療養明けの日
1919(大正4)年4月2日水曜日午前10時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「先生……」
盛岡町邸の2階にある私と栽仁殿下の寝室。今までの私のカルテをめくりながら考え込んでいる三浦先生に、私はそっと呼びかけた。
「私、3月30日の朝から、ずっと平熱です」
三浦先生は反応を示さないけれど、私は期待をこめて話し続けた。
「発熱以外の症状は、3月29日から全くありません。解熱してから2日という、宮内伝染病予防令の出勤基準も満たしています。もう完治と言って差し支えないのではないでしょうか」
「しかし、体力は落ちていらっしゃいます」
カルテに視線を落としていた三浦先生が、初めて私に応じてくれた。
「それは仕方ありません。寝ていた時間が長かったですから」
何とか、勤務復帰の許可を三浦先生からもらいたい。私は必死に論説を組み立てる。
「でも、頭脳まで衰えさせたつもりはありません。今すぐに、内大臣として兄上を助けられます」
「それは存じております。ですが、内府殿下は、一度物事に熱中すると、そこからなかなか離れてくださいません。そのために、内府殿下のご体力の回復が遅れてしまうのではないかと私は心配しています」
(むう……)
流石、東京帝国大学医科大学の教授である。私が少し言った程度では揺らがない。今日からの職場復帰は難しいかな、と思った時、
「しかし、寝てばかりではご体力が戻らないのも事実です。それに、内府殿下のおっしゃる通り、インフルエンザ罹患後の出勤基準は満たしておりますし……」
三浦先生はそう言ってカルテを閉じた。
「ですから、このご寝室でのご療養と隔離は終了です。このお屋敷の中で、ご自由にお過ごしください」
「本当ですか?!それは、子供たちに会ってもいいし、仕事の書類を読んでもいいし、お風呂に入ってもいいということですね?!」
声を弾ませる私に、
「はい、もちろんです。激しい運動以外なら、何をやっていただいても構いません。ただし、夜は11時までにご就寝をお願いします。ご勤務への復帰は、日曜日の診察で判断致します」
三浦先生はいつもの春風のような、穏やかな調子で告げた。
「よかったですね、宮さま!千夏、早速お風呂の準備を致しますね!用意ができたらお呼びしますから、宮さまは居間でお待ちください!お子様方もそちらにいらっしゃいますから!」
ベッドサイドに控えていた千夏さんは明るい声で叫ぶと、私に嬉しい提案をしてくれた。
「ありがとう、千夏さん!じゃあ私、着替えるわね」
私は今朝準備してもらった着替えの服に手を伸ばす。三浦先生と千夏さんが寝室から出ると、私は若草色の無地の着物に袖を通し、本当に久しぶりに1階の居間に向かった。
「「母上!」」
「母上、会いたかったです!」
居間のドアを開けた途端、長女の万智子、長男の謙仁、次男の禎仁が一斉に私に駆け寄って抱きついた。そう言えば、今は小学校も幼稚園も春休み中だな、と思った瞬間、
「母上、ごめんなさい……」
万智子がこう言ってうなだれた。
「万智子、なんで母上に謝るの?」
私が素直に尋ねると、
「だって、私、母上に何もできなかったから……」
万智子は涙のたまった目で私を見つめながら答える。
「……そんなことないよ」
私はしっかり者の長女の頭を優しくなでた。
「母上が病気になっているのに気づかせてくれたのは万智子よ。だから、素早く適切な処置ができて、母上の病気が治ったの」
私は万智子としっかり目を合わせると、
「ありがとう、万智子。それから、“来ちゃダメ”って怒鳴ってごめんね」
と心をこめて言った。
「ううん、分かってたから……。母上が、私たちに病気をうつしたくないって……」
万智子の声は次第に涙に変わり、とうとう、彼女はしゃくり上げて泣き始めた。私は両膝を床につくと、娘の身体をそっと抱き締めた。
「謙仁、“新型インフルエンザの手引き”を読んでくれてありがとう」
万智子を抱き締めたまま、私は長男にお礼を言った。
「あなたがああやって母上に教えてくれたから、母上は次にするべきことが分かったの。それから禎仁、母上が病気で2階にこもっている間、2階に上がらないでいてくれてありがとう」
続けて次男にもお礼を言うと、
「大山の爺と福島の爺に言われて頑張ったんだ!」
禎仁は胸を張って自慢げに応じた。謙仁は何も言わないけれど、その表情はどこか誇らしげだ。
「それでね、あなたたちが健康でいてくれて、母上は本当に嬉しいの」
子供たちそれぞれにお礼を言った私は、万智子、謙仁、禎仁と順番に視線を合わせながら率直な感想を言った。
「あなたたちにインフルエンザをうつしてしまっていたらどうしようって、母上、それが心配で……」
言葉を吐き出すうちに涙腺が刺激され、気が付くと、私はポロポロと涙をこぼしていた。
(ああ、泣くの、止めないと……私、この子たちの母親なんだから……)
慌てて袂を探ってハンカチーフを探していると、頭の上に何かが乗った。それが万智子の手だと分かるまでに、そんなに時間はかからなかった。
「よしよし、よしよし」
いつの間にか泣き止んだしっかり者の長女は、私に抱き締められたまま、私の頭をなで続けている。彼女の口調は、子供をあやす世の母親たちの口調そのものだった。
「姉上、ずるい!僕も母上、よしよしします!」
「僕も!」
姉の様子を見た謙仁と禎仁が、次々と私の頭に手を置き、遠慮なくなで回す。千夏さんが、お風呂の準備ができたと私を呼びに来た時には、子供たちに散々頭をなでられた私は、嬉しいやら恥ずかしいやら、様々な感情に襲われて呆然としていたのだった。
1919(大正4)年4月2日水曜日、午前11時5分。
「ふにゃあ……いいお湯だぁ……」
盛岡町邸の2階の寝室の隣には、私と栽仁殿下が使っている第1浴室がある。そこのバスタブに張られたお湯につかり、私は約10日ぶりのお風呂を満喫していた。
もちろん、療養していた間も、1日1回は蒸しタオルで身体を隅々まで拭いていた。でも、お湯にはつかれなかったし、髪を洗うこともできなかった。お風呂が好きな私にとっては、この10日ほどは耐え難い時間だったのだ。
「やっぱり、手足が細くなったかなぁ……」
私はバスタブのお湯越しに、隅々まで洗った自分の身体を観察した。療養していた間、お手洗いに行く時ぐらいしか歩いていなかったせいか、上肢も下肢も以前より細くなった……というより、筋肉が落ちてしまった気がする。勤務に復帰したら、兄に付き合って皇居の庭園を歩き回ったり、馬に乗ったりしないといけないけれど、それに全てついていくのは難しいかもしれない。筋力も少しずつ、戻していかなければならないだろう。
「あー、それにしてもお風呂は最高ね……。髪も洗ったし、もう少しここでのんびりして……」
私が口元を緩めた瞬間、
「きゃああああああああああ!」
千夏さんの悲鳴が聞こえ、私はバスタブの中で身体を強張らせた。
(い、今の、何……?)
千夏さんは、嘉納治五郎先生の下で柔道の修業を積んだ。だから、めったなことでは動じない。その彼女が、こんな悲鳴を上げるなんて……。
(まさか、賊が集団で襲ってきた?)
誰かに殺したいほど恨まれている覚えはないけれど、とにかく、身を守るために行動しなければならない。ただ、素っ裸ではどうしようもないから、服は着ないといけない。大急ぎでバスタブから出て、脱衣所で若草色の着物を着る。そして、書斎においてある軍刀を取りに行くため、ドアを開け、廊下に一歩踏み出したその時、
「梨花!」
「お姉さま!」
突然、私は横から強い力で抱き締められた。……そんな、馬鹿な。ここは皇居ではなくて、私の家だ。でも、この、優しくて頼もしい気配は……。
「あに……うえ?」
「梨花!」
恐る恐る振り向いた私に向かって、兄は再び私の名を叫ぶ。兄の顔は、流れる涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「よかった……本当によかった……。井上伯爵のみならず、お前にまで逝かれてしまえば、俺は翼をもがれた鳥も同然……自由に空翔けること叶わぬ!」
「梨花お姉さま……頼りにしているお姉さまが、もし身罷ってしまったらと、私、心配で夜も眠れなくて……」
私の身体を抱き締める兄も、その横から私にしがみついている節子さまも、泣きながら私に声を掛けている。2人とも、私の病気のことを、とても心配してくれたのは分かるのだけれど……。
「あ、あの、兄上……私のお見舞いに来てくれたってことで、いいんだよね?」
ようやく衝撃から抜け出しかけた私が確認すると、
「ああ。出勤はまだダメだが、家の中なら自由に過ごしていいという許可が三浦先生から下りたと聞いたから、すぐに駆け付けたのだ」
兄は私にこう答えた。
「あ、あのさ……それ、アポ取ってくれた?じゃない、盛岡町邸に連絡入れてくれた?」
「いや、俺は知らんぞ。山縣大臣なら知っているかもしれないが」
兄は肩越しに振り返る。兄の視線の先には、ハンカチーフを目に押し当てる山縣さんと、その横で私を見つめて黙って涙を流している大山さんがいた。そんな2人の様子を見て、
(あ、これ、ダメだ……)
私は兄と節子さまの行幸啓について、我が家には何の連絡もされていなかったことを悟った。大体、もしそんな連絡があったら、私に何らかの情報が入っているはずなのだ。その手の連絡を一番してくれそうな山縣さんと大山さんが激しく動揺している時点で、連絡は無かったと考えるのが自然だ。
「だ、誰か……」
「ん?」
私の呟きに反応した兄に、
「だ、誰か兄上を止めなかったの?奥閣下とか……」
と私は聞いた。謹厳、剛直な奥侍従長ならば、兄夫婦のアポなしのお見舞いを、きっと阻止してくれると思うのだけれど……。
すると、
「奥閣下は、今日は非番ですわ」
節子さまが横から私に言った。
「へ?」
「ええ、ですから、島村閣下に相談しましたの」
そう言って節子さまが示した先には、侍従武官長の島村速雄さんがいた。
「ううっ、兄君が妹君のお身体を気遣われる、その優しさ、兄妹愛……胸を打たれますなぁ……」
彼はそう呟きながら、滝のように流れ落ちる涙をハンカチーフで拭っている。
「そこは止めてくださいよ、島村閣下……」
兄の腕の中で、私はガクリと頭を垂れてしまった。
アポなしでの天皇皇后の行幸啓という前代未聞の事態に驚愕している盛岡町邸の職員たちを大山さんが指揮して、何とか兄と節子さまをもてなす用意ができたのは、11時半過ぎのことだった。その頃には、伊藤さんや大隈さん、更には義父や西園寺さんなど、梨花会の面々が次々と盛岡町邸にやってきて、食堂の席が見舞客でほぼ埋まってしまった。これで迪宮さまと、今は所沢にいる山本航空大尉がいれば、梨花会が開催できてしまう。
「まったく……病み上がりにこんな騒ぎになるなんて、思ってもみなかったわ」
私が食堂の一番上座の席についた兄に愚痴るように言うと、
「すまんな。しかし、お前のことが本当に心配で」
兄は私に軽く頭を下げた。
「倒れた翌日だったか。お前がほとんど食事をとっていないと聞いたから、これはただ事ではないと思って三浦先生に診察してもらうことにしたのだ。その直後、俺と節子が贈ったスープをお前が飲んでくれたと聞いたから、胸をなで下ろしたが……」
「兄上の所のスープを私が飲んだ……?」
私は必死に記憶を探る。三浦先生が私の診察に初めて来てくれたのは3月24日のことだ。その日の夕食は、玉子雑炊とコンソメスープだった。そのコンソメスープの味が、我が盛岡町邸の料理人さんが作ったものにしては、妙に濃くて……。
「あのスープ、兄上と節子さまがくれたものだったの?!」
私は思わず叫んでしまった。
「スープの味が盛岡町邸のものにしては濃かったから、鼻がつまって味が分からなくなったと思っていたのだけれど、あれ、兄上の所のスープ……いや、それなら辻褄は合うけれど……」
「何だ、その様子では知らなかったようだな」
私に笑いかけた兄に、
「当たり前でしょ!インフルエンザをうつさないようにと思って、千夏さんとはなるべく話さないようにしていたし!」
私は全力で抗議した。あのスープが兄からの見舞いの品と知っていたら、私はもっと味わって飲んでいた。
すると、
「で、では、内府殿下は、俺の養鶏場で採卵した卵を、俺が見舞いとして献上したのもご存知ないのでは……!雑炊にして召し上がったと聞いていたのに!」
枢密院議長の黒田清隆さんが、顔色を変えて椅子から立ち上がった。
「僕も、家の料理人に胡麻豆腐をこしらえさせて、ここに持って行かせたのですが……まさか、それもご存知ないのですか?」
「そんな……!新聞に載せられた内府殿下のご容態が余りにも重態でしたから、せめて箸が進むきっかけになればと、上等な梅干を求めて、内府殿下に献上したのですが……」
内閣総理大臣の西園寺さん、国軍航空局長の児玉さんが顔を引きつらせる。その他の梨花会の面々の大部分も、「せっかく、京都の千枚漬けを取り寄せて献上したのに!」「わしは大磯の美味い干物を……」などと言いながら、恨めしそうに私を見つめている。いや、確かに、言われた品が療養中の食卓に上がっていた記憶はうっすらあるけれど、私は皆からお見舞いの品をもらっていたなんて知らないし、黒田さんが養鶏場を作っていたというのも初耳だし……、ん?ちょっと待てよ?
「あの、児玉さん。今、私の容態が新聞に載っていたって言いました?」
私が質問すると、
「はい。内府殿下、もしやそれもご存じないのですか?」
児玉さんはキョトンとして私に聞き返す。
「はい、新聞を読むのを止められていて……」
私はこう答えると、大山さんに新聞を持ってくるようにお願いした。すぐに新聞の束を持って食堂に戻ってきた大山さんから、新聞を1部受け取ると、“内府殿下インフルエンザでご重態”という大きな見出しが目に入った。
「“24日正午の内府殿下のご容態は体温39度3分、血圧110の68、脈拍は1分間に106回、呼吸数は1分間に23回。看護する女官の呼びかけにもお答えにならず、もちろん一切の飲食物もお摂りにならず、麻布区の盛岡町邸は憂色に包まれた。深く御軫念遊ばされた天皇陛下は、宮内省御用掛の東京帝国大学医科大学の三浦謹之助教授を遣わされた。時を前後して西園寺総理、黒田枢密院議長、山縣宮内大臣、伊藤東宮御学問所総裁などが相次いで駆け付け、盛岡町邸の門前は貴顕たちの乗る馬車や自動車、人力車で一時ごった返した”、って……」
一通り新聞記事を読み上げた私は、両腕で頭を抱えたいのを必死に我慢した。
「何で……何で私の病気のことが、新聞の一面に載るのよ……。ていうか、私の体温やら血圧やらが、何で新聞記者に漏れているのよ……」
ブツブツと呟いていると、
「何、容態書を公表したからですよ」
私の義父の威仁親王殿下があっさりと暴露した。
「は?!お義父さま、何でプライバシーを侵害するようなことを……」
「新聞記者諸君が、とてもうるさかったですからねぇ」
血相を変えた私にのんびりと言い放つと、義父はお茶を一口飲む。そして、
「それに、各国の大使館からも問い合わせが殺到していますしねぇ」
と、聞き捨てならない言葉を口にした。
(は……?)
顔をしかめた私に、
「ああ、もしや、このこともご存じない……」
末席から、外務次官の幣原喜重郎さんが、気の毒そうに言った。
「世界各国の元首から、内府殿下のお見舞いの親電を頂戴しております。清、ハワイ、新イスラエル、シャム、イギリス、アメリカ、ロシア、イタリア、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国……」
(うわぁ……)
私はとうとう、両腕で頭を抱えてしまった。それにお構いなしに幣原さんの報告は続き、
「更に、オーストリアは、内府殿下のお見舞いの特使として、外務次官を派遣したと通告してきました。それに加え、ドイツの皇帝・ヴィルヘルム2世は、“章子殿下の回復を祈ろう!”と全世界に呼び掛け、お見舞いの特使として弟のハインリヒ殿下を派遣しました。今頃はシベリア鉄道経由で日本に向かっている最中かと思われます」
という、なんとも絶望的な言葉が私に投げられた。
「あ、あの皇帝……毎度毎度余計なことを……」
頭を抱えたまま呟いた時、
「また、イタリアでは、艦隊司令官のアブルッツィ公と軽騎兵軍団の司令官のトリノ伯が共謀して、日本に行って内府殿下を見舞うためと称して軍艦を乗っ取ろうとし、憲兵に拘束されました」
更にとんでもない言葉が耳に入り、私の頭は一瞬思考を停止した。
「な、何よ、それ……軍司令官でもある王族が、軍艦を乗っ取ろうとするって、一体どういう状況よ……」
力無くツッコミを入れる私に、
「また、アメリカでは、内府殿下の見舞いに行こうとしたウィルソン大統領を、マーシャル副大統領が力づくで止め、結局、お見舞いの特使としてランシング国務長官が我が国に向かっています。清からは梁啓超外務大臣が、また、新イスラエルからはストラウス大統領が内府殿下のお見舞いのため、昨日、東京に到着され……」
幣原さんの報告が容赦なく突き刺さる。ツッコミを入れる気力を完全に喪失し、私は机に突っ伏した。
「おい、梨花、しっかりしろ!」
「お姉さま?!どこか具合が悪いのですか?!」
兄が私の身体を助け起こし、節子さまが私のそばに駆け寄る。そんな2人に「ち、違う……」と私は弱々しく首を左右に振った。
「な、何で、こんな大騒動になるのよ……。大臣の見舞いに国家元首が来日するなんて、私の時代でも聞いたことがないのに……」
「それだけ、お前が世界的に重要な人物だということだよ」
兄が後ろから微笑みながら言った。
「一昨年の浜離宮外相会談を提唱したのはお前だ。それで世界大戦が回避され、国際連盟の下、世界各国は平和と軍縮に向かって歩み始めている。お前は間違いなく、世界の平和の礎を築いたのだよ」
「そんなの、これからの交渉次第でどうなるか分からないわよ」
私は兄の腕の中で大きなため息をついた。
「それにしても、ストラウス大統領が来ちゃったのか……。梁啓超さんも来ているし、ランシングさんとも会わなきゃいけないって……病み上がりで体力が落ちているのに、色々考えなきゃならないじゃない」
すると、
「ご安心を。俺たちが支えます故」
大山さんが私に向かって微笑んだ。
「そうじゃ、そうじゃ。あの世の聞多が悔しがるぐらい、うんと働いてお役に立つんじゃ」
伊藤さんがニヤリと笑って見せ、
「その通りであるんである!この程度の来賓など、オスマン帝国とブルガリアの講和会議で既に経験済み!世界に日本のもてなしの神髄を見せつけてやるんである!」
大隈さんが椅子から立ち上がって大声を上げる。食堂には、療養中には決して触れることのできなかった明るさが満ち溢れていた。
「……また騒がしくなりそうだけど、頑張らないとね」
私が小さく呟くと、
「ああ、頼むぞ、俺の内大臣」
兄が優しく私の頭をなでた。




