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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第61章 1917(大正2)年冬至~1917(大正2)年小満
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バルセロナ事件

 1917(大正2)年1月31日水曜日午前10時、赤坂離宮。

「なるほど……」

 赤坂離宮内にある兄の執務室。執務机の上には、バルカン半島の大きな地図が広げられていた。地図の上には、四角い小さな木片が所々に置かれている。これは“兵棋(へいぎ)”と言って、国軍の大学校や士官学校で、地図上で戦闘・戦略の訓練を行う際に使われる駒である。そして今、その兵棋と地図を使って、侍従武官長の島村(しまむら)速雄(はやお)海兵中将が、バルカン半島でのブルガリア公国軍とオスマン帝国軍の戦闘経過を説明し終わったところだった。

「ブルガリア公国は、自国の東側と西側から南下して、オスマン帝国領に攻め入ろうとしている。しかし、東側では、アドリアノープルの要塞を陥落させることができていない。西側では、クラトヴォ近郊の会戦で敗北して、オスマン帝国軍に国境まで押し戻されている。そこから両軍は動いていない……ということか」

 そう言って兄が胸の前で両腕を組むと、

「仰せの通りです」

島村侍従武官長が兄に向かって一礼した。

「お見事でございます、島村どの」

 執務室に控えていた大山さんが島村さんに言った。その言葉に、兄の執務机の横に椅子を与えられていた奥保鞏(やすかた)侍従長も黙って頷く。

「恐れ入ります。おかしなことを申し上げてしまったらどうしようかと、不安だったのですが……」

 恐縮する島村さんに、

「大変分かりやすかったぞ、島村武官長」

兄は微笑しながら言った。「説明が、スッと頭に入ってきた。要点がきちんと押さえられているからだ。普通の人間には、なかなかできないことだと思う。……しかし、海兵では、陸戦の兵棋演習をやる機会は限られているだろうに、島村武官長は一体どうやって陸戦の兵棋を学んだのだ?」

「実は、児玉航空局長に教わったのです」

 兄の質問に、島村さんは少しはにかみながら答えた。「私の説明にご満足いただけたのでしたら、それは児玉航空局長のおかげです」

 そう言えば、国軍が合同したばかりの頃、島村さんは児玉さんに海戦のイロハを教えたと聞いたことがある。恐らくその時、島村さんも児玉さんから陸戦のことを教わったのだろう。

 と、

「しかし、ブルガリア軍がここまで苦戦するとは思いませんでしたな」

奥侍従長がこう言って両腕を組んだ。

「ドイツの援助を受けて軍備を増強し、海軍まで作ろうとしたと聞きましたが……大山どの、金子どのから何か聞いておられませんか?」

 奥侍従長の問いに、

「単純なことです。オスマン帝国が抱える債務を増やすために、ドイツがオスマン帝国に兵器を多数購入させていましたから」

大山さんは薄く笑って応じた。「そのおかげもあり、オスマン帝国軍の近代化は完了しております。オスマン帝国軍はブルガリアとの国境近くに手厚く配備されていますから、拙い指揮をしなければ、ブルガリア軍の領内への侵入をこれ以上許すことはないでしょう」

「ブルガリア公国も、せめて、オスマン帝国のドイツ軍事顧問団にお願いして、“ギリシャとモンテネグロとセルビアが攻め込んでくる”みたいな偽の情報を、オスマン帝国軍に吹き込んでおけばよかったのにね。そうすれば、ブルガリアとの国境に集まる兵力を分散できたのに」

 奥侍従長と同じく、兄の執務机のそばの椅子に座った私が指摘すると、

「内府殿下は、なかなか悪辣ですなぁ」

我が臣下はのんびりと言い、ニヤリと笑った。

「しかし、オスマン帝国軍も、そのような情報に引っ掛かるほど愚かではありません。ですから、ブルガリア軍に善戦しているのですよ」

「大山大将、その愚かではないオスマン帝国軍が、ブルガリア公国に攻め入ろうとしないのは、やはり金が無いからなのか?」

 兄が眉をひそめながら質問すると、

「さようでございます」

大山さんはそう答えて頭を下げた。

「オスマン帝国政府は、軍に対して、防衛に専念し、ブルガリアへの侵攻はしないようにと命じています。その原因はやはり、オスマン帝国の財政が危機的状況にあるからです。現在、オスマン帝国軍は国境付近に築いた防衛線を堅持しています。そして政府は、和平の仲介を申し出てきたイギリス・フランスにブルガリアとの交渉を依頼しているようです」

「なるほどねぇ……」

 私が相槌を打つと、

「しかし、ブルガリアは、交渉に応じる気配が無いようです」

我が臣下はこんな言葉を付け加えた。

「……それは、ブルガリアがドイツの参戦を待っているということ?」

「残念ながら、そこまでは分かりません。戦争でバルカン半島の通信網に混乱が生じており、ブルガリアの情報は手に入りにくくなっておりまして……」

 私の問いに、大山さんは首を横に振る。どうやら中央情報院にも、手に入れられない情報というものがあるようだ。……いや、そもそも、中央情報院のおかげで、国内外問わず重要な情報が比較的早く手に入る、というのが、この時代ではすごいことなのだけれど。

「しかしドイツからは、オスマン帝国軍の健闘を見て、内閣と参謀本部が参戦に慎重な意見で一致したという情報がもたらされました。今回の戦争で、オスマン帝国の債務を増やすことができただけでも大きな成果、あとほんの一押しすればオスマン帝国の財政は破綻するのだから、それを待てばよい、と……」

「つまり、近い将来参戦するというブルガリアとの約束は、無かったことにするのだな」

 兄が確認すると、「その通りです」と大山さんは恭しく答える。

「でも、それでブルガリアが納得するかしら?“我慢の限界だ”と言って、オスマン帝国に攻め込んだのでしょう?」

 私が質問すると、

「……ひょっとすると、ドイツはブルガリアを止めに掛かっているのかもしれません」

奥侍従長がこう言った。

「あり得ますね」

 島村さんが軽く頷きながら言った。「第三者から見れば、今回の戦争の講和は、ブルガリアの独立は承認するが、領土、そしてもちろん賠償金のやり取りもなし……というあたりが落としどころになるでしょう。しかし、ブルガリアがそれ以上のものを要求していて、ドイツがそれを諦めさせようとしているのかも……まぁ、まったく情報はありませんから、あくまで1つの推測に過ぎませんが」

「だけど……領土と賠償金のやり取りが無かったとしても、オスマン帝国の財政破綻にまた一歩近づいてしまったのは確かですね」

 私は大きなため息をついた。

「財政が破綻した後、オスマン帝国で得られる利権をどう分配するかで、債務国が揉めるだろうし……。各国冷静になって、世界大戦だけは回避してほしいけれど、それは虫が良すぎるかしら……」

 もし、世界大戦が発生してしまえば、日本は日英同盟に従い、イギリスに味方することになるだろう。ドイツ領ニューギニアに出兵する必要が出てくるかもしれないし、場合によっては、“史実”と同じように、ヨーロッパに艦隊を派遣するよう要請されてしまうかもしれない。

(そうなったら、本当に最悪だよなぁ……。諒闇中なのに、勘弁してほしいわ)

 私が顔をしかめた時、侍従さんが廊下から、内閣からの使いがやってきたと知らせた。どうやら、兄が決裁すべき書類が届けられたようだ。その侍従さんの声を合図にするかのように、奥侍従長と大山さんと島村さんが椅子から立ち上がり、執務室でのバルカン半島論議は終了したのだった。


 1917(大正2)年1月31日水曜日午前11時30分、赤坂離宮。

 一仕事終えた私は、兄の執務室に呼ばれ、兄と一緒にお茶を飲んでいた。最近では、午前の仕事を終えると、人払いをした兄の執務室で、兄と2人でお茶を飲みながらおしゃべりするのが習慣になっている。午後の仕事が終わって時間があれば、天気のいい日には兄と一緒に庭を散歩したり、馬に乗ったりする。ただ、乗馬の場合は、一緒に馬に乗る、と言うより、兄が私の乗馬を指導する、と言う方が正しいかもしれない。私への乗馬の指導が兄の負担になっていないかが心配だけれど、兄にとってはいい息抜きになっているようで、執務室から馬場に出る時は、兄はいつも嬉しそうにしていた。

「おい、梨花」

 私がお茶を一口飲み下した瞬間、兄が私を呼んだ。

「何?」

 首を傾げると、兄は真剣な表情になり、

「お前……今日は少し、具合が悪そうだぞ。大丈夫か?」

と私に尋ねた。

「ああ……昨日が休みじゃなかったから、ちょっと調子が狂って疲れているのは確かね。でも大丈夫、それ以外に体調は悪くないよ」

「そうか、去年までは、孝明天皇祭は祝日だったからな」

 私の答えを聞いた兄は、私に向かって微笑んだ。「仕方がないこととは言え、確かに慣れないな」

 兄がこう言ったのは、兄の即位に伴って、休日が変更になったからである。昨年まで、日曜日以外の休日は、1月3日の元始祭や1月5日の新年宴会、春秋の皇霊祭の日など、合計10日と定められていた。ところが、お父様(おもうさま)が崩御したことにより、先代の天皇の命日、“先帝祭”の日が11月7日になった。このため、先帝祭に伴う休日も、先々代の天皇・孝明天皇祭の1月30日から、明治天皇祭の11月7日に変わったのだ。

「去年までは国軍病院に勤めていたから、1月30日はちょっと息抜きできる日だったのよ。ご神事には出席しないといけないけれど、それが終わったら、子供たちと一緒に過ごせるから」

「なるほどな」

 私の言葉に頷いた兄は、

「今年からは、その休日がもう1日増えるぞ」

と、おどけるように言う。

「増えると言っても1日だけだし、私は内大臣だから、あまり休めないんじゃないかな……」

 私は軽く唇を尖らせた。

 兄が生まれたのは、1879(明治12)年の8月31日だ。だから、天長節は8月31日になるのだけれど、夏真っ盛りのこの時期に、天長節恒例の観兵式をやってしまうと、参観客や将兵が熱中症で倒れてしまう危険が大きい。このため、天長節のご神事は8月31日にやるけれど、天長節観兵式と天長節宴会は、約1か月後の10月1日に行われることになった。その10月1日も、“天長節祝日”として休みになったので、兄の誕生日に伴う休日は2日発生することになる。

「はぁ、私の時代みたいに、ゴールデンウィークやシルバーウィークがあればいいのに。そうすれば、万智子(まちこ)たちを連れて、葉山あたりに泊まりがけで出かけやすくなるのだけれど……」

 ぼやいた私がため息をつくと、

「葉山か……俺も一度、お母様(おたたさま)の御機嫌伺いをしに、葉山に行きたいのだが……」

兄も遠い目をしてため息をついた。お母様(おたたさま)は、赤坂御用地に新しい御所ができるまでの間、葉山御用邸で過ごすことになり、10日ほど前に東京を発ったのだ。

「行けばいいじゃない。今すぐは無理だろうけれど、山縣さんと相談したら?」

 私がこう勧めると、

「まだ皇太子だった頃なら相談していたが、天皇になってから、外出するのが煩わしくなってなぁ……山縣大臣に言い出せずにいる」

兄は再びため息をつく。やはり、鹵簿(ろぼ)が長くなってしまうのが、お気に召さないようである。

「でも兄上……微行(おしのび)なら、葉山に行きたいんでしょ?」

 すると、

「もちろんだ」

兄は即答して、ニヤリと笑った。

「そう言うと思ったよ」

 私は兄に苦笑いを向けた。「気持ちは分かるけどね、あの長い鹵簿だって、兄上の警備を兼ねているのよ。もし兄上が暗殺されたら大変なんだから」

「それはもちろん分かっているが、俺の鹵簿が通過するたびに市電が止まってしまうのを見ると、市民に申し訳なく思うのだ。だから、せめて、外出は微行(しのび)にして……」

「そうね。院との調整がつけば、何とかなると思うよ」

 天皇や皇太子が微行(おしのび)で外出する場合、中央情報院の職員たちが目立たないように警備をしている。院との打ち合わせの手間は必要だけれど、微行(おしのび)なら、鹵簿の通過時に市電が止まることはない。

 ところが、

「なんだ、警備なしではダメなのか」

兄はとんでもないことを言い始めた。

「抜け道を使ってこの離宮から出て、新橋から列車でお母様(おたたさま)のところまで行こうかと思ったのに」

「はぁ?!抜け道?!そんなもの、どうして知っているのよ?!」

 思わず目を丸くした私に、

「そりゃあ、自分の家だしな。ちなみに、皇居の奥御殿からの抜け道もいくつか知っているぞ」

兄はなぜか得意げに付け加える。

「それ……抜け道を使ったら、出口に大山さんが待ち構えていて、“逃れようとて、そうは参りませんぞ”って言われてお仕置きを受けるのがオチよ!兄上、お願いだから……」

 “無駄なことはやめてちょうだい”と私が叫ぼうとした瞬間、

「静かにしろ、()()

兄が突然、重い声で私に命じた。人払いをしているはずなのに、私を“章子”と呼んだということは……。

「いや、曲者ではない」

 身構えた私を見て、何を考えたのか察したのだろう。兄は私を落ち着かせるように言った。

「侍従か、お前の秘書官のうちの誰かだと思うが……誰なのかまでは分からないな。ただ、かなり急いでいる様子だ」

 兄がそう言った時、

「陛下、内府殿下、ご休憩中のところ失礼いたします」

廊下に面した障子の向こうから、緊張感を伴った声が聞こえた。内大臣秘書官の松方金次郎くんだ。

「構わん、入ってくれ」

 私が声を掛けるより一瞬早く、兄が障子の向こうに呼びかける。障子を開けて入ってきた金次郎くんは、兄に最敬礼した。

「外務省から知らせがまいりまして……ご休憩の後にとも思ったのですが、オスマン帝国に関連したものでしたので、お知らせに参りました」

 恐縮した様子で言上する金次郎くんに、

「ありがとう」

兄は穏やかな声でお礼を言った。

「ブルガリア公国とオスマン帝国の戦争は、展開によっては、我が国も巻き込む世界大戦に発展しかねない。その両国の動向には注意しておかなければ」

「そうね」

 私も兄の言葉に頷いた。金次郎くんは、中央情報院で働いていたことがあるから、普通の宮内省の役人よりも政治や国際情勢に関する知識を持っている。その彼が重要だと判断したのだから、かなり重要な情報だろう。

「それで、金次郎くん、外務省からどんな知らせが来たの?」

「はい」

 金次郎くんは兄にもう一度深く頭を下げると、


「スペインのバルセロナの街で、現地時間の30日午後3時、ドイツ帝国のアイテル・フリードリヒ殿下がピストルで狙撃されました。供をしていた士官が腕を負傷したものの、殿下にお怪我はありませんでした。犯人はスペインの官憲に捕らえられましたが、自分はオスマン帝国の命令で、アイテル・フリードリヒ殿下を暗殺しようとした……そう供述しているとのことです」


……という、俄かには信じがたいことを報告したのだった。

※実際、大正時代には天長節の他に「天長節祝日」が10月31日に設定され、その日は祝日になっていました。ただし、拙作では11月7日が先帝祭で祝日という設定になり、そのまま天長節祝日を10月31日にしてしまうと祝日が接近してしまうため、アジ歴の『「大正元年勅令第十九号・(休日ニ関スル件)・中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100056400、公文類聚・第三十七編・大正二年・第七巻・官職六・任免(内閣~服務懲戒)・雑載(国立公文書館)』も参考にして、天長節祝日は10月1日に設定しました。

……それでも秋季皇霊祭(秋分の日)と接近してしまう気がしますが、ご了承ください。

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[一言] 第二次日英同盟が切れる直前なのか……
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