文官たちとのお正月
1892(明治25)年、1月1日。
元日である。
お正月は、私と“梨花会”の面々が、皇太子殿下に遠慮せずに花御殿で会える、数少ない期間だ。なんて言っても、“新年のご挨拶”を口実にできるのだ。これなら、皇太子殿下も納得せざるをえない。しかし、去年の元日は、私を巻き込んだ会議が始まってしまい、“章子がまた叱られている”と、皇太子殿下にとても心配されてしまった。皇太子殿下にご心痛をかける事態になるのは、絶対に避けたい。
しかも今年から、元日は必ず、華族女学校に登校して、新年を祝う儀式に参加することになったのだ。元日に登校なんて、前世ではやったことないぞ。
朝から皇居に参内して両陛下に新年のあいさつをして、その足で皇太后陛下のいらっしゃる青山御所に参上して、その後で華族女学校に行って……。これで帰宅してから、“梨花会”全員に対応するなんて、はっきり言って身体が持たない。
――しかも、“梨花会”の全員に一斉に来られたら、この居間でも入りきらないですから……1日と2日に、半分ずつ年始の挨拶に来てもらわないと困ります。全員の血圧を測ったら、どう頑張っても30分以上はかかるし……。
第2回の帝国議会が開会し、通常予算と特別予算が、無事に衆議院と貴族院を通過した12月下旬、私は花御殿にやってきた伊藤輔導主任に訴えた。ちなみに、国会議事堂は突貫工事で新しいものを建て、濃尾地震が起こった直後に完成していた。
そう、濃尾地震である。“史実”だと、死者は7000人以上だったのだけれど、事前の屋外への避難命令と火気使用禁止命令が功を奏して、死者・行方不明者は400人を下回った。火災もほとんど起こらず、何か所か出火したところも、組織的な消防活動により、小規模な火災で食い止められた。救援活動も、スムーズに進んでいるそうだ。
ただ、建築物までは、手が回らなかった。全壊した家屋は全国で約14万戸。約1万か所で山崩れが発生したし、堤防が壊れた箇所もある。もちろん、名古屋城の多聞櫓も、“史実”通りに崩壊した。
――これはほぼ“史実”通りだが、仕方あるまい。今の技術では、既存の建築物を、あのような強震に耐えられるように改造するのは難しい。死者と火災が、最小限に食い止められただけでも良しとしなければ。
年末に、「皇太子殿下の将棋のお相手をする」という名目で花御殿にやってきた原さんが、こう言っていた。
それはともかく、今年のお正月は、伊藤さんと大山さんが手配して、1日に伊藤さん、井上さん、松方さん、大隈さん、三条さん、原さん、そして爺が、2日に残りの“梨花会”の面々があいさつに来ることになった。ベルツ先生は、1月9日の今年最初の授業の時に、ゆっくり挨拶するとのことで、年始には来ないということだ。どうしてこの振り分けになったのか、伊藤さんにその点を尋ねたら、
――国軍三羽烏が、“増宮さまに未来の戦争の話を聞きたい”と騒いでおりまして……桂が上京するのが1日の夜なので、三羽烏に同調した者たちが、奴らと一緒に2日に参ることになりました。
と、苦笑しながら答えられた。
(だから、私の前世は軍人じゃないんだけど……)
近現代で使われる武器や戦闘に関する知識のほとんどは、前世の父親がよく見ていたアクション映画を、勉強している横目で見て得たもので、体系だったものではない。それでは、期待してやってくる国軍三羽烏に申し訳ない。
――“情報が余りにも貧弱なことを後悔するな”って、児玉さんと山本さんと桂さんに伝えておいてください……。
私はため息をつきながら、伊藤さんに伝言をお願いしたのだけれど……。
「それならば、増宮さまを驚かせてやりましょう、と児玉が言っておりました」
1日の午後、年始の挨拶にやってきた伊藤さんは、私に血圧を測られ終わった後、ニコニコしながら言った。
「これ以上は、勘弁してほしいなあ……」
私は肩を落とした。「濃尾地震のダイナマイトの噂だってびっくりしたのに」
すると、
「はて、そんな噂などありましたかな?」
「ああ、聞いたことねえなあ」
「ええ、まったくもって」
「吾輩も聞いておりませんな」
伊藤さんも井上さんも松方さんも大隈さんも、口々にこう言った。
「もう……みんな、新年早々とぼけないでください。大山さんに、ちゃんと聞いたんですからね、濃尾地震の対策については」
私は眉根を寄せた。「知らないわよ。後世、“日本には地震兵器があって、濃尾地震はその失敗によって生じた”っていう伝説ができても」
「面白いことを思い付かれるのですな、増宮殿下は」
原さんがにやりと笑いながら言う。その笑い方が、少し癇に障って、
「……原さん、血圧、もう一回測ってあげましょうか?」
私は冷たい声で提案した。
「も、申し訳ありませんでした!」
原さんは青ざめて、頭を深々と下げた。本気なのか演技なのか、私には判断がつかない。
「原君は、医者が苦手なんやねえ」
三条さんが、のんびりした声で言う。
「その割には、さっき測った時も、血圧はそんなに上がってなかったですね」
私は首から掛けた聴診器を、血圧計と一緒に、本棚の一角にしまった。1日にあいさつに来た全員、測定した収縮期血圧は125mmHg未満だった。前世の基準でも、非常に良好な血圧である。
「やっぱり、原さんの血圧を、もう一度測る方が……」
「増宮さま、原どのを困らせてはいけませんよ」
爺が苦笑しながら私をたしなめる。「世の中には、陛下のように、医者が苦手な方もいらっしゃるのですから」
「わかってる、爺。血圧計はしまったから、今日はもう測らないよ」
私は微笑した。
「でも、医学を怖がってばかりでも、ちょっと困るのよ、これからの相談事に関しては」
「相談ですか?」
伊藤さんが首を傾げた。
「ええ、伊藤さん」
私は首を縦に振ると、濃尾地震の後で考えていたことを話し始めた。
「つまり、“梨花会”の医科分科会を作りたい、と……?」
「そういう名称になるかしらね」
話をまとめてくれた伊藤さんに、私はこう答えた。
鴎外先生……いや、森林太郎先生の脚気実験をサポートしているうちに、もどかしく思える場面が何度かあった。
それは、森先生が、私の知っている医学の知識を知らないからだ、と気づくのに、時間はかからなかった。
私は、ビタミンB1の性質のいくつかを知っている。けれど、森先生はそのことを知らない。だから、ふとした拍子に、実験の組み立てや推論が、私の知っている答えから外れそうになることがある。慌てて、ベルツ先生と一緒に、正しい方向にもっていこうとするのだけれど、森先生はなかなか納得してくれない。そんなことを何回か繰り返して、
(これ、森先生に、私の前世のことを話す方がいいんじゃないかな?)
そう思うようになった。もちろん、政治的な事項まで話すつもりはない。私が知っている前世の医学の知識を、必要な研究者に伝えれば、もっと医学の研究を加速することができるのではないか。
そこまでは、ここにいる“梨花会”の面々にも言える理由だ。
もう一つ、“梨花会”の医科分科会を作ろうと思った理由は、ドイツにいるかもしれない、私と同じように、前世の医学知識を持った人の存在だ。
コッホ先生のお弟子さんのベラーさん。もしくは、その人の日本人の友人、タカハシさん。
先月、ベルツ先生に、その二人のことを何か知っていないか、大山さんのいない所でこっそり聞いてみたけれど、知らないと答えられてしまった。
――殿下、あの論文をお読みになられたのですか?
驚くベルツ先生には、「私がドイツ語を読んだことは内緒にして。大山さんには知られたくないの」と、口止めしておいたのだけれど……。
私と同じように、未来の医療知識を持っている人――その人が、その知識をどう使いたいかはわからない。ただ、その人と協力するにしろ、対立するにしろ、未来の医学の知識を、この世界で出来る限り具現化させておく方が有利だろうと思ったのだ。
「なるほどなあ」
井上さんが大礼服に包まれた腕を組んだ。「確かに道理だ。だけど増宮さま、それは、医学分野に限った話じゃないですよ」
「そうね、あと地震の研究も、私が思い出した地震のデータを、しかるべき人に渡せば、もっと研究を加速させられて、将来、完璧な地震予知もできるかもしれない……」
今後日本で起こる地震や火山の噴火についても、原さんと私の“史実”の記憶を突き合わせて年表を作り、大山さんと3人で共有している。どこで何日に大きな地震が発生したか、原さんは自分が“史実”で生きていた時代については、しっかり記憶していた。ただ、原さんが“史実”で亡くなった後については、私の記憶しか頼るものがない。さすがに、太平洋戦争終戦の前後に起こった東南海地震や三河地震、南海地震は、我が前世の故郷・愛知県でも被害が出たから、発生の日付も覚えていたけれど……。
「渡すとしたら、帝国大学がよろしいかと」
原さんがそう言いながら、私にそっと目配せをする。
(ああ……大森さんのことを言え、ってことかな?)
「帝国大学、と言っても、誰がいいでしょうか……。あ、大森房吉さんって人、今、帝国大学にいるのかな?“史実”では、地震公式を発見した人だけれど」
私はこう言ってみた。
「あ、そいつなら、帝国大学の大学院にいるな。濃尾地震の研究を始めた、って聞いた」
私の言葉に、井上さんが答える。
「じゃあ、その人に、地震のデータを渡しましょう。それで、研究の規模も大規模にして、独立した研究機関を作って、将来、地震予知もできるようにするの。あと、建築物の耐震構造の研究とか、災害に強い都市を作る研究とか……」
「なるほど、それはよろしゅうございますな、増宮さま」
爺が微笑んだ。「ついでに一つ、よろしいでしょうか。今後、発生する地震について、避難命令を発する場合は、その地震の研究機関が、地震発生の警告をした、という理由で命令を発する方がよろしいのではないか、と……。さすがに、ダイナマイトの埋設の噂が、何度も通用するとは思えません」
「爺の言う通りね。“国立地震研究所”とでもなるのかしら……地震の避難命令を出すときは、そこが地震を予知した、という理由で出す方がいい。最初は、私の“史実”の記憶に頼るしかないと思うけれど、いつか、自力で地震予知をして、成功させるようになるといいな」
私が爺の言葉に頷くと、
「そら、その方がええですわ。わしは、7月の会議には出られませんでしたからなあ。前日の新聞を読んで、ははあ、さては児玉君の悪戯やな、とわかりましたけど、それまでは“そんなこと、ご一新の時にあったかいな”って、ずっと悩んでましたからなあ」
三条さんも賛成してくれた。
(で、原さん、これでどうよ?)
ちらっと原さんを見やると、彼は微かに頷いた。どうやら、彼と私の意思疎通に、齟齬は来たさなかったようだ。
と、
「医学や地震の話もよいのですが、増宮さま」
松方さんが口を開いた。
「科学技術や産業の方面でも、増宮さまの知識を伝える方がよい者もいると思われます。例えば、豊田佐吉や島津源蔵……」
「ええ、それは是非。レントゲン、さっさと使えるようにしたいし……」
豊田佐吉……自動織機の開発で有名な、我が愛知県が誇る発明家である。この人の息子の喜一郎さんという人も優秀で、自動織機だけでなく、自動車の開発にも乗り出すし、経営者としても手腕を発揮する。また、島津源蔵さんは、京都で理化学器械の製造をしている人だ。この人も、息子の梅次郎さんという人が優秀で、“史実”では、蓄電池やレントゲン装置の製造を手掛けていたそうだ。島津さん親子の業績は、原さんに聞いた。
「これもまた、人選が必要ですな。“産技研”で研究させることも増えて参りましたし……」
「合成ゴム、プラスチック、無線、酸素の発生方法の研究と、蚊の忌避剤の抽出に、白粉の開発か……」
「ああ、合成ゴムと白粉は急がねばなりませんな、井上さん」
大隈さんと井上さんのやり取りに、私は首を傾げた。
「あの……確かに、ゴムは急いでほしい、とは言ったけれど……」
ゴム製品……特に、ヘアゴムや、前世で手芸に使うようなゴム紐は、なるべく早くほしいと、確かに以前言った。けれど、白粉を作ってほしいなんて、一言も言ってないのだけれど……。
私が困惑していると、「増宮さま」と輔導主任が私に向き直った。
「増宮さまが化粧を嫌っておられることは、存じております。しかし、ご成長され、皇族方や世界の貴人たちと交流される機会が多くなれば、当然、身だしなみの一つとして、化粧は重要です」
「そう言われても、伊藤さん……私、お化粧の匂いは本当にダメなんですよ。花松さんにも白粉を使わないようにお願いしているのに……」
私は伊藤さんに反論したけれど、
「いえ、これは、世の女性を助けるためです」
伊藤さんは首を横に振った。
「増宮さまは、昨年、鉛と水銀を使用した白粉の製造販売を禁止されるよう、働きかけられましたな」
「ええ、鉛も水銀も、人体にとって有害だから」
しかも、“史実”では、私の命も奪ったのである。ただ、これは原さんの“史実”の記憶から知ったことだから、皆には言えないけれど。
「確かに、製造販売は、昨年10月末で禁止をされたのですが……、いまだに、正規の流通経路に乗らない形で、鉛や水銀を含む白粉が、高値で取引されております」
「な、何ですって?!」
私は思わず立ち上がった。
「なんで?あんなに危ない代物なのに、どうしてまだ流通してるんですか?鉛や水銀に、たばこやアヘンみたいな中毒性があるなんて、未来でも聞いたことはないですよ?!」
「ある意味、中毒なのかもしれませんが……」
伊藤さんの言葉に、私は首を傾げた。
「増宮さま」
爺が私に、優しく声を掛けた。「増宮さまは前世で、自分を美しく見せることを、意識されたことはありますか?」
「自分を美しく、なんて……」
私は腕を組んで考え込んだ。「そんなことを考える暇が無かったよ、爺。学生時代も、働いていたときも、考えすらしなかった」
すると、
「ああ、それでは、考えが回らないのも仕方がないですか……」
伊藤さんが軽くため息をついた。「鉛白粉は、鉛を含まぬ白粉よりも、圧倒的に、つきも、のりも、のびもよい……。肌も白く映えますゆえ、美しくありたいという女性は、鉛白粉を手放したがりません。芸者衆も、いまだに鉛白粉を使っております」
「だよな、俊輔。俺もこの間、芸者に愚痴られた。“なんで政府は、女心がわからないのよ”とな」
井上さんの言葉に、私はカチンと来た。
(悪かったわね、鉛白粉の禁止を発案した私が女で……)
「申し訳ありません、増宮さま。ご気分を害してしまったようで」
伊藤さんが私に頭を下げたので、私はハッとした。また、思っていることが表情に出てしまったのか。
「しかし、皇后陛下も先日、ご憂慮されておられましたことは、お伝え申し上げます。“医師になるためには、女を捨てなければいけないと言ったそうだが、女性であることを忘れずに医師になってほしい”……皇后陛下は、そのように仰せになられました」
「お母様が……」
私は軽くため息をついた。朝に面会したときは、そんなことはおっしゃっていなかった。まあ、隣に皇太子殿下もいたし、そもそもこれは、あいさつする程度の短時間で話せるような問題ではないだろう。
「わかりました、伊藤さん。26日には私の誕生日で参内するのだから、その時に、お母様とゆっくり話し合えたら、と思います。これ、対応を間違うと、100年、200年先に禍根を残す可能性があるかもしれない……」
女性医師……だけではない、世の女性がどのように社会に参画していくか。そして性別による不当な差別と、性別によってどうしても生じてしまう問題に、どう対応していくか。それに、私の生き方が、どう影響するのか。下手をすると、話し合いがそこまで及ぶ可能性がある。
今生の私が、内親王であるがゆえに。
(私、普通に医者になりたいだけなんだけどな……)
私は肩を落とした。
「そこまで深刻にお考えになりましたか。仕方のないことではありますが」
伊藤さんが苦笑する。
「でも、伊藤さん、私、お化粧はダメ。本当に、あの匂いがもう、ダメなんです。ストレス……じゃない、精神的な苦痛で蕁麻疹が出たこともあったから……」
すると、
「いい考えがあります」
と原さんが手を挙げた。
「“産技研”で、増宮殿下専用の白粉も、開発すればよいのでは?」
「おお、それはいい考えじゃ」
大隈さんが手を打った。「鉛なしの白粉、ということまでは考えていたが、増宮さま専用ということまでは考えていなかった。素晴らしいぞ、原君」
「化学者にも参画させればよろしいかと、何人か、わたしにも心当たりがありますので、当たってみてもよろしいでしょうか?」
「おお、それは是非。原君、頼みます」
さらに進言する原さんに、松方さんが頭を下げる。
「無駄な努力になるから、鉛と水銀の入ってない白粉を作るのを、普通に頑張る方がいいと思いますよ?だって、未来でも私が大丈夫な化粧品って、できてないもの」
私は冷たく言った。だけど原さんは、ニヤリと笑った。
「おそれながら殿下、前世で、化粧品と名の付くものを買い求めたり、そばで見たりしたことはありますか?」
「買ったことは無いし、そばで見たこともほとんどないですよ。母親も化粧を殆どしない人でした。それに、彼女が使ってる化粧品は輸入物だったせいか、匂いがキツくて、一度かいだだけで、もう近づきもしなかったし……」
前世で、小学校一年生だった頃だ。前世の母が、忙しい合間を縫って、授業参観に来てくれた。母にお礼を言おうと近づいたら、母のお化粧の匂いがキツすぎて、教室の中で気を失ったのだ。
――梨花の初めての授業参観だから、気合い入れて、フランス産の化粧品を使ってみたけれど……ダメだったみたいね、ごめんね。
母は、後で私に謝ってくれたけれど、私にとって、その事件は拭いがたいトラウマになった。母や祖母が「化粧をした」と言うと、極力側に近づかないようにしたので、事情を知らない人には、「仲が悪いのか」と訊かれることもあったくらいだ。
5つ下の妹が化粧をしていたかは、ちょっと覚えていない。彼女が化粧に興味を持つ年頃に、私が進学のために実家を出たからだ。
「なるほど、それならば十分に可能性がありましょう」
原さんは私の言葉を聞くと、自信に満ちた表情で頷いた。
「可能性なんてゼロなのに、十分にあると言うなんて……おもしろい、やれるものなら、やってごらんなさい」
私は原さんを軽く睨んだ。「私が成人するまでに、もし私が使えるような、安全な白粉が出来たら、使ってあげてもいいですよ。そんな日なんて来ないでしょうけれど」
「増宮さま」
爺が苦笑する。「原どのを、困らせてはいけませんよ」
「大丈夫です、堀河さま。わたしは一向に困っておりません」
原さんが、爺に一礼する。
「むしろ、増宮殿下が、お約束を違えないかが心配です」
「あなたとの約束は守ります」
(それに、あなたが“史実”の記憶を持ってる、っていうことも、ちゃんと秘密にしているんだから!)
私は原さんをまた睨んだ。
「原君と増宮さまは、仲がよいのう。羨ましいくらいだ」
「確かに。やはり、我々より原君の方が、増宮さまと年が近いからだろうか」
伊藤さんと松方さんの会話に、
「「そんなことはありません!」」
私と原さんが、同時にツッコミを入れた。お互い、同時に同じ台詞を言ったことに気がついて、軽く睨み合う。原さんが余裕綽々な態度なのが、とても気に障る。
「むう……やっぱり、原さんの血圧、もう一回測定します!」
すると、
「ま、増宮殿下、それだけはご勘弁を!」
原さんの顔色が急変した。
「許すものですか。約束の期日までに白粉ができなかったら、あなたの血圧を測りに、毎日家に押し掛けます」
「今からでも、海外に逃げてよいでしょうか……」
「そうしたら、私も陛下にお願いして、同じ国に留学しますから」
「ひいっ!」
……後刻。
「原内務次官の悲鳴が聞こえたが、大丈夫だったのか?」
“梨花会”の面々が花御殿から退出した後、夕食の席で、皇太子殿下がものすごく心配そうな顔で私に尋ねた。
「ああ、大丈夫です、兄上。原さまが私に意地悪したので、やり返しました」
私は笑顔で皇太子殿下に答えた。
「そうか」
皇太子殿下も微笑された。「章子は肝が据わっているな。先日は、軍医中将と帝大教授の非を叱り飛ばしたし……我が妹は、本当に頼もしい。誇りに思うぞ」
「ありがとうございます、兄上」
私は頭を下げると、また兄に微笑んだ。
まさか、このお正月の話が、あんなことに発展するなんて……この時、私は知る由もなかった。
※「元旦に登校」は、「小学校祝日大祭日儀式規程(1891(明治24)年6月17日公布)」が、現実世界と同じく公布された……という設定です。華族女学校年報には、1月1日や3日(元始祭)に生徒が登校したという記述はないのですが、天長節や紀元節はしっかり生徒が登校した旨が書いてあるので、「1月1日も登校」ということにしました。
※大森房吉さん。地震公式で有名な方です。今村明恒さんも巻き込んで行きたいところです。さらに、技術者チート親子(?)、名前だけですが登場です。しかし、豊田喜一郎さんは、まだ生まれておりません……。
※そして、「ここで〇〇〇を投入!」(?)作中世界から、企業が一つ消えると思われます。しかし、章子さんは水白粉は無理だろうけれど、西洋の化粧法で使う白粉は大丈夫かね?




