砲声、闇夜に轟く前に(1)
1916(大正元)年12月22日金曜日午前5時45分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「じゃあ、母上は25日まで留守にするわ」
玄関に栽仁殿下と並んで立った私は、3人の子供たちの顔を、1人1人、しっかり覗き込みながら言った。今日はこれから、霊代奉安の儀、斂葬当日殯宮祭と、お父様の大喪儀の重要な儀式が続く。夜からはいよいよ棺を青山練兵場に移して、葬場殿の儀が始まる。私は不測の事態に備えて、日中は皇居で待機していなければならない上、兄夫妻について桃山に行かなければならないので、数日帰宅できないのだ。
「父上も、1回家に戻るけれど、夕方になったらおじじ様の斂葬に出る。その後、おじじ様の棺について、母上と一緒に桃山に行くから、2人とも、25日まで留守にする。みんな、捨松さんと千夏さんと一緒に、しっかりこの家のお留守番をしてね」
私がこう言って微笑むと、
「任せといて!」
3歳4か月になった次男の禎仁が元気よく答えた。子供用の水兵服を着て、左腕に喪章を巻いた禎仁は、私に向かって軍隊式の敬礼をしてみせた。
「はい、しっかり留守番をします。父上と母上のご洋行の間も頑張れたから、今回も頑張れます!」
禎仁と同じ水兵服を着て、私の目を見つめ返しながら言ったのは、長男の謙仁である。もうすぐ4歳9か月になる彼は、兄夫妻の末っ子・倫宮興仁さまと同じく、この9月から華族女学校付属幼稚園に通い始めた。もちろん、倫宮さまともよいお友達になり、幼稚園で仲良く遊んでいる……捨松さんがそう教えてくれた。
と、
「万智子、どうしたの?」
海兵中尉の正装をまとった栽仁殿下が、もうすぐ6歳になる長女・万智子の前に片膝をついた。黒橡色の袿に柑子色の袴を身につけた万智子は、私の顔をじっと見つめている。そして、
「何か、心配なことがあるのかな?」
栽仁殿下にこう尋ねられた万智子は、
「母上、お元気が無いから……」
と心配そうな声で答えた。
「ん……確かに、一昨日も昨日も、伯父上の御用で外国のお客様をおもてなししないといけなかったから、疲れちゃったね」
空元気を出しても、賢いこの子はすぐに見破ってしまうだろう。私は正直に、娘に現状を報告した。一昨日の20日、そして昨日の21日は、お父様の斂葬に参列する各国使節を歓迎する昼食会が宮中で開かれた。その昼食会に2回とも出席したのだけれど、33歳という年齢で、しかも女性で大臣に就任した私に、お客様たちの注目が集まってしまい、2回とも質問責めにされてしまったのだ。おかげでクタクタに疲れてしまい、未だに疲労が身体から抜けていない。
私の答えを聞いた万智子は、
「父上」
と、真剣な表情で栽仁殿下を呼んだ。
「家にお戻りになる前に、母上を皇居でお昼寝させてくださいね。そうじゃないと、母上が倒れて、伯父上の御用がちゃんとできなくなるから」
「ま、万智子……」
確かに、空き時間で、内大臣室の長椅子に寝転がって仮眠しようとは思っていたけれど、それをここで堂々と言わないで欲しい。慌てた私は、しっかり者の娘に抗議しようとしたけれど、
「分かったよ、万智子。内大臣室で母上を寝かしつけてから家に戻るね」
その前に、万智子と目を合わせた栽仁殿下が、大真面目な調子で彼女に請け負ってしまった。
「た、栽仁殿下っ……」
「枕元で子守歌を歌って、寝かしつけてあげようか?それとも絵本を読んであげようか?」
顔を真っ赤にした私に、夫は真面目な顔で、本気とも冗談ともつかないことを言う。
「ひ、1人で眠れるよ!家でお昼寝する時だって、いつも1人でちゃんと眠れるから!」
思わず怒鳴ってしまうと、栽仁殿下がプッと吹き出す。子供たちのそばにいた捨松さんと千夏さん、そして私たちの後ろに控えている川野さんに笑い声が伝染した。
「うん、よろしい」
私の言葉を聞いた万智子は、納得したのか、何度も深く頷いている。そんな娘の身体を優しく抱き締めると、
「万智子。母上、空いている時間は、ちゃんとお昼寝するからね。だから、謙仁と禎仁と一緒に、父上と母上の留守を頼むわ」
私はしっかり者の彼女にお願いした。
「はい、母上」
やっと微笑んでくれた万智子の身体をもう一度抱き締め、謙仁と禎仁も順番に前から抱くと、私は栽仁殿下と一緒に自動車に乗り込み、川野さんの運転で皇居に向かった。
1916(大正元)年12月22日金曜日午後6時、皇居。
「梨花さま」
表御座所にある内大臣室。長椅子に横になり、お昼前から眠りをむさぼっていた私の右肩が、誰かに優しく叩かれた。
「ん……」
この優しくて暖かい気配は、我が臣下のものだ。うっすらと目を開けた私に、
「6時でございます。お食事の時間もございますから、そろそろお目覚めを」
内大臣秘書官長の大山さんは優しく声を掛けた。私は黙って頷くと、伸びをしてからゆっくりと長椅子の上に身体を起こした。
「ご体調はいかがですか?」
「しっかり寝たから、もう大丈夫。疲れも完璧に取れたよ」
身体に掛けていた毛布を畳みながら答えると、私は大山さんに微笑んだ。仕事がとても忙しくなってしまったら、皇居に泊まることもあるかもしれないと思い、私は内大臣室に毛布や枕代わりのクッション、替えの下着などを持ち込んでいた。それが早速役に立ったわけだ。
「こんなに眠れたということは、今のところ、トラブルは何も起こっていないということね」
大山さんに確認すると、
「ええ、全て滞りなく」
と彼は私に微笑み返し、「紅茶を淹れて参りましょう。先ほど、盛岡町からサンドイッチが届きましたから、そちらもお持ちいたします」と言って、内大臣室を出て行った。栽仁殿下は午前中に一度帰宅した後、葬列に供奉するため、夕方に再び参内することになっていた。恐らく、その時に、有栖川宮家の職員の川野さんか、栽仁殿下のお付き武官の米内光政海兵少佐が、サンドイッチを表御座所に届けてくれたのだろう。これから深夜まで、気の抜けない儀式が続くから、栄養補給ができるのはありがたい。
「……葬列に加わってくれる人たちは、大体揃ったのかしら?」
盛岡町邸の料理人さん謹製の美味しいサンドイッチを堪能し終わると、私は紅茶を飲みながら大山さんに尋ねた。
「続々と参集しつつあります」
大山さんは私に答えて言った。「大手門、通用門、桜田門、和田倉門……ともにかなりの混雑になっているとのことですが、皇宮警察や宮内省の職員の整理のおかげで、混乱は起こっておりません」
「市内の交通の方はどう?そろそろ、葬列の道筋の市電が運転を止めるころだと思うけれど……」
「ご安心を。市内の交通状況にも問題はないようです」
「そう。……なら、何よりだわ」
私はほっと息をついた。「葬列に加わる人数、どのくらいになるか、見当がつかないレベルだもの」
お父様の棺は、轜車……5頭の牛が牽く牛車に載せられ、この皇居から青山練兵場に設けられた葬場殿に運ばれる。その前後には、皇族や大喪使の職員はもちろんのこと、渋沢内閣総理大臣以下の閣僚たちや国軍の将官たち、華族の当主や国会議員、官僚や東京市長、道府県の県会議長、国立大学の教授など、様々な人たちが付き従う。もちろん、国軍の儀仗兵や楽隊も葬列に加わるし、イギリスと清から派遣された儀仗兵も葬列に参加する。警察が作成した行列の進行予定図によると、日比谷公園の東北の角に轜車が到着するころ、行列の先頭は、約2km先の溜池橋にいるらしい。もちろん、轜車の後ろにも多数の人間が付き従うので、葬列の総延長がどのくらいになるのか、誰にも予想が出来なかった。
「あ、そうだ。お天気は、と……」
私は椅子から立ち上がると、窓際へと歩いた。閉められているカーテンを少しだけ開けて、外の様子を確認する。雲一つない夜空に、いくつもの星が瞬いているのが見えた。
「よかった。雨や雪は降ってないね」
私の呟きに、
「ええ。ただ、もう2、3日すれば新月ですから、月は見えませんが」
大山さんがこう答える。振り向くと、大山さんの優しい微笑が目に入った。
「さ、梨花さま。そろそろ、お支度をなさらなければ」
「そうだね」
もう間もなく出発する葬列に、私は内大臣として加わることになっている。長時間の仮眠を取ったから、乱れた服や髪形を直さなければならない。私が壁に掛けてある鏡に身体を向けたその時、執務机の上にある電話のベルが鳴った。
(ん?)
この電話の番号は、一般には公表されていない。番号を知っているのは、梨花会の面々と盛岡町邸の一部の職員、そして中央情報院総裁の金子堅太郎さんだけだ。受話器を取ると、
「もしもし、児玉でございます!」
国軍航空局長・児玉源太郎さんの声が聞こえた。
「ああ、児玉さん!章子です!」
答える私の声は少し弾んだ。児玉さんは、先月下旬にフランスのマルセイユで開催されたシュナイダー・トロフィー・レースという水上飛行器の大会を視察するために、9月に日本を出発していた。お父様が重態に陥ったこと、そして崩御したことは、もちろん児玉さんにも伝えられていたけれど、“ここで児玉を日本に引き返させるのは、今後の航空の発展のことを考えるとよろしくない”という国軍上層部の判断により、児玉さんには“出張の目的を果たしてから帰国するように”という命令が特に出された。
――源太郎が日本に戻るのは、斂葬の後になるかもしれません。
国軍大臣の山本権兵衛さんは、先日私にそう言っていた。けれど、児玉さんは、どうやらギリギリで日本に帰国できたらしい。
「お久しぶりです、児玉さん。今、どちらにいらっしゃいますか?」
「新橋駅ですが……それより、内府殿下、緊急のお願いがございます!」
私の質問に返ってきた児玉さんの声は、非常に切迫していた。
「乃木を……乃木を止めるのに、どうかお力をお貸しください!」
「え?乃木さんを止めるって……」
何だか、ただ事ではないような気がする。胸騒ぎを覚えた私が尋ねると、
「乃木が……乃木が自決するつもりです!」
児玉さんは私が思いも寄らなかった答えを返した。
「このままでは、乃木が自決します!乃木は今後の迪宮さまに、無くてはならぬ男!内府殿下、どうか、どうか乃木の自決を止めるため、お力をお貸しください!」
全く余裕が感じられない児玉さんの叫びに、私は目を見開いてしまった。
※葬列の先頭から轜車までが約2kmというのは、一応、アジ歴の『「鹵簿霊柩供奉員(3)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08020020000、明治45年~大正1年 公文備考 巻12 儀制7 大喪一件4(防衛省防衛研究所)』を参照にした記述です。




