重み
1918(大正3)年11月12日火曜日午後0時5分、京都御所。
兄の執務室として使われている御学問所。そのすぐそばにある八景の間は、兄の京都御所滞在中、私の控室に割り当てられている。その八景の間で、脇息に寄りかかってウトウトしていると、
「失礼致します」
廊下から大山さんの優しい声が聞こえ、私は目を覚ました。
「昼食をお持ちしました」
そう言って、宮内高等官男子大礼服を着た大山さんが、障子を開けて入ってきた。彼の手には、折詰のお弁当が2つある。恐らく、2000人近くいる即位礼の参列者のために、宮内省が用意したお弁当だろう。
「ありがとう、大山さん。この重い装束を着ていたら、お弁当を取りに行けないから」
脇息にもたれかかったまま私が微笑むと、
「梨花さま、お教え申し上げましたでしょう。このような時は、淑女が執事に命じるものですよ」
大山さんはそう言ってクスっと笑う。
「……はい、そうでした」
今は別当ではなくて秘書官長だ、と返そうかとも思ったけれど、そんなことを言うのは野暮なので、私は素直に頷いた。お互いの肩書が変わろうとも、大山さんが私の臣下なのは変わらないのだから。
「大山さん、一緒にお弁当を食べない?」
私の誘いに、大山さんは「ご相伴させていただきます」と言って頭を下げる。私たちはお弁当の蓋を開け、美味しいお料理をしばし堪能した。と言っても、私は五衣唐衣裳……いわゆる十二単を着ているので、ほんの一口二口しかお弁当を食べられなかったけれど。
「……装束が、本当に似合っておられます」
やがて、箸を置いた大山さんは、私に一礼するとこう言った。
「ご婚儀の時は、萌黄色の唐衣でございましたが、この紅の表着に紫の唐衣……梨花さまの高貴さをより引き出しております」
「こんなにだらけているのに、高貴もへったくれも無いわ」
また脇息に寄りかかった私は力無く笑った。
「装束が重過ぎて、全然動けないし、座っているだけでも一苦労よ。はぁ……紫宸殿の儀なんて出たくないわ。装束から解放された大山さんがうらやましいよ」
私が唇を軽く尖らせて言うと、
「お言葉ではございますが、解放までの道のりはまだまだ長うございます」
午前中、衣冠束帯を身につけていた大山さんは、少しおどけた調子で答えた。
「紫宸殿の儀は洋装で出席致しますが、明日の御神楽の儀、そして大嘗祭と、俺はまた装束を着て、梨花さまの御名代として儀式に参列しなければなりません」
皇室令の1つ・登極令の規定によると、即位礼に関連する儀式では、内大臣は侍従や侍従武官たちと一緒に天皇に付き従って行動することになっている。登極令が制定された当初は特に問題にはならなかったのだけれど、いざ即位礼をやる段階になり、“それで問題ないのか”という疑問が宮中祭祀を司る掌典職から出された。大礼使と掌典職で話し合った結果、ご神事が関連する即位礼の儀式には、私は栽仁殿下の妃として参列し、大山さんが“内大臣名代”という肩書で、本来内大臣が占めるべき位置で参列することになった。私は“栽仁殿下の妃”なのか、“軍籍を持つ内親王”なのか、それとも“内大臣”なのか……立場がコロコロ変わってしまい、私自身も把握しきれないのだけれど、時と場合によって、一つ一つ考えていくしかない。
(だけどこれ、本当にややこしいわねぇ……。紫宸殿の儀の時、私、本当は女官用の五衣唐衣裳を着るべきだと思うのに、“衣装費用が嵩む”と山縣さんと原さんに押し切られて、結局、皇族用の五衣唐衣裳を着ることになったし……)
あれこれ思い出して、私がため息をついた時、
「しかし、この装束は、大変に重いものでございます」
大山さんが、冗談とも本気ともつかない調子で言った。
「冗談でしょう、そんなこと」
私は苦笑しながら大山さんに返した。「男性の装束も重いと聞いたことはあるけれど、五衣唐衣裳ほど重くはないはずよ。大山さんだったら、衣冠束帯を着ても全然問題ないでしょ?」
すると、
「そういうことではございません」
大山さんは、首を左右に振った。
「もちろん、衣冠束帯など、普段であれば着ても負担は全く感じません。しかし、梨花さまの名代で陛下の供奉列に加わらなければならないというその事実が、装束にとてつもない重みを加えるのです」
「そんなに言うほど?」
私は軽く眉をひそめた。「私の力量は、あなたにはとても及ばないのよ。それに、原さんと斎藤さんに聞いたけれど、“史実”の兄上の即位礼の時、内大臣だったのは大山さんよ。そのことを思えば、私の代理ということに、妙な重圧を感じなくてもいいのに」
「しかし、この時の流れでは、内大臣は梨花さまでございます」
緊張を解きほぐそうと思って紡いだ私の言葉に対して、大山さんは正面から穏やかな声で応じた。
「内親王という高貴な御身でありながら、実力で医術開業試験に合格なさいました。運命のいたずらに翻弄された面はありますが、近代日本初の女性軍人となられました。貴族院議長としては、安定した議会運営に貢献なさいました。更に内大臣として、浜離宮外相会談の開催、次いで国際連盟設立を発案され、バルカン半島の騒乱に続く世界大戦発生の危機から世界を救われました。そのような数々の素晴らしい業績を成し遂げたお方の代役など、俺にはとても務まりません」
「そんな……」
反論しようとした私の口の動きは止まった。……事実なのだ。大山さんが今言ったことは、間違いなく、私が今生で成し遂げたことなのだ。
「小さい頃は……医者になろうと決意するまでは、私にできることなんて何もないと思っていたのにね」
呟くように言いながら、私が大山さんに視線を向けると、
「梨花さまが、できることを、ご自身の意思でおやりになった結果でございます」
大山さんは私と目を合わせてこう言った。
「そして、梨花さまは、俺たちの誰もが真似できない業績を、この時の流れで打ち立てられたのです。その重みは、梨花さまご自身にしか背負うことはできません。内大臣として陛下を常時輔弼し、上医として国を医す方にしか……」
ここまで言った大山さんは姿勢を正すと、
「ですから、ご神事の絡まない紫宸殿の儀だけは、梨花さまにしか背負えない重みを背負って、出ていただきますようにお願いいたします」
私に向かって深々と頭を下げた。
「……そこまで臣下に言われてしまったら、頑張らないといけないわね」
私は大山さんに微笑みを向けた。
「装束の重みが増した気がしないでもないけれど、これは、私にしか背負えない重み。そう思って耐えるわ」
「それでこそ、俺のご主君でございます」
大山さんは満足そうに頷くと、優しくて暖かい微笑みを返してくれたのだった。
1918(大正3)年11月12日火曜日午後2時35分、京都御所。
御学問所の廊下には、黒い衣冠束帯に身を包んだ侍従や侍従武官たちが、紫宸殿に入場する順番に並んでいる。その後ろには、節子さまに付き従って紫宸殿に入る女官たちが、私と同じような五衣唐衣裳を着て整列していた。全員、顔は強張っていて、口を動かす気配もない。あたりは異様な静寂に包まれていた。
衣冠束帯に身を固めた男性たちの中、五衣唐衣裳をまとった私は、兄が廊下に出てくるのを静かに待っていた。もちろん、着ている装束はとても重く、気を抜いてしまうと床に崩れ落ちてしまいそうだ。けれど、これは私にしか背負えない重みだと思うと、不思議と背筋が伸び、重みに耐える力が身体の奥から湧いてきた。
衣冠束帯姿の奥保鞏侍従長が、御学問所の障子を開ける。すると、兄が廊下に姿を現した。黄櫨染御袍……天皇が重要な儀式の際に着る装束をまとった兄は、少しだけ首を動かし、私と目を合わせるとニッコリ微笑む。私は兄に小さく頷き返した。
兄と節子さまを加えて整え直された行列は、紫宸殿へと動き始めた。まるで平安時代から抜け出たような装束をまとい、廊下を一歩一歩進んでいると、自分が今、どの時代を生きているのか分からなくなってしまう。未来に生きていた記憶と、昔から続く伝統的な装束と、それを着ている今生の私……様々な時代の感覚が脳裏に乱舞するうちに、行列の先頭は紫宸殿に到着していた。
習礼でやった通り、兄の後ろから高御座に上がり、北東の隅でかしこまっていると、参列している皇族たちや政府高官たちが緊張しているのが、嫌というほど感じられた。この即位礼当日紫宸殿の儀は、兄が日本の内外に即位を宣明する、一連の即位礼の中心儀式である。緊張しない方がどうかしている。私は重圧に耐えながら、自分の出番をじっと待った。
侍従の高辻さんが兄から笏を預かって高御座の後方に戻ってくると、いよいよ私の出番だ。習礼の時とは違い、兄が昨日自分で清書した勅語書を捧げ持ち、私は兄のそばへと向かった。右に曲がると、兄の姿が目に入る。黄櫨染御袍を着て、御立纓冠をかぶった兄の姿は、穏やかで頼もしく、そして神々しくもある。そんな兄と目を合わせた瞬間、今までの兄との思い出が、頭の中を一気に駆け巡った。
初めて兄に出会った、爺の家から花御殿に引っ越した日のこと。私に前世の記憶があることを兄が知った直後、御料牧場で一緒に馬に乗った日のこと。オーストリアのフランツ陛下が私の手に口付けて私が気を失った後、兄が私を励ましてくれた日のこと。爺が亡くなる直前、“できることが何もない”と嘆く私を諭してくれた日のこと。フリードリヒ殿下が亡くなって、悲しみの中にいた私の気持ちを受け止めてくれた日のこと。勝先生が危篤に陥り、2人で勝先生の家までお見舞いに行った日のこと。謙仁を身籠っていた私が帝国議会議事堂で破水して、兄が私を抱えて帝大病院に連れて行ってくれた日のこと。そして、お父様が亡くなり、兄の政務を初めて手伝った日のこと……。
――お前がいれば、俺は大丈夫だ。
私を見つめる兄の瞳の奥には、昔と変わらない、真っ直ぐで頼もしい光が揺れている。私は万感の思いをこめて兄の瞳を見つめ返すと、勅語書を差し出した。
「朕祖宗の遺烈を承け、惟神の宝祚を践み、爰に即位の礼を行い、普く爾臣民に誥ぐ……」
私が両肩にかかる重みを感じながら高御座の北東の隅に戻ると、兄がよく通る声で勅語を読み上げ始めた。
(私、頑張ろう……。兄上の世が、大正の時代が、平和で、穏やかで、幸せな時代になるように、私の持つ全ての力で、兄上をあらゆる苦難から守る。内大臣として、上医として……)
「朕夙夜兢業天職を全くせんことを期す……」
兄の声が朗々と紫宸殿に流れる中、密かに誓った私の目から、涙が1粒、ぽろりと落ちた。
※兄上が読んでいる勅語は実際に大正の即位礼で読まれた勅語をそのまま引用していますが、“惟神”の読みについては、「いしん」とルビを振った資料も、「かんながら」とルビを振っている資料も両方存在しました。拙作では「いしん」を採用しています。ご了承ください。




