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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第63章 1917(大正2)年小雪~1918(大正3)年夏至
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鬼の目にも涙

 1918(大正3)年2月23日土曜日午前11時40分、皇居・表御座所。

「いよいよ明日だな、輝仁(てるひと)の婚儀は」

 表御座所の中にある天皇の執務室・御学問所。午前にやるべき仕事を片付けた兄と私は、人払いをした御学問所でいつものようにおしゃべりをしていた。話題は自然に、明日執り行われる私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁さまと三島彌太郎(やたろう)子爵の長女・蝶子(ちょうこ)ちゃんとの婚儀のことになる。兄はお茶を一口飲むと、

「輝仁は、蝶子を本当に好いているからな。早く夫婦(めおと)になって欲しかったが、諒闇中だったから……」

微笑して言葉を継いだ。当初、輝仁さまと蝶子ちゃんは、去年の春に結婚する予定だったのだけれど、2年前の11月にお父様(おもうさま)が崩御したため、婚儀が挙げられなくなってしまったのだ。去年11月に諒闇が明けてから改めて準備を始め、明日、めでたく2人の婚儀が執り行われることになった。

「そうね。……時が経つのは速いわね。輝仁さまと私が一緒に暮らし始めた時、輝仁さまはまだ10歳にもなっていなかったのに、もう結婚だなんて」

 私は昔のことを思い出しながら兄に応じた。

「小さい頃から、輝仁は元気だったな。お前の大事な名古屋城の模型を、野球のボールをぶつけて壊して、お前が激怒したこともあった」

「あれは、私が本当にやらかしたなぁ……。トラウマを植え付けてしまったんじゃないかと思って、後で兄上に輝仁さまのフォローをお願いしたっけ」

 私がほろ苦い記憶を語ると、

「あれはあれで、梨花が栽仁(たねひと)と仲良くなるきっかけになったからよかったのではないか?」

兄はこう言って、私に向かってニヤリと笑う。「もうっ」と言いながら私が叩くふりをすると、兄は朗らかな笑い声を上げた。

「……ところで梨花、蝶子は元気か?一時期、大山大将にやられて参っていただろう」

 笑い声を収めると、兄は私に尋ねた。

「先週の土曜日、お義父(とう)さまのところで会った時には元気だったよ」

 私は自分の湯飲み茶碗に手を伸ばしながら答えた。内大臣になって以来中断していた毎週土曜夜の舞踏のレッスンは、諒闇が明けた昨年11月下旬から再開された。そこで会う蝶子ちゃんはとても生き生きとしていて、宮中の礼儀作法もしっかり身につけていた。

「大山さんはやっぱり、時々は蝶子ちゃんを怒るみたいだけれど、怒る回数は減っているようね。礼儀作法が身についてきた証拠じゃないかな」

「まぁ、大山大将が心配になるのも無理はない。筆頭宮家当主の妃になるわけだから、どうしても蝶子の一挙手一投足に注目が集まってしまう」

「そうなのよね。華族の奥様方に目を付けられて、ネチネチ言われてしまわないかしら……というのは、私も少し心配なのだけれど……」

 私が軽くため息をつくと、

義兄上(あにうえ)慰子(やすこ)どのが後ろについているから大丈夫だろうよ」

兄はそう言って微笑した。

「それでもダメなら、お前が出て行って一発怒鳴りつけてやればいい」

「それはお転婆な私より、山縣さんが意地悪な奥様方にガツンと言う方が効くよ。……まぁ、私もなるべく、蝶子ちゃんのことは今後も気に掛けるようにする。家が遠いわけではないしね」

 輝仁さまは赤坂御用地内の青山御殿に住み続けていて、そこに蝶子ちゃんが嫁入りする形を取る。赤坂御用地の中にはお母様(おたたさま)の御所もあるから、お母様(おたたさま)の所に参上した帰りに、蝶子ちゃんの様子を見に行くこともできるだろう。

 と、

「ところで、武彦(たけひこ)は結局、輝仁の婚儀に出席してくれるのか?」

兄が私に問うた。「“自分はまだ一人前ではないから、尊敬する鞍馬宮さまの婚儀に出席することなどできない”と言っているらしいが……」

 山階宮(やましなのみや)武彦王殿下は、山階宮家の御当主・菊麿(きくまろ)王殿下のご長男である。輝仁さまと同じく、幼い頃から航空士官を志していた彼は、学習院中等科在学中に幼年学校入学試験に実力で合格し、1914(明治47)年の夏に6番目の席次で幼年学校を卒業した。ところが、この好成績でも、3枠しかない進学枠に15から20倍の幼年学校卒業生が申し込むという航空士官学校の激しい進学競争を制することができず、武彦王殿下はかつての輝仁さまと同じように技術士官学校に進学し、昨年夏に技術少尉になった。

 今年の2月13日、つい10日前に20歳となり、成年式を挙げた武彦王殿下には、各種の行事への参加が求められるようになる。けれど、彼が最終的に目指しているのは航空士官学校への編入試験に合格して、輝仁さまと同じ航空士官になることだ。だから、“自分はまだ一人前ではない”と言って、輝仁さまの結婚式への出席を断ったのだろうけれど……。

「さっき山縣さんに会ったから、武彦王殿下の件がどうなったか聞いてみたの」

 私はそう前置きしてからお茶を一口飲み、湯飲み茶碗を袖机の上に戻した。

「最終的に、婚儀にも、明日の兄上と節子さま主催の晩餐会にも出席することにしたそうよ。話を聞いた輝仁さまが、武彦王殿下を説得したみたい」

「そうか、出てくれるか」

 私の答えを聞いた兄の顔が綻んだ。

「尊敬する先輩に直々に頼まれてしまったら、頼みを聞き入れるしかないな」

「だよね。輝仁さまも、自分と蝶子ちゃんの晴れ姿を弟分に見てもらいたいだろうしね」

 輝仁さまは、男性皇族で初めて、航空分野の軍人となった。それもあって、武彦王殿下は航空の話を聞きに、輝仁さまの所に時々行くのだそうだ。“自分には弟がいないから、熱心に話を聞きに来る武彦のことが弟のように思える”……外遊中、輝仁さま本人が私にそう言っていた。

「あの兄弟……武彦と芳麿(よしまろ)の兄弟はいいな。人品が優れている」

 兄は胸の前で両腕を組みながら言った。

「武彦と芳麿のどちらかに、珠子(たまこ)と結婚して欲しいとも思うのだが、珠子とあの2人はいとこ同士だからなぁ……」

「法律上OKではあるけれど、確かに、ちょっと血が近いかしらね」

 武彦王殿下と彼の弟・芳麿王殿下の母親の範子(のりこ)妃殿下は、節子さまの実の姉だ。1901(明治34)年に緊急で子宮全摘術を受けたけれど、今も健康状態は良好である。

「ま、あの2人に限らなくてもいいんじゃないかな?相性がいいかどうか、という問題もあるしね」

 私が兄に言った時、柱時計が正午の鐘を打った。兄は椅子から立ち上がり、「まさかお前にそんなことを言われるとはな……」と苦笑しながら、奥御殿へ引っ込んでいったのだった。


 1918(大正3)年2月24日日曜日午前10時25分、皇居・表御座所の廊下。

「大山さん……」

 菊枝模様が金糸で刺繍された黒紺のジャケットに、側面に金の帯が入った白いロングスカート……宮内高等官女子大礼服を着た私は、後ろにいる大山さんを見てため息をついた。宮内高等官男子大礼服を纏う大山さんは、目を怒らせたまま黙っている。大山さんの身体からにじみ出る何かを感じたのか、一緒に控えている侍従武官の南部利祥(としなが)さんがゴクリと唾を飲み込んだ。

「殺気を出していなければいいというものではないのよ」

 あたりに渦巻く怒気に眉をひそめながら私が注意すると、

「申し訳ありません、内府殿下。これが精一杯でございます」

大山さんは顔を強張らせたまま私に答えた。

「本当は、今すぐあの無礼者の所へ飛んで行って、鞍馬宮殿下に粗相をしでかしていないか、しっかり見張っていたいのです。万が一、そのようなことが起こってしまえば、(おい)はあの無礼者を手討ちにしなければなりません。そう思うと、腹が立って腹が立ってどうしようもなく……」

「初孫を無礼者呼ばわりしたらかわいそうでしょう」

 私はため息をついた。

「蝶子ちゃんだって、怖いおじい様に耐えて、頑張って色々習得したのよ?努力は認めてあげてよ」

「あの程度のこと……内府殿下がかつてなさったご修業に比べれば、芥子(けし)粒ほどの量しかございません」

「そこまで言うことはないと思うなぁ……」

「そうですよ、大山閣下」

 私だけでは太刀打ちできないと見たのか、横から、侍従武官長の島村速雄(はやお)さんが加勢してくれる。

「せっかくのお孫さんのお輿入れではないですか。ご心配になるお気持ちは分かりますが、ここは笑顔で見守ってあげましょうよ」

 島村さんの言葉に、我が臣下は「こうですかな?」と言いながら、両方の唇の端を無理やり引き上げる。その鬼を思わせる形相に、南部さんが思わず一歩後退した。

「もう……。そんなことなら、陛下に供奉しないでちょうだい。内大臣室で留守番してもらうわよ」

 私が大山さんを睨みつけた時、大元帥の正装を着た兄が廊下に現れた。私は口をつぐみ、みんなと一緒に兄に最敬礼した。

 兄を含めて列を整え直すと、私たちは表御殿の鳳凰の間へ向かった。これから、賢所(かしこどころ)で婚儀を挙げたばかりの輝仁さまと蝶子ちゃんが、兄夫妻に対面する朝見の儀が行われるのだ。兄に続いて、桃色の大礼服(マント・ド・クール)を着た節子(さだこ)さまが女官たちを引き連れて鳳凰の間に入り、準備された席に座る。程無くして、輝仁さまと蝶子ちゃんの姿が鳳凰の間の入り口に現れた。

 航空少尉の空色の正装に身を包んだ輝仁さまは、ゆったりと前に進んでいく。外遊も経験したからか、精悍な顔立ちにはどこか落ち着きも感じられるようになっていた。

 輝仁さまの後ろから、五衣(いつつぎぬ)唐衣裳(からぎぬも)……いわゆる十二単を着た蝶子ちゃんが、一歩一歩確かめるようにして、こちらにやって来る。“紅梅の匂”の五衣に表着(うわぎ)、そして蘇芳(すおう)の唐衣を着た彼女の表情は強張っている。唐衣の上文(うわもん)が“向い蝶”なのは、彼女の名前にちなんだものだろう。

(すてきだなぁ、2人とも。私の結婚の時も、こんな感じだったのかしら。すごく緊張して、自分を顧みる余裕なんてなかったけれど……)

 8年前の私と栽仁殿下の婚儀のことを思い出していた私の頬を、不意に、冷たいものが撫で上げた。振り向くと、隣に立つ大山さんの身体から、よからぬ気がにじみ出ている。それに気が付いたのか、蝶子ちゃんの足が止まった。手にした檜扇(ひおうぎ)の先端が、微かに震えている。

「大山さん、ダメ」

 私は大山さんを睨みつけた。

「儀式を台無しにする気?そんなことをしたら、許さないわよ」

 鋭く囁くと、大山さんの身体から立ち上る怒気が収まる。蝶子ちゃんの異変を察したのか、輝仁さまが後ろを振り返り、小さな声で何か話しかける。蝶子ちゃんは輝仁さまの目を見て小さく頷くと、また前へと歩き始めた。

「……本日は、婚儀を挙げていただき、誠にありがとうございます」

 やがて、兄と節子さまの前に、蝶子ちゃんと並んで立った輝仁さまは、兄にお礼を言上した。

「これから蝶子と支え合い、より一層、陛下のために尽くす所存です」

「うん、誠にめでたい」

 兄は輝仁さまと蝶子ちゃんを見比べると、満足げに頷いた。

「2人で力を合わせて良い家庭を築き、国家のために励んでくれ。……それから、輝仁」

「はっ」

 兄から呼び掛けられるとは思っていなかったのだろう。慌てて頭を下げた輝仁さまに、

お父様(おもうさま)が今わの際でお前におっしゃったこと、俺からも改めて言わせてもらう。蝶子を守ってやれ。よいな」

兄は穏やかな声で命じた。

「はい。一生、守り抜きます!」

 輝仁さまは大きな声で兄に返答する。さっと顔を赤らめた蝶子ちゃんは、兄に深く頭を下げた。

 輝仁さまが節子さまに挨拶すると、2人は鳳凰の間の右側に設けられた席に移動し、兄夫婦と盃を交わす。輝仁さまと蝶子ちゃんが鳳凰の間から退出すると、兄と節子さまも席を立った。

(よかったなぁ……)

 表御座所に戻る兄について歩きながら、私は先ほどの輝仁さまと蝶子ちゃんの様子を思い出していた。盛岡町の家で私が開催した園遊会で2人が出会ったのは、5年前の秋のことだ。そして4年前、航空士官学校の編入試験に合格したのを機に、輝仁さまは蝶子ちゃんに超異例とも言える求婚をした。大山さんが蝶子ちゃんに過酷なお妃教育を課して、蝶子ちゃんがトラウマを植え付けられてしまうというトラブルもあったけれど、なんとか今日、2人は婚儀の日を迎えることができた。

(何だかんだで、出会いからずっと関わることになったけれど、輝仁さまと蝶子ちゃんには幸せになってもらいたいな。蝶子ちゃんが変なイジメを受けることがないように、私も内大臣、いや、小姑としてしっかり気を配って……)

 考えをここまで進めた時、すぐ後ろで、足音とは違う音がした。鼻水をすすり上げるような音だ。

「大山さん?」

 私は後ろを振り返った。

「大丈夫?鼻をすする音がしたけれど……風邪でも引いた?」

 立ち止まった私に、大山さんは「は、はい」と返事をした。その動きが、どうもぎこちない。それによく見ると、彼の両頬には、涙が伝った痕があった。

「あの、大山さん?涙が出ているみたいなのだけれど……」

「め、目にゴミが入って」

 どうしたの?という私の問いを、大山さんはとっさに返答してかき消す。

「両目に同時にゴミが入ったの?」

 更に追撃してみると、大山さんは黙り込んだ。

「全くもう……」

 私はジャケットのポケットからハンカチーフを取り出し、大山さんに身体を寄せた。

「素直に泣いていいと思うわ、大山さん。初孫のお嫁入りよ?しかも、婿殿が、“一生守る”って言ってくれて……嬉しくないわけがないでしょう」

 ため息をつきながら、ハンカチーフで大山さんの涙を拭おうとすると、大山さんは私の手からハンカチーフを奪い、目に押し当てる。時々両肩を震わせながら、大山さんは泣き続けた。

「うう……祖父が初孫を想う情、胸を打たれますなぁ……」

 もらい泣きしてしまったのか、島村侍従武官長もこう言いながら涙を流している。

「鬼の目にも涙……だな」

 付き従う者たちの様子を眺めていた兄は、そう呟いて微笑した――。

※武彦王殿下の成年式は、実際にはこの年の4月13日に行われています。(誕生日の2月13日は天皇が避寒中だったために避けたと思われます。大正天皇実録にそう書いてあったと思いますが、今、本が手元にありません)

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― 新着の感想 ―
[一言] 既に皇太子が存在してるといっても筆頭宮家の当主というものは重いんでしょうね。 少なくとも現代以上に周辺も当人も教育が行われただろうこと考えると教育など求められるものが異なるだろう臣下からの嫁…
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