内大臣と内務大臣
1917(大正2)年9月8日午前11時、皇居・表御座所内にある内大臣室。
「何だ、わたしがわざわざ来てやったというのに、随分と不機嫌そうな顔をしているな、主治医どのは」
人払いをした内大臣室で、私の前の長椅子にふんぞり返っているのは、昨日付けで内務大臣に就任した原さんである。9月3日に行われた、任期満了に伴う衆議院議員総選挙で、彼の所属する立憲自由党は300議席中154議席、一方、立憲改進党は300議席中145議席を獲得した。これにより、衆議院における与野党の勢力が逆転したので、梨花会での取り決め通り、渋沢さんの内閣は総辞職した。新たに内閣総理大臣に任命されたのは、立憲自由党総裁で貴族院侯爵議員の西園寺さんである。そして、副総理格とも言える内務大臣には原さんが選ばれ、昨日、他の閣僚たちとともに親任式を済ませたところだった。
「だって、原さんは私に会うたびに、議論を吹っ掛けてくるではないですか。“ジュネーブの陸奥先生から電報でご指示を受け取った”とか言って」
私が唇を尖らせて抗議すると、
「わたしの敬愛する先生からのご指示だ。無視するわけにはいかないだろう」
原さんは当然のように私に答える。
「先生が日本にいらっしゃらないからと言って、議論から逃れられると思ったら大間違いだ。これからもたっぷり絞ってやるから、覚悟しておけ、主治医どの」
「はいはい、覚悟していますよ」
討論の申し子のような原さんに、私が議論で勝てる見込みは万に一つもない。私が気のない返事をすると、
「“はい”は一度でいい、主治医どの」
原さんの注意が早速飛んできた。
「申し訳ありません」
私は機械的に頭を下げると、
「ところで、原さんが私のところにいらしたのは、一体なぜでしょうか?」
と、偉そうにしている内務大臣に尋ねた。
「ああ、主治医どのに用事はない。ここに寄ったのは、単に偽装のためだ」
原さんは答えると、出されたお茶をすすった。
「本当は、天皇陛下に拝謁できれば、それで良かったのだ。しかし、主治医どののところにも寄ったという事実を作らなければ、山縣や大隈など、わたしの真実を知らない者が不審に思うだろう。だから仕方なく、主治医どののところに寄ったのだ」
「まぁ、そうですよね。私も、原さんに今会うつもりはありませんでした。どうせ、午後の梨花会で会うと思ったので」
「だから、先ほどわたしが天皇陛下に拝謁した時、主治医どのは席を外していたのか?」
「御璽を押す仕事がまだ残っていましたし、それに、原さんは兄上のことを慕ってくれているではないですか」
そこまで言うと、私は自分のお茶を一口飲み、
「だから、私がいては邪魔だろうと思って、席を外しました」
原さんに事務的にこう返答した。
「主治医どのも、気遣いができるようになったのだな」
「大山さんの教育の賜物でしょうね」
失礼なことを言われたような気がするけれど、いちいち反応してしまったら、“この程度の皮肉も受け流せないのか”と原さんが攻撃してくる。皮肉に気が付かないふりをして冷静に返すと、
「ふん、この程度では動じなくなったか。なるほど、確かに教育の賜物だな」
原さんは両腕を組みながらこう言って、ニヤリと笑った。
「で、いかがでしたか?兄上と2人きりで話してみて」
このままだと、神経をすり減らすやり取りが永遠に続いてしまう。会話の流れを変えたくて、こんな質問を原さんに投げてみると、
「“非常に素晴らしい”以外の言葉が返ってくると思っていたのか?」
原さんはなぜか私を睨みつけた。
「“史実”よりご体調も良く、学識もますます深くなっておられる!“史実”よりはるかに優れた政治感覚で国事の一切を統監なさり、“史実”では無かったいくつもの国際会議に関する接待も見事にこなされた!天皇陛下が、明治大帝並み、いや、明治大帝を超える聖天子におなり遊ばすのは間違いないぞ!」
「原さん、よく分かりましたから、声は抑えてください。他の人に聞かれたら厄介です」
右拳を握りしめ、熱っぽい口調で語る原さんを、私は慌てて止めた。内大臣秘書官や侍従さんなど、事情を知らない人たちにこの会話を聞かれていたら大変なことになってしまう。
「あ、ああ、そうだな、すまなかった」
意外にも、素直に原さんは頭を下げたけれど、
「しかしな、この喜びは、どうにも隠しようがない。“史実”よりも更に素晴らしいお方になられた天皇陛下のおそばで、こうして、内相として働けるというのは……」
と、全身から喜びを溢れさせながら述懐する。ちなみに、“内相”というのは、内務大臣の略称である。内大臣も“内相”という略称で呼べなくはないけれど、内務大臣と区別するため、略称は“内府”になっている。流石に日本国内では“内相”と“内府”を取り違える事例は無いけれど、海外の新聞ではごくまれに、私を“内務大臣”と書き間違えている例がある。原さんがもしこのことを知ったら、“あんな小娘と一緒にするな!”と怒り狂うだろう。
と、
「これも、主治医どのが天皇陛下のおそばにいてくれるおかげだな」
原さんの口から、信じがたい言葉が飛び出した。私は手にした湯飲み茶碗を取り落としかけた。
「おい、どうした。まさか、わたしが主治医どのを褒めたのに驚いたのではないだろうな?」
「残念ながら、そのまさかです。修業が足りなくて、本当に申し訳ございません」
私に鋭い視線を投げた原さんに、事務的な口調で謝罪してから、
「でも、素の状態の原さんが、私を褒めることなんて絶対に無いではないですか」
私はこう指摘してため息をついた。原さんと初めて出会ってから25年余り……原さんが私を褒める言葉を口にするのは、彼に実は“史実”の記憶が流れ込んでいることを知らない人が居合わせている時だけで、それもめったにないことだ。
「ふん、この程度のことで動揺するとは、まだまだ、主治医どのはひとかどの人物になったとは言えないな」
原さんは私を鼻で笑うと、
「だが、そんな主治医どのでも、天皇陛下は心から信頼していらっしゃる。先ほど拝見した天皇陛下のお顔は、様々な苦難に襲われた“史実”とは違い、穏やかなものになっていらっしゃった。その事実を踏まえると、残念ながらわたしも、主治医どのが天皇陛下のご健康に貢献するところは大であると認めざるを得ないのだ」
と、忌々しげに私に告げる。原さんの両頬は、なぜか、ほんのりと紅く染まっていた。
「それはどうも」
私は軽く頭を下げると、
「でも、苦難はこれからもやって来るではないですか。もうすぐ、大変な台風が来ますし、そちらの対策はどうなっているのですか、内務大臣閣下?」
と、事務的な口調で尋ねた。実は、“史実”では、1917年の9月末から10月初めに日本を襲った台風により、全国に大規模な水害が発生しているのだ。特に、淀川の堤防が決壊した大阪府と京都府、台風接近が満潮時刻と重なってしまい、高潮が発生した東京湾沿岸の千葉県・東京府・神奈川県での被害が大きく、死者は全国で1000人以上に上ったそうだ。今のところ、自然災害は“史実”と同じ年月日、同じ時刻に発生しているから、この時の流れでも、同じような台風が日本に襲来すると考えなければならない。
「万全……と言いたいが、今の時代の技術の範囲で、だな」
途端に、原さんの表情が険しくなった。
「淀川は、“史実”で堤防が決壊した箇所も含め、“史実”より大々的な改修工事を施した。東京湾沿岸の防波堤も“史実”より強化はしているが、果たしてそれで乗り切れるか……」
「正直、分からないですね。完璧なシミュレーションに基づいてやった対策ではありませんし……。ただ、やれるだけのことはやれたと思います。あとは当日、住民を避難させて、被災地域のアフターケアをしっかりやらないと……。よろしくお願いしますね、原さん」
「主治医どのに言われずとも、内務大臣として全力を尽くす」
原さんは私を睨むように見つめた。
「主治医どのも、しっかり天皇陛下を助けろよ。天皇陛下の国事における支えは主治医どのなのだ。しかし、主治医どのは未熟だ。天皇陛下のためにも、このわたしが主治医どのを引き続きみっちり鍛えてやるから、心しておけよ」
また“はいはい”と答えようかとも思ったけれど、原さんがまた不機嫌になるだろう。私は短く「はい」とだけ、原さんに返事をしたのだった。
1917(大正2)年9月8日土曜日午後2時30分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「今月末から来月初めにかけての水害対策については以上になります」
そう言って前半の議題を締めたのは、昨日内閣総理大臣に任じられた西園寺さんだ。今まで渋沢さんの席だった場所に座る西園寺さんの会議の進行の手際は非常によく、何年も前から西園寺さんが総理大臣だったかのように錯覚してしまうほどだ。
と、
「続いて海外の話題に移りますが……おや、内府殿下、いかがなさいましたか。お美しい顔を歪められて」
西園寺さんが私の顔を訝しげに覗き込んだ。
「いや、原さんが、迪宮さまに容赦なかったので、迪宮さまが心配になって……」
私はそう言いながら、向かいに座っている迪宮さまの様子を見た。今日の梨花会が始まってから、原さんの治水に関する質問を受け続け、“答えがなっておりません”などと散々にこき下ろされてしまった迪宮さまは、額にうっすらと脂汗を浮かべ、荒い息を吐いていた。
「裕仁、大丈夫か?相当、頭を使わされたようだが……」
兄の腰は、玉座から浮きかけている。松方さんが厳しい視線を浴びせていなければ、兄はすぐさま立ち上がり、迪宮さまのそばに駆け寄っているだろう。
「だ、大丈夫です、お父様……」
迪宮さまは呼吸を整えながら兄に答えた。「ただ、原閣下があそこまで討論に練達しているとは全く知らなかったので、面食らって、頭が働かなくなってしまって……」
「原さんは手強いわよ。議会では彼に議論で勝てる人はいないもの」
私は甥っ子を慰めにかかった。
「私も小さい頃から、原さんに散々に言い負かされたわ。今だってそうよ」
「ほ、本当ですか?」
怯えたような声で尋ねた迪宮さまの横から、
「ははぁ、皇太子殿下はご油断なさったようですな」
西園寺さんが顎を撫でながら言った。
「原さんは、議論の申し子のような人ですよ。ただ、今までの梨花会では、原さんが言いたいことを、陸奥さんが全部言ってしまうので、黙っているより他無かったのです」
「だが、陸奥君は今、ジュネーブにおりますから、原君の言いたいことが先に言われてしまうことはない。原君は、その真価を存分に発揮できるようになったという訳です」
東宮御学問所総裁の伊藤さんの言葉に、迪宮さまは項垂れてしまった。彼が自分の判断ミスを責めているのは明らかだった。
「議論の途中で、無礼なことを申し上げました。謝罪させていただきます」
原さんが椅子から立ち上がり、迪宮さまに向かって最敬礼すると、
「いや……元はと言えば、原閣下は難しいことは聞かないだろうと油断した僕が悪いのです」
迪宮さまも立ち上がり、原さんに穏やかな口調で言った。
「これから努力を重ね、原閣下に負けないように、色々な知識や考え方を身につけようと思いますので、原閣下、またお相手をお願いします」
(すごいわねぇ。痛い目に遭わされた相手に、こんなことを言えるなんて……迪宮さまは立派だなぁ)
私が甥っ子の態度に感心していると、
「では、話を元に戻して……幣原君、海外にいる梨花会の面々について報告してくれるかね?」
西園寺さんがこう言って、末席の方を見やる。すると、新しく外務次官に就任した幣原喜重郎さんが立ち上がり、
「それではまず、ジュネーブの方からですが……」
と、資料を片手に説明を始めた。
「国際連盟規約の作成は、順調に進んでいるようです。早ければ本年中に規約の承認が得られ、来年の夏に規約が発効して国際連盟が成立する見込みです」
「ほう、流石陸奥どのだ。ジュネーブにいる各国の外交官たちは翻弄されているだろうが」
しきりに頷く宮内大臣の山縣さんに、
「まさに閣下のおっしゃる通りで、陸奥閣下に随行している外交官に、苦情が多数入っているようですが……」
幣原さんが苦笑しながら補足する。
「まぁ、軽くあしらわれているでしょうね」
引き続き農商務大臣を務めている牧野さんが穏やかに言うと、
「牧野閣下の婿どのも手強いですからな。各国の外交官たちに同情してしまいそうです」
幣原さんが苦笑いを顔に貼り付けたままこう応じた。
「それより、WHOの方はどうなっていますか?ちゃんと設立されそうですか?」
「ご安心を、内府殿下。設立が決定したという連絡が、今日の午前中、ジュネーブから入りました」
じれったくなって質問してしまった私に、幣原さんはしっかり請け負ってくれた。
「よしっ。第1段階はクリアできた。あとは、本部が日本に置ければ完璧だけれど……」
私が思わずガッツポーズをしながら言うと、
「内府殿下、それはまた後日ですな。幣原君に報告の続きをしてもらわなければ」
西園寺さんが私の発言を制止する。確かに、そちらを聞くのを優先しなければならない。私が口を閉じると、
「次に、オスマン帝国の方ですが、浜口はかなり苦労しているようです」
幣原さんは報告を再開した。
「オスマン帝国では、役人の腐敗が相当進んでおりまして、大規模な行政改革を行わなければならない……という連絡が入りました」
そう言った幣原さんは眉を曇らせた。幣原さんは浜口さんと同期で、高等中学校、そして帝国大学で、学生時代を一緒に過ごしている。だから一層、浜口さんのことが心配になるのだろう。
すると、
「掃除はちゃんと進んでいるようですよ」
私の隣に座っている大山さんが微笑した。
「ですから、行政改革もそのうちやりやすくなるでしょう。それに、アラビア半島の石油の試掘もうまく行ったとか。鉄道網がつながれば、ヨーロッパ方面に石油を売ることもできます。オスマン帝国の進路にあるものは、すべて苦難であるという訳ではありません。ですから幣原くん、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」
「はっ……。見苦しいところをお目にかけました。お許しください」
幣原さんが大山さんに詫びるのをちらりと見ながら、
(一体、オスマン帝国で何人の役人が粛清されるのかしら……)
私はため息をついた。浜口さんを裏面から支えている中央情報院の職員たちは、私腹を肥やし、腐敗しているオスマン帝国の役人たちを排除していた。その“排除”の方法には、退職や解雇などといった比較的穏やかなものの他、職場からだけではなく、この世からもご退場いただくような方法も含まれているだろう。なるべくなら、穏やかに事を済ませてほしいところである。
「まぁ、明石君もついているから、きっと何とかなるでしょう。ただ……ドイツで妙な動きが起こっているのでしたか、大山閣下」
西園寺さんに話を振られた我が臣下は、「ええ」と頷き、手元の資料に目をやる。その顔から微笑は消えていた。
「皆様は、前ブルガリア公・フェルディナントが、ブルガリアのクーデターの後、故郷のオーストリアに逃れたことはご存じかと思います。その後、バルセロナ事件の黒幕がフェルディナントであることが露見して、フェルディナントはオーストリアから国外退去命令を下されました。これが7月のことです」
大山さんはこのように切り出した。ブルガリアに対する印象は、フェルディナントの謀略が明るみになったために悪化している。当然、謀略の首謀者たるフェルディナントには、特に憎悪の目が向けられていた。このままオーストリアにフェルディナントを置き続ければ、ドイツとの関係が悪化すると見たオーストリアの皇帝・フランツ2世は、この厄介な人物を追い払うことにしたのだ。
「ところが、オーストリアで住んでいた屋敷を出た後のフェルディナントの足取りがつかめなくなっています」
「院の調査でもか?」
大山さんの言葉に、兄が反射的に問いを投げる。
「ほぼ一文無しの状態でオーストリア西部に向かったところまでは、消息がつかめました。しかし、その後の足取りが分かりません。当座の生活資金を手に入れるため、秘密口座があるスイスに向かったと思われるのですが、スイスのフェルディナントの秘密口座から金が引き出された形跡がないのです」
大山さんは冷静な口調で兄に回答すると、一同に向き直り、
「ドイツのヴィルヘルム2世は、我が子を謀略に巻き込もうとしたフェルディナントをひどく憎んでおります。そのため、フェルディナントの行方を探し出すための国際的な組織を秘密裏に作りました。ドイツ帝国の国章に使われている黒い鷲にちなみ、“黒鷲機関”という名をその組織に与えたとか……」
と、重々しい声で言った。
「……その黒鷲機関は、本当にフェルディナントの捜索だけするの?」
出席者全員が黙り込んでしまったので、仕方なく私は口を開き、一同が聞きたいであろうことを尋ねた。
「もちろん、それだけではないでしょう」
大山さんは真剣な表情で答えた。「常識的に考えれば、自動車や馬車を雇う金も、そして汽車賃すらも失ったフェルディナントは、徒歩でアルプス山脈を越えてスイスに入ろうとしたところで、何らかの事故により死んだ……というのが、事の真相かと存じます。ですから黒鷲機関の創立は、フェルディナント捜索を隠れ蓑とした、諜報機関設立と見る方がよろしいかと思います」
「いやな話になってきたな」
兄が顔をしかめて両腕を組んだ。
「この時の流れでは、CIAとKGBは存在しない。だが、その代わり、新たな諜報機関が現れたのか……。奴らの謀略に乗らぬよう、注意しなければ」
「そうね。MI6と黒鷲機関が相争って、両方とも破滅してくれれば最高だけれど」
私が兄にこう応じると、
「内府殿下は、なかなか悪辣ですなぁ」
西園寺さんがニヤニヤ笑いながら私に言う。
「日本が生き残る道を考えているだけですよ。軍事力も資金も列強には劣るこの国は、良質な情報と知恵を使って、国際社会を生き抜かなければならないのですから」
西園寺さんに冷たく返答しながら、
(本当に、厄介なことになったなぁ……)
私は再びため息をついたのだった。
※牧野さんの婿が一体誰なのか、皆さま気になっていると思いますが、実際とは変えていません。(ただし、本編に出演はさせません)




