内府殿下のかくれんぼ
※誤字修正しました。(2023年3月10日)
「内府殿下!」
「どこにいらっしゃいますか、内府殿下!」
1918(大正3)年4月2日火曜日午後3時2分、皇居・表御殿。正殿西側にある葡萄の間のテーブルの下で、私は息を潜めていた。遠くの方で、私の秘書官の松方金次郎くんと東條英機さんが、私を探して呼び回っている声がするけれど、それに応じて姿を見せるほど、私はバカではない。
(冗談じゃないわ、私が栽さんのあいさつに立ち会うなんて!絶対、出て行ってやるもんか!)
テーブルクロスで四方を覆われた空間の中、身を小さくしている私は決意を新たにした。
私の夫・有栖川宮栽仁王殿下は、昨日付けで海兵大尉に進級した。そのお礼とあいさつを兄にするため、夫は同じく昨日付けで海兵大尉に進級した東小松宮輝久王殿下と一緒に、兄の執務室・御学問所に今日の午後3時にやって来ることになっていた。他の皇族と兄が会うのには、私も内大臣として立ち会うことが多いのだけれど、他でもない夫が兄と会うのに立ち会うのは、公私の別をきちんとつけなければいけない勤務中にはやってはいけないことだろう。という訳で、今から10分ほど前、私は表御座所から抜け出した。すぐに気づかれてしまい、東條さんたちに追われたけれど、兄仕込みの逃げ足で追っ手を振り切って、表御殿のこの部屋に身を潜めたのである。
私を呼ぶ声が遠ざかっていくのを確認すると、私はテーブルの下で息をついた。流石に、正殿や、昼食会や晩餐会が開かれる豊明殿は、いつも綺麗に片付けられているけれど、表御殿のそのほかの部屋は、使われない時は家具が雑然と置かれていることも多い。その家具の中にとっさに身を隠したのは正解だったようだ。
(あとはこのまま、栽さんと輝久殿下が皇居を出るまで隠れていれば……)
頭の中で今後の手順を確認したその時、私の身体が急に後ろに引っ張られた。背後から何者かが私の上半身に腕を回したのだ。抵抗する暇も与えられないまま、私はテーブルクロスの外に引きずり出されてしまった。
「見つけましたよ、梨花さま」
床に片膝をついた大山さんは、私の上体を後ろから力強い腕で抱き締めた。
「いけませんよ、勤務中にかくれんぼをして遊ぶなど……職務怠慢の廉で罰しなければなりません」
「べ、別に、職務怠慢という訳ではないわ」
大山さんの腕から逃れ出ようと必死にもがきながら、私は彼に反論した。
「職務に忠実だから、表御座所から離れたのよ。勤務中に参内した夫と顔を合わせるなんて、公私混同とそしられてしまう。皇族が兄上に面会する時に、私が必ず兄上のそばにいないといけないという決まりはないから、こうして姿を隠したのよ」
すると、
「勅命が下りました」
私を抱き締めたまま、大山さんは鋭く告げた。
「若宮殿下と東小松宮殿下が御学問所に参られる時には、梨花さまも内大臣として立ち会うこと……天皇陛下は先ほど、そうお命じになられました」
「嘘でしょう?!」
「嘘ではありません。さぁ。お立ちください、梨花さま。お立ちいただけないのであれば、御学問所まで俺が“お姫様抱っこ”でお運びしますが」
「~~~っ!」
私は渋々立ち上がった。兄と夫の所まで“お姫様抱っこ”で運ばれてしまう……これ以上の辱めは考え付かない。立ち上がった私の右手を大山さんがしっかり握ったので、逃走の望みは儚くも潰えた。仕方なく、私は大山さんにエスコートされながら表御座所へと歩いて行った。
「なぜ逃げた、章子」
大山さんにエスコートされたままの私が御学問所に入った途端、兄は私に苦笑いを向けた。
「……公私の別は、きちんとつけなければなりませんから」
兄の前に立っている夫から目を逸らしながら、私が兄に答えると、
「そう固いことを言うな。俺にとって栽仁と輝久は弟分のようなもの。だから、この場にいるのは身内の者だけだ。そんな所で公私の別をつけてどうする?」
兄はそう反論してクスリと笑い、
「お前だって、栽仁の晴れ姿を一刻も早く見たいくせに」
と、悪戯っぽく付け加えた。
「あに……じゃない、陛下がそうおっしゃるのであれば、仕方ありません。立ち会わせていただきます」
私は顔をしかめると、兄のそばに立っていた宮内大臣の山縣さんの隣に立つ。そっと視線を動かすと、海兵大尉の紺色の正装を着た夫と目が合った。その凛々しい立ち姿に、思わず胸が高鳴ってしまう。見惚れてしまいそうになるところ、私は首を左右に振り、慌てて意識を兄の方に集中させた。
「さて、話を元に戻すが……輝久、多喜子との婚儀が7月になってしまってすまないな」
黒いフロックコートを纏った兄は、こう言うと輝久殿下に向かって軽く頭を下げる。
「お前が多喜子に惚れ抜いているのはもちろん分かっているから、多喜子にも、“輝久が横須賀に転勤するのを機に婚儀を挙げたらどうだ”と言い聞かせたのだが、“学業に差し障りが出るから、学校が夏休みに入った直後に婚儀を挙げたい”と主張し続けて……」
「い、いや、陛下!それは、貞宮さまの御学業を優先させなければ!」
栽仁殿下と同じように海兵大尉の紺色の正装に身を包んでいる東小松宮輝久王殿下が、兄に慌てて最敬礼する。海兵大尉進級と同時に、彼は横須賀港に所属する装甲巡洋艦“榛名”の分隊長となった。一方、輝久殿下の婚約者である私の末の妹・貞宮多喜子さまは、第一高等学校の2年生である。皇族女子で初めて高等学校に進学した彼女は、熱心に勉学に励んでいる。だから、婚儀の日程は、一番長く休みの取れる夏の長期休暇中に挙げてほしいと主張したのだろう。
「そうか。詫びにもならないかもしれないが、お前と多喜子の婚儀は、多喜子の父親代わりとして、心を込めて挙げさせてもらうからな」
兄の言葉は、お父様が亡くなる間際に“朕の亡き後は、嘉仁を父と思え”と言ったことを意識してのものだろう。恐縮しきりの輝久殿下は、「もったいないお言葉でございます」と兄に返答するのが精いっぱいだった。
「……栽仁、いつも章子を使ってすまないな」
兄は、栽仁殿下に穏やかな眼差しを向けた。
「いえ、そんな……」
頭を下げた栽仁殿下に、
「章子はよくやってくれているよ」
と兄は語り掛けた。
「先ほどのようにやんちゃをすることもあるし、どこに駆けていくか分からない時もあるが、国事について俺と忌憚なく意見を交わせるこの妹は、俺にとって得難い宝物だ。……だがな、栽仁。この宝物が光り輝いているのは、お前がいるからだ。お前が章子を守り、支えているからこそ、章子は持つ能力を十分に発揮できている。これも栽仁のおかげだ。感謝するぞ」
兄の言葉に、私も自然と頭が下がった。栽仁殿下が――私の愛する夫が、いつも私の心を支えてくれているのは間違いない。私は首に掛けたチェーンの先にある銀の結婚指輪に、制服のジャケットの上からそっと触れた。
「輝久の妻も、栽仁の妻も、教育勅語にある“社会と世界に通用する女子”だ」
兄は微笑みながら、夫と輝久殿下に語り続ける。
「今までこの日本に現れていなかった種類の女子だ。それゆえ、本人たちもそうだが、夫であるお前たちにも、並々ならぬ困難が待ち受けているだろう。よいか、輝久も栽仁も、妻と支え合って困難を乗り越えろよ」
栽仁殿下と輝久殿下は、兄に向かって深く頭を下げる。脇に控えていた私も、兄に最敬礼をした。
1918(大正3)年4月2日火曜日午後9時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「新しい軍艦はどう?」
本邸2階にある栽仁殿下の書斎。デスクの前に栽仁殿下と並んで座った私は、彼と一緒に紅茶をいただいていた。普段、平日のこの時間に栽仁殿下が盛岡町邸にいることは無いのだけれど、今日の兄への挨拶、そして明日の神武天皇祭への出席と、東京での用事が重なったので、今日は盛岡町邸にいてくれることになったのだ。
「新しい軍艦……ああ、すごく雰囲気がいいよ」
海兵大尉の正装から紺色の和服と羽織に着替えた栽仁殿下は、私ににっこり微笑むと、
「それに、芳之が設計に関わった軍艦だしね」
と付け加える。芳之、というのは、輝久殿下の異母弟・二荒芳之さんのことだ。彼は元々皇族だったけれど、成人したのを機に臣籍降下し、国軍の技術中尉として働いている。その彼が設計の一員として加わったのが、新鋭の淡路型一等巡洋艦で、栽仁殿下は海兵大尉進級と同時に、横須賀港に所属する淡路型一等巡洋艦2番艦・“八丈”の分隊長に就任した。
「でも、軍縮が始まったら、“八丈”も廃艦になってしまうかな?」
私に尋ねた夫に、
「主力艦がどう定義されるかによるけれど……軍縮会議で、そこまで話が進むかしら。いや、軍縮会議が開催できるのかしら。私、それが疑問なのよ」
私はそう答えると、胸の前で両腕を組んだ。陸奥さんの力により、国際連盟は6月下旬の成立を目指して準備が進められているけれど、連盟が成立した後に軍縮会議が開催できるかどうかはまだ分からない。連盟の中に軍縮委員会は作られるけれど、そこがきちんと機能して、列強各国が参加する軍縮会議が開催できるかは未知数なのだ。
すると、
「それは各国とも、梨花さんと陸奥閣下の顔を立てなければならないから、何らかの形で軍縮はされると思うよ」
悩み始めた私に、夫が優しく言った。
「私の顔を立てて、ね……」
陸奥さんが怖いから、という表現が多分正しいなぁ、と思ったけれど、反論するのも面倒なので、
「何らかの形……と言うと、例えば、“史実”のワシントン軍縮会議みたいな感じで決着するということ?だけど、その時の状況と今の状況、全然違うわよ。ドイツが軍縮に加わらないと絶対におかしいし」
私は夫にこう指摘してみた。
「そうだね。海戦戦力の保有量が、“史実”とは相当違う。仮に、“主力艦”というものを、ワシントン軍縮会議と同じように、排水量が1万トンを超えるか、口径203mm……8インチを超える砲を持っている軍艦と定義してみると、イギリスの保有する主力艦の総トン数は約210万トン、ドイツが約95万トン、それに次ぐのがフランスの約81万トンだからね」
栽仁殿下がデスクの上に載っていた紙に、鉛筆でサラサラと表を書く。それは、“史実”のワシントン軍縮会議直前と、この時の流れでの、各国の“主要艦”保有量を比較した表だった。
「“史実”だと、ワシントン軍縮会議直前のイギリスの主力艦保有総トン数が、まだ進水していないものも含めて約120万トン、アメリカが約130万トン、フランスが約58万トン……第一次世界大戦の影響もあるけれど、今と本当に全然状況が違う。それに、今のアメリカの主力艦総トン数が“史実”よりこんなに少ないのは、院の長年の工作が効いて、アメリカでの対外拡張論がすっかり消え去った結果ね。ただ、他にもいろいろ、“史実”と変わっているからなぁ……」
私はため息をついた。この時の流れでは、イタリアは約32万トンと、アメリカとほぼ同等の主力艦を保有している。また、極東戦争で主力艦のほとんどを失い、更に国家財政を内政に注いでいるロシア帝国は、現在主力艦に分類される艦を2隻しか保有していない。更に、“史実”では第1次世界大戦後に消滅していたオーストリア=ハンガリー帝国海軍は、この時の流れでは約24万トンの主力艦を保有している。各国の主力艦の保有状況は、“史実”と余りにも違い過ぎているのだ。
「梨花さんの言う通りだね。日本だって、主力艦に分類される軍艦は“史実”より減っている。金剛型の“金剛”・“比叡”・“榛名”・“霧島”、それから元“レトヴィザン”の“瑞穂”と、“朝日”・“三笠”・“春日”の8隻だけだからね」
栽仁殿下は指を折りながら話す。“史実”の日本は、ワシントン軍縮会議直前には、計画だけの軍艦も含めると、90万トン近くの主力艦を保有していた。ところが、この時の流れでは、日本が現在保有する主力艦は栽仁殿下が挙げた8隻、合計16万5200トンだけだ。“史実”と比べると随分と慎ましい艦隊規模だった。
と、
「まぁ、戦いは、主力艦だけでやるものではないからね」
栽仁殿下が私に向かって微笑んだ。「僕は将来、優れた飛行器をどれだけ使うことができるかが、戦争の勝敗のカギになると思っている。だから、主力艦をどれだけ保有しているかでは、艦隊の実力は一概に測れない」
「そのとおりね。“鳳翔”みたいな航空母艦を、徐々に作っていかないとね。ただ、これも軍縮で削られる可能性があるか考えないといけないし、それから、今の状態のロシアが軍縮に参加するなら、絶対陸戦兵力削減の話をしないといけないし、そうなると、小規模な海軍力しか持っていない国も、軍縮の話し合いに参加させないとまずいという話になるし……ああ、即位礼のこととか、インフルエンザのこととか、考えたいことがいっぱいあるのに」
呻きながら頭を抱えた私に、
「でも、即位礼のことは順調に進んでいるし、新型のインフルエンザが発生した報告も入っていないんでしょ?」
栽仁殿下は微笑みながら尋ねた。
「うん、それは、まぁ……」
即位礼の準備は、大礼使長官の原さんの指揮の下、順調に進んでいる。また、日本国内で新型インフルエンザが発生した徴候は現在確認できない。中央情報院にもお願いして、海外で新型インフルエンザのような病気が流行していないかどうかもチェックしてもらっているけれど、そちらからも気になる報告はもたらされていなかった。
すると、
「じゃあ、軍縮のことを一緒に考えようよ、梨花さん」
栽仁殿下は微笑んだまま私を誘った。
「ええ?」
「来年、国軍大学校を受験する身としては、梨花さんが仕掛けた軍縮の流れがどう進んでいくか、興味がすごくあるんだもの」
顔をしかめた私に、栽仁殿下はなおも言う。彼の瞳は、少年だった頃のように、キラキラと輝いていた。
「そっか……来年の夏には、輝久殿下と一緒に、国軍大学校の受験ね」
国軍合同によって作られた上級将校の養成機関・国軍大学校。皇族は無試験で入学することも可能だけれど、あらゆる分野から出題される非常に難しい入学試験に、夫は独力で挑もうとしていた。
「成久さんと鳩彦も、1回目の受験では国軍大学校に合格しなかった。僕も、来年の受験では合格しない可能性が高いと思っているけれど、あきらめたくはないから、今から受験勉強は進めたい。だから梨花さん、軍縮がどうなるか、2人で一緒に考えたいんだ」
「しょうがないなぁ……」
もちろん、他に考えなければならないことはたくさんある。でも、軍縮のことだって、いつかは考えなければならないし、私も、いつも夫に助けてもらっているお返しがしたい。
「……機密情報は、出すのも使うのも無し。その条件でなら、軍縮のこと、一緒に考えるわ」
「もちろんだよ。この家は安全ではあるけれど、それでも万が一……ということがあるかもしれないからね」
言葉を交わした私と栽仁殿下は、目を合わせるとふふっ、と笑い合う。こうして、私と栽仁殿下は深夜まで、軍縮がどのように行われるか、互いの意見をぶつけ合ったのだった。
※実際の各国の軍艦保有トン数の算出ですが、計算していた時の基準があいまいだったのもあり、数値がぶれている可能性があります。ご了承ください。




