大きすぎる波紋(3)
1917(大正2)年4月14日土曜日午後2時5分、赤坂離宮の大食堂。
「今月8日に出された、徴兵年齢を18歳から15歳に引き下げるというブルガリア公・フェルディナントの命令に、ブルガリアの野党国会議員が一斉に反発し、フェルディナントの宮殿に押しかけました。そこに、アレクサンドル・マリノフ首相以下の閣僚たちと、与党の国会議員たちも合流し、野党議員たちと一緒に、命令の撤回とフェルディナントのブルガリア公退位を叫び始めたのです」
月に1度開催される梨花会の冒頭、大山さんが報告していたのは、中央情報院の明石元二郎副総裁が伝えてきた、ブルガリアで発生したクーデターに関する最新情報だった。
「フェルディナントは国会議員たちを退去させるよう、宮殿の衛兵に命じましたが、彼らは命令に従いませんでした。それを見たフェルディナントは、自ら電話で参謀本部に、議員たちを排除するために軍隊を派遣するよう命じましたが、やって来た兵たちは議員たちと一緒に、“益なき戦争を終わりにせよ”と叫び、フェルディナントの代わりに、フェルディナントの長男・ボリスをブルガリア公にするよう求めました。内閣も議会も軍も自分の味方ではないことを悟ったフェルディナントは、ブルガリア公の地位をボリスに譲って宮殿を去りました。……以上が、4月8日にブルガリアで発生したクーデターの一部始終でございます」
大山さんが報告を締めると、大食堂のそこかしこから讃嘆の声が漏れた。
「流石、明石ですな。この鮮やかな手並み、何度聞いても惚れ惚れします」
国軍航空局長の児玉さんなど、そう言いながら嬉しそうに何度も首を縦に振っている。
「内府殿下のご希望通り、血が一滴も流れぬ見事な展開になったのは結構だが、このクーデターに院が関与していたこと、イギリスに察知されておらんだろうな、大山どの?」
1人、心配そうに尋ねた宮内大臣の山縣さんに、
「その辺りは抜かりなく……。イギリスは、ブルガリアに院の者がいたことすら気が付いておりません」
大山さんがニヤリと笑って回答した。「MI6は、ブルガリアの野党と、軍の非主流派を焚きつけました。そして明石君は、首相をはじめとする閣僚たちと与党、そして軍の中枢部に工作を施しました。イギリスは、野党の抗議運動の激しさを目の当たりにした首相や与党の議員たちが、野党の抗議運動に自主的に加わり、それに軍の中枢部も合流したと考えています」
「なるほど、なるほど。院の方がMI6より、一枚上手というわけじゃなぁ」
大山さんの答えを聞いて、のんびりと頷いた西郷さんに、
「しかし閣下、油断は禁物です」
国軍参謀本部長の斎藤さんが真面目な表情で忠告した。「確かに、内府殿下と大山閣下のおかげで、日本の諜報は“史実”より発展し、他国の追随を許しておりません。しかし、MI6も実力をつけてきていますし、今はまだありませんが、CIAやKGBのような諜報機関が他国にできるかもしれません。他国の謀略に絡めとられることの無いよう、我々自身も気を引き締めなければ……」
「あの……有栖川宮さま、“CIA”と“KGB”というのは、一体何でしょうか?」
斎藤さんの言葉を聞いた迪宮さまが、隣に座る私の義父・威仁親王殿下にそっと尋ねる。
「CIAが“史実”のアメリカに、KGBが“史実”のソビエトという国にあった諜報機関だそうですよ」
義父は迪宮さまと同じように、声を潜めて答えた。「うちの嫁御寮どのの前世のお父君は、そのようなものが出てくる活動写真が大好きだったそうです。この時の流れではCIAはありませんし、KGBはソビエトという国ごと存在しておりませんがね」
と、
「いずれにしろ、情報はとても大切だぞ、裕仁」
自分の長男と義兄との会話が聞こえていたのだろう。玉座に座る兄が、迪宮さまに語り掛けるように言った。
「我が国がここまで国際的地位を上げることができたのは、“史実”の記憶を持つ人間が政府の中枢に集まることができたという天祐に恵まれたこともあるが、更に大きな要因は、ここにいる者をはじめとして、皆が知恵を出し合って努力してきたことだ。その知恵は、正しい情報が素早く得られることによって生み出される。だからこそ、正しい情報を得ることについては、常に気を配らなければならない」
迪宮さまは背筋を伸ばし、兄の言葉に素直に聞き入っている。梨花会に参加するようになってから、迪宮さまは更に勉学に積極的になり、ご学友さんたちと世界情勢や政治について討論することも増えたそうだ。けれど、それに飽き足らず、兄は迪宮さまの学習効果を更に高めようとしているのだろう。
「ブルガリアではフェルディナントの長男がボリス3世としてブルガリア公となり、フェルディナントはオーストリアへ去りました。そして4月10日、ブルガリア政府は、清・ロシア・アメリカ・日本による共同声明を受け入れ、オスマン帝国との和平交渉に応じると表明しました」
内閣総理大臣の渋沢さんの報告に、
「その表明とほぼ同時に、ブルガリアでは、ブルガリア軍の士官5人が拘束されました。スペイン・バルセロナで発生したドイツのアイテル・フリードリヒ殿下襲撃事件に関わった者たちです」
大山さんがこう付け加える。
「ひどい話だ。一時占領した街に収監されていたオスマン帝国の死刑囚を、“協力したら残された家族に大金をやる”という条件で抱きかかえ、襲撃犯に仕立て上げるとはな」
兄は眉をひそめるとため息をついた。参戦すると約束しておきながら軍を動かそうとしないドイツに痺れを切らしたフェルディナントが、無理やりにでもドイツ軍を動かす方法として考えついたのが、スペインを訪問するドイツの皇帝の次男を、オスマン帝国の人間が襲撃したという騒ぎを起こすことだった。その試みは成功しかけたけれど、4か国共同声明が発表され、“ヤメレ”という言葉に皇帝が反応したことで失敗してしまった。それでフェルディナントが焦り、徴兵対象者を増やして自軍兵士を少しでも増やそうとしたのがきっかけでクーデターが起こったのだから、世の中、何がどう転ぶか分からない。
「ブルガリア政府は、その拘束された5人がフェルディナントに直接命令され、アイテル・フリードリヒ殿下を狙ったという筋書きで、事件の幕引きを図るようですな」
児玉さんの言葉に、
「さっさとそれで、ブルガリアとドイツが手打ちをしてほしいですね。ドイツがごねて何か別の条件を要求したら、ブルガリアとオスマン帝国の講和会議が始まるのが遅れて、オスマン帝国が財政破綻に近づいてしまいます」
私はこう応じると顔をしかめた。オスマン帝国が財政破綻して、オスマン帝国の外債を保有している国の間で利権が奪い合われることも、世界大戦の引き金になりうるのだ。
すると、
「もしドイツがごねれば、梨花さまが皇帝に“ヤメレ”とおっしゃればよいだけでございます」
私の右隣に座る大山さんが、私にこんなことを言う。冗談なのか本気なのか分からなかったけれど、どちらにしても嫌なことには変わりないので、
「同じ手が2度も通じるとは思えないわ」
私は我が臣下に冷たく言い返した。
「まぁ、とにかく、これで講和会議が始められますね。始まるのは来月の終わりぐらいですか?代表でアメリカに行く人たちと、よく打ち合わせをしておかないと……」
講和会議と、オスマン帝国の外債返済に関する会議は、すべての関係国が交渉のテーブルにつくことが決まってから、日時や場所を決めることになっていた。ただ、先月浜離宮で行われた4か国外相会談では、アメリカで開催されることになるだろう……という認識で、各国とも一致していた。そのことを念頭に置いて発言した私に、
「内府殿下、よろしいですか」
外務省取調局長の幣原喜重郎さんが、困ったような顔で呼びかけた。
「実は、会議の開催地が、アメリカではなくなりそうでして……」
「ほう。ロシアかな?それとも、清かな?」
何気ない調子で訊いた枢密院議長の黒田さんに、
「いえ、日本です……」
幣原さんは首を力無く左右に振りながら答えた。
「何っ?!」
「何だと?!」
流石の梨花会の面々も、幣原さんの言葉に色めき立つ。日本では、先月の外相会談まで、大臣や全権が多数出席する国際会議の開催経験がほとんど無かったのだ。先月の外相会談を無事に終わらせたとは言え、イギリスやフランスなど、ヨーロッパの列強と比べれば、国際会議に関する経験値は遥かに低い。
「……実は昨夜、講和会議と外債返済に関する会議に出席する代表が、日本に向かって出発したという連絡がイギリスから入ったのです」
幣原さんの後を受けて一同に説明する渋沢さんの表情は、苦渋の色に満ちていた。
「渋沢、誰だよ、そのせっかちな野郎は?」
明治初年は渋沢さんの上司だった元内閣総理大臣の井上さんの質問に、
「大蔵大臣のロイド・ジョージと、海軍大臣のウィンストン・チャーチルです」
答えた渋沢さんの眉間の皺が、更に深くなった。
(げぇっ、チャーチル!)
私は歯を食いしばった。忘れもしない。昨年訪問したイギリスで、私の力量を試そうとして討論を誘ってきたのが、現在42歳の海軍大臣、ウィンストン・チャーチルさんである。“史実”で後にイギリス首相となる彼は、今の時点でも非常に手強い相手だ。また、大蔵大臣のロイド・ジョージさんは、長年大蔵大臣を務めている経験豊富な政治家である。彼もチャーチルさんと同じく、一筋縄ではいかない人だ。
「これは、手強い相手がやってきますな……」
伊藤さんが少しだけ顔を強張らせて感想を漏らすと、
「今、清・ロシア・アメリカとも協議していますが、こうなった以上、会議は日本でやるしかないだろうという結論になりつつありまして……」
渋沢さんはこう言ってため息をつく。大食堂に暗い響きのざわめきが流れる中、
「なるほど、イギリスは我が国を試してきましたか」
余裕が感じられる口調でこう言った人がいた。前内閣総理大臣の陸奥さんである。
「内府殿下が先頭にお立ちになり、世界平和が成し遂げられつつあることが、イギリスは面白くないようですね。それで我が国に、“大規模な国際会議が開催できるような設備や国力は持ち合わせていないだろう”と皮肉を言ってきたわけです」
(うわぁ……)
陸奥さんの言葉に、私は思わず、口をだらしなく開けてしまった。何と陰湿なやり方なのだろうか。これなら、面と向かって、“お前の国には力が無い”と言われる方がまだマシかもしれない。
「大山さん、私、イギリスに行った時も、力量を試されかかったけれど……イギリスって、こういうお国柄なのかしら?」
私が大山さんに尋ねると、
「イギリスは、“世界の頂点にいるのは自分たちだ”という強い自負があるのでしょう。ですから、それを脅かす存在となりうる梨花さまに嫉妬しているのでしょうな」
大山さんは微笑しながら私に答え、「流石、俺のご主君でございます」と付け加えた。
「なるほど、俺の愛しい妹は、何物にも代え難い世界の至宝という訳だな」
大山さんの言葉を聞いた兄は薄く笑うと、
「さて、卿ら、イギリスからのこの挑戦、受けて立つか、立たないか……どうする?」
と、大食堂にいる一同に問いかけた。
「そりゃあ……受けて立つしかないでしょうよ」
井上さんがニヤリと笑いながら即答した。「俺も昔、外交交渉じゃ散々泣かされました。その時味わった悔しさ、今回の国際会議を見事に成功させて、晴らしてやろうじゃないですか」
「うむ、井上さんの言う通りであるんである!客をもてなすのは吾輩、得意中の得意……開国して60年余り、我が国の外交の集大成、世界にとくと見せつけて、イギリスを、いや、世界をあっと言わせてやるんである!」
文部大臣で立憲改進党の党首である大隈さんも大声で叫ぶ。
「無論、僕も協力いたしますよ、渋沢殿。我が国をなめてかかったイギリスを、思い切り後悔させてあげましょう」
陸奥さんが不敵な笑みを唇に閃かせながら言うと、
「……ありがとうございます、陸奥どの」
渋沢さんが陸奥さんに向かって一礼した。
「決心がつきました。我が国は、世界の国々をもてなすことのできる、世界のどの国にも負けない国であることを、国際会議の開催を通じて証明してやりましょう!そして、世界の平和を達成しましょう!」
渋沢さんの力強い声に、「その意気じゃ!」と伊藤さんの声が続く。他の出席者一同も気勢を上げている。大食堂は異様な熱気に包まれていた。
「では、決まりだな。……やれやれ、この様子だと、お父様の大喪儀の時以上の騒ぎになりそうだ。しかし、世界大戦を起こさないためにも、やれることはやらないとな」
一気に騒がしくなった大食堂を見渡すと、兄は言った。少し困ったような表情だったけれど、口調はどこか楽しげだった。
「兄上、私も頑張るよ。イギリスに負けないように、最高のおもてなしをしてみせる。それで、世界大戦を起こさないために、できることは全部やるよ」
私は兄と目を合わせてこう言った。そして、お互いの思いを確かめるかのように、兄と頷きあったのだった。




