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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第62章 1917(大正2)年小暑~1917(大正2)年立冬
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内大臣、天皇を諌める

 1917(大正2)年10月1日月曜日午後6時、皇居・表御座所。

「うん……」

 天皇の執務室である御学問所。難しい顔をした兄は両腕を組み、執務机の上にある2枚の地図にじっと視線を注いでいた。左側にある地図には、淀川を中心とした関西地方が描かれ、右側に置かれた地図には、東京湾沿岸地域が描かれている。どちらの地図にも、今回の水害による被災地域が、赤い色鉛筆で薄く縁取りされていた。

「淀川は、“史実”であった大塚堤防の決壊は免れたが、その下流の鳥飼(とりかい)村で堤防が決壊して、水が大阪市内まで侵入した。東京湾沿岸では未明に高潮が発生したが、日本橋区・本所区・京橋区は“史実”とは異なり、高潮の被害を受けなかった。しかし、深川区の一部や(すな)村・葛西(かさい)村の大部分は高潮の被害を受けた。神奈川県や千葉県にも被害が出ている……」

 低い声で呟いた兄は、そこまで言うと両肩を落とす。そして、

「難しいものだな。荒ぶる自然から国民を守るのは……。幸い、避難命令を出したから、死者数は10人を超えることはないだろうが、それでも、多くの家屋や田畑、そして財産が、水の中に消えてしまった……。わたしの不徳の致すところだ」

と、悲しそうに続ける。私も、内閣総理大臣の西園寺さんも、そして、内大臣秘書官長の大山さんや宮内大臣の山縣さん、内務大臣の原さん、国軍大臣の山本権兵衛さんも、兄の心中を慮って頭を垂れた。

 と、

「山縣大臣、明日にでも被災地に行きたいのだが、予定を組めるか?」

兄が、身体の奥から絞り出すように言った。

「陛下……」

「頼む、山縣大臣!」

 目を瞠った山縣さんに向かって、兄がガバっと頭を下げた。

「居ても立っても居られないのだ!突然の天災で、今までの幸せな暮らしを奪われた者がこの国に大勢いる!その者たちを励ましたいのだ!皆で心を(いつ)にして努力すれば、きっと幸せな暮らしが戻ってくると!今回の水害の被災者は全国にいるが、せめて、俺がすぐ行ける範囲にいる者たちだけでも励ましたいのだ!」

「陛下……思し召しは、まことに、まことにありがたいのですが……」

 兄に答える山縣さんの声は震えている。彼の両眼には、涙が光っていた。

「今の状況で、陛下が被災地にお出ましになろうとしても、陛下を警護する兵が出せません。近衛師団の兵は、皇居や各御殿を警護する最低限の人数以外は、被災地に派遣され、救護活動や復旧作業に当たっておりますから」

 すると、

「俺を警護する者などいなくていい!非常時であるし、俺も自分の身くらいは自分で守れる!」

兄がこう叫んで、山縣さんを睨みつけた。

「それは……その時はこの山縣も、一介の武辺として陛下をお守り申し上げますし、陛下の御仁慈には感激しておりますが……しかし、明日のご視察だけはおやめいただきたく……!」

「山縣さんの言う通りだよ、兄上」

 頭を下げ続けている山縣さんの隣から私が言うと、

「なぜだ、梨花!」

兄の怒りに満ちた声が私にぶつけられた。

「お前も被災地に行きたくはないのか!お前は医者だから、俺よりもできることがもっとあるはずだ!」

「……もちろん、行きたくてたまらないわ。今すぐ、臨時救護所の手伝いに駆け付けたいくらい」

 私を見つめる兄の瞳の奥には、激しい怒りが渦巻いている。そんな兄の視線をしっかり受け止めながら、私は口を開いた。

「でも、今はダメよ。もし私がそんなことをしたら、救護所の職員が、私に気を遣って働き辛くなる。国軍医務局の上層部も、私に気を遣って救護所に駆け付けてしまう。警備はいらないと私が言っても、現場の人たちは絶対私の警備を始める。それじゃ、被災者たちを助ける力が減ってしまう」

「……」

「兄上、被災地に行くのは、状況がもう少し落ち着いてからよ。別に、1年や2年待ってほしいという訳じゃない。被災地の復旧が少し進んで、近衛師団に、兄上に必要最小限の警備を付ける余裕ができたら、被災地に真っ先に行って、被災者たちや復旧に当たってくれている人たちを励ましてほしい。それまでは、兄上にしかできないことをして待っていて。被災した地域以外にいる国民を、不幸にしないためにも」

 言い終えて、兄の瞳を見つめ続けていると、兄の眉間に寄っていた皺が、ふっと消えた。

「そうだ……俺はもう、皇太子ではない。天皇なのだな……」

 私に言った兄の口調は、穏やかなものに変わっていた。

「たとえ微行(しのび)であるとしても、今、俺が被災地に行けば、周囲に気を遣わせてしまって、救援が進まなくなってしまうな。……山縣大臣、すまない。明日、被災地に行くのは無しだ。近衛師団とも相談して、迷惑にならない時期に被災地に行けるよう、取り計らってくれないか」

 兄は私から目を逸らすと、山縣さんを再び見た。

「直ちに……直ちに検討いたします。陛下がお心を寄せておられると知れば、被災者たちも、被災地の復旧に従事している者たちも、大いに勇気づけられましょうから」

 山縣さんは涙声で言上すると、最敬礼して御学問所から退出する。彼に続いて西園寺さん以下の閣僚、そして大山さんも退出し、御学問所には兄と私だけが残された。

「兄上、ごめん」

 私が兄に心を込めて謝罪すると、

「どうして梨花が謝るのだ?」

兄は不思議そうな表情で私に尋ねた。

「どうして、って……私、兄上にものすごくキツいことを言ったじゃない。兄上の想いを踏みにじるようなことを……」

「お前は俺を諌めてくれただけだろう」

 兄はそう言うと、少し寂しげに微笑んだ。

「頭に血が上ってしまって、つい、無理なことを言ってしまった。本当は慎むべきことなのだろうが、居ても立っても居られなくなって……俺の悪い癖だ」

「兄上の長所でもあるのよ、その“癖”というものは」

 辛そうに呟いた兄に私は言った。

「帝国議会の議事堂で妊娠中の私が破水した時、もし兄上が私をすぐに助けてくれなかったら、私も謙仁(かねひと)もこの世にいなかったかもしれない」

「……」

「何が長所で何が短所かなんて、見方次第でコロコロ変わっていくわ。同じ特徴が、ある人には長所に見えるけど、別の人には短所に見えるなんてことはザラにある。だから、必要以上に自分を責めないで、兄上」

 すると、私の言葉を黙って聞いていた兄が、2、3歩歩いて私のすぐそばまでやって来た。そして、

「今の言葉を、昔のお前に聞かせてやりたいな。ややもすると、自らを過剰に責めて傷つけていた昔のお前に」

そう言いながら、右手で私の頭を優しくなでた。

「もう……兄上、子供扱いしないでよ。私も30代になったの。昔の私とは違うのよ」

 軽く睨みつけると、「ああ、そうだったな」と言って、兄は手を私の頭から外し、私を正面から見つめた。

「ありがとう、梨花。お前が諌めてくれたおかげで、冷静さを取り戻せた」

「それなら良かった。……兄上、私、これからも兄上の主治医として、私の持つ全ての力で、兄上を守って助けるからね」

 想いのこもった兄の言葉にこう応じると、兄は穏やかな表情で「頼むぞ」と私に頷いてくれたのだった。


 1917(大正2)年10月5日午前9時20分、隅田川に掛かる新大橋の上。

「川がまだ濁っているわね……」

 いつも使っている有栖川宮(ありすがわのみや)家の自動車の後部座席に座っている私は、自動車の窓から新大橋の下を流れる隅田川の様子を観察していた。隅田川の水は茶色く濁っていて、水量も多いように感じられる。水面には、上流から押し流されてきたと思しき長い板が浮いていた。

「幸い、報告通り、隅田川の水が堤防から溢れた形跡はありませんな」

 私の隣に座っている大山さんが、窓から前方を眺めながら私に言った。

「荒川放水路のおかげね。もし無かったら、このあたりも洪水になっていたわ。川の水がもっと多かったら、高潮が隅田川に逆流してきた時に、川の水が堤防を超えていたかもしれない」

 そんな事態にならなくて良かったと、私は心から思った。何せ、10月1日未明に東京を襲った台風は、714.6mmHg……私の時代風に言えば、約952.7hPaという東京の最低気圧記録を叩き出した、とんでもない台風だったのだ。瞬間最大風速43m/sという強い風は、何本もの電信柱や樹木を薙ぎ倒している。実際、皇居からここまでくる間にも、倒れた木や折れた木の枝を片付けている人々の姿がちらりと見えた。

(でも……“史実”より被害は減ったけれど、兄上は苦しいんだろうな……)

 この車の前を走る自動車の中を、私は覗き見た。前の自動車の後部座席には、黒いフロックコートを着た人物が2人座っている。1人は、侍従長を務める奥保鞏(やすかた)歩兵大将。そしてもう1人は兄である。兄の警護を担当している近衛師団と皇宮警察、そして中央情報院と、被災地域の役所との調整がついた結果、本当に異例なのだけれど、兄は微行(おしのび)で東京市内の深川区、そして砂村と葛西村の役所に赴き、担当者から今回の被害と復旧状況について説明を受けることになったのだった。

 完全に微行(おしのび)での外出なので、沿道の住民たちにも兄が通行する旨は伝えられていない。自動車3台、前後に近衛師団の騎兵も付かない、普段とは全く違う目立たない移動である。兄の車に侍従武官さんは乗っているし、沿道の要所は中央情報院の職員がさりげなく警備しているけれど、いざとなったら兄を守らなければならないので、私は久々に白い軍装を着て、軍刀も腰に吊るしていた。何かあったらすぐに反応できるよう、自動車の窓から街を観察している兄の様子を見守っていると、自動車の車列は深川霊巌(れいがん)町にある深川区役所の車寄せに入っていった。

 区役所の玄関で私たちを出迎えたのは、区長の植木武彦さん、ただ1人だった。“出迎えに人員を割き、復旧に当たる者の数を減らさぬように”と宮内省が厳命した結果である。先頭の自動車に乗っていた山縣さんと植木区長が先導する形で、私たちは3階にある会議室に入った。

 会議室の窓からは、深川区の南部がよく見える。目を凝らすと、海岸沿いの地域では、壊れた家の部材や流れてきた家具など、今回の高潮で発生したゴミを片付けている人々の姿が見えた。

「被害が大きかったのは、左手前方にあります深川東平井町の近辺です」

 緊張した声で、高潮の発生経過について兄に簡潔に説明した植木区長は、左手前方を指さした。

「うん、養魚場がたくさんある場所のようだな」

 双眼鏡を覗きながら兄が応じると、

「そこの堤防が、高潮によって30mほど破壊されました。潮の高さより、防波堤の高さが勝っていたのですが……」

植木区長は悔しそうに兄に言った。

(要するに、防波堤が結果的に強度不足になったということか。手抜き工事になっていたのか、それとも、そこだけに変に力が掛かったのか、後で検証してもらわないとなぁ……)

 私がそんなことを考えていると、

「養魚場や工場に、少なからぬ被害が出ています。養殖していた魚がほぼ全滅した養魚場もあるようです。ただ、前日の夜から避難命令が出ておりましたので、死者が1人も出なかったのは幸いでした」

と植木区長は更に続ける。

「そうだな。それは不幸中の幸いだ。しかし区長、これからも大変だぞ。……なぁ、章子」

「はい」

 なぜここで、兄が私に話を振るのか。兄に文句を言ってやりたかったけれど、こんなところでそれはできない。私はぐっと我慢して、

「壊れた防波堤や家屋の修理だけではありません」

と話し始めた。

「災害で出たごみは、きちんと処分しないと、悪臭や害虫、伝染病の発生源にもなります。それに今後、埋め立て地は更に広がっていきます。新しい埋め立て地は、今ある土地より海に近くなる分、津波にも弱くなりますから、もっと強固な防波堤を築くことも検討しなければなりませんけれど……」

 そこまで話した私は、

「気が早すぎる話でしょうか、陛下?」

と兄にお伺いを立てた。

「確かに、新規の埋め立て地の件は、中長期的な計画に含まれるだろうな。しかし、当座の復旧が終わったら考えなければならないのは確かだ」

 私に苦笑いを向けた兄は、植木区長に身体を向け直すと、

「復旧作業で大変な中、わたしに被害状況を報告してくれて感謝する」

植木区長に軽く頭を下げる。区長が恐縮して一礼すると、

「今回の高潮で被害を受けた者や、現場で復旧に尽力してくれている者たちには直接会えないから、彼らにも伝えてほしいのだが、今後も心を(いつ)にして、復旧に努めてほしい。街も、そこに住む人も、元通りの姿になる日は必ずやって来る。明けない夜は無いのだから、と」

と、穏やかな声で兄は言った。

「は、はーっ!」

 植木区長は、頭が床についてしまうのではないかと思うほどの最敬礼をした。

「あ……悪路も厭わず深川区まで行幸いただいた上、励ましのお言葉まで頂戴するとは……!深川区職員、そして住民一同、復旧のために一層励む所存です!」

 植木区長にゆったりと頷いた兄に、奥侍従長が予定の時間になったことを小声で告げる。兄は踵を返すと会議室を出て行き、私もその後ろに続いた。

 再び3台の自動車に分乗し、植木区長の見送りを受けながら車が区役所を離れると、

「内府殿下」

私の隣に座っている大山さんが私を呼んだ。

「もう少し、深川区長の前でお話なさりたかったのではないですか?」

「……地下水をくみ上げて使う工場の増加と、地盤沈下のことをね」

 やはり大山さんに隠し事はできないと思いながら、私は小声で答えた。

「荒川放水路のおかげで、この辺りは洪水が減ったから、工場が少しずつ増えてきているわ。工業用の地下水のくみ上げで地盤沈下が進んだら、防波堤の効果が減ってしまうけれど……」

 実は、地下水の過剰なくみ上げと地盤沈下を関連付けた研究は、この時の流れではまだ行われていない。海沿いの地域の地盤沈下を防ぐため、地下水の大量くみ上げを規制する法律は作ってもいいのかもしれないけれど、流石に、科学的な根拠もなしにそんな法律を作るわけにはいかないだろう。

 すると、

「では、地盤沈下と地下水の関係を調べるような研究を始めればよろしいのではないでしょうか」

大山さんが優しい口調で言った。

「昔も、そうなさっていたではないですか」

 私は黙って頷いた。脚気のこと、血圧のこと……その他、私の時代の医療知識を、私はこの時代の医学者たちにも理解できるよう、ベルツ先生の協力の下、論文という形で世に出した。同じことを、地盤沈下と地下水の関係についてもやればいいのだ。

「……今のことや未来のことは、たくさん考えないといけないけれど、昔のことを思い出すのもたまにはいいわね」

 私が微笑しながら呟くように言うと、

「ええ。昔の事例に、今の疑問を解き明かす鍵が隠れていることもありますからね」

大山さんも私に微笑みを返してくれる。そして、

「ですが、昔のように、ご自身を傷つけることはやめていただきたいものです」

彼は微笑みを崩さずに私に言った。

「分かっているわ。今の私は、昔の私ではないのよ。あなたの主君で、栽仁(たねひと)殿下の妻で、……そして、兄上の主治医なのだから」

 私の答えを聞くと、大山さんは私を優しくて暖かい瞳でじっと見つめ、満足そうに頷いたのだった。

※今回の話を書くのに参考にした資料のリストを下に掲げます。(すべて、国会図書館デジタルコレクションで閲覧しました)


・近畿地方建設局 編『淀川・大和川の洪水 : 資料』,淀川大和川洪水予報連絡会,1960.

・『千葉県気象災害史』,銚子地方気象台,1969.

・『江戸川区史』第3巻,江戸川区,1976.

・東京風水害救済会 編『東京風水害救済会報告書』,東京風水害救済会,大正7.

・深川区史編纂会 編『深川区史』上巻,深川区史編纂会,大正15.

・編集: 浦安町誌編纂委員会『浦安町誌』上,浦安町,1969.


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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読ませていただいております。 [一言] 先日、三社詣での一環で地元の神宮(各地にある訳では無いので濁しますが)に参拝させていただいたところ、日時が読み取れる限りでは、明治以降の…
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