内大臣の発作
※今回の記述は、「液体清澄化技術の過去・現在・未来―遠心分離機―」(Hans Axelsson,青木裕.化学装置.2001年2月号.P31-36)、「百日咳; これまでの進歩と今後の展開」(岡田賢司、日本小児呼吸器疾患学会雑誌 2000年 11巻 1号 p.4-16)、「日本で開発された精製百日咳ワクチン(purified pertussis vaccine)の基礎研究,開発過程および導入後の動き」(佐藤勇治.小児感染免疫 Vol. 20(2008) No. 3.p347-358)、「百日咳菌の研究 第1報 百日咳菌の抗原構造 と菌型」(春日忠善,中獺安清,浮島光威,高津邦芳.日本細菌学雜誌.8 ( 8 ) 1953.P842-848)を参考にしました。
滅茶苦茶おおざっぱに書いた上に、拙作の世界線で実現可能かどうかは細かく検証しておりません。ご了承ください。
1917(大正2)年7月20日金曜日午後2時、東京市麹町区富士見町にある医科学研究所の所長室。
「内府殿下が当研究所にご視察にいらっしゃるとは、まことに感激の極みであります」
緊張した表情で私に最敬礼しているのは、医科学研究所の所長・北里柴三郎先生だ。彼の後ろには、志賀潔先生と秦佐八郎先生、更にはエリーゼ・シュナイダーと名乗ってこの研究所で百日咳菌の研究をしているヴェーラ・フィグネルもいて、私に向かって神妙な態度で頭を下げていた。
「あの、皆さん、そんなに畏まらないでください。今日は微行で来たのですし、それに、私が医師免許を取ったのは先生方の後ですから」
総裁としてこの研究所に顔を出していた軍医時代と比べて、遥かにガチガチになってしまっている先生方に戸惑いながら、私はこう言ってみたけれど、
「そのようなわけには参りません。天皇陛下を輔弼なさるだけではなく、世界大戦を阻止なさり、平和のために国際連盟構想をご提唱なさった。われらが世界に誇る内府殿下には、きちんと敬意を示さなければ……」
北里先生はやはり最敬礼したまま、恭しく私に答えた。
(微行にして良かったわ。公式訪問なんてしたら、盛大に歓迎行事をされてしまいそう……)
密かに胸を撫でおろした私に、
「ところで、なぜ内府殿下は、公式にではなく、微行でこちらにいらしたのでしょうか?」
秦先生が答えにくい質問をした。
「あのー……公式訪問してしまうと、野口さんと顔を合わせないといけなくなるので……」
まさか、盛大な出迎えをされたくなかったからと正直に答える訳にはいかない。とっさにひねり出した答えを口にすると、
「あの下僕なら、研究室の椅子に縛り付けておいたわ。放っておいたら、章子に何かやらかすに決まっているから」
野口さんの共同研究者であるヴェーラが、気怠そうな口調で言った。
「シュ、シュナイダー先生……」
「内府殿下に対して、その言葉遣いはどうかと……」
北里先生たちが一斉にヴェーラに食って掛かったので、
「先生方、やめてください。エリーゼは私の昔馴染みですから、私は全然気にしていません」
私は慌てて止めに入った。
「それに、お父様が亡くなったから、私のことを“章子”と呼んでくれる人は、日本にはもう兄上とエリーゼしかいないのです。その数を減らすことは、止めていただければ幸いです」
お父様と兄のことを出したのがよかったのだろう。私に抗議しようとしていた北里先生の口の動きが止まった。
「かしこまりました。それでは不問といたしますが……しかし、内府殿下はなぜ本日こちらにお成り遊ばしたのでしょうか?我々にご下問があるという旨は、大山閣下から通達されましたので存じておりますが、それならば、我々を赤坂離宮や盛岡町のお屋敷に呼びつければ済む用事です。それなのになぜ……」
北里先生の横から、不思議そうな表情で私に尋ねた志賀先生に、
「……触れたかったのです」
私は絞り出すようにして答えた。
「はて?」
「だからぁ、医学に、医科研の最新研究に、研究している現場の空気に触れたくてしょうがなかったのです!」
首を傾げた北里先生にいらだってしまった私は、反射的に彼に怒鳴り返していた。
「何もなければ、昨年末に外遊から戻って、今年の年明けから国軍病院での業務に復帰するはずだったのです!ところが、お父様が重態という知らせがあったから、慌てて日本に戻ったら、内大臣に任じられてしまって……!改元に始まり、大喪儀の準備、バルカン戦争にバルセロナの事件に講和の仲介に国際会議に……大仕事が休みなく襲ってきて、医学に触れる機会が全く無かったので、私、医学に飢えてどうしようもなくなってしまって……だから今日、午後の有給休暇をもぎ取って、こちらに来たのです!」
私の魂の叫びに、北里先生と志賀先生と秦先生は全く反応できず、呆然と立ち尽くしている。一方、彼らの後ろにいるヴェーラと、私の斜め後ろに控えている内大臣秘書官長の大山さんは、お腹を抱えて笑っていた。
「相変わらずねぇ」
ようやく笑い声を収めたヴェーラが、呆れたように私に言った。「医学の方がこんな調子じゃ、お城の方は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないわ。もう爆発寸前よ……」
ヴェーラの質問に、私は顔をしかめて答えた。「秋や冬だったら、世田谷城や練馬城の跡に、子供たちも連れてピクニックがてら行けるのだけれど、この時期だと遺構が草に覆われて分かりづらくて……。だから仕方なく、家にあるお城の模型と、江戸城の堀と石垣を眺めて、気持ちを抑えているわ。今回、医科研見学の休暇と合わせて、小田原城に日帰りで行く休暇も申請したのだけれど、山縣さんに止められてしまって……。もうこうなったら、この夏は絶対に小田原城に行って、二の丸の平櫓をじっくり見学してやるんだから!」
「変わらないわねぇ、章子は」
ヴェーラは呆れたように言った。
「まぁ、変わっていないのは分かっていたけれど。一時期、“世界大戦の危機”なんて新聞も書き立てていた大騒ぎを止めたのは章子だもの。理不尽に大勢の人が死ぬ可能性が無くなって、本当に良かったわ」
ヴェーラの声は相変わらず冷たい。けれど、この数年は、彼女の言葉の奥底に、ほのかな温かみを感じるようになった。それが、彼女の祖国・ロシア帝国が、極東戦争の後は対外出兵をせず、国民生活の向上に力を注いでいるからなのか、それとも、単純に、日本に来て長い年月が経ったからなのかは分からないけれど。
「それはどうもありがとうございます」
私はヴェーラに機械的に頭を下げると、
「だ、だけどもう、私、これ以上耐えられない……。お、お願いですから先生方、早く私に、医科研の研究の最新情報を、医学の話を……!」
両手を合わせて先生方に情けなく懇願した。ダメだ。もうこれ以上は耐えられない。今だって、研究室に駆けて行きたい衝動が抑えられそうにないのに、これ以上お預けを食らってしまったら……。
「これは重症ですな。かしこまりました。直ちに報告をさせていただきます」
北里先生が慌てて答えた声に、「仕方ないわね」というヴェーラのため息交じりの返答が重なった。
医科研で行われている研究の最新情報は、私の知的好奇心を十分に満足させてくれるものだった。
今や、世界で医学が進んでいる国と言えば、ノーベル生理学・医学賞の受賞者を何人も輩出しているドイツと日本である。そして、この医科学研究所は、日本の医療系研究機関の最高峰と言ってもいい研究所なのだ。内大臣に就任した直後に総裁を退いたため、得られなくなってしまっていた研究の最新情報を、私は心行くまで吸収した。
「それにしても、百日咳ワクチンが完成して、本当に良かったわ」
一通り研究の最新情報を聞いた私は、出されたお茶を一口飲んだ。百日咳ワクチンは、野口英世さんとヴェーラが共同研究していたものである。野口さんが1904(明治37)年に百日咳菌を発見してから13年、とうとうワクチンが完成したのだ。
「本当に大変だったわねぇ」
私の向かいに座ったヴェーラはそう言うとため息をついた。
「最初に下僕からワクチンの話を聞いた時、何が起こっているのか分からなかったもの。“同じ菌株から、同じ生育環境で培養していた菌を材料にしてワクチンを作っているのに、できたワクチンごとに効力に差がある”と言われたから」
「でも、その問題はエリーゼが解決したのよね」
私が確認すると、ヴェーラは「まぁね」とぶっきらぼうに答える。野口さんに百日咳菌の培養の様子を見せてもらった彼女は、百日咳菌のコロニーの綺麗な曲線を描いている縁が、培養開始から時間が経つとギザギザに崩れてしまうことに気が付いた。そして、縁がきれいなコロニーの菌と、縁が崩れてしまったコロニーの菌の病原性について検討したところ、培養開始から時間が経った縁が崩れたコロニーの百日咳菌は、培養開始から時間が経っていない菌と比べると、細菌の周りを覆う“莢膜”を欠いていたり、病原性や毒性を失っていたりと変化していることが分かった。野口さんが最初に作っていたワクチンは、培養開始時期がバラバラな百日咳菌を集めて、ワクチンの材料として使っていたために、毒素の濃度がばらついてしまい、ワクチンの効力に差が生じてしまったのだ。
「けれど、ワクチンの質は均一になっても、いざ臨床試験をしてみたら、副反応が多くて使い物にならなくてね。困っていたら志賀先生が、“百日咳菌から抗原になりうる物質をできるだけ純粋に取り出して、それをワクチンの材料として使えばいいのでは”と教えてくれたから、遠心分離で抗原を抽出したけれど……あれは大変だったわねぇ」
ヴェーラの思い出話に、私は何度も頷いた。遠心分離機はこの時代でも既に使われていたけれど、ヴェーラと野口さんが要求したのは、既存の遠心分離機よりも高性能なものだった。なので、産技研が要求を満たす遠心分離機を作り上げたのは1914(明治47)年……要求がなされてから5年後のことだった。
「その後も大変だったわね。でも、遠心分離の時に使う溶液を工夫したら、満足のいく材料を取り出せるようになったから、本当に良かったわ……まぁ、抗原の物質が、百日咳の菌体のどこにあるのかがはっきりしないのよね。東京帝大の長岡先生が研究している電子顕微鏡ができたら、分かるようになるのかしら。それまでは頑張って生きていないとね」
思い出話を語るヴェーラの髪には、白いものが混じっている。私と初めて出会った大津事件の時に30代だったと思うから、もう50歳は過ぎていると思うけれど、……余計な詮索はしないでおこう。その代わり私は、
「それは頑張って生きてもらわないと。野口さんを制御できる人がいなくなるもの。あの人のタガが外れたら大変よ」
とヴェーラに言った。
「確かにその通りです。いや、私も頑張って、生きて野口君を押さえますがね」
北里先生は横からこう言うと、私に向き直り、
「ところで内府殿下、我々の研究の最新情報につきましては、もう十分にご報告申し上げましたので、そろそろ、ご下問の内容をお聞きしたいのですが……」
と真面目な表情で尋ねた。
「そうですね。そろそろ、その話もしないと」
私は姿勢を正し、
「ええと、皆さん、国際連盟の話についてはご存じだと思いますけれど……」
と前置きして話を始めた。
「国際連盟には、事務局や総会といった主要な組織の他に、国際的な問題に対処する機関を監督する機能を持たせようと考えているのです。例えば、国際司法裁判所とか、船舶の運航に関する機関とか、郵便や通信に関する機関とか、労働者の労働条件や生活水準を改善する機関とか。そう言った機関に、世界の人々の健康問題に取り組む機関を加えたいと考えているのです」
「ほう」
「業務内容は、感染症対策や、各国における疾病の罹患状況についての情報収集と公開などになるかと思いますけれど、そういう機関を作っていいものかどうか、それから、もしこの機関に他に扱うべき問題があれば、それをご教授いただきたいと考えまして……」
私が営業スマイルで付け加えた瞬間、
「それは、ぜひ創立するべきです!」
北里先生が力強い口調で私に答えた。
「交通機関の発達により、人間の移動は太古の昔に比べてはるかに活発になっています。物資の移動も然りです。そのような現代においては、伝染病が発生したという情報は、世界に素早く発信されるべきです。そして、伝染病の拡大を防ぐために、世界的な対策も講じる必要があります。ですから、ぜひ創立するべきです!」
「私もそう思います」
「私も、志賀先生と北里先生と同意見です」
北里先生の後に、志賀先生と秦先生が大きく頷くと、
「いいんじゃない?でも、その機関、なんて名前にするつもり?」
ヴェーラがぶっきらぼうに私に尋ねた。
「安直だけれど、“世界保健機関”かしら。ただ、実際に名称を決めるのは、私じゃなくて国際連盟の設立準備事務局だから、本当にそうなるかは分からないけれど」
ヴェーラにこう答えると、私は再び北里先生に身体を向け、
「ありがとうございました。これで迷いが無くなりました。先生方の賛成も得られましたから、ジュネーブの陸奥さんに世界保健機関の創設を検討するようにお願いしますね」
ほっとしながら頭を下げた。世界保健機関を作りたいという私の考えが、時代を先取りし過ぎた独りよがりな発想かもしれないと恐れていたけれど、その心配はなさそうだ。これなら、陸奥さんに自信を持って提案できる。
「いいえ、こちらこそ。内府殿下のお役に立てたようで幸いです。それに、本日は我々の研究についてもお話ができました。誠にありがたいことでございます」
深く私に一礼する北里先生に、
「お礼を言うのはこちらです、北里先生。今日は本当にありがとうございました」
私も最敬礼をしてお礼を言った。
「医科研のことは、もっと気に掛けたいのです。いいえ、本当のことを言うと、毎日でも入り浸りたいくらいなのです。けれど、内大臣になってしまったから、医科研のことをひいきできなくて……」
天皇の輔弼をする内大臣が、特定の団体の総裁職を務めるのはよろしくないと考えたので、昨年内大臣に就任した時に、この医科研の総裁と、大日本医師会の総裁は退いた。予備役に入って現役の軍医でもなくなってしまった私は、強く望まなければ、医学には触れられない環境に置かれているのだ。
「けれど、先ほどのような、医学に触れたいという発作は、どうしても起こしてしまいます。もし、今後、同じ発作が起こった時は、医科研にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも」
私のお願いに、北里先生は快く頷いてくれた。
「もし内府殿下の発作が起こった時は、我々の最新の研究成果で、発作を鎮めてご覧に入れましょう!」
北里先生の力強い声に、
「お城の発作の方は、自分で何とかなさいね」
ヴェーラ・フィグネルの声が重なった――。




