内府と厚生相の激論
「だから、それはやり過ぎだと思います!」
1918(大正3)年12月6日金曜日午後0時50分、皇居。表御座所にある内大臣室で、私は厚生大臣の後藤新平さんと舌戦を繰り広げていた。
「確かに、人が密集する環境では、インフルエンザが感染しやすくなるのは私も知っています。それに、私の時代の新型インフル特措法にも、生活に必要な場合以外の外出制限や、学校やイベント会場の使用停止を要請するという項目はありました」
私は前世、2013(平成25)年に施行された新型インフルエンザ等対策特別措置法……通称“新型インフル特措法”のことを思い出しながら、後藤さんに話していた。これは、研修病院の就職試験で問われるかもしれないと思い、私が前世で勉強した数少ない法律の1つだ。もちろん、後藤さんが梨花会に入った直後に、この法律のことは彼に伝えた。だから後藤さんは、京都から東京に戻った直後から、この時の流れでの新型インフルエンザ特別措置法の草案作成に着手し、先ほど、仕上がった草案を私に見せに来てくれたのだけれど……。
「でも、個人の外出制限の違反者に3円の罰金というのは重すぎませんか?!しかも、4回繰り返せば禁固刑って……ここまで強制力がある法律だと、新聞が“私権の制限だ”と言って騒ぎ立てますよ?!」
きつく睨みつけた私に、
「しかし内府殿下、そのぐらいの強制力が無ければ、国民を従わせることはできません!」
後藤さんは座っていた椅子から立ち上がり、叫ぶように反論した。
「学校、工場、商店、劇場、寄席、活動写真館……インフルエンザの流行期には、人の密集する所を徹底的に無くさなければなりません。それが、インフルエンザ蔓延による人的資源の減少を少しでも減らす方法と信じます!」
「それをやり過ぎれば、大変なことになりますよ!」
私も椅子から立ち上がりながら、後藤さんに言い返した。
「“史実”でのスペインかぜの流行について、斎藤さんと山本大尉に聞いたことがあります。日本を襲った流行は3回、そのどれもが数か月にも及んだそうです。数か月も学校を閉鎖したら、学生の教育に遅れが出てしまいます。それに、工場や商店を数か月閉鎖したら、倒産する企業が続出して、不況になってしまいます。インフルエンザ対策のせいで不景気になったら、そのせいで自殺者や餓死者が出てしまうかもしれませんよ!」
「しかし、人命を守ることは何より大切なことでしょう!場合によっては軍隊を投入してでも、国民の外出を徹底的に制限し、インフルエンザの流行を抑え……」
「軍隊?!軍隊ですって?!」
後藤さんの口から飛び出た思わぬ言葉に、私は目を剥いた。
「戒厳じゃないんですよ?!“史実”の二・二六事件のように、政府高官が多数殺害されたわけでも、関東大震災みたいに首都機能を壊滅させる未曽有の天変地異が起こったわけでもないのに、なぜ軍隊を出動させる必要があるのですか!」
「ですが内府殿下、人の密集をなくすには、そこまでの強権を使うことも止むを得ないと……」
「だったら、議会も止めないといけないですよ!人が議場の中にたくさん入るんですから!それから、満員の市電とか、たくさんの海兵が生活している軍艦や、学生や工員の寄宿舎や、国軍の兵舎や……そういうものまで解散させないといけない理屈になります!そんなことをしたら、経済も教育も完全にストップしますし、国防にまで深刻な影響が出ます!万が一日本が他国に攻め込まれたら、インフルエンザで死ぬよりも、戦争に巻き込まれて死ぬ国民の方が多くなっ……?!」
後藤さんに更に言い募ろうとした私の口の動きは、強制的に止められた。喉元に、非常に鋭い殺気を突きつけられたのだ。それがドアの所に立っている大山さんが放ったものだということはすぐに分かった。
「梨花さま」
私に呼びかける大山さんの声は、いつになく冷たかった。
「もう、1時を過ぎておりますよ。陛下の御政務をお手伝いなさるお時間です」
「あ……」
洋行のお土産として兄から数年前にもらった腕時計の針は、確かに大山さんの言う通り、1時を回っている。机の上に広げた資料を私が慌てて片付け始めた時、
「ああ、やっと止まったか」
黒いフロックコートを着た兄が、ドアの隙間からひょこっと顔をのぞかせた。
「あ、兄上!いたんなら、声を掛けてくれればよかったのに!」
「呼んだぞ。呼んだが、お前も後藤大臣も、夢中になって議論していて、俺に気が付いてくれなくてな」
驚きながら抗議する私に、兄は答えるとクスっと笑う。
「お前たちの話が余りにも“まにあ”なものだったから、どうやって止めればいいか分からなくて……仕方が無いから、大山大将に相談したのだ。この2人の議論はどうやって止めればよいか、と。そうしたら、凄まじい殺気を放ってしまった」
兄の言葉を聞いた後藤さんは、顔を真っ青にして、「あああ……!誠に、誠に申し訳ございません!」と謝罪しながらその場に土下座した。
「いや、構わん。インフルエンザのことは大事だ。ただ、もう少しかみ砕いて話してくれれば、わたしも横で聞いていて内容が理解できたのだが」
鷹揚に答える兄の横で、私と後藤さんの議論を強制終了させた張本人は、顎に左手を当てて考え込んでいる。そして、
「後藤さん、明日、横浜で行われる特別観艦式には出る予定ですかな?」
と、キラリと目を光らせながら尋ねた。
「は、その予定でございますが……」
土下座したまま不思議そうに返答した後藤さんに、
「明日、梨花さまとともに、横浜に向かう御料車に乗っていただきましょう。その際、梨花さまとともに、今の議論の内容を、陛下に分かりやすくご説明ください」
大山さんはこう告げるとニヤリと笑った。
「なるほど、それはいい考えだ。しかし大山大将、後藤大臣の身体さえ空いていれば、今日、午後の政務が終わった後にでも話を聞けるが……」
兄が首を傾げながら尋ねると、
「恐れながら陛下、午後の政務の後は、梨花さまと一緒に馬場に出ることになっております。適度にお身体を動かすことは、ご健康を保つために非常に大切でございます」
大山さんは兄にこう言上して最敬礼する。
「それは確かに大山さんの言う通りだけれど……兄上、私に馬術を教えるの、兄上の負担になってはいない?もし負担なら、今日は私、馬場に出ないで、明日兄上にする説明の原稿を作るけれど……」
ついでなので、前から気になっていたことも含めて私が兄に確認すると、
「何を言う。お前に馬術を教えるのが楽しみで馬場に出ているようなものなのに、負担になどなる訳がないだろう」
と、兄は私の不安を一蹴した。
「では、決まりですな」
大山さんは深く頷くと私を見つめ、
「ああ、それから、梨花さまは馬場に出る時、明日のご説明のことはお考えにならないようにお願いいたします」
と、にこやかに告げた。
「……考えちゃダメなの?あまり時間が無いから、馬に乗っている時に考えようと思ったのに」
私の問いに、「当たり前だろう」と答えたのは、大山さんではなく兄だった。
「お前はまだ、そこまで器用に馬を乗りこなせないだろう。それに、そんなことをしていると、馬の方が拗ねて、お前を鞍から振り落としてしまうかもしれん」
そんな馬鹿な、と返そうとしたけれど、やけに真剣な兄の眼差しにぶつかって、私の口の動きが止まった。兄は馬術が非常に得意だ。その兄がこう言うのだから、馬に集中していなかったら、兄の言う通り、本当に落馬してしまうかもしれない。
「なぁ、梨花。落馬だけはしないでくれよ」
心配そうに私に頼む兄に、私は首を縦に振るしかなかった。
1918(大正3)年12月7日土曜日午前9時、横浜港へと向かう御召列車の御料車。
「なるほどな」
人払いをした御座所の中、私と後藤さんの話をメモを取りながら聞いていた兄は、鉛筆を置くと顔を上げた。
「インフルエンザは、人が密集している環境で感染が広がりやすい。だから、そのような環境を無くせば、感染者の増加を抑えられると考えられる。しかし、それをやり過ぎれば、教育や経済の停滞、そして国防力の低下を来たす、ということだな」
「そういうこと」
やはり兄は頭がいいな、と思いながら私は短く応じた。
「昨日の午後、京都の国際保健機関設立準備室から緊急声明が出た通り、アメリカ、特にネブラスカ州で大流行しているインフルエンザは、危険な新型インフルエンザよ。死亡率は速報値で2.1%……日本での従来のインフルエンザの死亡率が、定点調査から推定すると約0.4%だから、死亡率は5倍以上になる」
「ふむ……」
私の説明に、兄は考え込む素振りを見せる。ちなみに、前世で私が死ぬ直前、日本でのインフルエンザの死亡率は0.1%も無いとされていた。現在のインフルエンザでの死亡率がそれより高いのは、衛生状態が私の時代ほどは良くないことと、インフルエンザワクチンが存在していないことが影響していると思うけれど……しかし、今回の新型インフルエンザの2.1%という死亡率は高い。
「実……いや、斎藤によれば、“史実”でスペインかぜが流行した際、日本では3年間に、5500万から5700万人の人口に対して約2400万人が罹患し、約39万人が命を落としたとのこと。全体を通しての死亡率は約1.6%ですが、時期によっては、死亡率は5%を超えたとのことです」
真剣な表情で言った後藤さんに、
「昨年度の日本でのインフルエンザ死亡者数が約3000人だから、3年で39万人がインフルエンザで命を落とすというのは、本当に恐ろしい数字だわ。しかも、伝染力が強いから、大勢の人が同時に発熱して、あちこちの職場が欠勤で回らなくなる。だから、後藤さんが言うように、強制的に人が密集する機会を減らして、少しでも感染拡大のスピードを抑えるのはとてもいい方法ではあるのだけれど、それをすると経済や教育・国防に影響が出てしまう。それで死人が出てしまえば感染抑制も意味がないし……」
私は脇から心配していることを指摘した。
「しかし内府殿下、経済や教育を優先して、感染予防のための政策を何も行わないというのは、それこそ、国民を死に追いやる行為でしょう」
「そこまでは言っていません。感染予防のための政策はもちろんしなければなりませんけれど、その程度をよく考えないと……」
後藤さんの反論を私がやり込めようとした時、兄が「まぁまぁ」と言って私を止めた。私は渋々口を閉ざした。
「後藤大臣の言うことも、梨花の言うこともよく分かる。梨花が強力な感染抑制策に賛同しないのは意外に思ったが」
穏やかな口調でこう言った兄に、
「前世の私のままなら、後藤さんに全面的に賛成したけれど、転生してから、私もいろいろ勉強したからね」
と私は答えて苦笑した。今なら、梨花会の面々が私を様々な方法で鍛えてくれたのが、兄の政務を助ける力になっていると理解できるけれど、訳も分からず政治や経済の話を聞かされていた頃は本当に辛かった。
すると、
「感染抑制政策を実施することで、業績に大きな打撃が予想される業種に、ある程度の資金を融通するようにすればよいのでは?」
私たちの話を横で聞いていた宮内大臣の山縣さんがこう提案した。
「山縣さん、確かにそれはいい方法だと思いますけれど……今、政府にそこまでやれるお金がありますか?」
「それは高橋に聞かなければ分かりませんが、もし金が無いのであれば、国債を発行して資金調達をすればよいのではないでしょうか」
私の質問に、山縣さんは事も無げに答える。そう言えば、最近あまり意識してはいないけれど、山縣さんは宮内大臣に就任する前、内務大臣や枢密院議長、そして内閣総理大臣を歴任した一流の政治家だ。日本に突然起こった問題に対応する策を簡単に出す力は当然有しているのだ。
(まぁ、日本の今の財政状況なら、国債を発行しても問題はないけれど、全世界的な不況が来る可能性はあるから、よっぽど金利を良くしないと買い手が付かないかも……)
私が考え込んだ時、
「あとは、俺が金を出すという手もあるな」
兄が難しい顔で呟いた。
「だが、補償にどのくらいの金額が必要かはまだ分からない。それに、衛生対策を実施するのにも金が必要だし……その辺りも含めて、高橋大臣に尋ねる必要がある。……やれやれ、即位礼が終わって一息ついたと思ったら、また忙しくなりそうだ。しかし、国民の命を守るためにも、しっかり政策は作っておかなければ」
こう言ってため息をついた兄に、
「大丈夫よ、兄上。こういう時のために私がいるんじゃない。梨花会のみんなとも協力して、できることをやりましょう」
私は励ますように、微笑んでみせたのだった。
※「従来のインフルエンザの死亡率が0.4%」という記述が出てきますが、資料が無かったため作者が勝手に設定したものです。また、死亡者数に関しては、統計資料を見て適当に設定しています。ご了承ください。




