即位礼前日
1918(大正3)年11月11日月曜日午前10時、京都御所・御学問所。
現在の京都御所の建物は、江戸時代末期・安政年間に建設されたものだ。東京の皇居とは違い、洋風の生活ができるような構造ではなく、西洋式の家具も置かれていないので、基本、畳の上に直に座って過ごすことになる。それは今回、兄の京都滞在中の執務室として使われることになった御学問所でも同じで、
「……畳の上に正座するのは久しぶりですね」
兄に帰国の報告をしに参内した国際連盟設立準備事務局局長で元内閣総理大臣の陸奥宗光さんは、兄に一礼して頭を上げると、そう言って微笑んだ。
「実はわたしも、和室でこのようにして客に会うのは久しぶりだ」
紺色のフロックコート姿の陸奥さんに、床が一段高い上段の間に正座した兄は苦笑した。
「東京で人に会う時は、大抵は椅子に座って、だからな。普段と違って、どうも落ち着かない」
「僕が若輩者だった頃には、このように対面するのが当たり前でしたが……時代は変わるものですね。うかうかしていると置いていかれてしまう」
「陸奥男爵が時代に置いていかれることはないだろう。むしろ、時代を作る側にいると思うぞ」
「お言葉ではございますが、陛下も時代を作られる側にいらっしゃいますよ」
「……だといいが」
陸奥さんと、黒いフロックコートを着た兄との間では、穏やかな言葉のやり取りが続いている。けれど、一段低い中段の間の隅の方に正座して、2人の会話を聞いている私は、なんとなく、居心地が悪かった。陸奥さんのこの穏やかな雰囲気は、相手を油断させるための罠のような気がしてならないのだ。陸奥さんのことだ、次の瞬間、鋭い質問を繰り出してきてもおかしくはない。
「僕が不在の間、国内の政も順調で、何よりでございました。おかげをもちまして、国際連盟設立に全力を尽くすことができました」
こう言うと、陸奥さんは兄に向かって恭しく頭を下げ、
「しかし、ジュネーブでは、どうにも物足りない日々が続きましてね。陛下とも、皇太子殿下とも、そして内府殿下とも、議論を交わしたくて交わしたくてたまりませんでした」
……非常に不穏な言葉を笑顔で吐いた。
「余りやり過ぎないで欲しいものだ。陸奥男爵にやり込められている裕仁を見ていると、陸奥男爵が裕仁の天質を壊してしまうのではないかと、気が気でないのだ」
「おや、そこはきちんと見極めをしているつもりでございますよ。それに、陛下も、内府殿下も、僕たちは皇太子殿下と同じようにお育て申し上げました。もちろん、これからも鍛えさせていただきますが」
「やれやれ……楽をさせてはくれないようだ。ほどほどにしてくれよ」
嬉しそうな陸奥さんに、兄は再び苦笑いして応じた。
(ジュネーブで消耗して帰って来るかと思ったら……陸奥さん、全然変わってないわね)
私がこっそりため息をついた瞬間、
「特に内府殿下は、厳しく鍛えて差し上げましょう。陛下を常時輔弼なさる、大事なお役目を担われておられるのですから」
陸奥さんが悪魔のような笑顔を私に向ける。瞳の奥にちらつく鬼火は、ジュネーブに発つ前よりも妖しい輝きを増していて、私はうなだれるしかなかった。
「……ところで、軍縮は順調に進みそうか?」
兄は咳払いをすると、陸奥さんに問いかけた。
「ええ、ドラモンド君が頑張ってくれていますからね。予定通り、年明けから予備交渉に入れるでしょう」
私から視線を外し、自分に向き直った陸奥さんに、
「恐ろしい話だ。国際連盟を支配下に置いてしまうとはな」
兄は軽いため息をつきながら言う。
「それが陛下と内府殿下の理想を実現させる最上の手段でしたからね」
陸奥さんはしれっとした顔で答えると、
「イギリス・フランス・ドイツ……この3国が国際連盟の呼びかけに素直に応じてくれれば、軍縮も進んでいきます。目下、この3国で腹の探り合いをしているようですが」
そう言ってニヤニヤと笑う。
「腹の探り合いに夢中になって、その3国、特にイギリスとドイツの眼が、我が国から離れてくれればありがたいが……」
「そう上手くは行かないと思うな、兄上。特に、ドイツが黙っちゃいないと思う。新しい航空母艦に、きっと何か文句を言ってくるわ」
顔をしかめて呟くように言った兄に、私は厳しめの予測を披露する。実は日本では、先月の末に、“鳳翔”に続く2隻目の航空母艦が起工した。設計図上では、排水量は約27000トン、飛行甲板の長さは230mほどになる予定である。航空母艦は、現在日本の他には保有している国は無く、イギリスとドイツで計画のみ立てられたところだ。イギリス・ドイツともに、航空母艦の価値を分かってはいないようだけれど、日本の2隻目の航空母艦建造を妨害してくる可能性はある。
「恐らく、戦艦の次に俎上に載せられるのは陸戦兵力になりましょう。航空母艦に関しては問題ないと思いますが……念には念を入れておきましょう」
私の言葉を聞いた陸奥さんは笑って応じると、
「流石は内府殿下です。僕が日本を離れていた間に、また力量をお上げになった。内大臣としても精力的に活動なさっておいでですし……去年の特別大演習の活動写真を、ジュネーブにいた時に拝見しましたが、陛下をよく助けていらっしゃるお姿が印象的でした」
と上機嫌で私に話しかけた。
「……まぁ、務めは果たしていたつもりです」
陸奥さんが私を手放しで褒めることは無い。警戒しながら答えると、
「随分と警戒なさっておられる。別に、取って食うつもりはございませんのに」
陸奥さんは顔に微笑を閃かせる。
「獣が獲物に飛び掛かる前に、“では、今から襲います”と獲物に声を掛けますか?」
「敢えてそう声を掛けて、襲う相手が怯える様子を楽しむという手もありますねぇ」
睨む私を陸奥さんは軽くあしらうと、
「ご心配なさらずとも、即位礼を明日に控えたこの大事な日に、内府殿下のご機嫌を損ねたくありませんから、僕は西園寺さんと原君をからかってくることにしますよ。……では陛下、内府殿下、僕はこれで失礼致します」
陸奥さんは兄に向かって最敬礼し、止める間もなく御学問所から出て行ってしまった。
「……全くもう!陸奥さんは、どこまで私をおちょくれば気が済むのよ!」
廊下に出て、陸奥さんの姿が廊下の曲がり角の向こうに消えたのを確認すると、私はこう吐き捨てた。
「ジュネーブに行って、少しは丸くなって帰って来るかと思ったが、ますます手強くなってしまったな」
正座から胡坐に足を組み替えた兄が、苦笑しながら私に言う。
「日本にとって良いことなのだとは思うが、周りが大変だな」
「そうね」
私は相槌を打つと、
「じゃあ兄上、政務の続きをしましょ。さっさと仕事を終わらせて、自由時間をたっぷり取らないと」
そう言いながら、一時別の部屋に片付けておいた文机を取りに行こうと立ち上がった。
「それは構わないが……今日はやけに行動が素早いな。何かあったのか?」
「やだなぁ。忘れちゃったの、兄上?」
兄の質問に、私は振り返りながらこう返した。「私、午後から、京都帝国大学に行くのよ。世界保健機関の設立準備室を視察しに」
「ああ、思い出した。そう言っていたな」
兄は納得のいったように大きく頷いた。「それならば、梨花が急くのも無理はない。俺も漢詩を作りたいから、さっさと仕事を片付けるか」
「了解!」
私は微笑んで答えると、兄の気が変わらないうちに仕事を終わらせるべく、迅速に動き始めたのだった。
1918(大正3)年11月11日月曜日午後2時、京都府京都市上京区吉田町にある京都帝国大学医科大学。
「お久しぶりでございます、内府殿下」
“史実”より少し早く、1893(明治26)年9月に設立された京都帝国大学は、今年で創立25周年を迎え、ますます発展してきている。特に、医科大学に関しては、1912(明治45)年、現在の総長である荒木寅三郎先生が、インスリンの発見とその糖尿病への臨床応用により、ノーベル生理学・医学賞を獲得してから、東京の医科大学と同じぐらい研究が盛んとなり、全国各地から優秀な学生が集うようになっていた。そんな発展著しい医科大学の校舎の一角に、世界保健機関の設立準備室が設置されたのは、今年の8月のことだった。
「北里先生、お久しぶりです」
自動車から降りた私は準備室長……WHOの初代事務局長に就任する予定である北里柴三郎先生に一礼すると、周囲を見回した。北里先生の隣に立っているのは、京都帝国大学総長の荒木先生だ。彼だけならまだいいのだけれど、玄関には他にも、WHOの職員と思われる欧米人の男性たちや、医科大学の教授たちがたくさん詰めかけていた。
(微行で視察するから、出迎えは北里先生と荒木先生だけにして欲しいって、伝えたはずなのだけれど……)
どうやら、私が視察するという情報が漏れていたようだ。北里先生も荒木先生も、中央情報院の職員たちのように、情報の取扱いについての教育を受けている訳ではないから仕方ないけれど、他の機密情報が洩れていたら大変なことになる。後で大山さんから、注意を促しておこう。そう考えながら、私は北里先生の案内に従って、校舎の中に入った。
「世界保健機関の本部が入る建物は、年明けに完成する予定です。大学と同じ吉田町にありますから、引っ越しは簡単に済みそうです」
北里先生はそう説明しながら、校舎の中に設けられた広い事務室に入っていく。部屋の中では、私の来訪に気づいていない大勢の職員たちが、資料を片手に討論を繰り広げていた。部屋の中で飛び交っているのは英語とフランス語とドイツ語で、日本語は殆ど聞こえない。職員の半分以上が欧米人だから、この部屋にいると、WHOが日本にあることを忘れてしまいそうだった。
「国際色がとても豊かですね……」
私が月並みな感想を口にすると、
「ええ。私も、ドイツ語は何とかなりますが、英語とフランス語は分かりませんでした。しかし、国際連盟の監督下にある機関の公用語は英語とフランス語とドイツ語ですから、遅まきながら英語の勉強を始めました。学生時代以来でしょうか」
北里先生は照れくさそうに私に言った。
(すごいなぁ。北里先生、新しい勉強を始めたのか……)
私が北里先生を尊敬の眼差しで見つめた時、
「世界保健機関の影響で、最近、我が京都帝国大学では、外国語熱が高まっておりまして」
総長の荒木先生がにこやかに私に話しかけた。
「このように大勢の外国人を校地に受け入れたのは、我が京都帝国大学始まって以来のことです。世界保健機関の職員は、全員、何かしらの研究や実務の経験がある方。ですから、彼らの知識や経験を少しでも吸収しようとして、学生諸君も教職員たちも、積極的に彼らに話しかけに行くのです。そのためか、ここ最近、学生の外国語の試験の成績が上がっております」
「それだけではありません。学生たちの中には、世界保健機関の職員から外国語を本格的に教えてもらう約束を取り付けたり、京都の街の観光案内を引き受ける対価として、職員の持つ専門知識を教えてもらう契約を結んだりした者もいます。世界保健機関の存在が、京都帝国大学に新たな活気をもたらしています」
「京都の街も、世界保健機関の職員に喜ばれているようですな。職員の中には日本に永住したいと言い出している者もいるとか……」
「いやいや、内府殿下が、“世界保健機関の本部は京都に置くべし”と言い出された時には訝しく思いましたが、今となっては、殿下のご慧眼に感服するばかりです」
荒木先生と北里先生は、機関銃のように私に言葉を投げかける。1つの言葉に応じようと口を開く直前に、また別の言葉が飛んでくるという調子で、私は相槌を打つこともできず、荒木先生と北里先生から発せられた大量の言葉を、ただ受け止めることしかできなかった。
「関西の医学界も盛り上がっております。高峰博士がノーベル賞を獲得しましたから、研究会が活発に行われ……」
荒木先生が更に私に話しかけた時、
『このインフルエンザ発生数は、昨年の同時期と比べて異常と言っていいのではないか?』
という英語が私の耳に飛び込んできた。見ると、私から10mほど離れたところで、2人の白人男性が話し合っている。手前側の男性の手には、折れ線グラフが描かれた紙があった。
『いや、これだけでは、本当に異常かどうか分からない』
紙を持った男性が、やはり英語で相手に返答する。『これだけでは、事象を語るには余りにも情報が無さすぎる……』
「……北里先生、あそこにいる2人の話を詳しく聞きたいのですけれど、こちらに呼んでもらっていいですか?」
私に更に話しかけようとした北里先生の服の袖を、私は軽く引っ張りながらお願いした。北里先生は一瞬残念そうな表情になったけれど、すぐに真面目な顔に戻り、2人の所に行って何かを話す。英語で討論をしていた2人は私のそばまでやって来ると、イギリスからWHOに派遣された医師だと自己紹介して私に頭を下げた。
『はじめまして、章子と言います。お話の邪魔をしてしまってごめんなさい。あなたたちの話していたインフルエンザのことについて興味があって、つい……』
私が英語で彼らに謝罪すると、
『いえ、内府殿下に、我々の話に興味を持っていただけるとは、大変光栄でございます』
研究者たちはかえって私に丁寧に応じてくれた。
『あの、“インフルエンザの発生数が異常”と聞こえたのですけれど、詳しく教えていただいてもよろしいですか?』
『はい。では、このグラフをご覧ください』
私の質問に、職員が手にしていた紙を差し出した。2本描かれている折れ線グラフのタイトルは、“アメリカにおける週ごとのインフルエンザ罹患者数”だった。
『この黒い線が昨年の、そしてこの赤い線が今年のアメリカでのインフルエンザ罹患者数です。今年のものは先週末までの数字しか反映されていませんが、先週のインフルエンザ罹患者数が、去年の同時期と比べて増えています。ですから、インフルエンザが感染力の強いものに変化してしまったのではないか、と考えたのですが……』
『私はそう結論づけるのは時期尚早だと思うよ』
もう1人の研究者が横からなだめるように言った。『本来は、たくさんの過去の数値と比較するべきなんだ。単に、季節性のインフルエンザの流行が早めに発生しただけかもしれない』
『では、その過去の数値を持ってくるべきだ。ここに資料は無いのか?』
(確かにその通りなのだけれど、その“過去のデータ”が無いからなぁ……)
研究者の言葉に頷きながらも、私はもどかしい思いを抱いていた。世界各国が、死亡者数や死因、伝染病の流行状況などを国際連盟に提出し始めたのは、国際連盟が成立し、WHOの設立も決まった昨年からだ。つまり、一昨年以前のデータはWHOには無いことになる。だから……。
『ここは、アメリカに1916年以前のデータがあるかを問い合わせるべきですね』
私はグラフを覗き込みながら言った。『それから、アメリカも広いですから、ここ1,2週間の間で、どこかの州で爆発的に感染が増えているのかを確認する方がよいと思います』
すると、北里先生が「恐れながら、内府殿下」と私の耳に囁いた。
「“スペインかぜ”……新型インフルエンザの発生をご懸念なさっておいでで?」
「はい。でも、このデータだけでは何も言えません。私の時代なら、ウイルスの遺伝子配列を調べて過去に流行したウイルスと比較することもできますけれど、まだ、インフルエンザウイルスすら発見されていませんから……」
「となると、現在、危険性の高いインフルエンザウイルスの流行を捕捉するならば、感染速度が今までのインフルエンザより速いか、そして、死亡率が今までのインフルエンザより高いかを、過去の統計と比較しながら素早く見つけるしかありませんな」
「ええ。私もこれ以上のことは思いつきません」
私が小声で答えて目を伏せると、
『確かにこれは、インフルエンザの急速な発生を示唆するとも取れるし、そうでないとも取れる。翌週の数字も見てみないといけない』
北里先生が英語で研究者たちに話しかけた。
『だから、内府殿下がおっしゃったように、なぜ罹患者数が増えたのかをアメリカに問い合わせる必要がある。もちろん、アメリカが持っている過去の罹患者数の統計や、死亡者数や死亡率についても問い合わせなければならない』
『……分かりました。早速、問い合わせてみましょう』
研究者2人は頷くと、私たちに一礼して立ち去っていく。彼らの姿が廊下へと続く扉の向こうへ消える直前、『北里博士も考え過ぎなんじゃないかな』という英語の呟きが聞こえた。北里先生はうまく聞き取れなかったのか、彼らに雷を落とすことは無かった。
(考え過ぎで済んでくれれば、それが一番いいのだけれどね)
私は立ち去った研究者たちに向かって、心の中で言い返した。




