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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第66章 1919(大正4)年春分~1919(大正4)年霜降
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鞍馬宮邸のひと時

 1919(大正4)年5月17日土曜日午後0時5分、皇居・表御座所内にある内大臣室。

「ああ、主治医どの。間に合ってよかった」

 今日の政務を終えて奥御殿に戻る兄を見送り、帰り支度をしているところに、突然、内務大臣の原さんが現れた。頬を緩めていた私は急いでポーカーフェイスを作り、原さんに向き合うと、

「原さん、どうなさったのですか?すぐ帰宅しなければならないので、ご用件は手短にお願いします」

と、仕事用の作り声で言った。

「ああ、手間は取らせない。1つ聞きたいことがあるだけだ」

 原さんは、最前の私の緩んでいた様子をとがめることなく私に応じると、

「先週の梨花会で陛下がおっしゃったことが引っ掛かっていてな」

私が勧める前に来客用の椅子にどっかりと腰を下ろした。

「兄上が言ったことが……ですか?」

 私が僅かに首を傾げると、

「ああ。皇太子殿下に、9月からご政務のご見学を始めていただくというのが、わたしはどうも性急に過ぎる気がしてな」

原さんはそう言って両腕を腕の前で組んだ。

「なぁ、主治医どの。あの陛下の御発言について、主治医どのにも相談があったかと思うが、あの話は最初、誰が言い出したのだ?」

「兄上ですよ」

 私が原さんの質問に短く答えると、彼は「何……?」と呟いて眉をひそめた。

「すると……まさか陛下は、“史実”でのご自身のご寿命のことを知ってしまわれたのか?我々が必死に隠していたというのに……。だから焦られて、皇太子殿下を一刻も早く一人前にしようと……」

「いや、兄上から初めてあの話を聞いた時、焦って……という感じはなかったですね」

 兄が、迪宮(みちのみや)さまに政務の見学をさせたいと言い始めた1か月前のことを思い出しながら、私は原さんに答えた。

「迪宮さまはとても優秀だから、政務の見学をしてもついていけるだろう。それに、自分が今しているような後悔を、迪宮さまにはさせたくないということを言っていただけで、“史実”の自分の寿命が近いから急ぎたい、なんてことは一言も言っていませんでした」

「ふむ……伊藤さんが言っていたこととも一致するな。ならば、“史実”でのご寿命のこと、陛下には知られていない、と考えてよいかな」

(いや、それはちょっと違うんじゃないかしら)

 私が原さんに心の中で反論した時、

「しかしなぁ……。あのご発言には、1つ問題があるのだよ」

原さんがムスッとした表情で言った。

「問題……ですか?」

 聞き返した私に、

「陛下が、ご自身に対して非常に厳しいことだよ」

原さんは悔しさをにじませながら答えた。

「確かに、この時の流れの皇太子殿下は、伊藤さんと乃木閣下の教育の成果もあって、“史実”と同じように……いや、“史実”以上にご優秀だ。しかしなぁ、陛下も……この時の流れの陛下もご優秀なのだぞ!それなのに、陛下は必要以上にご自身の才も器も卑下なさって……ああ、どこかのだれかの悪癖が、陛下にうつってしまったのではないだろうな?!」

「……私、内大臣になってからは、必要以上に自分を卑下した覚えはないですよ」

 興奮している原さんに、私は冷たい声でツッコミを入れると、

「用事は済みましたか?私、帰らせていただきます。子供たちとお昼ご飯を一緒に食べる約束をしていますし、今日はその後、出かける用事もあるのです」

と言いながら、カバンを持って椅子から立ち上がった。

「出かける?どこへだ?」

 尊大な態度で尋ねた原さんに、

輝仁(てるひと)さまの所です」

私は事務的に回答した。

「おお、鞍馬宮(くらまのみや)殿下のお屋敷か」

 原さんが2、3度頷いた。「あの方も、主治医どのに救われたのだな。“史実”では、1歳にならないうちに亡くなられてしまった。それがこの時の流れでは健やかに成長なさって、今では筆頭宮家のご当主だ。これほど素晴らしいことはないな」

 ……そうなのだ。原さんの言う通り、“史実”の輝仁さまは、鉛白粉に起因する症状で夭折してしまった。しかし、この時の流れでは、彼が生まれる前に私が鉛白粉の廃止を言い出したため鉛中毒にならずに済み、無事に成人したのだった。ちなみに、私の一番下の妹で、東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)殿下と結婚した多喜子(たきこ)さまも、“史実”では、鉛中毒による症状で2歳にならないうちに亡くなったそうだ。本当に、鉛中毒というものは恐ろしい。

「おまけに、妃殿下も、主治医どのが主導した抗結核薬の臨床試験にご母堂が参加なさって、結核が完治したからお生まれになったようなもの。主治医どのは鞍馬宮家の大恩人という訳だ」

「……」

 原さんの言葉はなおも続く。確かに、彼が言っていることは事実ではあるけれど、褒めそやすような調子で言うべきことではないだろう。しかも、そんな言葉を口にしているのがあの原さんという時点で、不気味さが先に立ってしまう。これから雨か雪……いや、槍でも降ってくるのではないだろうか。様々な感情を営業スマイルの下に押し込めると、

「原さん、私、もう帰りますから、部屋から出てください。鍵をかけてしまいたいので」

私は勝手にやって来た内務大臣に事務的に告げた。


 1919(大正4)年5月17日土曜日午後3時5分、赤坂御用地内にある鞍馬宮邸。

「かわいいわねぇ……」

 輝仁さまと妃の蝶子(ちょうこ)ちゃんが寝室として使っている和室。布団の上に正座している蝶子ちゃんの腕の中を、万智子(まちこ)謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)が興味深そうにのぞき込んでいる。私の子供たちの視線を浴びながら、先月29日に生まれた輝仁さまと蝶子ちゃんの第1子・詠子(うたこ)さまは、蝶子ちゃんに抱かれて気持ちよさそうに眠っていた。

「この子が無事に生まれたのも、章子お義姉(ねえ)さまが励ましてくださったおかげです」

 詠子さまに目線を落としていた蝶子ちゃんは、顔を上げると私に微笑んだ。

「もし、章子お義姉(ねえ)さまがいろいろ教えてくださらなかったら、つわりの最中にくじけてしまっていたと思います。……殿下が」

 蝶子ちゃんの言葉に、

「はっきり言いすぎだよ、蝶子……事実だけどさ」

布団のそばに正座していた輝仁さまが、ぼやきながら頭をかいた。

「まぁ、つわりって、本人も辛いけど、周りもびっくりすることがあるからね。私、初めてつわりが強く出たのは、国軍病院で手術をしている最中だったから、上司たちが滅茶苦茶慌てていたわ」

 弟をフォローすべく、私は蝶子ちゃんにこう言ってみた。

「でも、無事に出産までこぎつけられて本当に良かったわ。……輝仁さま、蝶子ちゃんもだけど、詠子さまも大事にしてあげてね」

「当たり前だ。蝶子はもちろんだけど、詠子のことも全力で守るぜ」

 輝仁さまが私の言葉に力強く応じる。そのまっすぐさに、思わずドキッとしてしまった時、

「ねぇ、母上。僕も生まれた時はこんなだったの?」

末っ子の禎仁が私を見上げて聞いた。

「そうよ。そこからどんどん大きくなって、今のあなたになったのよ」

 私は優しく禎仁に答えてから、

「万智子と謙仁は、禎仁が赤ちゃんだった時のこと、覚えているかしら?」

と、長女と長男に尋ねてみた。

「はい、覚えています」

 万智子は元気よく答え、謙仁は少し考え込む素振りを見せてから、

「ほんの少しだけ覚えています」

と言った。禎仁が生まれたのは、謙仁が1歳4か月の時だ。流石に、その頃の禎仁のことを、謙仁はしっかりとは記憶していないだろう。

 と、

「蝶子、抱っこするの、交代しようか」

輝仁さまが蝶子ちゃんに呼びかけた。

「そうね、じゃあお願い」

 蝶子ちゃんが返事をすると、輝仁さまは「ちょっとごめんな」と私の子供たちに声を掛けながら彼女に身を寄せる。そして、蝶子ちゃんの腕から詠子さまを受け取ったのだけれど、輝仁さまに抱っこされた瞬間、詠子さまは大きな声で泣き出してしまった。

「ああ、起こしちまったか」

 輝仁さまは一瞬顔をしかめたけれど、すぐに気を取り直し、「よしよし、よしよし」と詠子さまをあやし始める。けれど、目が覚めてしまった詠子さまはなかなか泣き止まなかった。

「んー……今日は機嫌が悪いのかな」

 蝶子ちゃんが困ったように呟いた時、

「殿下、妃殿下、よろしいでしょうか」

廊下に面した障子の向こうから、中央情報院の総裁で鞍馬宮家の別当も兼務している金子堅太郎さんの声がした。

「皇太后陛下がいらっしゃいまして……」

「あ……」

 私は右手で軽く口を押さえた。今日ここにお母様(おたたさま)が来るとは聞いていないけれど、私と子供たちはここから退出する方がいいだろう。

「輝仁さま、蝶子ちゃん、私たち、これで失礼するね」

 弟夫婦に暇乞いをしようとすると、

「内府殿下、お待ちを」

と、障子越しに金子さんの声がかかった。

「内府殿下がいらしていることを皇太后陛下に申し上げましたら、どうかそのままいて欲しい、女王殿下方の顔も見たい、と仰せになりまして……。ですから、このままこちらでお待ちいただきたいのですが」

 金子さんの、いや、お母様(おたたさま)の言葉に逆らうことはできない。「かしこまりました」と私が金子さんに答えると、泣いている詠子さまを抱っこしたまま、輝仁さまが私ににじり寄った。

「なぁ、(ふみ)姉上、お母様(おたたさま)が葉山から戻られてから、(ふみ)姉上はお母様(おたたさま)に挨拶しに行ったよな?」

 真剣な顔で確認してくる弟に、

「行ったわよ。栽仁(たねひと)殿下と子供たちと一緒に。何なら、お母様(おたたさま)が兄上と節子(さだこ)さまに挨拶しに皇居にいらした時にも会ったわよ。席を外そうとしたら、大山さんに強引に連れ戻されて……」

と私は返答した。

 すると、弟はため息をつき、

「あのなぁ、(ふみ)姉上、そういうところだぞ」

と呆れたように言った。

(ふみ)姉上だって、お母様(おたたさま)の娘じゃないか。だったら、兄上と(さだ)義姉上(あねうえ)に遠慮して席を外そうとしなくてもいいのに」

「確かにそうかもしれないけれど、勤務中の私はお母様(おたたさま)の娘じゃなくて兄上の臣下だから、公私の別はしっかり分けないと……」

 私が弟に言い返すと、

「はぁ?そんなん、遠慮する必要ないぜ。それに、一昨年だったかな、大宮(おおみや)御所を造営するからお母様(おたたさま)が葉山で過ごしていた時、お母様(おたたさま)(ふみ)姉上が遠慮して葉山に来ないって寂しがってたんだぞ?」

弟は私に強い口調で反論する。

(そう言われてもさぁ……)

 私が唇を尖らせた時、閉められていた障子がさっと開かれる。藤色のデイドレスを着たお母様(おたたさま)の姿が見えて、私も輝仁さまも慌てて頭を下げた。

「驚かせてごめんなさいね、満宮(みつのみや)さんも蝶子さんも増宮(ますのみや)さんも……。詠子さんに会いたくなって、運動の途中に寄ってしまいました」

 東京府に出されていた緊急事態宣言が解除されたため、5月1日に葉山から東京の大宮御所に戻ってきたお母様(おたたさま)は、私たちに詫びながら和室に入り、蝶子ちゃんのそばに正座する。慌てて下座に動こうとする蝶子ちゃんを「どうぞそのまま」と制すると、

「蝶子さん、お身体の具合はいかがですか?」

恐縮している蝶子ちゃんに優しく尋ねた。

「はい、少しずつ、気怠さも無くなって参りました。食事もしっかり食べられますし……お気遣いいただき、誠にありがとう存じます」

 とっさに猫を被った蝶子ちゃんが言上すると、輝仁さまの腕の中にいる詠子さまの泣き声が一層大きくなった。

「ああ……お前のおばば様がいらしているんだから、泣き止んでくれないかなぁ……」

 そう呟きながら、輝仁さまが一生懸命あやすけれど、詠子さまはなかなか泣き止まない。

 すると、

「満宮さん、詠子さんを抱っこさせて下さいな」

お母様は輝仁さまに微笑んで言った。

「ええ?今、機嫌が悪いみたいですけれど……お母様(おたたさま)、大丈夫ですか?」

 心配そうに確認した輝仁さまに、

「構いませんよ。赤ん坊は泣くものですから」

お母様(おたたさま)は優しく答える。「じゃあ……」と輝仁さまは頷くと、お母様(おたたさま)に近づき、泣き続ける詠子さまの身体をお母様(おたたさま)の腕の中に移した。

「うふふ、詠子さんはとてもお元気ですね」

 大きな声で泣く詠子さまの身体を、お母様(おたたさま)は両腕で抱きながら優しく揺らす。すると、詠子さまの泣き声が次第に小さくなり、いつの間にかスヤスヤと、気持ちよさそうに眠ってしまった。

「泣き止んだ……」

お母様(おたたさま)、すごい……私、あんなに簡単に寝かしつけられないわよ……」

 呆然としている輝仁さまと私に、

「詠子は、皇太后陛下が大好きみたいなんです」

蝶子ちゃんが教えてくれた。「一昨日いらした時も、詠子はぐずっていたのですけれど、皇太后陛下に抱かれると、すっと眠ってしまって……」

「へー……」

 私が頷いていると、禎仁がお母様(おたたさま)の方に寄り、

「おばば様、赤ちゃんを見せていただいてもいいですか?」

お母様(おたたさま)にこんなおねだりをした。

「禎仁、やめておきなさい。おばば様が疲れてしまうわ」

 私は次男を止めたけれど、

「あら、私は大丈夫ですよ、増宮さん」

お母様(おたたさま)は私に微笑んで言った。

「もう孫は10人以上抱っこしていますし、それに、おいとぼい詠子さんを見ていると、疲れも吹き飛びます」

 お母様(おたたさま)はそう言うと、「禎仁さん、こちらにおいでになって」と禎仁を呼び寄せる。それを見た謙仁と万智子も、

「おばば様、僕もおそばに寄ってよろしいですか?」

「私もおばば様のおそばで、詠子さまを拝見したいです」

と元気よく申し出た。

「よろしいですよ。じゃあ、謙仁さんと万智子さんもこちらに」

 詠子さまを抱いて微笑むお母様(おたたさま)の周りを、私の子供たちが取り囲む。そのそばに、私と弟夫婦が座り、楽しげに言葉を交わすお母様(おたたさま)と子供たちを温かく見守る。土曜の午後のひと時を、私たちは穏やかに、のんびりと過ごしたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] すみません。「おいとぼい」が解りません。 多分ですが「可愛い」くらいの意味合いかと。
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