人事刷新
1916(大正元)年11月9日木曜日午前10時15分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「やはり、難しいなぁ……」
官公庁の職員録とにらめっこをしていた兄は、大きなため息をついた。
「だねぇ……」
兄の持つ職員録を、横から覗き見ている私もため息をついた。今は、宮内大臣の山縣さん、皇孫……いや、東宮御学問所の総裁である伊藤さん、そして、国軍参謀本部長の斎藤さんを御学問所に呼び、宮内省の新人事について話し合いをしている最中だ。兄に付き従う侍従長と侍従武官長、皇太子となった迪宮裕仁さまに従う東宮大夫と東宮武官長……この4つのポストは最重要人事と見なされたため、兄が自ら人事を決定することになった。だけど……。
「ごめん、兄上。誰がいいのか、全然見当がつかない……」
私が兄に耳打ちすると、
「俺もだ……」
兄も小さな声で私に返した。
「名前を見ただけで、顔と性格まで思い出せる人……宮内省にほとんどいないのよ」
「俺は、宮内省や国軍の人間はある程度分かるが、それ以外は、どうも分からない……」
「それを言うなら、私は宮内省以外の役所の局長クラス以上なら、何とか分かるわ。でも、国軍は医務部以外知らない……」
山縣さんたちに聞こえないよう気をつけながら、兄妹でコソコソ話していたつもりだったのだけれど、
「だから、わしらが参ったのではないですか」
伊藤さんが私たちの会話に、見事なタイミングで割って入ってきた。山縣さんと斎藤さんも、伊藤さんの言葉に頷いている。どうやら、私たちの話は、バッチリ聞こえてしまっていたらしい。私はため息をついた。
「ですが、官吏全員の人柄や能力はご存じなくとも、どなたか、陛下の意中の人物がいらっしゃるでしょう」
肩を落とす私たちに、山縣さんは真面目な表情で言った。「その者の名を、教えていただけませんか。議論のきっかけにできますから」
「……侍従長は奥大将で問題ないと思う」
山縣さんの質問に、兄は、お父様の崩御まで、東宮大夫兼東宮武官長を務めていた人の名を挙げた。奥保鞏歩兵大将。謹厳、剛直な人柄で知られ、間違っていると思うことがあれば、兄相手でも憚ることなく直言する人である。時には肉体言語まで使って兄に諌言する彼は、兄から厚い信頼を得ていた。
「ただ、侍従武官長を奥大将に兼任させるのは、難しいのではないかと思う。侍従長と侍従武官長を合わせた業務量は、東宮大夫と東宮武官長を合わせた業務量よりも多いだろう」
「それは間違いないけれど……」
兄の言葉に、私は首を左右に軽く振った。「じゃあ、侍従武官長は誰にするのよ。奥閣下の軍歴と比較しても、見劣りのしない人にしないと……」
すると、
「黒木はいかがですか?歩兵大将の」
伊藤さんが提案した。黒木為楨さん。国軍内では、猛将として知られる人である。
ところが、
「それは……」
「うーん……」
山縣さんと斎藤さん、2人とも伊藤さんの提案に難色を示した。
「どうした。軍歴では奥と互角じゃろう。それに、“史実”の日露戦争では、第1軍司令官として活躍したし」
思わぬ反応に、少し不満げになった伊藤さんに、
「それは、俺も知っているのですが……」
斎藤参謀本部長は、困ったような表情で言った。「万が一、奥閣下と黒木閣下がもめ事を起こしてしまうと、この表御座所が滅茶苦茶になりそうな気がして……」
「わしもそう思う」
山縣さんが顔をしかめながら斎藤さんに同調した。「あの2人がいさかいを起こしたら……表御座所の障子がどれだけ破られてしまうことやら」
(あー……)
山縣さんと斎藤さんの反応で、黒木さんがどんな人か、何となく想像ができた。どうやら、頭に血が上ると、肉体言語で話をつけようとしてしまうことがあるようだ。
「ふむ。わしも国軍のこととなると、上手く頭が働かぬな」
呟いた伊藤さんは、
「斎藤、お主は何か案があるか?」
と、自分と同じく“史実”の記憶を持つ人間に尋ねた。
「海兵の自慢のようになってしまうので、恐縮なのですが……」
こう前置きした斎藤さんは、
「島村海兵中将がよろしいのではないかと愚考いたします」
と言って、兄に頭を下げた。島村速雄海兵中将。極東戦争の際、連合艦隊の参謀長を務めていて、私も軍医学校の授業や実習でお世話になった。私が栽仁殿下の急性虫垂炎の手術を執刀した時は、海兵士官学校の校長だった。
「島村閣下は、今はどこにいらっしゃるのですか?」
「佐世保鎮守府の司令長官です。ただ、佐世保には5年ほど勤務しておりますので、転勤させるかどうか、山本閣下とも悩んでいたところです」
私の質問に、斎藤さんは落ち着いた口調で答えた。
「うん。島村は人づきあいもよいし、先輩をきちんと立てる人間だ。奥とも、衝突せずにやっていけるだろう」
「島村さんと少し関わったことがあるけれど、懐が深い人だと思うわ。連合艦隊の部下たちや、士官学校の生徒たちにも好かれて尊敬されていた。他の侍従武官の人たちとも、きっとうまくやれると思うよ」
山縣さんと私が口々に言うと、
「山縣大臣も梨花もそう言うなら、よいかもしれないな」
兄は力強く頷いた。
「……よし、島村中将を侍従武官長にするよう、調整に入って欲しい」
「かしこまりました。本省に戻りましたら、直ちに調整を始めます」
兄の命に最敬礼して応じた斎藤さんは、
「ところで……東宮武官長はいかがいたしましょうか」
と兄にお伺いを立てた。
「ああ、東宮武官長は意中の人物がいる」
そう言って微笑した兄は、
「橘大佐だ。人格も立派だし、剣道も得意だ。きっと、裕仁を良く導いてくれるだろう」
と、自信ありげに頷いた。
「ああ、師匠なら間違いないね」
橘周太歩兵大佐は、私と兄の剣道の師でもある。実直で高潔な人格を兄に愛されている橘大佐は、兄のたっての希望で、東宮武官を長年務めていた。
「本当は、乃木中将でもよいかとも思った。しかし、5人の子供の輔導主任をしながら、東宮武官長もするのは、負担が大き過ぎる。児玉航空局長でもよいが、彼を航空局から外してしまうと、飛行器の発展が遅れてしまう」
「その前に、児玉さんはフランスに出張中じゃない。今から戻って東宮武官長になるのはちょっと無理があるよ、兄上」
「そう、それもある。シュナイダー・トロフィー・レースと言ったか……児玉局長には、あれをしっかり観戦してもらって、我が国の航空を発展させてもらわなければならない」
兄と私が言葉を交わしていると、
「お話が弾んでいるところ、大変恐縮なのですが……」
山縣さんが軽く頭を下げながら、私たちの会話を遮った。
「東宮大夫はいかがいたしましょうか。今まで、奥が担ってきましたが、その後任となりますと、それなりの経歴を持つ人物が必要です。橘に兼任させるのも無茶だと思われますし……」
「あ」
声を上げたきり、私は黙り込んでしまった。山縣さんが指摘した通りだ。確かに、今までの奥大将のように、橘大佐が東宮大夫まで兼任するのは難しいだろう。ある程度、事務仕事に慣れていて、経歴が立派な人に東宮大夫をやってもらう必要がある。
(となると、誰がいいのかしら。政党に関わっている人は、有能であっても東宮大夫に選ぶのは難しいし……)
私が頭をフル回転させ始めたその時、
「ならば狂介、東宮大夫は曾禰でどうじゃ。あ奴なら、文官の仕事はなんでもできる」
伊藤さんがこう提案した。曾禰荒助さん。元逓信次官で、数年前に胃ガンで胃の摘出手術を受けた後、枢密顧問官として復帰した。5年前の兄夫妻の洋行にも随行している。
「……うん、悪くない」
山縣さんが頷くと、
「なるほど、見落としていた」
兄が両肩を落とした。「曾禰顧問官なら、経歴も実力も十分……東宮大夫として申し分ない。わたしがすぐに名を挙げられればよかったのだが」
「では、宮内省の人事についての協議は、これで終了ということで……」
斎藤さんが話し合いを締めようとした時、
「いや、まだ話し合うことがある」
兄は右手を前に伸ばし、斎藤さんを止めた。
「梨花を補佐する人材を決めなければならない。内大臣秘書官に、それから秘書官長も……」
兄のこの言葉に、
「それは必要ですな」
「俊輔の言う通り。ご自身でも先ほど実感なさったようですが、内府殿下には、ご修業が不足しているところが残念ながらございます。補佐する人材をおそばに置くべきです」
伊藤さんと山縣さんが頻りに頷きながら同意する。そんな2人を、斎藤さんは呆れたように眺めていた。
「私の補佐……それは、いる方がありがたいけれど」
私は胸の前で両腕を組みながら言った。
「……渋っている理由はなんだ、梨花?」
「障害が……2つあるのよ」
優しく尋ねた兄に、私は顔をしかめて答えた。「1つは、院の人事の大幅な変更が必要なこと。もう1つは、うちの子供たちが、大山の爺のことが大好きだということ。大山さんが有栖川宮家の別当ではなくなると聞いたら、あの子たち、猛反対するわ」
すると、伊藤さんが大きなため息をついた。山縣さんも悲しげな顔をしてうなだれている。
「相変わらずだな、卿らは」
伊藤さんと山縣さんの様子を見た兄がクスっと笑った。「梨花と大山大将の君臣の絆、そう簡単に壊れるものではないと分かっているだろうに」
「しかし、万が一ということが、あるかもしれないではないですか」
なぜか必死に訴える伊藤さんに、
「万が一どころか、億が一もないです。私、大山さん以外の人に、私の補佐官をやってもらいたくありませんから」
私はピシャリと言ってやった。
「あー、でも、どうしよう、兄上。大山さんを秘書官長にしたいけれど、そうなると、院の新人教育、誰がすればいいのかな?」
「それは梨花、金子総裁に直接聞くべきだろう」
顔をしかめた私に苦笑いを向けると、兄は至極まっとうな指摘をした。
「大山閣下もお呼びになる方がよろしいでしょう」
兄の言葉に、斎藤さんが付け加える。「大山閣下が、部下に望む人材がいるかもしれません。それも併せて協議する方がよいかと」
「斎藤の言う通り。有栖川宮家の職員をどうするか、という問題も生じてくるし……陛下、金子どのと大山どのを、こちらに呼び寄せてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。すぐに手配してくれ」
兄の同意を得ると、山縣さんは席を立ち、御学問所を後にする。長期戦に備え、私も侍従さんにお茶菓子の用意をお願いするため、一度御学問所から退出した。そして、私の予想通り、大山さんと中央情報院総裁の金子堅太郎さんも加わって改めて始まった話し合いは、正午過ぎまで続いたのだった。
1916(大正元)年11月13日月曜日午前10時、皇居・表御座所内にある御学問所。
「陛下、内大臣秘書官、全員参りました」
新しい秘書官長、そして3人の秘書官を従えて御学問所に入った私は、全員が兄の前に整列したのを確認すると、兄に最敬礼した。
「うん」
黒いフロックコートを着た兄は、ゆったりと首を縦に振ると、
「大山大将のことは、何と呼べばいいかな?“大山秘書官長”では、侍従長と間違えてしまいそうだし、かと言って、文官を“大将”と呼んでしまうのも……」
そう言いながら首を傾げた。
「呼びやすい方で結構でございます、陛下」
今回の人事で、めでたく内大臣秘書官長に就任した大山さんが、兄に向かって恭しく一礼した。
「内府殿下を、精一杯支えさせていただきます」
「有栖川宮家のことも大変だろうが、頼むぞ」
兄がこう言ったのは、大山さんの現在の立ち位置が関係している。内大臣秘書官長兼有栖川宮家御用掛……これが大山さんの正式な官職名である。別当は退いたけれど、御用掛ではあるので、有栖川宮家には自由に出入りできる。それを説明したら、私の子供たちも納得してくれた。ちなみに、有栖川宮家の別当には、中央情報院の幹部である福島安正さんが就任し、大山さんがやっていた中央情報院の新人教育の仕事を引き継いでいる。
「東條、久しぶりだな。元気にしていたか?」
兄が次に声を掛けたのは、有栖川宮家の職員から内大臣秘書官に転属した東條英機さんだ。“事務仕事に非常に長けている”と宮内省でも評判である彼は、大山さんの鶴の一声で、今回秘書官に抜擢された。
「はい、おかげさまで、元気にしております。お優しいお言葉、まことにありがとう存じます」
深く頭を下げた東條さんに、
「章子はじゃじゃ馬だが、しっかりついて行けよ」
兄は微笑を含みながら、こんな言葉で東條さんを励ます。
「はっ、先帝陛下のお言葉もございます故、たとえ振り落とされようとも、内府殿下につき従う所存です」
一方の東條さんは、秘書官就任にあたっての決意をこう述べたのだけれど、
(私、東條さんに“とんでもない奴”って思われているよね……まぁ、事実だから仕方がないけれど……)
普段、職員にどう思われているかを図らずも知ってしまった私は、こっそりため息をついたのだった。
「で、お前が松方顧問官の……ええと、何番目の子供だ?」
「十一男です!」
東條さんの左に立っている、愛嬌のある顔立ちの青年が、兄に答えると最敬礼した。
「松方正義が十一男・金次郎と申します!この度、内大臣秘書官に任じられました!以後、お見知りおきを!」
はきはきと挨拶をして頭を上げた金次郎くんの顔に、
「どうも、見覚えがある。松方顧問官の子に会ったことは、ほとんど無いのだが……」
兄は呟きながら、じっと視線を注いでいたけれど、やがて、
「思い出した。章子が宝冠章を授かった時、章子の大礼服の裾を持っていただろう」
得心が行ったように頷いた。
「お、覚えていてくださいましたか……光栄です!」
瞳に感激の色を浮かべた金次郎くんは、兄にサッと頭を下げる。大山さんの長男・高くんと一緒に、私の初めての勲章授与式で大礼服の裾を持ってくれた彼は、高くんと一緒に海兵士官となり、2年前に宮内省の……というより、中央情報院の職員となった。
――内大臣が調査せねばならない事項も出てくると思います。秘書官の1人は、院出身者がよろしいでしょう。
先日の人事についての話し合いの席で、大山さんがこう言って推挙したため、金次郎くんは内大臣秘書官に任命されたのである。
そして、
「で、平塚……明るい、と書いて、“はる”と読むのか」
兄の目は、金次郎くんの左に立つ、私と同じ黒い通常礼装を着た女性に向けられた。私の洋行で、私のお付き武官役を務めてくれた平塚明さんは、兄の視線を感じて、これ以上ないくらい深いお辞儀をした。
「そう固くならなくてもよい」
明らかに緊張した様子の平塚さんに、兄は微笑した。
「はじめに断っておくが、平塚を内大臣秘書官にしたのは、大山大将から、普段の働きぶりから見ると、平塚は章子を支えるのに適切な人材であるという推挙を受けたからだ」
キッパリと言い切った兄に、平塚さんは強張った表情のまま頭を下げ続けている。それもそうだ。彼女は日本初の女性官吏になったのだから。
人事打ち合わせの時、平塚さんを秘書官に推薦したのは、兄が言った通り大山さんだ。私も賛成したのだけれど、心配なことが1つあった。平塚さんが、男性官吏たちからセクハラやパワハラを受けてしまうのではないか、ということである。私なら“皇族である”という事実で、男たちからのイジメはねじ伏せられるけれど、平塚さんにはその武器はないのだ。
一昨日の11日、私は盛岡町の家に平塚さんを招いて話し合いの席を持った。もし、平塚さんが秘書官に就任すれば、彼女をターゲットとしたイジメは、私がどんなに彼女を守ろうとしても確実に起こってしまうだろう、と正直に伝え、“秘書官就任の話は命令ではないから、断ってくれて構わない。断られても、私は平塚さんを恨まない”とまで彼女に言ったのだけれど、
――尋常でない困難に見舞われるのは承知の上です!たとえそんな困難に見舞われても、私は秘書官として、どこまでも内府殿下に付き従います!
平塚さんは私にそう言い切ったのだった。
「……章子にもさんざん言われたと思うが、平塚は、いろいろな困難と闘わなければならないだろう。女性初の官吏だからな」
最敬礼したままの平塚さんに、兄は穏やかな口調で話し続けた。
「だが、平塚が1人で困難と闘う訳ではない。わたしがいる。章子も大山大将もいる。わたしが相手では話しづらいだろうから、何かあったら、章子か大山大将に相談しろ。よいな」
「……!」
頭を下げている平塚さんが、両目を見開いた。何か答えようと口を動かしているけれど、声が出てこないようだ。
「あの……平塚さん、どこか、体の具合が悪いですか?」
私がそばに寄り、平塚さんの身体を支えようとすると、
「いえっ……違います、内府殿下、体調が悪いわけではなく……」
平塚さんの口から、ようやく声が出た。
「陛下が……天皇陛下が、私にこんなお優しい言葉を掛けて下さるとは、夢にも思っておらず……私、私……」
感激と驚きで、涙を流し始めた平塚さんに、
「平塚さん、早く慣れてくださいね。この程度で驚いていたら、仕事ができなくなります」
私は忠告しておいた。兄は自分が必要だと感じれば、侍従の控室でも厨房でも、どこへでも用事を言いつけに行ってしまう。兄のそばに仕えている人たちは慣れていて、落ち着いて対応できるのだけれど、兄に全く慣れていない平塚さんが、用事を言いつけに秘書官室にふらりと現れた兄を見てしまったら、卒倒するかもしれない。
と、大山さんが咳払いをして、
「……以上4名、内府殿下を力の限りお支え申し上げ、天皇陛下に仕える所存です。以後、よろしくお願いいたします」
そう挨拶してから、兄に最敬礼をする。3人の秘書官も、そして私も、慌てて兄に深々と頭を下げた。
「では、早速仕事に取り掛かってもらおうか」
「かしこまりました。では陛下、ご決裁をお願いします!」
兄に応じた私の声で、大山さん以下、私の秘書官たちが動き出す。こうして、1916(大正元)年11月13日、人事が刷新された内大臣府が、正式に発足したのだった。
※松方金次郎くんは、実際にはこの時点では既に亡くなっています。




