還幸
※章タイトルを変更しました。(2023年4月20日)
即位礼の中心儀式である“即位礼当日紫宸殿の儀”の後も、即位礼の一連の儀式は粛々と進んでいった。
即位礼一日後賢所御神楽の儀、神宮・皇霊殿・神殿竝に官国幣社に勅使発遣の儀、大嘗祭前二日御禊の儀、大嘗祭前二日大祓の儀、大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀、大嘗祭……。その後も2日間にわたって行われた大饗の儀、伊勢神宮、そしてお父様をはじめとする前四代の天皇山陵への行幸啓と続いていく行事に、私も内大臣として、時には栽仁殿下の妃として参列した。古式ゆかしい装束を着たり、宮内官の制服を着たり、立場と場合によって着る服が変わるので本当にややこしかった。
また、東京での打ち合わせで一度決めたはずなのに、本番直前になってから、“内府殿下は皇族妃としてのお立場でのご参列で本当によろしいのか?”という疑問が再び多方面から出されてしまうというトラブルもしばしば発生した。けれど、ここで苦労して一つの形を作っておけば、後世、女性の大臣が即位礼に参列することになった場合、参考になるだろうと思ったので、私は一つ一つの疑問に丁寧に対応し、時には山縣さんや伊藤さんの助けも借りながらトラブルを解決した。ただ、女性の地位や、社会の常識も、時代が下るにつれて変わっていくだろうから、今回の形が永久に続く正解であるとは思えないのだけれど。
そんな風に私が忙しくしている間、即位礼の主役である兄ももちろん忙しかった。しかし、その過密スケジュールの合間を縫って、兄は11月29日の金曜日、大阪府に向かった。目的地は淀川右岸にある鳥飼村……昨年、台風に伴う大雨の影響で、淀川の堤防が決壊したところである。この訪問は当初の予定には無く、兄のたっての希望で日程に組み込まれたものだった。
決壊した淀川の堤防や浸水してしまった農地を、兄は徒歩で視察して回った。付き従っている村長さんの説明を聞きながら、兄は時々立ち止まり、侍従の甘露寺さんに言いつけて、昨年、洪水の被害を受けた直後に撮影された鳥飼村の写真を持ってこさせる。そして、写真の中の凄惨な光景と、今の鳥飼村の復興した姿とを見比べ、
「ああ、よかったなぁ、ここまで復旧して……」
と言って、兄は心底嬉しそうに微笑むのだった。
……その翌日、1918(大正3)年11月30日土曜日。午前9時15分に兄と節子さまは賢所の神鏡を奉じて帰途についた。もちろん私も供奉列に加わり、東に向かう御召列車に乗り込んだ。行きの時とは違い、御料車に連結されている供奉車両に入って書類を読もうとしたら、
「陛下がお呼びです。なぜ御座所に来ないのか、と……」
京都駅を列車が発車した直後、侍従の高辻さんが私を呼びに来てしまったので、私は慌てて御料車の中に入った。
「なんだ、梨花は呼ばないと来てくれないのか」
既に人払いされた御料車内の御座所には、兄と節子さまが椅子に並んで座っていた。
「当たり前でしょう。私は兄上の臣下なのよ」
読もうとしていた書類を手にした私がこう言うと、
「だが、俺の妹だろう」
兄は納得がいかない、という調子で言い返してきた。
「そりゃそうだけど、他の皇族方の手前もあるから、私ばかり呼ぶのは良くないんじゃない?」
「そんなことを気にしてどうする。お前は俺の内大臣だ。常時俺の輔弼をしなければならないのに、俺のそばにいないでどうする?」
私の反論を、兄は妙な理屈で封じようとする。節子さまも、
「お姉さま、京都では全然お話できませんでしたから、お喋りしましょうよ」
と兄の横から誘うので、私は仕方なく、勧められた椅子に腰かけた。
「……関西での予定、何とか無事に終わったね」
私が話の口火を切ると、兄も節子さまもほっとした様子で頷いた。
「いちいち移動が大掛かりだったのは窮屈だったが、仕方がない。それに、京都の街に外国の要人を泊められるような施設がまだないから、大喪儀の時と違って外国の要人を呼ぶことができなかったのは残念だった。しかし、関西での行事が恙なく終えられたから、それで良しとしよう」
兄が穏やかな口調で答えると、
「無事に儀式が終わってほっとしましたけれど、私、嘉仁さまの御即位を、皆が祝ってくれたのがとても嬉しかったです。行くところ行くところ、本当に大勢の人がいて……」
節子さまがハキハキした口調で言った。
「西園寺さんに聞いたけど、人出は本当にすごかったみたいね。京都に到着した日なんて、未明から人が出て、行列見物の場所取りをしていたんですって」
私の情報に、節子さまは「まぁ、半日も前から?!」と目を丸くする。そんな彼女に、
「それだけじゃなくて、京都市内の装飾もすごかったわ」
と私は更に言った。
「四条大橋はイルミネーションされていたし、花電車も出ていたよ。西園寺さんに誘われて、栽仁殿下と一緒に見に行ったけれど、華やかだったなぁ」
「梨花お姉さまがそんなにおっしゃるなんて……未来では、もっと装飾が華やかなのではないですか?」
「イルミネーションは技術がもっと進んでいたと思うけれど、花電車は見たことが無かったわ。未来だと、路面電車そのものが、バスと地下鉄に置き換わっている街が多いからね。だから花電車がすごく新鮮だったよ」
私が節子さまの質問に答えると、
「うらやましいです。はぁ……私も御所を抜け出して、花電車を見に行けばよかった」
節子さまは不満げな表情でため息をつく。すると兄が、
「おいおい、節子。それでは、珠子のことを叱れないぞ?」
と、すかさず節子さまにツッコミを入れる。私は思わずクスっと笑ってしまった。節子さまも「それはおっしゃらないで下さいよ」と唇を尖らせてから苦笑いする。御座所の中に、3人の笑い声がしばし響いた。
「……皆が俺の即位を祝ってくれたのが、とても嬉しかった」
やがて笑い声を収めた兄は、真面目な顔で言った。
「だが、一番嬉しかったのは、淀川の堤防が復旧して、去年、洪水の被害を受けた住民たちが、穏やかな暮らしを取り戻しているのを、この目で確かめられたことだ。元気に働く彼らの姿を見た時は、心底ほっとした」
静かに語る兄に、私は黙って頷いた。“ご仁慈に富まれ、行動力がおありになる”……かつて、伊藤さんは兄をそう評したことがあるけれど、即位してからも、そんな兄の特質はもちろん変わっていない。洪水で被害を受け、心身ともに傷ついた住民たちが、再び立ち上がってかつての日常を取り戻しているのを見て、兄は本当に嬉しかったのだろう。
と、
「あとは、鹿児島だな」
兄がポツリと呟いた。
「鹿児島県が、桜島の噴火から復興しているか……本当は一昨年視察するはずだったのに、お父様の急なご病気で行けなくなってしまった。鹿児島は、公務の合間に隙を見て新橋から列車に飛び乗って行けるような距離ではないしなぁ……」
「まぁ、嘉仁さま。それこそ、嘉仁さまも珠子のことを叱れないではないですか」
「俺は昔からこうだろう。……まぁ、それは脇に置いておくとしても、東京から鹿児島まではやはり遠い。特別大演習のついでに行くというのが、一番現実的な日程ではあるが……」
「でも嘉仁さま、特別大演習は11月ですけれど、11月は予定がたくさんありますよ。先帝祭もありますし、観菊会もあります。観菊会は遅らせてもいいかもしれませんけれど、11月23日は新嘗祭ですし……」
「それが難しいのだ」
兄は節子さまに答えながら、左手を前髪にやる。節子さまは微笑みながら、兄をじっと見つめている。どうやら、兄も節子さまも、お喋りに夢中のようだ。私は手にした書類の表紙をそっとめくると、中身に目を通し始めた。
「軍艦を使っても、東京から鹿児島までは丸2日は掛かる。大演習は4日間あるし、その後に参加者の労をねぎらうための宴会もある。訪問したい場所はたくさんあるし……。なぁ、梨花、お前はどう思う?」
急に話を振られてしまい、私は「はい」と返事しながら慌てて目線を兄に戻した。けれど、膝の上に広げた書類は、兄に見つかってしまったようだ。
「梨花、何をしている。仕事熱心なのはいいことだが、根を詰め過ぎると身体によくないぞ」
兄は顔に苦笑いを浮かべながら私をたしなめた。
「ああ……ごめんね、兄上。さっき、北里先生からもらった書類が、どうしても気になってね」
私は書類の表紙を元に戻して兄に謝罪する。この書類は、京都駅に見送りに来てくれた北里先生が、兄と節子さまが京都駅の便殿で休憩している僅かな間に私に渡してくれたものだった。
「北里先生から、ですか?」
首を傾げた節子さまに、
「うん。アメリカのインフルエンザ罹患者数についての報告。アメリカのネブラスカ州で罹患者が増えているそうよ」
私は北里先生から先ほど聞いた情報をそのまま伝えた。
「アメリカの以前のデータも取り寄せて比較したけれど、罹患者の数が、例年と比べて異常に伸びているらしいの。死亡者数のデータはまだないけれど……」
「“スペインかぜ”……お前の言う“新型インフルエンザ”が発生した可能性が高いというのか」
「“スペインかぜ”を引き起こしたインフルエンザウイルスと、今回ネブラスカで流行しているインフルエンザウイルスが、同一のものである可能性は低いし、ネブラスカで流行しているウイルスがどのくらい危険なのか、データが無いから分からないけれど……その可能性はある」
横から話に割り込んできた兄の方を向きながら、私は言った。
「ふむ……」
「今、北里先生たちが、アメリカ政府にさらに資料の提出を求めているところよ。東京に戻ったら、後藤さんと相談しないといけないわ。万が一の場合に備えて」
私は首を回し、車窓に視線を泳がせる。線路のそばまで迫る山の上には、雲一つない青空が広がっている。と、窓の外の世界が、急に暗闇に閉ざされた。逢坂山のトンネルに入ったのだ。
(何事も無ければいいのだけれど……)
窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、私はこう願わずにはいられなかった――。




