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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第63章 1917(大正2)年小雪~1918(大正3)年夏至
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“七大国”

 1918(大正3)年6月25日火曜日正午、皇居・奥御殿。

「いいのかなぁ……奥御殿でお昼ご飯をいただくなんて……」

 金ボタンが3つ付いた宮内官女子小礼服の黒紺のジャケットを羽織った私は、座った椅子の上で、眼を左右に動かした。ここは、兄一家が食堂として使っている部屋である。お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)が奥御殿で暮らしていた頃も、この部屋は食堂として使われていたので、私も何度か入ったことがあるけれど、兄一家が皇居に引っ越してからここに入るのは初めてだ。

 すると、

「いいんですよ、梨花お姉さま」

私の向かいの椅子に腰かけている節子(さだこ)さまが微笑んだ。私を“梨花お姉さま”と呼んだところを見ると、どうやら人払いはされているようだ。

「そうだぞ。今日は節子の誕生日なのだから、身内の者と共に祝うのは当然だろう」

 黒いフロックコートを着た兄も、私を見つめて微笑んでいる。今日は地久節(ちきゅうせつ)……皇后陛下、つまり節子さまの誕生日で、兄と節子さまは、私を内々のお祝いの昼食会に招待してくれたのだった。

「それでは遠慮なく、ご相伴にあずからせていただきます」

 正確に言えば、私は他家に嫁いだ人間なので、兄と節子さまの身内ではないのかもしれないけれど、そう言うと兄が不機嫌になるのでやめておいた。その代わり、

「そうだ、淳宮(あつのみや)さまにもお誕生日のお祝いを言わないと……って、まだ学習院(がっこう)から帰ってきてないよね。元気にしているかな?」

私は節子さまと同じく今日が誕生日である兄と節子さまの次男・淳宮雍仁(やすひと)さまのことについて尋ねた。

「元気……と言いたいが、西郷顧問官にしごかれて、息も絶え絶えになっている」

 兄は私に答えると、顔に苦笑いを閃かせた。「9月には中等科の5年に上がる。再来年には海兵士官学校の受験だ。だから、西郷顧問官のしごきがますます激しくなっている。見ていてハラハラするのだが、西郷顧問官に話してみたら、“陛下のお子であればこそ、手加減なしで鍛えております”と平然と答えられてしまった」

「そう言われると、返す言葉が無くなっちゃうね。私と兄上も、そうやって育てられたし……」

 花御殿で兄と過ごしていた日々を思い出しながら私は言った。輔導主任の伊藤さん、東宮武官長の大山さん、そして梨花会の面々は、私と兄を事あるごとに徹底的に鍛えた。それと同じ教育を、西郷さんは淳宮さまに施しているのだろう。

「雍仁だけではなく、尚仁(なおひと)興仁(おきひと)も、西郷顧問官が鍛え上げている。乃木中将が輔導主任をしている裕仁(ひろひと)珠子(たまこ)も同様だ。頼もしく育ってくれるだろう……とは思うのだが、そばで見ていると、潰れてしまうのではないかと心配になることもあるな」

「ですが、みんな元気に育ってくれています」

 微かに眉をひそめる兄の隣で、節子さまは明るく言った。

「それに、珠子も落ち着いて、だいぶ大人びてきました。小さい頃は雍仁や尚仁と一緒に戦ごっこをするようなお転婆で、どうなることかと思いましたけれど、最近は勉学にも精を出していますし、庭で花も育て始めて……」

 ほっと息をついた節子さまは、

「やはり、子供たちと一緒に皇居に住むことにしてよかったです」

と言って、笑顔を見せた。

 ……天皇や皇太子の子供は、生まれてすぐに親と引き離されて里子に出されるしきたりがあった。それに従って、私も兄も、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)から引き離されて育てられた。兄と節子さまの子供たちは、私と兄が強く主張した結果、花御殿――今の赤坂離宮――と渡り廊下でつながった皇孫御殿で暮らすことになった。完全な同居ではないけれど、兄一家はしきたりを崩し、親子でほぼ一つの屋根の下で生活していたのだ。

 兄が即位し、節子さまと一緒に皇居の奥御殿に住まなければならないと決まった時、兄夫妻は奥御殿で一家揃って生活することを望んだ。ところが、それは宮中の慣例に反すると、旧公家の華族たちの一部から反対の声が上がった。また、皇居の奥御殿には、天皇用の居住区・皇后用の居住区は整備されていたけれど、子供たちのためのスペースや、子供たちに仕える職員たちが使うスペースが余り無いという制約があることも分かり、兄と節子さまは相当頭を悩ませることになった。お父様(おもうさま)の遺体を桃山の御陵に埋葬した帰りの列車の中で、私も2人と話し合ったけれど、列車が新橋に到着するまで、明確な結論を出すことができなかった。

 1916(大正元)年の年末、兄と節子さまは、まだ皇居に残っていたお母様(おたたさま)に、家族の今後のことを相談した。すると、

――お(かみ)と節子さんのやりたいようになさったらよろしいのですよ。

お母様(おたたさま)は2人に優しい口調で答えた。

――あなた方は、この国の伝統になじんで暮らしていらっしゃいました。ですが、新しいこともたくさんご存じです。外国にも行かれましたから、この国の伝統の、時代にそぐわない点もよく見えていらっしゃるでしょう。変えるべきもの、そのままにしておくもの……お2人で、1つ1つ吟味なさればよろしいのです。他人の価値観に、縛られることはありませんよ。

 お母様(おたたさま)の助言を聞いて、兄と節子さまは腹を括った。そして、宮中の慣例を破り、皇居で一家揃って暮らすための行動を始めた。2人は奥御殿の図面を取り寄せると、部屋の配置や用途を徹底的に見直した。そして、今まで天皇用として使っていた居住区を、兄と節子さま2人で使うように改装したのだ。この結果、奥御殿には5人の子供が暮らすのに十分なスペースができた。

 また、職員の使うスペースの確保は、女官制度の見直しを伴う大々的な手段で行われた。お父様(おもうさま)が生きていた頃、お父様(おもうさま)の身の回りの世話は、全て独身の、住み込みの女官たちが行っていた。そういう女官の中には、側室の役割を担う人もいる。兄の実母・早蕨(さわらび)典侍(てんじ)も、私の実母・花松(はなまつ)権典侍(ごんてんじ)も、お父様のそばに仕えた女官だった。けれど、兄の身の回りの世話は、結婚してから節子さまが全てしていた。それに、兄は結婚した時から側室を置くつもりは無く、その思いは今でも変わらない……いや、ますます強くなっていたのだ。そこで、兄は奥御殿に引っ越しても、側室の役割を担う女官は置かないことにした。更には、住み込みが基本だった雇用条件を見直し、当直の時以外は自宅か寮から通勤するように改めたのだ。この結果、今まで天皇付きの女官たちが使っていたエリアの一部を、子供たちに付く職員が使うエリアに転用することができたので、兄一家は昨年の8月末、赤坂離宮から改装が終わった皇居に無事に引っ越すことができたのだった。

「節子の言う通り、ここで子供たちと一緒に住むことができて良かったよ」

 兄一家の皇居引っ越しまでの一連の出来事を思い出していると、兄は穏やかな口調で私に言った。

「子供たちが成長していくのがよく分かるのだ。それを見ていると、心が癒される。いずれ、皆、俺と節子の所から巣立っていくが、それまでは一緒に暮らして、子供たちが成長する様子を見守っていたい」

「ああ、そうか。迪宮(みちのみや)さまは17歳になったのよね。そうすると、あと1、2年で独り立ちか」

「うん。裕仁が成人して独立したら、いつ海外に渡航させるか、いつから政務や軍事の勉強を本格的にさせるか……考えなければならないことがたくさんある。しかし、これは梨花会の面々にも相談しなければ決められない。裕仁はとても優秀だから、一刻も早く色々な経験を積ませたいと思うのだが……」

 兄が難しい顔をして両腕を組んだ時、廊下の方から「失礼いたします」と食堂の中に声が掛かった。

「お食事をお運びしてもよろしいでしょうか」

 障子を開けてお伺いを立てたのは、兄の侍従の1人である甘露寺(かんろじ)さんである。お父様(おもうさま)が生きていた頃は、奥御殿に出入りする男性は、侍従職出仕として勤務している学習院の生徒がほとんどだったけれど、今は侍従さんや宮内省の役人たちも奥御殿に出入りして仕事をしていた。

「ああ、頼んだ。午後も政務があるしな」

 兄が頷くと、侍従さんや女官さんたちが次々と食堂に入り、食卓を整えていく。コンソメのスープから立ち上る匂いが、私の食欲をくすぐった。

「兄上の所のコンソメスープは、私、大好きなのよ。もちろん、うちの料理人さんのコンソメスープもあっさりしていてとても美味しいのだけれど、兄上の所のは、深みのある味がするのよね」

 兄と節子さまに続いてスープを一口いただいた私が、味を堪能してからこう言うと、

「それは嬉しいです。じゃあ、お姉さま、スープを盛岡町に持って帰りますか?」

と節子さまが微笑んで尋ねる。

「流石にそれはなぁ……うちの料理人さんたちがショックを受けるから遠慮しておくよ。うちのあっさりしたコンソメスープも、私、大好きだから」

 軍医として勤務していた頃は、お正月に料理をすることもあったけれど、内大臣になってからは、食事は料理人さんたちに任せっきりだ。もし私が宮中からスープを持って帰ってきたら、我が家の料理人さんたちの味を否定することにもなりかねない。きちんと務めを果たしてくれている我が家の職員さんたちは、大事にしなければならないのだ。

「そうか。……そう言えば、お前の家にも久しく行っていないな。即位礼が終わったら、一度行きたいものだが……」

「来るなら、ちゃんと事前に教えてね」

 微笑んだ兄に、私は素早く釘を刺した。「そうね……せめて半月くらい前に。そうじゃないと、うちの職員さんたち、みんなびっくりするから」

微行(しのび)でもか?」

「当たり前でしょ、警備の都合もあるのよ!」

 睨みつけながら答えると、「つまらないなぁ。こういう時に、天皇の位というものは厄介だ」と兄は呟いた。

「お姉さま、私も嘉仁(よしひと)さまについて行ってもいいですか?」

「もちろん。仰々しい出迎えは嫌いだろうからしないけれど、昔みたいに、お茶をしながらおしゃべりしましょう」

 目を輝かせながら尋ねた本日の主役に、私はしっかりと請け負ったのだった。


 節子さまのお祝いの食事会と言っても、内輪の、しかも3人だけの昼食会だから、表御殿で開かれる食事会と比べると、料理の品数は少ない。それでも、調理を担当する大膳(だいぜん)寮の職員さんたちは、一品一品を丁寧に、そしておいしく仕上げていた。

「ところで嘉仁さま、梨花お姉さま」

 節子さまがこう呼びかけたのは、デザートの抹茶アイスクリームと食後の飲み物が出され、侍従さんや女官さんたちが食堂から立ち去った直後だった。

「国際連盟は、今日成立したのですよね?」

「ああ」

 兄は節子さまに短く答えた。

「……正確に言うと、“国際連盟条約”を参加各国が批准して、発効したのが今日、ということね」

 嫌なことを思い出してしまった。脳裏に浮かんだとある人物の顔を振り払うように、私が頭を左右に振ると、

「どうした、梨花?」

兄が訝しげに私に尋ねた。

「……思い出しちゃったのよ、巳代治(みよじ)さんのこと」

 私が大きなため息をつくと、

「ああ……だいぶやられていたからな」

兄はそう言って苦笑いを見せた。

 この時の流れの大日本帝国憲法では、国家間の条約の批准の権限は、枢密院が持つことになっている。昨年末、ジュネーブで各国全権が署名した国際連盟条約の正文は、日本に届けられた後、枢密院に渡され、枢密院に設けられた委員会で批准するか否か、精査と審議が行われた。その委員会の委員長が、かつて伊藤さんや金子さんと一緒に大日本帝国憲法を作成し、清でも憲法作成を指導した伊東巳代治さんだったのである。

 枢密院の委員会で国際連盟条約の審議が始まったのは、今年の4月1日からだった。その数日後、巳代治さんは表御座所にある内大臣室に、何の前触れもなく突然現れた。昼食用のお弁当を食べながらくつろいでいた私の前にやってきた巳代治さんは、手に国際連盟条約が記された文書を持っていた。それを私の前にあるテーブルに置き、

――内府殿下、ちとお伺い致しますが、この国際連盟条約の8条と12条、我が帝国憲法との関係はどのように解釈なさいますか?

巳代治さんは、急には答えられない難しい質問を私に投げたのだ。余りにも突然のことに呆然としている私を見て、

――ふむ、これはいかん。内府殿下は、貴族院議長としてよく帝国憲法に従って職務を果たされてこられたが、憲法解釈を検討し直さなければならない新たな問題への御対処は経験がないご様子。これではいかん。山田どのも亡くなられてしまった故、ここはこの私が、本質的な問題がどこに存在するか、内府殿下にとくとご教示申し上げなければ……。

巳代治さんはこう述べると、帝国憲法の講釈を始めた。それは、午後の政務の開始時間になっても御学問所に私が現れないことを不審に思った兄が、内大臣室のドアを開けるまで続けられ、ようやく巳代治さんから解放された私の頭は、情報過多によりクラッシュしてしまったのだった。

「大山さんに助けを求めたら、次の日から伊藤さんが昼休み中に内大臣室に来て憲法の講義を始めるし……。内大臣室で伊藤さんと巳代治さんが鉢合わせて、国際連盟条約と帝国憲法の関係について激論したこともあった。だけど……そもそも、私、枢密院会議には出られないのよ?それなのに、なんで巳代治さんは、枢密院に関係する問題を私に聞いてくるのよ……」

 4月の辛かった日々を思い出し、がっくり垂れた私の頭の上に、兄と節子さまの笑い声が響いた。

「相変わらず、お前は愛されているなぁ。それに、生徒として教え甲斐もある。だから皆、梨花のところに集まるのだろうよ」

「勘弁してほしいなぁ……」

 兄の言葉に、私が大きなため息をつきながら応じると、

「嘉仁さまのおっしゃる通りです。梨花お姉さまには、人を惹きつける魅力がおありです。だからこそ、国際連盟も成立して、我が国も“七大国”の1つとして数えられるようになったのだと思います」

節子さまは私を見つめながら力説する。

(“七大国”、ねぇ……)

 国際連盟には、その意志の執行機関として、理事会が存在する。理事会は7つの常任理事国と8つの非常任理事国で構成されていて、常任理事国には日本・清・アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・ドイツが選ばれた。その常任理事国7か国を指して“七大国”と呼ぶ動きが、日本でも海外でも起こっている。

「……確かに、維新の頃と比べたら、日本は格段に発展したと思う。だけど、大事なのはこれからだよ。日本はイギリス・フランス・ドイツみたいに強大な軍事力を持っている訳じゃない。だからこそ、戦争に巻き込まれないように、そして、戦争を起こさないようにしないといけない」

 私の言葉に、「その通りだな」と兄が深く頷いた。

「国際連盟の初めての総会は9月に行われるという。だが、まずそれがうまく行かないと、軍縮の話が始まらない。陸奥男爵には頑張ってもらいたいが……」

 兄はそこで言葉を切って首を傾げる。そして、

「なぁ、梨花。陸奥男爵は国際連盟の事務総長になると思うか?」

と、声を潜めて私に尋ねた。

「……正直言って分からない」

 私は両肩をすくめた。「事務総長は総会の選挙で選ばれるけれど、各国が“反陸奥”で結託したら、陸奥さんは当選しないと思う。でも……陸奥さんなら、自分に対する包囲網も簡単に切り崩して、自分の味方に取り込んじゃうだろうし……」

「つまり、陸奥男爵の意思次第、ということか。恐ろしい話だな」

「ジュネーブにいる各国代表の無事を祈るしかないわね……」

 私は再びため息をつくと、

「……でも、このくらいでビビってたらいけないのよね。軍縮交渉は、もっと苛烈なものになるのだろうから」

と吐き出した。

「ああ。各国とも、いかに他国の軍事力を削ぐか、そしていかに自国の軍事力を守るかに腐心するだろうからな。だが、その交渉を乗り切らなければ、戦争が起こる危険はまた高まってしまう。オスマン帝国も再び戦火に巻き込まれるかもしれない。……日本のためにも、世界のためにも、俺たちでできることはやらなければな」

 穏やかな兄の声には、次第に暗い響きが混じっていく。兄の瞳の中に、絶望と希望とが、闇と光とが入り乱れているような、そんな印象を私は受けた。兄の異変を感じ取ったのか、節子さまが「嘉仁さま……」と呼びながら、兄の左手に自分の右手を添える。

「……すまないな。ありがとう、節子」

 兄は左手に添えられた節子さまの手を握ると、穏やかな微笑を節子さまに、次いで私に向けた。

「俺はお父様(おもうさま)のように強くないから、未来が思い描いたように上手くいくのかと、どうしようもなく、恐ろしくなることがある。この決断を下していいものかと躊躇することもある。しかし、節子と梨花が、そして俺の信頼する者たちがいるから、俺は希望をしっかり見つめて、前に進むことができる」

「兄上……」

「一つ一つ、前に進めていかなければ。即位礼のこともそう、軍縮のこともそう、それから、関東大震災のことも……少しでも、今と未来が幸福であるように、できることを……」

 兄の瞳には、いつもの真っすぐで頼もしい光が戻っていた。幼い頃から、ずっと私を励ましてきてくれた光が。

「兄上……私、これからも頑張るからね。兄上のために、上医として……」

 その光を見つめ返しながら言うと、兄は朗らかな笑顔で「頼んだぞ」と頷いてくれたのだった。

※実際の国際連盟規約について、まず帝国憲法との関係が問題になったのは7条と11条のようなのですが、流石にこの世界線の国際連盟条約が実際のものと完全に同一になることはないだろうと考え、番号は敢えてずらしました。(参考文献:「対独平和条約及同議定書並波蘭ニ関スル条約御批准ノ件(九月十五日(一回)~十月二十四日(十六回))」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06050016700、枢密院委員録・大正八年(国立公文書館))

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― 新着の感想 ―
[良い点] 国際連盟の設立。 [気になる点] 七大国にイタリア、オーストリア・ハンガリー帝国が入ってない点を考えると、非常任理事国の枠かな。国力が日本より伴ってない点を考慮しても、仕方ないでしょう。 …
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