい男だな、栽仁は」
兄がこう言って、ニヤリと笑う。
「そうね。……私が内大臣だから、栽仁殿下には苦労をかけてしまう。良くも悪くも、内大臣の夫だと注目されてしまうから、変なことを言ってくる人もいるだろうし。でもね、私、栽仁殿下が好き。栽仁殿下のそばにずっといたいと思っているわ」
私が素直に思いを口にすると、
「……驚いたな。梨花がここまで言うとは。だから今日は雨なのか」
兄が目を丸くした。
「ひどいなぁ、兄上。相手が兄上だから言ったのに、そんなことを言うなんて」
むくれた私に、兄は椅子から立ち上がり、
「すまん、梨花」
と言って深く頭を下げる。
「もう……そう兄上に謝られたら、許すしかないじゃない」
兄の真剣過ぎる謝罪に私が苦笑しながら応じた時、柱時計が正午の鐘を打った。兄が昼食をとるために、奥御殿に戻る時間だ。この後、午後2時からは、表御殿の牡丹の間で月に一度の梨花会が開催される。
「じゃあ、梨花、後で牡丹の間で会おう」
「わかった。それまでに、機嫌を直しておくよ」
いつまでもむくれていてもしょうがない。私が兄にこう言うと、兄は真面目な表情で「頼むぞ」と私に念を押し、御学問所を後にした。
1919(大正4)年6月14日土曜日午後2時50分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
今日の梨花会は、巡航に出ている迪宮さま、彼に付き添っている児玉さんと私の義父の威仁親王殿下、そして現在ジュネーブで軍縮会議に臨んでいる国軍大臣の山本さんがいないので、いつもより参加人数は少ない。けれど、牡丹の間を覆う熱気はいつもの梨花会と変わらず、活発な討論が繰り広げられている。今、梨花会の議題は、山本国軍大臣が参加している軍縮会議のことに切り替えられたところで、
「んー……ちょいと、削減割合が増えたかのう?」
枢密顧問官で迪宮さまの弟たちの輔導主任も務めている西郷従道さんが、配布資料に目を通した途端、こんな声を上げた。
「はい」
国軍参謀本部長で、軍縮会議の予備交渉にあたっていた斎藤実さんが、末席の方で頷いた。
「フランス・ドイツ・イギリスで明るみに出た、それぞれの国の海軍と造船会社との贈収賄事件が大きく影響しました。この3か国が、更に軍縮を進めるという姿勢を国民に示さなければならなくなったため、新たに主力艦の削減率を設定し直したのです」
私は配布された資料を見直した。そこには、昨日、ジュネーブの軍縮会議で決定した、主要国の主力艦……排水量が1万トンを超えるか、口径203mmを超える砲を持っている軍艦を、どのくらい削減するかという表が載せられていた。
「イギリス・ドイツ・フランスが、削減率を5%増しとは、随分思い切りましたね。削減率が増えるにしても、2%程度だろうと思っていたのですが」
前内閣総理大臣の渋沢栄一さんが感心したように言うと、
「浜口君が奮闘したようですね」
枢密顧問官を務める陸奥さんがニヤリと笑った。「オスマン帝国での経験が生きているようですね。軍縮会議に出席したイギリス・ドイツ・フランスの財務官僚たちを巧みに煽り、当初、“予備交渉での合意から削減率を2.5%増やす”という合意になりそうだったのを、更に一歩進めて“5%の削減率増加”でイギリス・ドイツ・フランスを合意させたとのこと。浜口君が日本に帰国するのが楽しみです」
(人事がうまくいって良かったな……)
陸奥さんの声を聞きながら、私はお茶を一口飲んだ。先月の梨花会で、“イギリス・ドイツ・フランスでの情勢の変化を踏まえると、財政が分かる人間を山本さんに付き添わせるべきではないか”、という意見が出た。しかし、その“財政が分かる人間”が、今から日本を出発しても、山本さんに追いつくことはもちろんできない。ではどうすればいいのか、と皆で話し合っていた時、
――梨花さまなら、誰を派遣なさいますか?
我が臣下が私に微笑みながら尋ねたのだ。
――オスマン帝国にいる浜口さん。大蔵官僚なのだから、財政の話には絶対ついていけるはずよ。
私の意見に梨花会の面々も賛成し、オスマン帝国の建て直しにあたっている浜口雄幸さんが、急遽、オスマン帝国からジュネーブに派遣されることになったのだった。
「列強各国の主力艦削減率が増えれば増えるほど、オスマン帝国の軍事費は抑えられる。オスマン帝国の改革には大きな助けとなるじゃろう」
東宮御学問所総裁の伊藤さんの言葉に、
「しかし、その影響で、我が国の主力艦削減比率も、10%から12.5%に増加したのも事実です。10%のままでしたら、廃艦するのは“朝日”だけで済んだかもしれませんが、12.5%、総計2万トンの削減が必要ですから、“朝日”ではなく、“瑞穂”と“春日”の2隻を廃艦しなければならないでしょう」
斎藤さんは冷静に指摘した。
「そこはあまり気にしなくていいと思うがのう、斎藤。我が国の軍艦の本命は空母じゃ。今回の軍縮条約で空母に保有制限が全くかからなかったのは、我が国の防衛にとって大変喜ばしいことじゃ」
のんびりと言った西郷さんに、
「しかし西郷閣下、油断は禁物です」
末席から堂々と意見する人物がいる。山本五十六航空大尉である。
「今は、我が国以外の各国とも、空母はせいぜい偵察にしか使えないとみなしており、我が国のように将来有力な攻撃手段になると考えてはいません。しかし、今後各国で空母が整備されてくれば、その真価に気づく国は必ず現れます。その時には、空母は必ず軍縮の対象にされてしまうでしょう」
国軍大臣を退いてもなお国軍に多大な影響力を持つ西郷さんにここまで物申せる人間は、今の国軍にはほとんどいない。しかし、山本航空大尉は堂々と西郷さんに意見した。誰が相手であっても議論には手を抜かないという梨花会のルールも手伝っているだろうけれど、これは山本航空大尉の物怖じしない性格も手伝ってのことだろう。
「うん、確かに、五十六の言う通りじゃなぁ。ドイツとイギリスでも、空母を建造し始めたというからのう。空母を手にした国の動向には、一層注意を払わなければならないか」
山本航空大尉の発言を、西郷さんがすんなりと受け入れた時、
「参謀本部長」
兄が玉座から斎藤さんを呼んだ。
「はい」
かしこまって一礼した斎藤さんに、
「軍艦建造による軍事費の増大を抑えるには、今ある軍艦を廃艦にするだけではなく、新しく軍艦を建造することも規制しなければならないだろう。その辺りのことは決まったのか?」
兄は穏やかな口調で尋ねた。
「様々な意見があったようですが、結局は“史実”のワシントン海軍軍縮条約と同じ制限に落ち着きそうです。つまり、新規に計画中、あるいは建造中の主力艦は、計画の中止、または廃棄をすることになります。また、戦艦の建造は、条約締結後10年間は禁止されますが、艦齢20年以上の戦艦を退役させる代替としてなら建造が許されることになりました。また、いかなる新造艦も、主砲口径は406mm以下、排水量は3万5000トン以下とするように定められます」
斎藤さんの言葉に、牡丹の間がざわめく。ある者は隣席の者と言葉を交わし、またある者は配布された資料に目を通しながら考え込んでいた。
「あの、斎藤さん、……確か、“三笠”の代替にする戦艦を起工したって聞きましたけれど、それ、解体されちゃうんですか?」
私が手を挙げて質問すると、
「いえ、そんなものはございませんが」
斎藤さんが意外な答えを返した。
「え?でも、確かに、“三笠”の代替になる軍艦を起工したって、児玉さんがいつかの梨花会で言っていたような……」
私が重ねて問うと、
「内府殿下、それは聞き間違いですなぁ」
横から西郷さんがのんびりと割って入った。
「“三笠”の代替ではなく、“朝日”か“瑞穂”の代替にしようと考えていたのです。軍縮会議の予備交渉の時に、諸外国にはそう通知しておりましてのう」
(ああ……)
西郷さんの悪戯っぽい笑みを見て、私は彼と斎藤さんが言わんとしていることをようやく理解した。
「つまり、そういうことにしたのですね?」
私の言葉に、
「はい、今、我が国が建造している戦艦は、“三笠”の代替ではなく、“朝日”か“瑞穂”の代替になります」
斎藤さんがはっきりと答えた。
(本当は、“朝日”の代替は“霧島”だったんだけどねぇ……)
私は心の中で苦笑する。数年前、金剛型装甲巡洋艦4番艦の“霧島”が、“朝日”の代替となるべく建造された。“霧島”の就役でお役御免になった“朝日”は、かつて極東戦争で共に戦った“富士”・“八島”・“敷島”と同じように、アジア方面で活動できる軍艦を求めていたフランスに売却する予定だった。ところが、フランスの財政状況が悪化したせいで売却できなくなり、“朝日”は仕方なく、廃艦されずに日本で任務を果たしていたのだ。
「分かりました。……でも、その論法、軍縮会議に参加している各国に通じますか?」
私が頷いてから再び質問を投げると、
「それは問題ないでしょう。イギリス・ドイツ・フランスも同じ手を使っておりますから」
陸奥さんが事も無げに私に答えた。
「それでダメなら、“内府殿下がお乗りになる軍艦だ”と言えば、少なくともドイツとオーストリアとアメリカの追及は止まります」
(それで止まるなよ)
真面目くさった顔で厳かに言った西園寺さんに、私は心の中でツッコミを入れた。……ダメだ。今までも十分に狂っていたと思うけれど、やはり、この時の流れは何かがおかしい。
「ドイツ・イギリス・フランスがどの艦を廃艦にするのか、その辺りの調整が残っておりますが、あとはジュネーブにいる者たちに任せましょう。浜口君もそうだが、あのヒヨコどもも海外で揉まれているはず。成長が楽しみですな」
ニコニコ笑いながら言った伊藤さんに、「うむ」「まぁ、成長していなかったら、我々が徹底的に鍛え上げればいいことだ」「また面白い玩具が手に入りましたなぁ」などと、梨花会の古参メンバーたちが同調する。どうやら、浜口さんもそうだけれど、山本国軍大臣のジュネーブ行きに付き合わされている堀さんと山下さんも、帰国したら梨花会の面々の厳しいしごきを受けることになりそうだ。私は彼らの無事を心から祈らずにはいられなかった。




