改元初日
1916(大正元)年11月8日水曜日午前10時、皇居・表御殿。
「朕俄かに大喪に遭い哀痛極り罔し、但だ皇位一日も曠くすべからず、国政須臾も廃すべからざるを以て、朕は茲に践祚の式を行えり……」
表御殿にある正殿。元号が“大正”に改まった初日である今日、兄が、内閣総理大臣などの政府高官や国軍の大将たちと、天皇として初めて顔を合わせる“践祚後朝見の儀”が、午前10時から始まった。大元帥の正装をまとい、玉座の前に立つ兄の横には、真っ黒な通常礼装を着た節子さまが佇んでいる。2人の左右には、筆頭宮家の当主である私の弟・鞍馬宮輝仁さま以下の成年皇族が、男女別に整列している。ただし、私は内大臣を拝命しているので、内閣総理大臣の渋沢さんや枢密院議長の黒田さん、その他、内務大臣の桂さんや外務大臣の加藤高明さんなどの閣僚たちが立ち並ぶ臣下の列の最前列に立ち、兄が朗々と読み上げる勅語を聞いていた。
「顧うに、先帝、睿明の資を以て維新の運に膺り、万機の政を親らし……」
兄は沈鬱な表情ながらも、漢文調の勅語の文章を、落ち着いて読み上げている。勅語は、天皇が補佐を受けずに発していいものではあるけれど、大体は、関係する役所が草案を準備し、それを裁可の上、そのまま読み上げることが一般的だ。けれど、この朝見の儀の勅語に関しては、兄が渋沢さんと話し合って大体の内容を決め、その上で内閣から提出された勅語草案を裁可した。
そして、渋沢さんとの話し合いで、“これだけは絶対に入れて欲しい”と兄が要望した内容があった。そろそろ、そこに差し掛かるころだけれど……。
と、
「有司須らく先帝に殉ずることなく先帝に盡したる所を以て朕に事え、臣民亦和衷共同して忠誠を致すべし」
兄が、勅語で特に力を入れたところを読み上げた。私は下げていた頭を、更にもう一段下げた。
参謀本部長の斎藤さんによると、図らずも、この時の流れでの践祚後朝見の儀の勅語は、“史実”で兄が践祚後朝見の儀で読み上げた勅語とほぼ同一になったそうだ。けれど、唯一“史実”と異なるのが、この“先帝に殉ずることなく”という、“史実”の勅語に無かった語句である。これは、“史実”での乃木希典さん夫妻の殉死事件のようなことが、この時の流れでも起こることを懸念した兄が“入れて欲しい”と、渋沢さんに強く要請したものだった。
――わたしはお父様に殉じるような人間を、国民の中から出したくない。自ら命を絶ってお父様の後を追うより、国家のために働いて残された命を全うするのが、お父様の望まれるところであると信じる。
兄は昨日、渋沢さんに強く言い、渋沢さんも“仰せ、ごもっともにございます”と最敬礼したのだった。
ちなみに、“史実”でお父様に殉死した乃木希典さんは、現在、兄の5人の子供の輔導主任を務めており、奥様の静子さんも、皇孫御殿に勤務している。この時の流れでは日露戦争のような大規模な陸戦が起こっていないので、乃木さんの2人の息子さんもご健在だ。だから、乃木さんがお父様に殉死することはないだろう。
「爾等克く朕の意を体し、朕が事を奨順せよ」
兄が勅語をこの文章で締めると、私と同じ列に立っていた渋沢さんがするすると前に進み出て、
「臣栄一、誠惶誠恐、伏して言うす……」
と、勅語奉答文を読み上げ始めた。“誠惶誠恐”というのは、臣下が天子に自分の意見を申し上げる時に使う言葉で、貴族院や衆議院の会期ごとの勅語奉答文にも時々使われる。今回の勅語奉答文も、異例ではあるけれど、兄と渋沢さんが大体の内容を打ち合わせた上で草案が作られている。こちらにも、“先帝に殉ずることなく、先帝に尽くしたように陛下にも仕え、国家を発展させることを誓います”という意味の文章が入っていた。……私は漢文が得意ではないので、草案の文章の原文は、頭に全く入ってこなかったけれど。
渋沢さんが勅語奉答文を読み終わると、私たちは兄に向かって最敬礼をする。兄は玉座を離れ、宮内大臣の山縣さんや男性皇族たちを従えて正殿を後にし、節子さまも、私以外の女性皇族たちを引き連れて正殿から去って行く。こうして、改元後最初の儀式は、無事に終了したのだった。
1916(大正元)年11月8日水曜日午後1時30分、皇居・表御座所。
「これが、職員の一覧だな」
表御座所内にある天皇の執務室・御学問所。総勢60人余りの官吏のリストに目を通す兄と、そのそばで椅子に座る私の前には、宮内大臣の山縣さんと、先ほど勅語奉答文を読み上げた内閣総理大臣の渋沢さんが椅子に掛けている。兄が今持っているのは、山縣さんと渋沢さんが提出した、大喪使に所属するよう命じられた官吏のリストだった。
「浜口君と幣原君に加わってもらうことに致しました」
渋沢さんが頭を軽く下げ、兄に説明をする。「臨時議会に提出する予算案を早急に作成する必要があります。それに、外国からの特使の接待も多忙を極めそうですから」
「大変ありがたい、渋沢どの」
山縣さんが横から渋沢さんに頭を下げた。「大行天皇のご病状が分かってから、斎藤に“史実”での大喪儀のことを聞きましたが……あの膨大な量の仕事を遺漏なく行うには、優秀な人材が欠かせません。今まで修業してもらった成果、存分に発揮してもらいましょう」
「……梨花は、何か聞きたいことはあるか?」
リストに目を通し終わった兄が、私に微笑みを向けて尋ねる。
「やっぱり、具体的にどうやって事務をしていくのか、気になって……。山縣さん、この一覧でも、まだ事務の部署は明確に定められていないようですけれど、どんな部署を作る予定ですか?」
私は首を傾げてから、大喪使の副総裁に就任する山縣さんに尋ねた。ちなみに、大喪使の総裁には、伏見宮貞愛親王殿下が就任することになっている。
「まだ腹案の段階ですが、このように分けようかと考えております」
山縣さんは1枚の紙を取り出し、席から立つとそれを私の方に持ってくる。私も椅子から立って紙を受け取ると、兄の前にそれを置いた。
「総裁と副総裁の下に、全体の業務を統括する評議所を置く。その評議所の下に、総務・儀式・山陵造営・会計・会場設営・資材調達と運搬・鉄道……これらの業務を担当する部をそれぞれ作る、ということか。なるほど、これなら大体のことに対応できるだろうが……特使の接待はどうするのだ?」
「そちらは総務部で担当いたします」
兄の質問に、山縣さんは淀みなく答える。「別に部署を作ることも考えたのですが、実際に業務量が多くなるのは、斂葬の儀の数日前からでしょう。ならば、その時に他部署……主に国軍の将官になりましょうが、彼らの応援を受ける方がやりやすかろうと思いまして」
「分かった。……特使の接待をしながら、お父様を奉送しなければならないのは気が重いが……何とか乗り切らなければな」
軽くため息をついてこう言った兄は、
「ところで、葬場殿の儀は、おばば様の時と同じく青山の練兵場でするのだろうが、陵墓の予定地にどこかあてはあるのか?」
と、山縣さんと渋沢さんを交互に見ながら尋ねた。すると、
「はい。京都府の堀内村にあります木幡山……かつて、豊臣秀吉が伏見城を築いた跡地に山陵を造営する心づもりでおります」
……渋沢さんの口から、とんでもない答えが飛び出した。私は身体を固くした。
「おや、内府殿下、どうなさいましたか?」
不思議そうに聞く渋沢さんに、
「あの……渋沢さん……そこは……そこだけは、何とか避けられないでしょうか?」
私は恐る恐る尋ねた。「東京から京都に霊柩列車を走らせるのは、お金がかなり掛かってしまいます。お父様の葬儀で余計な出費をして、国民に負担を掛けたくはありません。ですから、お父様の陵墓は、豊島岡墓地か、そこが無理なら東京の近くで……」
このままでは、お父様の陵墓が、“史実”と同じ、木幡山伏見城の跡に作られてしまう。それだけは、後世の城郭オタクと研究家たちのために回避しなければならない。
ところが、
「恐れながら内府殿下」
必死の抵抗を試みる私に、山縣さんが鋭い視線を突き刺した。
「大行天皇の御遺言でございます。“朕の陵墓は木幡山にせよ”と……」
「ゆ、遺言?!お父様の?!」
大きく目を見開いた私に、
「今から半年ほど前になりますが……大行天皇が、神武天皇2500年式年祭を神武天皇陵で執り行われるため、皇太后陛下とご一緒に、関西方面に行幸啓なさいました」
山縣さんは厳かな口調で話し始めた。
「その際、大行天皇は、内府殿下がかつて登られた木幡山に登りたい、と仰せになり、わしや徳大寺どのなど、ごく少数の者を供として木幡山にお登りになりました。山の頂上に到着し、眼下に広がる景色の素晴らしさを皆で堪能しておりますと、大行天皇は、おそば近くに寄れとわしにお命じになりました。そして、わしにそっと耳打ちなさったのです」
――章子がこの山に、この城跡に行きたいと言った理由が分かったぞ。
身体を寄せた山縣さんに、お父様はこう囁くと、にっこり笑ったのだそうだ。
――おそらく、“史実”では、朕の陵墓はここにあるのだ。この山に登りたいと章子が言った時、その理由を“ここは大規模に開発されてしまったから”とだけ説明していたが、いつもの章子なら、知られてもいいことは、もっと具体的に説明するはずだ。となると、この木幡山が大規模に開発された、知られたくない理由があるということになるが……その理由、朕の陵墓が“史実”ではここにあった、くらいしか思いつかぬ。
突然の言葉に、とっさに反応できない山縣さんに、
――ここからの眺め、気に入った。山縣、朕と美子の陵墓はここにせよ。章子は嫌がるだろうが、朕の遺言だと言って押し通せ。
お父様はそう命じたのだそうだ。
「あの時の大行天皇の、ニヤニヤとお笑いになったお顔……元気な悪戯者の笑顔、そのものでございました。命じられた当時は、こんなにも早く、大行天皇にお別れを申し上げることになるとは、夢にも思っておりませんでしたが……」
話を締めくくった山縣さんの前で、私は歯を食いしばり、両方の拳を握っていた。もし、そばにいるのが兄だけだったなら、悔しくて叫んでいただろう。
「梨花のこの様子……どうやら、“史実”では、お父様の陵墓が木幡山にあったのは本当らしいな」
山縣さんの話を黙って聞いていた兄が、苦笑いを私に向けた。
「だって、そんなの、言える訳がないでしょ……。“あなたのお墓がそこにあるから、未来ではこの城跡に立ち入れなくなっている”なんて、今生の父親にさ……」
日本語がおかしいような気もするけれど、ありのままを言うとこうなってしまうから仕方がない。
「で、どうする、梨花?遺言だから、他の陵墓の候補地より、造営費がかさんでしまうということでなければ、お父様の子である俺としては、木幡山に陵墓を造営するしかないのだが……」
なだめるような調子で言った兄に、
「だから、諦めるよ……。陵墓ができる前の木幡山に登れただけ、ありがたかったと思っておく……」
うなだれた私は力無く答えた。今生の父親を、恨んだり、憎んだりはもちろんしていない。だから、お父様の遺言は、なるべく叶えてあげたいのだけれど……。
「そうだ。陵墓を造営する前に、せめて木幡山の発掘調査だけでも……」
それでも、木幡山伏見城の資料を、後世に少しでも残すことはできないだろうか。そう思って兄に提案してみたけれど、
「大行天皇の斂葬まで、2か月もありません。大急ぎで工事を始めなければ、斂葬の日に間に合いませんから、発掘調査をする暇はないでしょう」
横から渋沢総理大臣が冷静に指摘したため、私の微かな希望は儚く潰えた。
「まぁ、梨花、諦めろ」
どこからか、お父様の高笑いが聞こえる気がする。私は兄の言葉に、渋々頷いたのだった。
1916(大正元)年11月8日水曜日午後5時、皇居・奥御座所。
お父様の亡骸を安置しているお父様の居間で、“拝訣”……お父様の亡骸を棺に納める前の、最後のお別れが行われた。
兄がお父様の亡骸に拝礼した後、節子さま、お母様、皇太子となった迪宮裕仁さま以下の兄の子供たち、そして他の皇族やお父様の親族である華族、政府高官やお父様のそば近くに仕えていた人たちが順番に拝礼していく。私は栽仁殿下の妻として、栽仁殿下の次に拝礼した。白い布を外されたお父様の顔は、闘病の影響か、少しやつれているようにも見えたけれど、その他は生きているころと全く変わりなく、声を掛けたら起き上がりそうな気すらした。私はお父様の顔を、記憶にしっかりと焼き付けた。
拝訣が終わると、“御船入”……一般で言う納棺の儀式に移る。部屋の中に、檜で作られた棺が運び入れられた。兄以下の皇族たちが見守る中、お父様に最後まで仕えてくれた侍従や女官たちの手で、お父様の亡骸が棺に納められたのは、午後7時40分ごろのことだった。
「……じゃあ、僕は行くね」
午後8時20分。皇族一同が、皇居の車寄せで、赤坂離宮――お父様の崩御により、花御殿から改称された――に戻る兄と節子さまを見送った後、私の隣に立っていた栽仁殿下が言った。私と共に外遊予定を切り上げて日本に戻った栽仁殿下は、外遊に出発するまで所属していた、横須賀の第1艦隊の戦艦“朝日”での勤務に復帰することになった。それで、今日これから、横須賀に向かうことになったのだ。
「次の週末は、僕がいなかった間の業務の変更点を確認しないといけないから、東京には戻れない。その次の週末は、特別大演習だから……今度、東京に戻るのは、25日の土曜日だね」
夫の言葉に、私は黙って頷いた。年に1度ある特別大演習は、例年より期間を短縮し、9日後の11月17日から4日間、房総半島で行われる。お父様の崩御から日が経っていないこともあり、兄は今回の特別大演習には参加しない。その代わり、私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が、兄の名代として、大演習を統監することになっていた。
「こんな大事な時に、梨花さんをそばで支えられないのは辛いけれど……」
「本当よ」
申し訳なさそうに小声で言う栽仁殿下にこう返してから、私はため息をついた。
「今まで……日本を出てから、ずっと栽さんと一緒にいたのに、また離れ離れになるなんて、耐えられない。わがままを言っているだけと、分かってはいるけれど……」
正直な思いを口にしているうちに、私の目から涙がポロポロとこぼれ落ちる。声も無く泣き出してしまった私を、栽仁殿下はそっと抱き寄せた。
そのまま、5分ほど経ったのだろうか。車寄せで私たちと一緒に兄夫妻を見送った他の皇族たちの姿が見えなくなったころ、
「梨花さん」
栽仁殿下が私を呼んだ。
「ごめんね、栽さん……」
栽仁殿下の胸に顔を押し付けたまま、私は謝罪の言葉を口にした。「兄上を守るために、しっかりしないといけないのに、私……。こんなに心が弱くちゃ、お父様にも、お祖母さまにも叱られるわ。お前は上医になるのではないのか、って……」
「……心は揺れるものだよ。強くなる時もあれば、弱くなる時もある。大事なのは、心が弱くなった時に、どう立ち上がるか、だと思う」
栽仁殿下は私の頭をなでながら言うと、
「ねぇ、梨花さん。結婚指輪は持っている?」
と、優しく私に尋ねた。
「もちろん」
私は夫の胸から顔を上げると、首の後ろを触って銀のチェーンを探り当てた。チェーンの先に掛けられた銀の結婚指輪を引っ張り出し、左の手のひらの上にそっと置く。これは今朝、栽仁殿下に“おまじない”を囁かれながら、首に掛けてもらったものだ。
「うん、掛けてるね」
栽仁殿下も、私と同じように首もとを探り、チェーンの先にある結婚指輪を、自分の左手の上に置いた。こちらも、私が今朝、栽仁殿下の首に掛けたものである。
「いい?梨花さん」
栽仁殿下は、私の左の手のひらに乗った結婚指輪を、愛おしそうになでた。
「僕の想いは、僕の心は、この指輪と一緒に、ずっと梨花さんのそばにある。たとえ、離れていても、ずっと……。もし、梨花さんの心が弱くなった時には、それを思い出して」
栽仁殿下は、澄んだ美しい瞳で、じっと私を見つめる。瞳の奥から、私を気遣う優しい気持ちが溢れているのが感じられる。私は、栽仁殿下の左手の上に置かれた結婚指輪に、右手で優しく触れた。
「ありがとう、栽さん。……私も、私の心も、この指輪と一緒に、栽さんと一緒にいるよ。離れていても、栽さんと一緒に、ずっと……」
私は、栽仁殿下の瞳を、想いをこめて見つめ返した。そして、大山さんが車の用意ができたと呼びに来るまで、私と栽仁殿下は、お互いの左手の上に右手を重ねたまま、黙って見つめ合っていたのだった。
※勅語の文章、実際に出された勅語に無理やり言葉を埋め込んだので、おそらく漢文的にはおかしくなっていると思います。お許しを。




